社を出たところで寺井と会った鴇田は、悪戯が見つかった子供のような心境になった。と言っても、寺井は事情を知らない。鴇田はこれから、夏目と飲みに行く予定だった。
「よお、久しぶりに行こう」
断られるとは思っていない口ぶりだ。鴇田は一瞬迷って、頷いた。夏目にはメールを入れようか。そう思って携帯電話を取り出した鴇田は、届いていたメールを素早く読んで、結局そのままポケットに戻した。
――終わりました。すぐに行きます。
相変わらず礼儀正しい文面で、夏目はメールを送ってくる。
居酒屋に着いたところで、座敷に坐る。夏目と来るときは、カウンターが多いが、寺井は椅子を嫌う。そもそも三人になる予定だから、座敷のほうが都合が良かった。
適当に、二人はそれぞれ注文する。ビール、目刺、肉豆腐、枝豆、トマトサラダを頼んで、鴇田が目の前の寺井に向き直ると、どこか伺うような目にぶつかった。
「トマト、嫌いじゃなかったか、おまえ」
言われて、お絞りで拭いていた手が止まる。鴇田は「そんなこと言ったことあったか」と首を傾げてみせた。内心、ひやりとした。全く寺井は、いらないことを良く覚えている。
「田舎の、子供の頃食べたトマトが一番上手いって言ってただろ。だからこっちのハウス栽培は食べられないって」
そんなこと、言ったことがあっただろうか。だが確かに、そう思っている。甘いばかりで泥臭さも太陽の匂いもしないトマトは、食べる気がしない。
トマトサラダを頼んだのは、自分のためではない。だが、それを言うことも憚られた。失敗した。先刻、社の前で寺井と会ったときと同じ気持ちになる。
ビールが来たところで、夏目もやってきた。
「お邪魔してもいいでしょうか」
夏目はどこまでも礼儀正しく、謙虚だ。邪魔をしたのはどちらかと言えば寺井なのだが、そんなことはおくびにも出さない。
「おお、なんだ、夏目。終わったのか」
ごくろうさん、と言いながら寺井が席を詰める。夏目はちらりと鴇田を見てから、そこに腰をおろした。
「夏目もここを良く使うのか?」
言われて「ええ、まあ」と苦笑する。鴇田はごくりとビールを飲んだ。ひどく居心地が悪い。
頼んだ料理がテーブルに並ぶと、夏目の目が細められた。鴇田はまたビールを飲んで「遠慮せず食べろよ」とは言ってみたものの、寺井の目を見ることができなかった。
「いただきます」と頭を下げた夏目の箸が、トマトサラダに伸びる。隣で枝豆を摘んだ寺井の手が、一瞬止まった。
ゆっくりと豆を咥えた口が、ゆるりとほぐれた。何か言いたげな目が鴇田を見る。
「ふーん。二人がよく一緒に夕飯食べるって噂は、嘘じゃないわけだ」
突然そんなことを言い出した寺井に、夏目が首を傾げる。
鴇田は仕方なく、ビールを飲んだ。
寺井のにやにやした顔と、夏目の不思議そうな目に挟まれて、鴇田はただ、ビールを呷り続けるしかなかった。