home モドル
spille the beans
自分は意外と、浅木のことを何も知らない。
光己がそう気付いたのは、つい最近のことだ。色々話しているつもりで、でも浅木は、光己の知らない面をたくさん持っている。光己はどちらかというと全て見せてきてしまったような感覚があって、だから少し面白くない。
孤高の狼などと呼ばれながら、でも、きちんと力のある生徒とは通じていると光己が知ったのは、この間の日曜日にみんなで中華まんを作ったときのことだ。九重では日曜に食堂は開かない。そのため、生徒達は自分で作るか買ってくるか外に食べに行くしかないのだが、何しろ周りには何もない。その代り、部屋にミニキッチンがついていて、週一度の食料配達もある。欲しいものを所定の用紙に書いて出すと、翌週に配達されるのだ。
光己はそれまで、適当なインスタント食品や冷凍食品を食べていたが、その週は浅木が料理研究会の岡崎が中華まんと栗おこわを作るから一緒に食べないかと誘われた、と光己も誘いに来たのだ。実際は、そこにいた図書委員長だと言う守谷と仲が良いようだった。
その岡崎は時期生徒会長にと目されていて、一緒にいたサッカー部の西沢は運動部統括にと押されていると説明してくれたのは、浅木自身だった。そして、二人の陰謀で、多分守谷は文化部統括になるだろうとも。
つまり、四獣と呼ばれる執行部幹部の候補生のほとんどがそこにいたのだ。そして、残りの四獣の一人になると思われる、現二年総代の菅野も、どうやら浅木とは親しいらしい。特に光己が気になることは、菅野は浅木の事を一穂、と名前で呼ぶことだ。浅木の事をそう呼ぶ人間を、他に知らない。
「んー?菅野?ああ、あいつ、浅木とは同室だったからな」
食堂で昼食となったとき、菅野に呼ばれて立ち止まった浅木を置いて、光己は壮真と一緒に列に並んだ。菅野は何か耳打ちするように話していて、浅木はそれに微かに微笑んだ。それを視界の隅で気にしながら、あの二人、仲良いんだな、と光己がさり気なく言った言葉に答えてくれたのは、壮真だった。
「同室?一年のとき?」
「そ。でも、その前から知り合いだったっぽいけど、俺もそれ以上は知らない」
孤高の狼は、身辺をうろつかれるだけで気に食わないらしい、と壮真は肩を竦める。それでも、光己とくっついてからは少しは近づきやすくなったのだ。
「そうかな。そんなあだ名だけど、結構友達いるだろ?」
「友達……?誰?」
「えーと、ほら、料理研究会の岡崎とか、図書委員長の守谷とか」
壮真はそれには、ふーんとかああ、とか光己にはわけのわからない返事をした。
「何だよその反応は」
「いや、別に」
壮真は内心、ちょっとしたネタだなと思いながらも、きっと何も知らない友人から目を逸らした。友人をネタにするのは心苦しい。わかっている連中ならいいが、光己には色々と隠していることがありすぎる気がする。だからと言って、秋姫のことは絶対に何も言えない。光己が軽く引き受けるなら話は別だが、そうならないことはその性格からよくわかっていたし、自分は東だ。秋姫のことでごたごたを起こせば、西に恨まれる。そうやって大きな借りを作りたくはない。
浅木とか菅野とか、どうにかしてくれないかなあ、と壮真は思った。光己はこれで、結構短気だ。その上、自分の知らないところで自分の話題が出されるのをもの凄く嫌っている。だから、ときどきみんなが思わずあだ名で呼んでしまいそうになるのを誤魔化すのは、いい加減疲れていた。何かが隠されていることを、光己だってもう気付いている。
「何ボケてんだ?詰まってるぞ」
言われて、壮真は慌てて目の前のA定食を取った。今日の定食はハンバーグだ。ボリュームもあるしソースも凝っていて美味しいが、魚を食べようと思っていた壮真は何を馬鹿やってるんだろう、とがっくりと肩を落とした。
声を掛けたのは坂城で、醤油がないと貰いに来たらしい。壮真が止まっていたのに便乗して、壜に醤油を詰めてもらっていた。
「あれ?二人?いや、浅木は後ろか……菅野も?席、取ろうか」
坂城がひょいっと後ろを指すと、壁際にさっき話題に出た岡崎たちがいた。食堂の席取りは結構熾烈だから、取ってもらえるならありがたい。壮真が頷くと、和高はさっさとテーブルに向かっていった。
「……えーと、誰?」
「2Lの坂城和高。陸上部と園芸部を兼ねてる面白い奴」
壮真はそう言って、テーブルに向かっている。浅木はその様子を見ていて、肩を小さく竦めた。
「何?気に食わない?」
後ろの菅野が囁くと、そうじゃないんだけど、と浅木は言った。
「この間、ちょっと顔合わせはしておいたんだ」
「ああ、昼食会か……」
その名前は少しもイメージに合わないが、浅木は何も言わずに頷いた。
光己が壮真についていったテーブルには、この間中華まんを作ったメンバーが揃っていた。
誰も何も言わないが、光己の隣は当然のように空けられて、浅木が坐った。その前に菅野が坐る。浅木と反対側の光己の隣には、智が坐っていた。久しぶり、と言われて、光己もそうだな、と笑って返した。
かなり大人数の食事になっているが、他のテーブルでもどんどん人数が増えるのは変わらないようだった。もちろん、偶々隣り合う人間もいる。
「あのさあ、浅木でも菅野でも、西の……なんとかなんない?」
半分ほど食事が進んだところで、光己の前に坐っていた壮真がぼそりと言った。隣の菅野がうどんのかまぼこをぱくりと食べて、俺に振るなよ、と肩を竦める。
西の、だとか東の、というある種の略称は、姫と言う呼称を嫌う本人たちを考慮して作られたのか、もう長く伝統のようにして残っている。
「そりゃあ、どう考えても一穂の役目だろう」
「じゃあ浅木」
「長柄だってそんなに関係ないんじゃないのか」
浅木がそう言うと、そうもいかないんだよー、と壮真がハンバーグにだんっと箸を突き刺した。
「どきどき忘れる馬鹿がいる。それを誤魔化す身にもなれ!」
ああそういうことか、とつるりとうどんを食べながら菅野がふんふんと頷いた。でも、それなら一穂だって同じだろう、と言うと、浅木は別に、という素っ気無い返事をした。
「なんだ?やっぱり気に入らないのか?」
菅野のニヤニヤした顔に、浅木が心から嫌そうに顔を歪めた。菅野に対しては、浅木は遠慮がない。
「おまえだったら嬉しいか?他の人間にナイト気取りでいられて」
「させとけよ、それくらい。西の連中は半年我慢したんだ。それに、確かに安全でもある」
「それはそうだけどな。海田先輩の気持ちが良くわかる」
「だろうな。まあ、おまえも上手くやってるようだし?守谷と密約交わしたりな」
全く裏方は大変だねえ、と菅野が言う。その段になって、光己がなんとなく、自分たちを気にしているのが分った。斜め前にいる菅野には、光己のことを盗み見するのは容易い。
浅木は、あまり自分のことを話さない。たぶん、自分との関係も、聞かれない限り話していないんだろうなあ、と菅野はちょっぴりやれやれ、という心境だった。
「別に、それほど大したことじゃないだろ」
「そう?だったら、一穂のお姫さんの同室者争い、熾烈だろうなあ」
菅野、と浅木が低い声で一喝した。光己が余計に、関心を寄せたのがわかる。
光己にしてみれば、自分には全く分らない話をしているのだから、話に入ることも出来なかった。しかも、どうやら三人だけではなく、守谷の名前まで出てきた。浅木が割と気に入っている友人だと言うことは、光己も知っている。そして、気になる単語もあった。菅野が言った「一穂のお姫さま」とは、何なのだ。
何?と言うように壮真を見たら、さり気なくも不自然に視線を逸らされた。隣の浅木に至っては、そうならないようにと元から光己と視線を合わせない。
何なんだ!
そう思ったときには、光己は勢いよく立ち上がっていた。定食は食べ終わっている。トレイを持って、びっくりしている智たちを置いて、ずかずかとトレイを片付ける。後ろでは、壮真がやばいと言う顔をしており、浅木はゆっくりと立ち上がる所だった。
「失敗した……最近、光己も何かあるのは気付いてきてたんだ。でも、誰も何も教えられなくて、それについては苛々してたのに……」
だからこそ、内密の秋姫と言う存在をどうにかしてくれ、と壮真が訴えたわけだが、場所が悪かった。
「どうしたの、栖坂」
「そっちの間抜けな三人が怒らせたんだよ」
智の質問に、守谷が肩を竦めて答える。間抜けは言いすぎだろ、と和高が言ったが、いや的確、と圭は頷いている。
「というより、内緒にしようって方が間違ってるんじゃないの?」
「でも、早々簡単にはなあ」
西嶋が苦笑している。何しろ、春姫のときも大いに大変だったのだから。
やれやれ、と浅木はトレイを手にした。
結局、気に食わないと思っている自分が説得する羽目になるかと思うと、その皮肉に笑うしかないと思った。
「なんだよ菅野。らしくない発言ミスだな」
二人が立ち去ったのを不思議そうに見ている智の横で、守谷がにやりと笑った。菅野も笑い返して、そろそろいいかと思って、とうどんの汁をずずっと飲む。
「一穂もおまえも動き出したんだ。俺は俺で一般生徒の懸念事項を解決したいと思ったわけ」
「おおー。さすが菅野!」
叫んだのは壮真だった。一般生徒は自分のことだろうと感謝する。
「他からもちょっと心配事として話はあるんだよ。このまま隠し通して、果たして来年は大丈夫なのか」
来年の話となれば、西も東も関係がない。どちらの寮になるか分らないからだ。そこでも密かに光己を姫と呼んでいくのかと考えると、多少なりとも不安になる。なにより、今年の春姫も揉めに揉めたのだ。
「まあ、浅木は諦めてるみたいじゃないか」
西嶋の言葉に、岡崎は食べ終わってお茶を啜りながら、肩を竦める。
「姫の利益もわかってるだろ」
「一穂はな。でも、それを栖坂にわかってもらうのは、大変そうだ」
「確かに。いまだに自分たちは例外だと思ってるからな。自分が襲われる可能性なんて、これっぽちも考えてないぞ、光己は」
壮真が盛大にため息をついた。光己なら、こう言うに違いない。
そうそう簡単にゲイがいてたまるか、と。
ここは別世界なのだ、と説明するのもどうかと思うが、そう考えるのが一番納得もいくし、わかりやすいと壮真は思う。隔離された、九重の世界。同性愛も、そう珍しくない世界なのだ、と。
「えー?栖坂って鈍感?あんな綺麗なのに」
智がそう言って、みんなの苦笑を誘う。ただ、隣の守谷だけは少しばかり不機嫌な顔をした。
「こら智。余所見をするんじゃない」
「綺麗なもんは綺麗ってだけの話」
智は素直だ。ついでに、その無邪気な発言は問題発言であることも多い。その無邪気さが、その問題をなんとかくるんでいるようだが。
「これは守谷、密約は考えた方がいいんじゃない?」
「大丈夫。そんなことになったら俺も浅木も許さないだろ」
「密約って何?この間もそんなこと言ってなかった?」
この間―――あの膨大な数の栗を剥いたときのことだ。栗おこわを作るのだという岡崎を手伝ったのだが、結構大変だった。そのとき、ちょっと密約があって、その顔合わせなのだと守谷が言ったのだ。
「もしかして……二人を一緒にしておけば安全、ってところか?」
そう言うことにあまり関心のない坂城も何か気付いたようで、少しばかり呆れたような顔をしていた。
「そんな顔して……おまえは先輩が一人部屋だからわからないんだろ。先輩がもしまだ二年で、来年誰かと同室になるってことになったら、考えるだろ?」
言われて考えてみたが、それなら自分と同室となるようにする。わざわざ、他の誰かと組ませたりなどしない。そう考えてでも、そう出来ない理由があるのを思い出した。
「でもそうか。浅木は来年も南だろうし、栖坂は寮生の反対でそれは不可能。でも、長倉は?南に入れば?」
「本人がそういう面倒な職にはつきたくないって言うから」
守谷の言葉に、西嶋も岡崎もくすくす笑っている。全く、この口だけは達者な男が、智相手にどうして説得の一つも出来ないのだろう。
「そりゃあやだよ。委員長か部長だろ?部活は入ってないし、委員会の委員長なんて絶対無理。でも、それが何の関係があるんだよ、その密約に」
密約、という単語を強調して見せた智に、守谷がまあ密やかだから密約なんだし、と呟く。
「ようするに、残念ながら、智と俺は来年同室にはなれないってことだ」
岡崎の言葉に、どうせおまえは南だろ、と西嶋が言う。
「うーん。何はともあれ、来年の部屋の話ってこと?何?もしかして、俺の同室は決まってるとか?」
「そう。ついでに言えば、栖坂もな」
それでようやく、智も密約の意味することがわかった気がした。
「でも、くじ引きじゃん、部屋決めは」
「智……ほんと、素直で純粋で可愛いな」
するりと守谷に頭を撫でられ、智は「わあーっ」と赤くなりながら首を振った。
他の面々は、相変わらずだと笑っただけだった。
さて何処に言ったのか。
浅木は考える間もなく、食堂棟の屋上に上がっていた。いつか二人でそこから眼下の街を眺めたことがある。木々に邪魔されて眺めが良いとはいえないのだが、それでも光己はそこを気に入ったようだった。
近寄って後ろから抱き締めると、光己は鋭い目をしたまま、体重をその腕の中に預けた。
「確認もせずに身を預けるなよ」
浅木がそう言うと、光己の手がその腕をすっと撫でた。
「わかってたから、抵抗しなかっただけだろ」
「振り返らなかったくせに。俺だってわかったのか?」
そんなのすぐわかる、と光己は言ったきり、黙ってしまった。
浅木はこうして、何よりも温もりをまず与えてくれる。だから、色々な嫌な気持ちやささくれだった思いは凪いでしまうのだ。その優しさは、ときには切なくなるほどで。
「今回は、俺たちが悪い。でももちろん、長柄も悪気があったわけじゃない」
「あったらあの場で問いただしたよ」
それが出来ないから、逃げてきたのだ。自分の、醜い独占欲やらも加算されて。
小さく、ため息が吐き出されたのがわかって、浅木は少しだけ抱き締める腕の力を強めた。
「……すごく馬鹿なことなんだけど。ときどき、俺はどうして一年からここに入らなかったのかって思うときがある」
背中が、温かい。今日は晴れたおかげで、真冬にしては暖かい日だったが、コートなしで外にいるには、やはり寒かった。
九重の生徒達は、みんな優しいと思う。別に誰も、後から入ってきた光己のことを邪魔にしたり苛めたりしたわけではない。でも、閉鎖的で様々な風習を持っている九重は、内部の団結力のようなものがある。その一体感のようなもの。それに、ときどき光己はおいていかれてしまう。それは、仕方のないことなのだ。そうわかっているのに。
「光己、重藤先輩は知ってるか?」
突然の質問に、光己は頭だけ振り返って浅木を見た。
「えーと、ああ、海田先輩と付き合ってるって言う……?」
聞いたときは、光己はびっくりしたものだ。でも、そう言ったカップルが多いのだと聞いて、自分たちがそれほど抵抗なく受け入れられた理由もわかった。
「そう。その先輩の、呼び名は知ってるか?」
「……呼び名?聞いた気がする。なんかこう、ちょっと……ああ、東の春姫だっけ?」
正解、と浅木が微笑んだ。みんな、光己になんとか受け入れてもらおうとそれなりに努力をしているらしい。特にあの壮真辺りは、じわりじわりと攻めて、抵抗を少なくさせようとしているのだろう。でも、呟きの中にその呼称に対してあまり良い印象がないことが聞き取れて、浅木はため息を吐きたくなった。その上さらに、光己は眉根を寄せてぶつぶつと言った。
「男に対して、その呼び名はないんじゃないかって思ったんだよな。東だから春って、古典の予備知識に役立つって壮真なんか言っていたけど……あれ?じゃあ、西は?」
「西は季節にするとなんだ?」
「えーと、秋だっけ」
そう、と浅木がにっこりとまた笑う。外国にいた分、光己は古典系は苦手なのだ。
「じゃあ、秋姫ってこと?」
そう、とまた浅木が言う。でも、一体何故そんな話を出してきたのか、と浅木を見つめると、少しだけ困ったような顔をしていた。
「姫って言うのは、毎年各寮から一人ずつ選出されるんだけどな。東は今年は重藤先輩。西は……一学期は適任がいなくて、いなかったんだ。まあ、重藤先輩も最初は拒否してて、正式に姫になったのは五月も近くなってからだったんだ。その話は?」
「知らないけど。気持ちはわかるよ。男で姫って呼ばれるのはやっぱり抵抗あるだろ」
浅木はもう苦笑するしかなく、実際、苦々しく笑った。
「まあ、名称に問題があるのは確かだな。重藤先輩の場合は、どうやらそれだけじゃなかったみたいだけどな。もともと、姫って言うのは、たぶん光己が考えているようなイメージじゃないんだ。いつからなのか俺も知らないが、ここでそう言う役割を作ったのは、生徒達のある種の精神安定剤みたいなものなんだ」
精神安定剤?と光己が首をかしげる。
「ここはものすごく閉塞的な場所だ。男子校で、山奥で、外に行くのも容易じゃない。その上寮生活で、色々団結力を高めようというような行事も多い。だから、ここで誰か相手を見つけるというのは、それほど珍しいことじゃなくなったんだ」
それがある種の伝統のようなものになったのも、大きかったのだろうと浅木は思っている。いわば、この世界はこの世界のルールや風習があって、脈々と受け継がれていくそれは、高校生になったばかりの少年達には簡単に受け入れられてしまう。とくに、先輩たちという多数が「こういうものなんだ」と言ってしまえば、そうかもしれないと思ってしまうのだ。
「まあ、俺は海田先輩たちと長倉たち以外は知らないけど……結構いるって聞いた」
それでも、半数もいるというわけではないが、そうじゃない人間達も許容したり応援したりしているから、新入生達もやがてそれに慣れていく。
「ただそれで、色々問題が起こることもある。それを少しでも解消するために作られたのが、姫なんだ」
「問題って……」
その点は、浅木はあまり言いたくなかった。光己の痛い過去を掘り起こす必要はないと思うのだ。
「色々だよ。世間一般では、男女間で起こる問題も含めてな。でも、姫と言う存在を守ろうと思う、そう言う気持ちと団結力みたいなものが、色々邪な気持ちを押しやると、昔の先輩たちは考えたわけだ」
光己はうーん、と唸った。理屈は、なんとなくわかった気がする。だからと言って、男を姫変わりにしてもと思うのだ。
「光己、重藤先輩は見たことあるか?」
「ちらっとね」
「どう思った?」
どう、と言われても、と光己は思った。確かに、綺麗な人だったと思う。男に綺麗もないと―――自分自身の嫌な経験からも―――思うのだが、凛としたある種のかっこよさのある綺麗さだった。
それを浅木に言うと、ほっとしたような顔をした。
「姫って言うのは、そういうものなんだ。確かに、守られる存在ではある。でも、それは従えるというのと同じような意味なんだ。騎士たちは、尊き姫に仕える―――」
一番良く使われる例えを言うと、光己は少しばかり呆れた顔をした。
「随分ご大層だな」
「まあ、大先輩たちの考えたことだ。でも、確かな効果もあるんだ」
それなら王様とかにすれば良かったのに、と光己は言ったが、何しろ王に値する役職は他にあるので、仕方がない。それに、王はその国を統べなければならない。
「というわけで、呼称はともかく、それなりに必要な存在で、必要な制度なんだ」
「うん。まあ、わかったけど。それをどうして、今話したんだ?」
「光己に、その点をわかってもらわないとならなかったから」
嫌な予感が、光己はした。それは、どういうことだろう。
「西には、半年間姫はいなかったと言っただろう?でも、新学期になって、ようやく姫が現われた」
浅木にしては回りくどい言い方に、光己はどんどん眉根を寄せていった。
「まさか……」
「光己を西から絶対に出さないっていうのは、そう言うことだったんだ」
何がそう言うことだったんだ、と光己は怒りに身体を震わせた。
「待てよっ。俺が姫だって言うのか?」
ばっと腕を振り払われてしまい、浅木は両手をぱっと挙げた。
「なんで?」
「光己が綺麗で強いって言うのを知っているのは、残念ながら俺だけじゃなかったってことだよ」
納得できない、というような顔で光己は思い切り顔を顰めていた。
「わかんない」
「ああ。代々姫になる人間は、わからないみたいだな。重藤先輩も、あれだけ海田先輩たちに大事にされているのに、姫だという点に関してはものすごく謙虚だ。去年姫だった先輩たちも、二年連続でも決して奢ることはなかった」
だからこその姫なのだが、姫君たちにしてみれば疑問でならないようだった。
「俺は嫌だ」
「そう言うと思って、なかなか言い出せなかったんだ」
「浅木も知ってて、言わなかったんだな」
剣呑な目をした光己は、整った顔の分怖い。浅木はそれを少し困ったように見ながら、寒いな、と呟いた。
光己も、自分が浅木を思い切り振り払ってしまったことに気付いて、少しばつの悪い顔をした。
「本音を言えば、俺がいるって気持ちが大きいんだ。でも、残念ながら俺は始終一緒にいることは出来ない。そして、この学校にも馬鹿な奴はいる。だから、予防線を張るに越したことはない」
「俺は、自分の身ぐらい、自分で守る」
叫んだ光己を、浅木はゆっくり抱き締めた。
「わかってる。光己が強いのは知ってる。……でも、もう二度と、光己に傷ついて欲しくない」
弱いのは俺なんだ、と浅木が言った。
ずるい、と光己は思う。
そんな風に言われたら、承諾せざるを得ない気がする。
浅木が言葉を濁した部分を、光己は知っていた。光己の過去を知らない壮真が、春姫の身に起こったことを話したことがあったのだ。光己も気をつけろよ、と壮真に言われて、そのときはそうだね、となんとか笑うことしか出来なかった。
光己も、知っている。どれだけ男なんだからとプライドを掲げてみても、それを簡単に踏み躙る人間がいることを。そして、そこから立ち上がることが、どれだけ困難なことかも。
光己は抱きついてきた浅木の背中を、ぽんぽんと叩いた。あまり面白くはないが、浅木の説明からすれば、この姫という役割のせいで傷つけられるプライドは、ないはずだった。実際、重藤先輩と言う手本を見ていると、そういうことじゃないと、わかる。
「とりあえずわかった。わかったけど」
光己が華やかに笑う。浅木は顔をあげて、思わずその笑顔に見惚れた。
「俺が認めたのっていうのは、しばらく内緒な。散々内緒にされたんだ。少しぐらい仕返ししても良いよな?」
全く、と浅木は思う。
歴代の姫君たちは、どうしてこうも、一筋縄ではいかないのだろうと。
なにやら仕返しを思案している光己を横目で見ながら、やはり、騎士たちは姫君に振り回される運命にあるのだと、つくづく思った。
home モドル