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□Kouhei ex01:http://web.electro.xx
 綺麗な金色の髪をふわふわと揺らしながら、ユエは南側全面がガラス窓になっているティールームに入っていった。ここが一体何処なのかは分らないが、日本と同じ四季の変化がある。最近はずいぶん寒い日ばかりだったが、今日は暖かい日の光がティールームの中を満たしていた。昼寝には、ちょうどいいような陽気だ。
「ユエ……その顔をおまえのファンクラブとやらに見せてやりたいな」
 ひどく楽しそうな顔をしながら、スキップでもしそうな勢いで近づいてきたユエを、ミツイは顔を思い切り顰めて迎えた。少し濃い目のコーヒーを啜る。
「ファンクラブー?そんなもんはいらないもの」
「あーあ。哀れな奴らだよ。こんなこと言われてるのに、健気におまえには知られないように、じっと耐え忍んでいるわけだ」
 ユエは断りもせずに、ミツイの前の赤い一人掛けのソファーに坐った。このティールームは形や色の違うソファーがかなりの数置いてあり、休憩にはものすごく居心地のいい場所だった。
 ユエは可愛い顔をしていながら、毒舌だ。それに、容赦がない。色目を使って何度も呼び出したりすると、あっさりその客をきる。一応、担当が拒否できる客のリストは制限があるのだが、ユエのそれはいつも満杯だった。それで、自称ファンクラブ会員のようなものができて、みんな大人しくときどきユエを呼んでは、仕事を頼むのだった。どうやらそんなホームページがあるらしい。ユエ様を見守る会とか何とか。
 ミツイもそのホームページをからかいネタにと見ようと思ったのだが、そこはパスワード制になっていて、あれやこれやとweb electroのことやユエに付いての質問に答えないと入れなかったために、さっさと諦めたことがある。
「あーら。本命が出来た途端に放り出す誰かさんよりましではなくて?」
 にやにやと、まるでスケベ親父のようじゃないかと思うような表情をしたユエに、ミツイは自分の迂闊さを悟った。何もわざわざ、自分から話題を振ることなどなかったのだ。
「本命って……まあ……」
 事実だけれども、と誤魔化すようにミツイは白いマグカップを持って中身を啜った。福利厚生が充実しているweb electroは、休憩室のコーヒーなどの飲み物は飲み放題だが、自分でカップを持ってくることが推奨されている。
「うわあ、ミツイが赤くなってるよ」
 堪えきれないと言うように笑いながら近づいてきたのは、ライオネルだった。ミツイはまたも、露骨に嫌そうな顔をする。
「まあ、俺としてはちょっと寂しいところだけどねえ、遊び相手がいなくなって」
「そんなこと言って。ライも少しは真剣になってみたら?」
「えー、じゃあ、ユエが相手する?」
「冗談」
 ユエが眉根を寄せて、ライオネルはくすくすと笑った。人が厭がることをするのが大好きなのだ。
「確かに。お二人の行動は目に余りましたね」
 プレートを手にしながら話に加わったのは、ミヤコだった。召し上がりますか?と誰ともなく問い掛けたミヤコのその手には、パウンドケーキとクッキーが乗ったお皿があった。紅茶もありますよ、とそのプレートをテーブルに置く。
「やったー。ミヤコちゃんの手作りね?」
 目をきらきらとさせて歓声を上げたのはユエだ。ライオネルは静かに頷き、ミツイは何も言わずにそのケーキに手を伸ばした。
「目に余るって……俺は愛に溢れてるだけだよ?」
「お互い割り切ってたし」
 珍しく、ライオネルとミツイの二人が庇いあうような発言をして、ミヤコに冷ややかな目で見られた。まあ、ミツイはおかげで晃平に誤解をされて、痛い思いもしたのだが。
「その割に、拒否コードが増えたようですけれど」
 ミヤコは優雅な仕草でカップに紅茶を注ぐ。ミツイは何も言えずに、洋ナシがごろごろ入ったパウンドケーキを齧った。関係を持っていた人間には、今後はもうそういうことはしない、と言ってあった。中には好奇心を発揮させて、その理由を聞いて祝ってくれる客もいたが、全員と綺麗に切れたわけでもなかった。未練がましく何度も呼んでは誘う相手は、拒否コードリストに加えさせて貰った。
 人の気持ちなんてわからないものだ、と思う。みんな割り切って楽しんでいる相手ばかりだと思っていたのに、泣いて縋る客もいた。
 まあ、自分も客の一人とこんな関係になろうとは、考えてもいなかったのだが。
 まったく、こんな男の何処が言いのかしらねえ、とユエが首を傾げた。ライオネルも本当になあ、と同意していたが、あんたもよ、と言われて肩を竦めた。
「晃平、本当にいい子なのに。私が先に出てたらなあ」
 ユエは可愛い子が好きだ。ちなみに、男女の区別がない。
「無理だな。晃平のタイプじゃない」
「あら。何その自信満々っぷりは!」
 ミツイはソファーに背を凭れさせて、ふふんっとばかりに笑った。
「晃平が気に入ってたのは、ミヤコだからな」
 え?と言う戸惑ったようなミヤコの声がした。それからすぐに、そのにやけたミツイの顔を見た。何を考えているのかわかる気がして、だんだんと眉根が寄る。
 晃平のタイプ。
 本人は気付いていないが、確かに一貫しているのだ。
 ミヤコは呆れたようにミツイを見ながら、深々とため息を吐いた。
「じゃあ、もう一度呼んでいただこうかしら」
 一度目は偶然だったし、あのときはミツイのまた悪い遊びが出たのだと思っていたので、あの純朴そうな青年を哀れに思っただけだった。だから、仕事以外の話は一切しなかった。
 もう一度、会ってみたかった。そして、話してみたかった。
「え?ミヤコ?」
「晃平さんに、そう伝えておいて貰いませんか?」
 ミヤコがそう言うと、ミツイがもの凄く困った顔をした。それでも、ミヤコはにっこりと笑って、お願いしますね、と念まで押した。
 自分のときも、散々口出しをしてきたのだ。もちろん、ミヤコも相手も本気で、決して諦めようとしないことを悟った後は、色々と協力してくれたことも、覚えている。
 口出しをするにしろ、協力するにしろ、相手のことを知る必要はあった。
 ミツイは悩んでいる。会わせるのも嫌なのかもしれないし、そうするとその日は会えなくなってしまうのも嫌なのかも知れない。その辺りの苦労は、ミヤコにもわかる。
 自分の時だって、彼が思い出担当だったために、呼び出すたびに思い出を体験して、もう一度それまでの生涯の復習をしたくらいだった。それくらい、何度も会った。
 でも、阻止されたこともあったのだ。ミツイが、無理やり出てきて。
「……一回切りだぞ」
 渋々と言う感じにミツイが言って、ミヤコはにっこりと笑った。肯定も否定もしないその態度に、ミツイはやれやれと思う。会ってしまえば、連絡手段を手に入れられるだろう。次の約束だって出来る。
 でも、自分がミヤコとその相手にしたことを考えれば、仕方がなかった。規定違反だからと、わざと自分とミヤコの関係を伏せさせて、かき回した身としては。
「なんか」
 ユエが紅茶をこくりと飲んで、まじまじとミヤコとミツイを見た。
「ミヤコちゃんってミツイには強気よね。それに、ミツイはミヤコちゃんに甘いのね」
 ユエのその言葉に、ミヤコはそうですか?と綺麗な笑顔を返した。ミツイもそうか?と首を傾げただけだった。
 基本的に外の世界とは縁を切ってくるのが普通なのが、web electroだ。仕事以外では外に出られないのだから、家族や友人のもとに行くことも出来ない。それでもいいとこの仕事を選んだ人間ばかりだから、それぞれなにやら抱えていることが多い。
 そういうことを、上の人間はもしかしたらわかっているのかもしれない、とミツイは思っていた。だから、ミヤコを客にして欲しいと言った就職の交換条件のようなミツイの願いは聞き入れられ、更にはサービス担当になることにも許可を与えた。
 あのときのミツイには、ミヤコは何よりも大切なものだった。
 ずっと、二人だけだったのだ。
 ずっと二人で、辛いことも苦しいことも堪えてきた。だから、ミヤコ一人を置いて姿を消すことは出来なかった。
 支えあってきた、たった一人の妹を。


 ひゅっと人型が出来始めたと思ったらすぐに、晃平は温かいものに包まれて、無意識に微笑んだ。ああ、ミツイだ。
 彼女がいた時だって、最初の蜜月はそれこそ毎日のように電話はしても、毎日会っていたわけではないし、お互い仕事が忙しいときは一週間ぐらい連絡を取り合わないことだってあった。でも、疲れていても、声が聞きたいと思えば電話をして声を聞くことは出来た。何か急に時間が出来れば、会うことも出来た。
 でも、ミツイは違う。メールアドレスは交換したのだが、あっちの世界に電話はない。時間はあっても、いつどこででも会えるわけじゃない。
 だから、と晃平は口付けながら思う。
 だから、呼び出したときにミツイが現われるとほっとして、こんな風に突然抱かれても突き飛ばすことを忘れてしまうのだ。
 恥ずかしいとか、突然するなとか、そういう気持ちも言葉もみんな、吹き飛んで。
 それをミツイもちゃんとわかっている。だから、すぐに抱きついて、あわよくばそのままことに及んでしまおうとする。もちろん、晃平はすぐに正気に戻って蹴り飛ばすのだが。
「腹減った!」
 今日もうっとりとキスをしていたはずが、いつのまにかミツイの両手があらぬところを触り始めて、晃平は叫んだ。それから、ぐっとミツイの硬い胸を押し返す。
「飯食べよう、飯!」
 三交代制の夜勤の場合、ミツイの食事休憩は九時で、その前に呼び出す場合はご飯を一緒に食べることが良くある。本当は、晃平は寂しがりやなのだとミツイは思う。だから、一人で夕食を食べている姿を思うとかわいそうになる。
 そんなことを思うから、ご飯を食べよう、と言われると仕方ないなあと思ってしまう。
 晃平は料理をしない。大概がコンビニの弁当か、どこかで買ってきた惣菜だった。インスタントラーメンも、卵とわかめが入るくらい。自分が出られなかったとき、その用意された弁当はどうなるのだろう、とミツイはレンジで温められた弁当を見ながら思った。捨てるにしろ食べられるにしろ……そのときの晃平の表情がわかる気がした。
「今度から、俺も弁当持参にしようかな」
 ふいにそう言うと、湯気で火傷しないように慎重に弁当のビニールを取っていた晃平が「へ?」と言う顔をした。
「弁当……?売ってんの?」
「だからさ、大して変わらないんだって。コンビ二もあるし、仕出屋もある。ああそうだ、今度美味しい仕出屋の弁当を持ってくるよ」
 ミツイもビニールを剥がす。料理を習って作ってやるというのも良いかもしれない。何しろ、あそこには専門家がたくさんいるのだ。料理担当に頼んでもいい。
「そう言えば、この間ミヤコちゃんがケーキ持って来てくれたな」
 上手かった、とにやりと笑う晃平に、ミツイが眉根を寄せる。ミヤコを呼ぶように晃平に言ったのはミツイだった。嫌々だったのだが、ミヤコにはその後に適当に理由をつけて自分を呼ぶように、と言ってあったのに、結局その日はミツイは晃平の下には行けないままだった。自身が忙しくしていたせいもあるが……ミヤコがなかなか帰ってこなかったのだ。
「それにしてもさあ、ミツイも言ってくれれば良いのに……」
「何を」
「兄なら兄ってさ」
 晃平が楽しそうに、黒ごまがぱらりとかかったご飯を食べながら、上目遣いに笑った。
「一応、大っぴらには言えないことになってるんだ」
「ああ、なんかミヤコちゃんが、あのミツイの妹かって誤解されそうだって……」
 くすくすそれは可笑しそうに笑う晃平を睨みながら、あいつめ、とミツイは呟いた。そういうことを言うのは、きっとミヤコではない。ミヤコが追いかけた男が言ったに違いなかった。
 実際は、ミヤコをweb electroに入れた経緯が経緯だったから、二人の関係は伏せることにしたのだ。それまでの世界から訣別してくる人間は多い。自分たちのような例は、上層部がかなり考慮してくれたものだと三人とも思っていた。例外というのはあまり良い印象で迎えられない。だから、ミツイはミヤコが慣れるまでは、と思ったのだ。今はただ、言い出すタイミングがなくなってしまった感じだったが。
「それで、晃平はそこで笑うわけだ」
「だって、節操なしとは思われたくないって。ミヤコちゃんも言うよな」
 小さく笑いつづけている晃平はでも、少しばかり不安そうな目をしていた。ミツイは不貞腐れたようにペットボトルのお茶を飲みながらも、それを見逃さなかった。
 ――自業自得。兄さんの誠意を見せてもらうわ。
 ミヤコがそう笑った気がする。あれで手厳しいのだ。
 すっと手が伸びてきて、晃平の髪がくしゃりと混ぜられた。なんだよ、とでも言いたげな唇に、ミツイの唇が重なる。
 好きだよ晃平。
 囁きが、するりと晃平の耳朶をくすぐる。晃平は、なんだよっ、と怒鳴りながら真っ赤になった。
 ミツイはいつもずるい。こうして、晃平が不安になったり揺れたりすると、それを宥めるようなことを言ってくれる。晃平は、何も言わないのに。
「飯っ、食べろよっ」
「ん?ああ、早く食べて、早くしような」
 何を、とはさすがに晃平は言わなかった。赤い顔を直せないまま、ミツイの飲んでいたペットボトルのお茶をひったくってごくごくと飲む。
 やるか馬鹿、と心の中では言ってみたが、やらずに済むとは思っていないし、済ませたいとも思っていない。ミツイと抱き合っている最中は、泣きたくなるほど気持ちが良くて嬉しいのだ。最初はゆるりと互いの体温を確かめ合うように抱き合って、最後は必ず激しく抱き合う。そうして晃平が気を失うように眠ると、ミツイが後始末をして帰っていく。恥ずかしくてそのままでいいと晃平は言いたいが、言えずにいた。
 最後に別れの挨拶もなく帰っていくのは、二人の暗黙の了解のようなものだ。起きていたら、時間一杯、ぎりぎりまで離れられないだろう。
 それを、ミツイも晃平もわかっている。
「あ、そう言えばミツイ、明日は昼勤だっけ?」
 お茶を飲んで、ご飯の続きを食べて。食べ終わって片付けるのは、ミツイの仕事だ。その間に、晃平はコーヒーを淹れる。
「ああ。だから今日は帰らない」
 するり、と後ろから抱き締められる。最初は真っ赤になって怒鳴って慌てていた晃平も、いまやすっかり慣れて、コーヒーメーカーのスイッチを入れてその胸に頭を預けた。その顔が、微かに笑っているのを、上からミツイは眺めていた。
 ミツイがいない朝を迎えるときの晃平は、一体どんな顔をしているのだろう。
 たぶん、置いていかれる晃平の方が辛いのかもしれないとミツイは思った。まるで全てが夢だったとでも言うような、そんな目覚めをする方が。
「じゃあ、ゆっくりできるな」
「焦らして欲しいってこと?」
「なっ、違うよ馬鹿!」
 腕から逃げようとした晃平を、ミツイは逃がすかとばかりにしっかり抱き締める。
「こら、離せ」
「しよう?」
「コーヒー!」
「一回してからってのは?」
 却下、と叫ぶ晃平の言葉など無視して、ミツイは晃平を引き摺ってベッドに向かった。後ろから耳朶を噛んだり首筋にキスを落としたりしていると、次第に晃平の力も弱ってくる。
「一回だけだからな!その後はコーヒー飲むんだからな」
 晃平はまだそんなことを言っている。それにミツイはにっこりと笑って、期待には答えるから、と言った。
 それから延々、いつもの何倍もの時間を掛けて愛撫され、焦らされ、晃平はミツイの言葉の意味を知った。それでも、そうしてようやく絶頂を迎えたあとに、ミツイはコーヒーを持ってきてくれた。狭いベッドで、かなり窮屈ながら二人でコーヒーを飲む。こういう穏やかな時間が晃平が好きなことを、ミツイもわかっているのだ。
 まったく敵わない、と晃平は思う。二人の妥協案が、さっきのセックスと今のコーヒーで、二人ともすごく幸せな気持ちになっている。
 あーあ、とミツイに寄りかかると、どうした?と柔らかい声が降ってくる。なんでもない、と首を振った晃平は、ミツイの心臓の音を聞きながら考えた。
 自分も、ミツイを幸せにできたらいい。
 例えほんの、少しでも。
 ちらりと上を見上げると、優しく微笑まれた。晃平はそれを見ながら、ちょいちょい、と指でミツイを呼んだ。ゆっくりと下がってくる頭を捕らえて、自分は伸び上がりながら、そっとキスをする。
 少しでも。
 言葉にできないものを、伝えられたらいいと思った。



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