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ゲーム

01

 その遊びが、いつ頃から、誰によって始められたのかは、誰にも分からなかった。いつの間にか広まって、少年たちを魅了したのだ。
 秘密、緊張感、たった一人の勝者―――
 退屈なだけの毎日が、スリル溢れる日々に変わった。だから、少年たちがそれを、非日常から日常にするのには、時間がかからなかった。
「時間、場所、無制限にしようぜ」
 そう言ったのは、誰だったのか。誰もがその先に見えるスリルと興奮に魅せられて、覚えてなどいない。
 もう、安全な場所などない。誰が敵なのか、わからない。
 ゲームの名を「アサシン―暗殺者―」と言う。

「みんな任務は行き渡ったかー?ゲームの開始は二時間後。時間、場所、無制限だからな」
 キースの声が教室中に響いた。放課後だと言うのに、教室は活気づいている。それぞれが小さなノートの切れ端を持っていて、誰にも見られないようにそっとその中を確認した。キースの独特の滑らかな文字が、その中央に流れるように収まっている。きちんと切られ、折りたたまれた紙の様子まで何もかも、キースという人物の性格を表していると、サキは小さく笑った。
『ノーマン』
 その綺麗に折りたたまれた紙の中に書かれたその名を見つめると、サキはまた丁寧に紙を元通りに折りたたんで、大切そうにポケットへ仕舞った。
 同窓生たちも、何気ない様子でそれぞれの紙をポケットや鞄にしまう。そこに書かれた名の持ち主を見たくて仕方がないのに、必至でそれを我慢しているのだ。ゲーム開始は確かに二時間後かもしれないが、紙が配られたときから、幕は開けられたに等しい。
 やられる前にやらなくてはならない。
 サキは少し思案してから、鞄を掴むと教室を出た。カフェテラスで何か冷たいものでも飲もう。そう思って歩き出すと、後ろからヨシュアが追い駆けてきた。
「時間あるからな。カフェでなんか飲もうぜ」
 そう言って、馴れ馴れしく肩を抱く。その下のサキの身体がびくりと硬くなったことに気付いているだろうに、ヨシュアは知らない振りをしてにやりと笑った。
 いや、知っているのだ。わかっていて、それを楽しんでいるのだ。サキはそれでも、そんな反応を返す自分を、愚かだと思った。何も、わざわざ楽しませるようなことをしなくてもいいのに。
「暑いな」
 言いながら、ヨシュアは開襟のシャツの胸元を羽ばたかせる。第二ボタンまで外されたそれは、ヨシュアが着ると、だらしないと言うより、格好いい印象を抱かせる。得な奴だ、とサキは思った。ヨシュアは自分と同じくらい細いのに、筋肉質な身体は、ひ弱さを感じさせない。自分とヨシュアのその差を見せ付けられる夏が、サキは嫌いだった。
 学校でも人気者のこのヨシュアが、何故自分とつるんでいるのか周囲はみんな不思議がっていた。家柄もよくて、頭もいい。それで性格までよかったら、人気者にならない方がおかしいのだ。
 そのヨシュアが、どうして目立ちもしない、サキとつるむのか。
 サキはどちらかと言うと、地味で大人しい、という形容が似合う少年だった。輪の中心になれるほど活発ではないし、どちらかと言うと一人で居ることを好んだ。こうしてクラスでやるゲームには参加するが、普段は誘われなければゲームもしない。
 でも、ヨシュアが自分とつるむその理由は、よく分かっていた。
 ソーダを手に、二人はテラスの端のテーブルに座った。暑いと言いながら、ヨシュアは日が当たるところを好む。夏だから。だから、暑いと言ってもいいのだそうだ。
 ソーダの氷をがしゃがしゃかき回しながらストローで一口吸うと、喉の奥に心地よい刺激が訪れた。ぴりぴりと、泡がはじける感触。
 サキはぼんやりと高台にあるテラスからの景色を見ていて、ヨシュアのほうは一切見ない。二人の間に、沈黙が落ちるのは毎回のことで、でもそれを、二人とも気にしている様子はなかった。
 サキはそっと、気付かれないようにため息を吐いた。ヨシュアの近くにいることを羨む生徒はいくらでもいる。でも、サキはこんなに近くならなければよかったと、思っている。遠くから、密かな憧れに似た目で見ていた、数ヶ月前が懐かしかった。
「二人とも余裕だな」
 テラスの入り口から、キースとクリスが手を上げて近寄ってきた。二人も同じ、ソーダのコップを手に持っている。
「ばたばたしてもどうしようもないだろ?」
「まぁそうだけど」
 二人が席につくと、そのテーブルは一気に派手になった。ヨシュアだけでも目立っていたのに、学年トップのキースとモデルをしているクリスが加わったら、ひどく注目される。サキはいつまで経っても、その視線の的になることに慣れない。こんなときには、どうしたってやっかみと嫉妬が混じった視線が、自分には注がれるのだ。
 関係ないと思いながら、それでもやはり居たたまれない。
 やっかみや、嫉妬をされるような理由で此処にいるわけではないと、知っているからだ。
「いつまで続くか、かけようぜ。掛け金はここのソーダ一杯」
 ヨシュアが、そんなことを言い出した。
「いいぜ。俺は……四日かな」
 そう言うことの好きなクリスが、真っ先にかけにのる。
「俺は三日」
「まぁ今日は様子見だろうから……俺も三日かな。同じじゃつまらないから、俺は三日の午後」
「じゃ、俺は午前でいいぜ。サキは?」
 ずっと黙ったままだったサキに、ヨシュアが尋ねた。あまりに暑い日の光に、サキは少し、頭がぼーっとしていた。ソーダを一口飲んで、やっと答える。
「四日目の……夜」
 勝ち残らねば。
 サキはそのとき、突然そう思った。熱に、うなされたように。


 三ヶ月前だったか、いや半年だったか、サキはもうはっきりとは覚えていない。始まりは、重要ではない。今のサキには、終わることの方が重要だった。
 終わりなど、あるだろうか。
 これからのことを考えるのも、サキには億劫だった。このまま、流されるしかないのだろうと、もう諦めているのだ。
 そう、きっと、どんな形だろうと、終わりはあるはずだ。始まりが、確かにあったように。
 ぴちゃりと暗い中音がして、サキはふと我に返る。目の前、裸のサキに跪かせて自らのものを舐めさせているヨシュアは、そのサキの物思いには気付かなかったようだ。
 全寮制の学校のこの寮は、二人一部屋になっている。サキとヨシュアは二年になってからのルームメイトで、それを知ったとき、サキは一瞬どきりとし、それから嫉妬の視線が面倒くさくなった。
 どうせなら、変わってしまいたいとサキは思ったが、ヨシュアがそれを許さなかった。
――なんで?俺と同室じゃ嫌?
 少し不満げにそう言うヨシュアはなんだか拗ねたようで、サキは思わず、そう言うわけじゃないけど、と首を振った。
――じゃぁどうして部屋替えなんて……
 嫉妬が嫌だから、とは本人を前には言えず、サキは結局、部屋替えを諦めたのだ。
――俺はサキと一緒で嬉しいんだけど。
 そう笑うヨシュアに、ほだされたとも言えた。
 そのときのことを、サキは未だに覚えている。ヨシュアは、もう忘れただろうか。いや、内心で笑っているかもしれない。
 ヨシュアに気軽に名を呼ばれて、喜んでいたサキのことを。
 遠いままで、よかったのに。
「もういいよ。ベッドに後ろ向きになって、肘ついて」
 昼間とは違う、ヨシュアの冷たい声がする。誰もきっと想像できないだろう、とサキは思う。こんな残酷なヨシュアを。
 あぁそうだ、と言って、ヨシュアはサキの手首を美しい絹のスカーフで縛った。柔らかい素材だとしても、この後数時間縛られたまま、サキが必至で解こうとすれば、確実に跡がつく。だからサキは、夏なのに半袖を着ることが出来なかった。
 羞恥を誘う、こんな体勢にも、サキは慣れてきていた。
 とろりと背中にローションが垂らされるのが分かる。ヨシュアはそのまま、サキの髪の毛を引っ張り、少しだけ身体を起こさせる。最近手に入れたらしい、媚薬入りのローションが、サキの美しい背骨を伝って、ゆっくりと下へと垂れていく。その感覚に、サキが震えるのを、ヨシュアは楽しむのだ。
 双丘のくぼみにその液が消えていくと、ヨシュアは髪を無造作に離す。手の効かないサキは、どさりとベッドに倒れた。とろりと、太腿をその液体が伝う。
「ちゃんと立って」
 ヨシュアの声に、反抗する術を、サキは知らない。もう、どんなことをしても無駄だと言うことも、反抗して、泣き喚いて、懇願すればするほど、ひどいことをされることも、わかっていた。
 それなのに、ヨシュアは泣けと言う。懇願しろと言う。
 ひどいことをするために。
「ゲームだよ。この方が、楽しいだろう?」
 就寝時間後の、薄暗い中で行われるこの行為のときのヨシュアの顔が、サキにはあまりわからない。それが、悲しそうに歪んでいることも、泣きそうなことも。

 夢さえ、見ていた気がする。
 優しく、呼ばれること。触れられること。
 そんなことを。


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