* web electro index
□natuki 01:http://dream.electro.xx
仕事を終えて自宅に帰ると、先ずパソコンの電源をつけるのが夏生(なつき)のここ3ヶ月の癖となっている。つけたからといって、すぐにパソコンで何かをするわけではない。つけたままの状態で、手を洗ってコンタクトをとったり、帰りにコンビニで買った弁当を食べたりとこまごまとした日常のことを済ませてしまう。帰宅はいつも夜の9時前後。そうやって寝るまでの準備がすべて整うのが、だいだい10時過ぎになる。その間、パソコンは放置されたまま、スクリーンセイバーの画面を通り過ぎてスリープモードになっている。すぐに使うわけでもないのにパソコンをつけていることの意味は、夏生自身にもうまく説明できない。しいていうならば、ついていると安心するからという、きわめて曖昧な感情によるものだった。一種、依存症のようだと、夏生は自分のことながらあきれている。以前はなかった、ここ3ヶ月の癖。原因が何かは分かっている。
後はもう眠るだけという体勢になって、夏生はようやく電源をつけたまま放ってあったノート型パソコンを手元に引き寄せた。インターネットエクスプローラーを立ち上げてから、時計を見遣る。夏生は時刻が10時半を過ぎているのを確認すると、お気に入りから一つのサイトを呼び出した。
『web electro』
ここ3ヶ月の夏生の癖の原因。緑がかった水色のような色の背景に真っ赤な文字の目を引くデザイン。検索サイトの一種なのだが、何よりもそのサービス内容が特異で印象的だった。どこを辿ってそのサイトに行き着いたのかは思い出せない。行き着いていたとしても、ある項目に目をとどめなければ、普段の夏生ならそのまま流してしまっていたかもしれない。『web electro』は、そんなあやふやさを感じさせる現実味のないサイトだった。あの時、半信半疑で検索をかけ、そのすぐ後に気絶しそうになるほど驚いたのだが、今ではすっかりとはまりこんでいる。
「今日は何にしようか・・・」
夏生はインデックス画面でしばらく逡巡した後、約2週間ぶりに検索窓から馴染みの夢担当の名前を指示した。とたん、ひゅっという音とともに忽然と目の前に人が姿を現した。
「お久しぶりです。夏生さん」
「・・・ああ」
今までそこに存在しなかった人物からの挨拶に、夏生はとっさに反応できず口ごもった。この感覚だけは、利用し始めて3ヶ月経つ今でも慣れることはない。背筋にぴりっとした緊張を残しつつも、目前に現れた男の物静かな佇まいに夏生もようやく落ち着くことができた。
「久しぶりだな。といっても2週間だけど」
「でも、私にとっては長かったです。以前は3日と置かず呼んでいただいていたので。私は何か夏生さんの気に障ることをしてしまいましたか?」
「そんな、あんたは何も悪くねぇよ。ただ、他のサービスを試してみてただけだ」
「なら良いのですが・・・」
「気にしてたなら、ごめん」
夢担当の彼の名前は、フジノといった。それが苗字なのか名前なのかは不明だが、凛とした雰囲気を持ち、背が高く端正な姿の彼にはとても似つかわしい名前のように思える。フジノとは、このサイトを2度目に利用した時からの付き合いである。3ヶ月の間で他にも多くのサービス担当に会い、皆それぞれに個性的な性格と優れた容姿をしていたが、夏生が一番に会いたいと思うのは、なぜだか同性である夢担当のフジノだった。たとえサービスだったとしても、フジノが夏生に会えないことを不安に思っていたのだと思わせる様子を見て、夏生は嬉しいようなむずかゆいような感情を抱いた。
27歳の男の一人暮らしのアパートは、別段広いことはなくソファは置いていない。いつものようにラグに直接座ってもらうと、用意したお茶を食卓も兼ねた小さなテーブルの上に置いた。フジノは普段から物静かなので、夏生が話さないと沈黙が続くことがある。彼との間に生まれる沈黙を夏生は嫌いではない。夏生も饒舌なたちではなく、間が持たない相手とはすぐにサービスの依頼をしてしまうが、フジノとの間にいくら沈黙が続いても気まずいと思ったことはなかった。だが、今日は先ほどの会話の妙な気恥ずかしさを引きずっているようだ。穏やかな沈黙に多少の居心地の悪さを感じた。
「他のサービスはいかがでしたか?特に古本を多く利用されていたみたいですね」
「うん、よく知ってるな。古本といっても、一度読んだことのあるやつ。なんかふいに、昔読んだ本で手放してしまったものを読みたくなったんだ」
「そういうことありますね。読みたい時に手元にないと、妙に収まりがつかない気分になったり・・・。買った本はもう読みましたか?」
「ああ、ちょうど今仕事が落ち着いてて、すぐに読んでしまったよ」
「今の夏生さんが読んだ感想は?」
「うん、なんか変な感じだった。学生時代に読んだ時と違って、不思議なくらい泣けてびっくりしたんだけど・・・」
言葉が途切れたのは、「泣いた」と言ってしまったことが恥ずかしかったからだ。柄ではないと笑われているかと思い、夏生が落ち着かなくフジノの方を見ると、思いがけず真剣な眼差しに出会った。
「どんな本を読んだのですか?」
「テリー・ホワイトの『真夜中の相棒』ってやつ」
「悲しい物語なのですか?」
「悲しいっていうか、やるせないっていうか。視点は主に3人の男に据えられているんだけど、そいつらみんな何かしら心に傷とか空虚さとかを持っていて、明るいところを行くことができないんだ。いわゆるアウトローっていうのかな。そいつらがそいつらを縛るしがらみとか運命とかそういったものに、なすすべもなく巻き込まれていく様子が胸にきた。感情だけではあらがえない流れってのがあるんだって思ったら、わけもなく泣いてしまってた」
思い出すだけで、胸が裂けるような痛みを感じた。内容はとても悲劇的なのに、文章は淡々と乾いた語り口調だ。それがかえって、彼らの持つ孤独や悲哀、不器用な愛情と皮肉な運命を助長させていて、夏生は自分のことのように悲しく思った。どうしてあんなにも泣いてしまったのか、夏生自身にも説明できない。昔読んだ時には特に感じることのなかった痛みを、なぜ今はこんなにも身近に感じているのか。
そっと、頬に添えられた手に夏生はびくりと体を揺らした。テーブルを挟んだところにいたフジノが、いつの間にか夏生のすぐ傍まで回りこんでいた。そのまま、温かな両手に頬を包まれる。そして、驚くほどつよい光を宿したフジノの目に見据えられて、はじめて夏生は自分が泣いていることに気付いた。
「あ、わぁ、ごめん。なんか情けないな」
夏生は慌てて顔を背けようとしたが、フジノの腕に遮られて俯くこともできなかった。
「ちょっ、フジノ」
「私はこの2週間、夏生さんに避けられていると思って、仕事が手につかなかったです」
「フジノ?」
「夏生さんに会えない間、あなたは今何をしているのかとかそんなことばかりが頭を占めていて、始終上の空でした。あなたが、私の知らないところで泣いていたと聞いて、ずっと傍にいられない自分がもどかしいです」
「フジノ、泣いたっていっても本を読んでだ。別に俺になんかあったわけじゃねぇよ。それに、傍にって言ってもあんたも仕事があるんだから仕方ねぇじゃん」
「それでも、悔しいものは悔しい。泣く時は、せめて私の前だけにしてください」
「って、おい・・・」
夏生の口答えを封じるように、フジノは夏生を抱きしめた。夏生は慌ててその腕から逃れようとしたが、フジノの思いのほか強い力に阻まれてしまう。さらにもがこうとしたが、自分の意思に反して夏生の体は思うように動いてはくれなかった。すとんと全身から力が抜け、温かいフジノの鼓動を耳にしたとたん、夏生の中から正体不明の悲しみが堰を切ったように溢れでた。説明のできない悲しみと空虚さが夏生を押し流してゆく。その中で、縋り付くものはフジノしかないとでもいうように、夏生は彼の胸の中で泣いた。
「夢を・・・」
「分かりました。ただし、今夜は私もここにいていいですね」
「・・・・・・」
沈黙を肯定と取って、フジノは分厚い本の中から夏生が彼に頼む夢を探し出す。
今日のフジノが選んだ夢は、暖かな橙色の風景の中で、夏生が彼自身でさえも知らない「誰か」と心から幸せそうに笑っているものだった。その誰かの顔は、いつも淡くもやがかかったようにはっきりとしない。だが、相手が誰であれ、その夢が夏生にとって柔らかで暖かな風景であるということだけは分かった。
夏生は、23歳から26歳にかけての記憶がすっぽりと抜け落ちている。前方不注意のバイクに接触されたとかで、病室で気付いた時には3年分の記憶を綺麗さっぱりと失っていたのだ。失ったのが3年分だけだったのは、不幸中の幸いというべきかもしれない。脳の精密検査の結果、身体的な異常がなかったことも。だが、結局、なぜ3年分だけの記憶を失ったかも分からないまま今に至っている。
夏生が、この『web electro』に胡散臭く思いながらも興味を持ったのは、検索サービスの中に「記憶」という項目があったからだった。夏生は迷わず「記憶」を検索していた。だが、いざ失った記憶を探してもらう段階になって、夏生は途方に暮れることになる。夏生の場合、探す記憶が3年という広い範囲で、しかもその間の出来事や思い出といった標となるものが全くといってよいほど夏生の中になかったからだった。
その時のサービス担当が、困惑する夏生を見かねて助け舟をだした。
「何か少しでも、標となるものってない?なかったら、特定の日、たとえば夏生の誕生日とか。もうちょっと具体的に指定してみて」
「誕生日か。でも、一人で何もしてなかったら意味ないよな。誰かに祝ってもらってたならいいけど・・・。でもまあ、思いつかないから、とりあえず25歳の誕生日の記憶を見せて」
「了解。では、良い記憶を!」
「え、良くなかったらどうすんの?それより、どうやって見るんだよ?」という疑問を投げかける前に、サービス担当の姿は出てきた時と同様に唐突に消えていた。同時に記憶を見るという、またしても初めての経験を夏生はすることになった。
だが、見せてもらった記憶は、自分にそっくりな俳優が出ている映画を観ているようで、それが自分自身の記憶だという実感がわかなかった。むしろ、余計に混乱したといってもいい。記憶の中の夏生は、彼の知らない二人の男女と居酒屋風の店の中で楽しそうに飲んでいた。交わされている会話を聞いても、少しも何かを思い出すということはなかった。何よりも意外だったのは、記憶の映像が夏生の想像していたより曖昧で矛盾した点が多かったことだ。
「記憶や思い出といったものには、良くあることなんですよ」
と言ったのは、フジノだった。ある時、夏生が何気なく疑問を口にした時に答えてくれたのだ。
「夏生さんは、記憶を見るのは、実際にあったことを見ると思われてますか?」
「想像してたのはそうだな」
「記憶は事実とは違います。事実を元に自己編集したもの。例えるならば、自作自演のノンフィクション映画みたいなものです。実際に起こったことを元にしているけれども、そこには必ず作り手の主観が入っています。曖昧な点は、夏生さんが事実に対して特に必要と感じなかった部分で、矛盾していると感じた点は、夏生さんの感情の波が入っているのかもしれません。友達と思い出話をしてる時とか、同じことを体験しているはずなのに、微妙に食い違ってたりしますよね。そうゆうものだと思いますよ」
「なるほど、確かにそのとおりかも・・・」
「夏生さんの場合は、記憶のない時の記憶を見ているのだから、他人の作ったノンフィクション映画を観ているような感じでしょうか」
「だから実感がわかなかったんだな」
「夢はもっと極端になるのでしょうね」
その話をして、夏生は漠然と思う。「記憶」より「夢」をよく探してしまうのは、より主観的な自分の感情を知りたいと思ったからかもしれない。
夏生が初めて「夢」を検索したのは、『web electro』を2回目に利用した時だった。その「夢」のサービス担当が、フジノだった。
初めて彼を見た時、こんなにも綺麗な男がいるんだと、夏生は同性ながらに見とれてしまった。涼しげな切れ長の目には落ち着きがあり、色白の額にかかる黒髪とのコントラストが端正だった。静けさを身に纏った和の似合う男性である。「記憶」の担当も整った顔立ちをしていたが、話術の巧みな今風の雰囲気の彼とフジノには共通点が見出せなかった。思わず、「どういう基準で採用してるんだ?」とフジノに尋ねたほど。フジノは「彼は見た目の印象よりずっと真面目なのですよ」と莞爾。言葉少なに笑う姿もさまになっていた。夏生はそれを見て、唐突にフジノのことを気に入ったのだった。
失くした記憶の手がかりになるかもしれないと、記憶を失ってから見ている夢をフジノに見せてもらった。利用ごとに順に見せてもらっている夢は、どれも暖かなものばかりだった。最初のうちは、その夢とフジノの存在があまりにも心地よく、毎回彼を指定したほどだ。だが、次第に夢から覚めた後の淋しさのほうが強くなり、他のサービスを試すことを言い訳のようにフジノを避けるようになったのだった。それがかえって逆効果だったのかもしれないと、夏生はフジノに抱かれながらゆっくりと空気に溶けてゆく夢を見ていた。
「私は夏生さんとは『web electro』を通してしか一緒にいることができません。それに、夏生さんの失くした記憶を埋めることもできません。ですが、あなたとはずっとつながっていたいと思うのです。どうか、避けたりなんてしないでください」
夏生が避けることで、あまりにも簡単に絶たれてしまう関係を、フジノからはどうすることもできない。切なる想いを口にして伝えることしかできないのだ。
「まるでプロポーズのようだな」
「そう受け取っていただいて、構いませんから」
「はは、すごいでかい嫁さんだ」
お互いが同性同士だということに、夏生は不思議と抵抗を感じなかった。いつの間にか、夏生にとってフジノはなくてはならない存在になっていたのだ。そのことに、彼は先ほど身をもって気付かされた。
夢の映像が完全に消え、サービスを終える時がきた。二人は名残を惜しみながらも体を離した。
「じゃあ、また・・・」
「きっと、呼んでください」
「分かったから、」
次の約束をすると、フジノは現れた時と同じように忽然と消えていった。夏生はフジノが消えた空間を見つめながら、ふと、フジノが自分の失った記憶について何かを知っているような気がしていた。
* web electro index
螢草さまのHP 冬虫夏草