―少年性恋愛症―
50パーセント中毒
後 編
放課後の教室で、使われていない資料室で、栄は秀を犯し続けた。呼ばれると、思い詰めたような目をしながら、秀は栄についていくのだ。それは必ず、人目のないところで行われ、そのうち二人は、目線だけでその約束じみた言葉を交わすようになった。
愚かなのは自分だと、秀は再び思う。
でも、熱のこもった声で呼ばれる自分の名を、優しく辿る指の跡を、秀は拒否しきれない。最初の一度だけ、だった。乱暴に、抱かれたのは。二度目も、三度目も、その後も、栄は泣きたくなるほどに優しい。
ただ、二人はいつも無言だった。互いの息遣いだけで、視線さえも合わせなかった。
なぜ、あれほどに優しく抱くのだろう。
秀はそんな栄を、恨んだ。何もかも、無理やりだったことさえも忘れそうな、温かく優しい、愛撫。思わず、抱きついてしまいそうになる。
存在していなかった快楽が、秀を襲い始め、それは秀を怯えさせた。それさえも、栄は包み込もうとする。
何年ぶりかの、雪の多い年だった。いつもの資料室に行くと、栄は椅子に座って、じっと落ちる雪を眺めていた。生温く暖かい、部屋。それが自分のためだと言うことも、秀は知っている。
「今日は、止めたほうがいいかもしれない。さっき噂されたよ」
秀はまるで他人事のように、そう呟いた。栄はまるで雪を数えているかのように、じっと外の灰色な空気を見つめつづけている。
「俺は、信じてないって言っただろ」
栄が、ずいぶんと矛盾したことを言う。それを理由に、抱いたのは誰だと言うのか。実際今だって、そのために呼んだくせに。でも、秀はその言葉を信じている。あのときの、真っ直ぐな視線を。それでも、聞かずにはいられなかった。
「栄は、どうしてそんなに確信持って言うんだよ」
噂は噂で、誇張されたことはたくさんある。でも、例えそのほとんどが嘘だとしても、真実だってあるのだ。たった一度の、不幸。
そんなの……、と栄は呟く。あたりまえのことを聞くな、と言うように。
「そんなの、お前見ればわかるだろう」
呆れたようにため息をつかれて、秀は唇を噛んだ。
――でも。
でも、噂に真実だってあるのだ。
「俺、男にやられたんだよ」
秀がそう言うと、栄がようやく秀のほうを向いた。何の感情もないその視線に、秀は堪えられなくなる。息苦しくて、大きく息を吸った。
「知ってるさ」
栄はそう言うと、完全に身体の向きを変えた。いつまでも変わらぬ視線に、秀は眉根を寄せて、苦しそうな表情をする。
「秀、お前は知ってるか?……好きだよ」
そんなはずは、ない。
そんなはずは、ない。
秀は何度もそう思った。違う。それは、恋なんかではないはずだ。
「馬鹿な勘違いするなよ」
「勘違い?」
「栄、女抱いたことないだろう」
秀がそう言うと、栄の目がきつく細められた。それでも、秀はこれ以上傷つかないために、視線を逸らして吐き捨てるように言う。
「女、抱いて来いよ。女抱いて、それでも男がいいって言うなら、付き合ってやるから」
愚かなのは、自分だと秀は思う。
こんなときになって、自分の気持ちを知るなんていうのは。
秀がなぜ、あんなことを言ったのか、栄はわかっていた。臆病で卑怯な自分への、報いだと思った。だから、栄は女を抱いた。
臆病にではなく、卑怯さではなく、秀を抱くために。
本当は、傍にいられれば良かったのだろう。でも、一番近く、繋がっていられるあのときを、栄も――そしてたぶん秀も――待っている。
女を置いてホテルから出てくると、栄はコートのポケットに両手をいれて、空を仰いだ。白い息が、宙を舞う。紫に染まった空は、あまりに優しかった。
「優しいのね」
女は、そう言った。栄は、哀しそうに笑っただけだった。秀と同じように、抱こうと思っていた。そうすればそうするほど、栄にとって、秀と言う存在が、はっきりとするから。
女の甘い香りを嗅いでも、弾力のある肌に触れても、栄は秀を思い出す。あいつはこんな風に喘がない。必死で堪えて、そのためにいっそう甘い吐息を吐く。
何もかも、比べてしまう。
女は巧みに栄えの快楽を引き出したが、されればされるほど、わかる。何もしない秀に、自分がどれだけ欲情しているのか。
優しいのか、快楽をきちんと引き出しているのか、栄はいつも不安だった。無言で抱き合う二人には、不安を解消する手立てがなかった。ただ、ときどき漏れ出る微かな声と、反応する身体と、果てた後の余韻だけが、栄を少し安心させるだけだった。
「優しいわよ、羨ましいくらい」
女は、そう笑った。栄は、苦々しく、優しくなんかない、と呟いた。ずるいだけで。臆病なだけで。女は、若いわねぇ……と嬉しそうに言った。
――秀
呟いて、栄は歩き出す。
抱きたかった。触れて、触れられたかった。
秀。お前を、抱きたい。
学校の門を再びくぐったときには、日もだいぶ暮れて、校庭ではもう活動している部はなかった。教室の電灯もほとんど消えていた。それでも、栄は校舎に入ると、いつもの資料室へ向かった。そこへ行くのは二週間ぶりほどで、秀がいるという確信もなかった。それでも、自分の行くところはそこしかないように思ったのだ。
寂しく暗い廊下を通って、人のいない階へ上がる。栄は資料室の前まで来ると、からりとその扉を開けた。
いつか、自分が座っていたように、秀が椅子に腰掛けて外を眺めていた。ゆっくり振り向くと、じっと栄を見つめた。栄は後ろ手に扉を閉めると、その秀に近寄った。
「抱いてきたよ、女」
そう言っても、秀は何も言わない。外へと再び視線を向けて、動かなかった。
「秀」
栄が、行為の最中でしか呼ばない名を、初めて呼んだ。
「良かっただろう?それとも、男のほうが良いのか」
秀が、振り向かないまま、投げ捨てるようにそう言った。それでも男が良いなら、付き合ってやるよ。秀がそう言ったことを思い出して、栄はじっと秀を見る。そんな風に、誤魔化しつづけるわけにはいかない。少なくとも、栄は。
「好きだと言ったことを、なかったことにするなよ」
そう言ったとき、初めて秀が栄の方を向いた。それでもすぐに、その視線はずらされて、机の縁を辿る。
違う、違う。
口の中で、呪文のように繰り返す。
「俺は、男に犯されたんだよ」
「知ってる」
「お前はその噂に欲情して……」
秀がそこまで言ったとき、栄が秀の腕を取って、椅子から引き摺り下ろした。それから、床に仰向けに押し倒して、初めての夜のように、ネクタイでその手首を縛りつけた。
「そうかもしれない。だからお前は、女を抱けなんて言ったんだろう?だから俺は、女を抱いてきた」
秀の上に馬乗りになって、手首に巻きつけたネクタイをきつく締める。
「秀、俺は男が抱きたいんじゃない。お前がいい」
「栄、痛い」
「誤魔化さないでくれ。俺の気持ちまで、誤魔化さないでくれ」
もう、間違えたくないんだと、栄は呟く。傷つけたくなど、ないんだと。
「手を、」
秀が顔を背けながら、呟く。
「手を、解けよ」
ネクタイで縛られた上、栄の手で押さえられている。その手が、ふと離されて、秀の顔を正面へ向けた。
「解いたら」
栄が、視線を逸らすことを許さなかった。
「解いたら、俺を抱きしめてくれるか」
秀はそっと、目を閉じた。傷つくかもしれない。それでも、もう栄を手放すことなど、出来ないのだと知った。
「お前が、抱きしめてくれるなら」
秀は目を開けて、今度は自分の意志で目を逸らさずに、そう言った。
二人の息が、混じり合う。
それは次第に濃くなって、最後には、消えてなくなった。
解かれた手で、秀は初めて栄を抱きしめた。そうやって、二人はずっと、互いに抱きしめあっていた。
了
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