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晴天保証 by RURU |
「…あ、水がなくなってる」 「え?」 「ほら、ここだよ。昔、川だったよなあ? ここ」 「ああ…そうだっけ」 10何年も前のことなのに、俺は鮮明に覚えている。 けれど、生まれ故郷のこの町が、昔と変わったのか変わってないのか、そんなことすら克也(かつや)にはわからない。 それはもう、克也がこの町になんの関心もないことの表れのような気がした。 「山のずっと奥の方から湧き水が出ててさ、川って呼べるほど立派なもんでもなかったけど、いつも水が満ちてたのにな。枯れちまったんだな…」 知らなかった。湧き水は、永遠に湧いて出てるもんなんだと思って、疑ったこともなかった、あの日々。 ―――二人が離れ離れになるなんて、考えたこともなかった、あの日々。 「ふるさとは 遠くにありて 近きに思う」 「なんだ、それ」 「さあ。誰の句だったっけ」 一歩歩くたびに、湿った落ち葉がザクッ、っと重い音をたてる。緑が深くてあまり日が当たらないせいか、昼間なのに薄暗く、空気はじっとりと湿っている。 「陰気な場所だよな。春だっつーのによ」 なんだか忌々しそうに、克也が言った。言外に、なんでこんなとこ連れてきやがった、という嫌味が込められてるような気がして、晶(あきら)は悲しい気持ちになった。 最後の、賭けだったんだ。 ガキの頃、克也と克也の弟の正也と、日が暮れるまで、この場所で遊んだ。 小さな町で、幼稚園も小学校も中学も高校も、ずっと一緒だった。 中2の時、初めてここで克也とキスした。今でもはっきり覚えている。あのでっかい樫の木のとこで、克也が聞いてきたんだ。 『キスしてもいいか』 昔からぶっきらぼうで、乱暴者で、同姓には怖がられ、異性にはワイルドでかっこいいって騒がれてた。 だからってあんなときまで、怒ったように言われちゃ、たまんない。でも俺はそれが克也流の照れ隠しだってことがわかってたから、怖くもなんともなかった。 『いいよ、別に』 俺がそう答えると、 『別にってなんだよ。俺はお前が好きだから、キスすんだかんな』 『うん。俺も克っちゃんのこと、好きだよ』 『いつまでも、克ちゃんなんて呼ぶな! ガキくせーんだよ』 小学校を出るまでは同じくらいだったはずの身長。でも中学に入ってから克也の身長はぐんぐん伸びて、あっという間に俺を追い抜かした。声変わりも早くて、掠れて低音のハスキーボイスがセクシーだと、女子が騒いでた。同年代のヤローどもより、大人びたところのあった克也。 『いいんだな。キスしたら、次はエッチすんだぜ』 『ええっ。それは…まだ早いよ、僕たち中学生だもん』 『じゃあ、早くなきゃいいのか? 高校まで待てばいいのか』 ぐいぐい俺を樫の木の幹に押し付けて、動けなくする克也。俺の数倍成長が早いその身体は、もうすごく男らしくて、なんだかこれが男の色気ってやつか、と昨日見たドラマで覚えたばっかりの言葉を頭に思い浮かべた。 しょっぱなから思いっきりディープなキスをぶちかましてくれた克也に、結局俺は、中3のときにバックバージンを奪われた。 「高校まで待つって、言ったくせに」 俺が思い出し笑いでくすくすやってるのを、克也が気味悪そうに見る。 小さくて退屈な町を出て、東京の大学に二人揃って進学した。2DKの学生アパートで二人で暮らした。気がつけば、恋人同士になってから、8年もの月日が流れていた。 「なあ。フランスって、どんなとこ?」 「まだ行ってねえからわかんねえよ」 「はは。それもそうだ」 別れは突然。 フランスに行くことにしたと、なんの前触れもなく克也が言った。語学勉強して、向こうで就職したいからって。だからなんでフランスなんだか。さっぱりわからない。 「…雨、降りそうだね」 会話が続かなくて、ふと見上げた空が、今にも泣き出しそうだった。 「降らねえよ」 「天気予報で言ってた?」 「見てねえよ、そんなもん」 「じゃあなんで、そんなに自信満々なのさ」 今回に限ったことじゃないけど。克也はいつだって、自分を信じて疑わない。嫌味なくらい、自信に満ち溢れてる。 「晴れ男じゃん、お前」 「え?」 「自覚ねえの?」 雨男なら聞いたことあるけど、晴れ男なんてのも、いるんだろうか。 「修学旅行も体育祭も、一回も降られたことなかったよな。お前がいると」 「そんなの…克也の方が、晴れ男なのかもしれないじゃん。いかにもそんな感じ」 「お前だよ」 どうして、という言葉はもう返さなかった。 克也がそう言うなら、そうなんだろう。これ以上なにを言っても、克也から論理的な説明が返ってくるとは思えないし、不毛な言い争いはやめよう。 「帰ろっか。おふくろ、克也の分までメシ用意して待ってると思うから」 克也の両親は、一昨年揃って亡くなってしまった。 この辺は、土地が低く、昔から大雨が降るとすぐに近くの川が氾濫し、決壊が破れ、水浸しになる地域だったけれど、一昨年の夏戦後最大の台風がこの辺りを襲って、そのとき家ごと克也の家族は流されてしまった。俺の家族は、ちょうど旅行中だったため、家は流されたが命は無事だった。 だから克也にしてみれば、もう待ってる人も帰る家もないこの土地にくる意味なんて、なにひとつなかった。 それを俺が、無理やり引っ張ってきた。渡仏する前に俺のおふくろにも会っといてくれ、克也はおふくろのお気に入りだったから、と適当な理由をつけて。 来た道を引き返そうとしたところを、克也に強い力で二の腕を掴まれた。 「なに、克也?」 振り向くと、克也は怒ったような顔をしていた。 いつも仏頂面だからわからないけど、俺にはわかる。克也は声を荒げたりして怒るよりも、むっつり黙り込んで何日でも怒りをたくわえておくタイプで、他は男らしいのにそういうとこだけちょっと女々しい。 乱暴に俺を引き寄せ、俺の何倍も横幅のある古い樫の幹に、俺を押し付ける。 背中を強く打った衝撃で一瞬息が止まった。間髪いれず克也の口付けが襲ってきて、俺はそのまま息苦しさに耐えなければならなかった。 「かつ…克也っ」 執拗に唇を貪り続ける克也に、とうとう息苦しさが頂点に達し、俺はその身体を突き飛ばした。 克也は軽くよろけながら、俺から離れていく。 そのまま俺たちは、にらみ合うような強い視線を絡ませたまま、荒くなった息を整えるのに必死だった。俺は濡れた唇を袖でぐいっと拭った。 「…俺がバカだった」 悔しさに声が震えているのを自覚した。 「最後の賭けのつもりで、お前をここに連れてきたのに。でもやっぱり、最後までお前は、自分のいいように俺を扱うんだな。俺の意志なんて無視して―――」 「ふざけんなっ」 怒気を孕んだ低い声。 「俺にそうさせたのは、お前の方じゃねえか、晶!」 「どういう意味だよ!」 克也が俺に怒鳴ることなんて滅多になかったけど、俺はひるまずに言い返した。 「8年だぜ。8年も一緒にいて、俺はお前の気持ちがわかったことなんて、一回もなかった! キスさせろっつったらいいよって言う。抱かせろっつったらいいって言う。だけど1回だって、お前からキスしたいとも抱かれたいとも言われたことなんてなかった。いつもいつも、仕方なく俺に付き合ってるみたいな顔しやがって…!」 両肩を強く掴まれ、再び幹に強く押し付けられた。俺はびくっと身体を竦ませる。けれど克也は乱暴なことをしてくるわけでもなく、ただじっと、強い目で俺を見つめていた。 「なあ、晶。お前俺のこと、どう思ってたんだよ…」 「克也……」 「俺、お前の青春、奪ったか。お前の人生、台無しにしたか」 いつも呆れるくらい強気な克也の発言とは思えなくて、俺はただびっくりするばかりで、言葉を発することができずにいた。 「いい加減、お前を解放してやらなきゃいけねえんだって、わかってんだよっ。ずっとわかってた…だけど……」 「克也」 「俺にはお前が必要だったんだ。お前がいないと、雨が止まないんだよ。晴れが来ないんだよ…。親が死んだことだって、お前が側にいてくれたから、なんとか立ち直れたのに…っ」 涙ひとつ見せなかった克也。長男として、立派に喪主を務めて、財産のこととか法律のこととか、面倒なこともただ黙々とこなしていた。 悲しくないわけなかったろうけど、克也は強いから大丈夫なんだなと、俺は勝手に思ってた。 だけどほんとは、泣きそうになるのを堪えていたんだろうか。無表情の仮面の下は、どしゃぶりの雨だったのかもしれない… 俺はそんなことすら、気付いてやれなかった。克也のことを、ちゃんと見てやれてなかったのかもしれない――― 「お前がいなきゃ、俺とっくにダメになってた。お前が必要なんだ、晶」 「だって克也、そんなこと、今まで一度だって言ったことないじゃないか」 好きだなんて言葉も、思えばあの最初のキス以来、一度も聞いてないかもしれない。 「お前が昔っから自己主張のないヤツなのは、俺のせいだろ。俺がいつもお前を押さえつけてたから、お前自分の気持ちを言い出せなくなって…俺が、好きだから側にいてくれなんっつったら、お前死ぬまで俺のために自分の人生犠牲にするって、わかってたから―――」 俺が克也をここに連れてきたのが、最後の賭けだったのと同じように。 フランスに行くという、克也の決断も、最後の賭けだったのかもしれない。 俺の気持ちを聞き出すための。 「克也…俺の青春は、お前だったよ。俺の人生も、お前だった。なにも奪われてなんて、いない。むしろ与えてくれたんだ」 やけっぱちになってる克也は、ほんとらしくなくて、そんな克也を俺は初めてカワイイと思った。 クールに大人ぶってても、実はすっごい熱いヤツだったんだな、お前って。と、口にしたら怒られそうなので、こっそり心の中で思う。 「じゃあなんで、フランス行くの止めねえんだよ。一緒に行くって言わねえんだよ」 「俺の方こそ、いつまでも克也の腰ぎんちゃくではいられないと思ってた。克也の邪魔はしたくなかった」 「…バッキャロウ…」 苦々しく呟いたあと、強く俺を掻き抱く。 「ずっと、好きだったのにな。伝わってなかったんだ」 広い背中に手を回しながらそう言うと、克也は 「俺はお前が思ってるほど自信家で高慢ちきなヤツじゃねえんだよ」 と、あんまり信じられないようなことを教えてくれた。 克也の自信満々の態度の裏側には、虚勢とか意地とか、そういうものがずっとあったのかもしれない。 「二人でいれば、ずっと晴れだよ、きっと」 俺の言葉に克也が頷いた直後、空から冷たい一滴が落ちてきて、俺の頬に当たった。 それからあっという間に大粒の雨が激しく落ちてきて、俺たちは濡れながら顔を見合わせて笑った。 二人でいても、雨の日もあるだろう。 でもそのあとには、きっと晴れがくる。それなら、たまには雨もいいじゃないか。 晴れてばかりでは、人生つまらない。 びしょ濡れになりながら、俺たちは手をつないで雨の中を歩き出した。 END. |
5000hitsの記念にと、こんな素敵な作品を頂きました! ネットをやっていて良かったと思う瞬間の一つです。 RURUさま、本当にありがとうございました。 ちなみに、私のリクエストは、 「晴天保証」と言うタイトルで、「あ、水がなくなってる」「好きだったのにな」と言うセリフをいれる。 でした。奇妙なリクエストに答えて、とても素敵な作品をお贈りいただき、本当にありがとうございました。 RURUさまのサイトへは、リンクから飛べます。もし、万が一にもまだお邪魔したことのない方がいましたら、すぐに行きましょう。損はないです。絶対。 |