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遠景涙恋
夕月

01
 ラシッドとシャリーアの婚儀への招待状がカハラム王宮に届いたのは、光の季節に入って間もなくの頃のことだった。シャリーアの戴冠と同時に二人は婚約し、時を待たずに早々結婚までするのは、何よりシャリーアの地位を守るためだ。コクスタッドが後ろに控えるラシッドがルク王家に入れば、カハラムも簡単には手が出せなくなる。
 そうは言っても、ルクは小国である。カハラムは、婚儀にはソア外務大臣と、その護衛としてシャリスを送り出すことに決定した。
「国王と言うのも不自由ですよね」
 そう言ったのはザッハで、キーファも、他の部隊長も苦笑するしかなかった。行けるものなら、キーファも行きたい。シャリーアはリーフィウの妹であり、(彼女によれば)友人であり、ラシッドは良き相棒で友人だ。だが、今は外交上の問題が多々あり、国内情勢のことを考えても、国王自らが行くことは叶わなかった。もちろん、リーフィウの参加も許されるはずがなかった。それについて、キーファはリーフィウに何も言わなかったし、リーフィウも何も聞かなかった。
「せめてキーファ王が行くなら、リーフィウ殿も紛れ込める気がするのになあ。外交って面倒ですよねー」
 窓から外を見ながら、ザッハがため息を吐く。部隊長らしからぬ、だがいつものザッハの口調に、ファノークは緩く笑った。その前で、シャリスはお茶を注ぐ手を止めずに、苦笑した。
「そう言うことに関しては、王もリーフィウ殿も、過ぎるほどに王という立場をわかっていますからね」
「……そう。リーフィウ殿も、何も言わないんですよね」
 二人の婚儀について、リーフィウも聞き知っているはずだった。王宮内は政治中枢の再編と、コクスタッドからの使者の受け入れと、彼らと共に出発するソアたちの準備におおわらわで、その中で侍女たちは、シャリーアの花嫁姿を想像しては騒いでいる。
「簡単にはいかない関係だよなあ。大臣達があれこれ言うのも、だからまあわからないわけでもないけどな……ソア殿もなあ」
 ファノークが手を伸ばして茶碗を取りながら、しみじみとした口調で呟いた。
 ソアやシャーマといった古参の大臣たちの意見は、客観的で国益を第一に考えている点で、貴重なものだった。それをキーファも、ファノークたちもわかっている。だが。
「ちょっと頭かたいですよねえ」
 シャリスに茶碗を渡されて、ザッハはお礼を言いながら受け取った。こくりと飲むと、ミルクを入れた甘いお茶が連日の激務に疲れ果てた身体をほっとさせる。
 部隊の平均年齢が一番低いザッハの第一部隊は、彼ら大臣たちによく小言を貰う。ザッハは兵と大臣に挟まれて、少々うんざりしていた。
「おまえのところのは、元気すぎるんだよ。俺は大臣殿のおかげで随分助かってるぞ」
 ファノークがそうにやにやと笑った。ザッハは「若いですからねー」とは言っては見たものの、それが有効な反論ではないとわかっていた。
「元気と言うか、素直なのでしょうね、第一部隊の兵たちは。悪知恵を働かせるばかりの兵たちより、よほどいいかと思いますが」
 ザッハに加勢したのはシャリスで、ファノークはその責めるような視線から逃げるようにお茶をすすった。
 ファノークが率いていた第三部隊は、最も再編が激しかった部隊だ。ファノークの跡を継ぐはずの副隊長のイリがそのままファノーク付きの秘書官になってしまったために、まとめる人間がいなくなった第三部隊は、それぞれの兵の希望を聞いての再編成となった。そのまま残った兵もいれば、他の隊に移ったものもいる。そのうち何人かは、シャリスの第二部隊に行ったはずだ。だが、彼らは未だ「元ファノーク隊」と呼ばれ、元部隊長譲りの要領のよさを発揮している。
「悪知恵っていうか、自己責任というか……」
 ファノークが小さな声で反撃を試みてみたが、じろりとシャリスに睨まれて終わった。
 ファノークが部隊長時代に兵に言っていたのは、「俺に面倒をかけるな」というもので、つまりは何か面倒なことを起こしても、自分で解決できれば良かった。その上力自慢で大酒呑みが集まっていた第三部隊は、よく喧嘩を起こした。自然、それらを秘密裏に処理する能力が高まったのだ。
 自己責任といえばそれなりに聞こえるが、つまりはファノークが隊長の役目の一部を果たしていなかったということだった。
「うちには若い兵が多いからって、元ファノーク隊員の移動が認められませんでしたもんね」
 ザッハがきしし、と笑う。変な知恵がついても困るから、と第三部隊から第一部隊への移動を禁止したのはキーファ王だった。その代わり、ザッハは元カハラム軍の若手を多く受け入れた。それはそれで問題は尽きなく、どちらがいいとは言えないところだった。
「ファノーク殿が、イリ殿を秘書官などにしなければ良かったのですよ。彼なら隊長になっても申し分なかったのに……」
 シャリスがため息をつく。だが、なりたくもない副隊長になるのだから、自分の補佐官位は好きに選ばせろ、というファノークの言い分も、わかってはいた。
「それを言うなら、シャリスかザッハが副隊長になれば良かったんだ」
 ファノークの言葉に、シャリスとザッハは顔を見合わせて肩を竦めた。それだけは避けたいと思っていたのは、誰も同じことだったのだ。


 宮殿内の騒がしさから逃れるように、リーフィウはいつもの中庭で本を読んでいた。古い本を探しに街まで行くこともあるのだが、そのときには護衛としてハリーファが付くし、準備に侍女たちの手を煩わせることにもなる。彼女たちが暇にしているときは、どうやらそれも楽しいらしく歓迎されるのだが、こうも慌しい様子を見ていると、出かけるとはなかなか言いづらかった。
 シャリーアの結婚。
 それ自体はとても喜ばしいことだったし、今後はラシッドが確実に彼女を守るだろうと思うと、安心も出来た。だが、その婚儀に、彼女の親族は誰一人として参加しない。ルクの王族直系の生き残りは、リーフィウとシャリーアの兄妹だけなのだ。
 ルク国では、親族はとても大切なものだ。シャリーアは、どれだけ哀れみを受けるだろう。そしてそれが、どれだけシャリーアを傷つけるだろう。だが、自分が行っても、何も解決はしない。
 リーフィウはため息をついた。それから顔を上げて、ゆっくりと庭を眺めた。色とりどりの花が、蕾を膨らませていた。その中でも、一際大きく白い蕾を膨らませているのが、レアの花だった。中にはもう、花を咲かせているものもある。
 ルクでは、花嫁はレアの花の冠をかぶる。王宮の温室では、そのために一年中、レアの花が咲くようにしていた。
 この時期ならば、ルクはもう自生のレアが咲き乱れている頃だろう。レアの冠は母親の手によるのが慣例だ。そして、それを頭に載せるのが父親だった。一体、誰がそれらの儀式をするのか。その代わりになるはずの者たちの多くが、先の戦で命を落としていた。
 これが自分たちが選んだ道なのだ。リーフィウはぱたりと本を閉じた。
 リーフィウがルクを出るとき、もう二度と会えないだろうという覚悟はあった。独立を果たしたと言っても、ルクの属国扱いは変わらない。カハラム王宮内にいれば、今回のルクの独立を苦々しく思っている人間がいるのも、肌で感じることができた。リーフィウはだから大人しくしていたし、決して政治の中枢に近づくようなことはしなかった。一層のこと、古参の大臣達が言うように、紅芳宮に閉じ篭ってもいいと思っていた。だがそれは、キーファが許さなかった。
「リーフィウ様、お茶になさいませんか」
 イーザの声が遠くからした。リーフィウは返事をしながら立ち上がった。
 幸せだと思う。
 人質としてこの国にいるはずの自分は、だがその扱いを受けずに、優しい人間に囲まれて生活している。
 シャリーアも、幸せになれたらいい。
 その願いも、祝いの言葉さえも、届けることはできないけれども。


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