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旅日記
大阪編
最初に、観覧車に乗ろう、と言い出したのは史緒だった。
史緒は普段、大人びたところがあったが、実は翠よりずっと子供っぽいところがある。それを見せるのは翠の前だけなのだが、翠はそのことには気づいていなかった。それでも、そんな史緒が可愛く、大好きだった。
「ほら、早く」
ビルの七階に連れて来られて、翠は戸惑っていた。史緒は、確かに観覧車に乗ると言ったのだ。それなのに、ビルの中なのはどう言うことだろう、と。
「真っ赤なね、観覧車なんだ。全部だよ。綺麗だろ?」
そう連れられた先には、確かに観覧車のゴンドラが見えた。ゆっくり、動いている。
「ビルの屋上にあるんだ。ずっとずっと高いところから、街が見える」
それは本当に真っ赤な観覧車だった。促されて坐ったその席も、箱の中も、縦横に走った骨組も、全てだ。
「ああ、綺麗というか、可愛いね」
翠が思わずそう言うと、史緒が少しはにかんだように笑った。ゆっくりと、二人を乗せたゴンドラが上昇する。
空は晴れて青く、赤い観覧車はその空に良く映えた。静かに、ゆっくりと動く観覧車の窓から、翠は外をじっと眺めていた。乗り物に乗ると無口になって外を眺めるのは、翠の癖のようなものだった。
そう言えば、同じ暑い夏の日に、赤い鳥居が立ち並ぶ山で、不思議な少年に出会ったな、と翠は思い出した。
史緒はその少年を、知っているようだった。彼のことだ、きっとすぐに仲良くなったに違いないと思うと、翠は少しだけ切なくなる。自分は決して、人とすぐに仲良くなれるような気質ではない。それでも史緒とは、いつの間にか仲良くなって、もうずっと、一緒にいる。
いつまで、と眼下に広がる目まぐるしい街並みを眺めながら翠は思った。複雑に絡み合った街が、小さく遠い。
いつまで、自分たちは一緒にいられるのだろう。
あと何度、こんな風に暑い夏の思い出を二人で作れるのだろう。
人ごみの中を歩くことが苦手な翠を、史緒は待ってくれていた。いつもいつも、はっとして史緒を探すと、必ず自分を見つめてくれていた。その視線を失って、自分は歩いていけるのだろうか。
そんなことを思い始めたら、翠は切なくて切なくて、ほうっとため息をつきながら窓にこつりと額をつけた。
熱い、と言いながらたこ焼きを頬張ったのはつい先ほどのことだ。二人で一皿を分け合って、はふはふと口をさせながら食べる姿に、互いに笑った。
全てはいつも、思い出になってしまう。
先のことなど誰にも見えないのに、不安に思う翠を、史緒はもどかしい思いで見ていた。不安なら、手を伸ばしてくれればいい。それなのに、翠はいつでもそこに佇む。ただ、じっと。
「翠、頂上だ」
気が付くと、四方八方、空に囲まれていた。こつりと、二人の靴がぶつかった。
翠はようやく、史緒を見た。それから、少しだけ横にずれて、史緒の正面に坐る。緩やかに、観覧車は回っている。
そっと手を握ると、史緒は外を見たまま、その手を握り返してきた。
いつまでも、永遠に。
こんな風に二人だけの空間でいられたらと、馬鹿みたいなことを願ったのは翠だけではない。
ゆっくりと下り始めた観覧車の中で、翠は握った手に力を込めて、そっと瞼を閉じた。
その温もりだけを、感じたかった。
あとがきのような
最初にこの赤い観覧車を写真で見たとき、なんて可愛いんだろう、と本当に思いました。そしてもちろん、乗りました。
青い空と赤い観覧車は、本当にうっとりするほど似合っていて、ただただ感嘆のため息。
実際は、私は姉と乗ったので、こんなロマンチック(?)なことにはならなかったのですが、(それどころかその高さに姉が「怖い」を連発、あげくに一度止まってしまったのでちょっとしたスリルもありました)やっぱり観覧車といったら「二人っきりの世界」かなあ、と。
それにしても。
大阪で舞台にするのがそこですか?と呆れる方もいらっしゃるかもしれませんが。
是非ね、見たかったんですよ。
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