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眩しさに目を細めた先にだって、見えるものがあるだろうと言う


01
 生きていくことは戦いだ。
 俺は親父からそれを教わった。
 だから、親父はいつでもライバルだった。
 負けるものか、といつも思っていた。
 今ならわかる。
 だから俺は、挫けずにすんだのだ。

 傷跡がまだ生々しい内に離れることを、母親はさすがに躊躇していた。親父は、何も言わなかった。自分で決めろと、いつものように余裕の笑みを浮かべていた。
 他人がちょっと怖くなってしまった俺、栖坂 光己(すさか みつき)にとって、知らない人ばかりのところに行くのはさすがに勇気がいった。でも、ずっと決めていたことだった。半分はアメリカで、半分は日本で高校生をする。それは、ずっと前から決めていたことだったし、親父が通った高校に、行ってみたいという好奇心もあった。
「揉まれて来い」
 と親父は言った。行ってくる、と俺が言ったとき、変な言葉だけど、安心して揉まれて来い、と親父は言ったんだ。親父がこれほど誇りに思っている母校を、俺はやっぱり、どうしても見てみたかった。
 それと、もう一つ。
 親元を離れる、ということをしてみたかったのも事実だ。こんな傷を作る前、それは俺をわくわくさせた。所詮親の金で暮らす身だったとしても、親が近くにいない分の責任は絶対増える。これ位の年の子供って、自分の力を試してみたい、なんて生意気なことを思うだろう?親の手の中だっていい、そこでどれ位出来るのか、俺は試したかった。そして、傷を作ったことで、それはますます絶好の機会になった。
 だから、安心して身を委ねることの出来る親の元を飛び出して―――かなり自分を叱咤激励しながらだったけど―――俺は、日本に来た。
 大丈夫。こんなことになんか負けるものかって、そう思いながら。


 親父の母校、九重大付属高校は、なんだかとても大きかった。小さな島国日本、とさんざんアメリカで言われた俺には、一体どこにこんな土地があるんだ?と最初見たときは思った。広いグランド(しかも、離れたところに第二グランドがある……)に、不思議な形の大きな校舎。二つの体育館に屋内プール。それに、三つの寮が隣接している。ちょっとばかり小高い山の上にあるこの高校の、裏山も実は領地なんだとかなんとか。
 バスを降りたとき、だから唖然とした。バス停は学校の目の前、と聞いたのに、校舎は遥かかなたに見えた。一帯をこの学校が占めているのを理解して、ひどく隔離された所な気がした。後になって、それは決して間違った印象じゃなかったと俺は知る。だって、街に行くのに、下界に下る、なんて言うんだよ、ここの奴等は。
 その下界から来た俺は、本当なら二学期の最初から転入してくるはずだった。それが、今は九月半ば、新学期が始まって半月が経っている。この中途半端さは、例によって未だ癒え切っていない傷のせいなんだけど、それは考えない。そうしてると、なんでも傷の所為になってしまう気がする。俺はここに逃げてきたんじゃない。
 でも、癒されはするかもしれない、と思う。静かで、緑に囲まれたこの学校を、俺は気に入った。もうすぐ、山の木々は紅葉して、秋を満喫できるだろう。そうやって自然な時間が流れることは、何かとても大事なことのように思えた。
 静か、というのは多分に誤解があったけれども。
「なあ、栖坂って今日の朝、寮にいた?」
 自己紹介が終わって、授業が始まるちょっと前、やっぱり中途半端な時期の所為か、ちらちらとこっちを見る輩がいても、なかなか話しかけようと言う奴はいなかった中で、後ろの席の奴は、なんとも自然に話し掛けてきた。何の気負いもない口調に、好感が持てる。
「え?いたよ。寮には昨日入ったし。なんで?」
 この寮がまた、ホテルかよ……と思わず呟いてしまったほどの豪華さだった。真四角なんだけどロビーがでかい吹き抜けで、六階建てエレベーター付き。各二人部屋で、ミニキッチン、シャワー、トイレ付き。中庭側は全面窓で、高校生の住む部屋じゃない、と俺は思った。
 俺がその贅沢さを思い出していると、後ろの席の奴は何やら少し考えていた。
「もしかして寝坊とかして、朝食抜いた?」
 くるり、といたずらっ子さながらに目が動く。だから俺も思わず、顔が緩んだ。
「食べたぜ、ちゃんと。朝食は一日の基本、だろ」
 それに、あんな和風な朝食はずいぶんと久しぶりで、ちょっと感激ものだった。とっても贅沢なことに、朝から和洋選べるんだけどね、この寮は。
「うーん。でも、見なかったからさ。入寮したばっかりなら、寮長の深山先輩が気にしないはずないだろうし……」
 奴の―――確か、長柄だ。話を聞きながら、俺は必死に思い出していたんだ、奴の名前を―――言葉に、俺は首を傾げた。
「寮長って……俺が紹介されたのは大庭先輩だったけど」
 二人いるのか?と思って、思い直す。そうだった。ここには三つも寮があるのだ。なんと言っても贅沢な二人部屋。全寮制で、一学年12クラス、一クラス40人の学校じゃあ、1500人近い生徒がいる。二で割っても750部屋。三つに別れるのもわかる。と言っても、俺はさらに無理を言って、一人部屋なんだけど。
 そんなことを考えていた俺の耳に、ざわっとした教室の空気が流れ込んできた。目の前の長柄も、信じられない、という顔をしている。って、何を?
「大庭先輩が寮長って……栖坂ってもしかして西寮なの?」
 もしかしなくてもそうです、と頷くと、教室のざわめきは一層大きくなった。何だって言うんだ。さっきから、好奇心満々な視線は確かに感じていたけど、今は不躾過ぎてちょっと痛い。
「何?なんでそんな騒ぐんだ?」
 俺は割と気が短い。こういう、わけのわからない状況は嫌いだ。周りの空気を読んで上手く事を運ぶ、なんていう日本的手法を習いたいとは思うけれど、まだ無理。
「おう、栖坂、本当に2Aだったんだな」
 俺が手っ取り早く、目の前の長柄に説明を求めようと思ったら、今度はドアのほうから自分の名が呼ばれて、仕方なく後ろを振り向いた。噂をしたら、だ。
「大庭先輩。どうしたんですか?」
 大庭先輩と言う人は寮長と言う肩書きがとても似合う、世話好きそうな人だ。大柄で、ガタイがいいのはスポーツをしている所為だろう。ラグビーをしていると、言っていた。
「いや、朝おまえが2Aって言うから、本当かと思って。間違ってるんじゃないかとちょっと心配だったんだが……」
 確かに、先輩は2Aと言った俺に、何度も確かめていた。ちょっと、しつこい位に。わかるって言うのに、職員室まで送ると言うその道すがら。本当に世話好きなんだろう。
「だから、間違いないですって言ったじゃないですか。全く、どうしたんですか?」
 見れば、大庭の後ろに何人か他の先輩方もいるようだった。俺は見世物じゃないって。
 いい加減頭に来たところで、チャイムが鳴った。救われた、と俺は思った。もう少しで、初日のしょっぱなから、怒鳴り散らすところだった。


 で、後から長柄に聞いたところ、この学校には何とも複雑そうで単純な、派閥というか、対立と言うか、そう言うものがあるのだそうだ。
 まずはA組からF組を基点とする東の軍団、そしてG組からL組を基点とする西の軍団。これは、校舎、寮ともにその方向に位置するからで、それから考えれば、普通ならA組の俺は、東寮に入るはずなのだそうだ。事実、生徒会役員以外のクラスの全員が東寮。俺を、除いて。
 この東西対決は、色々なときに表われるのだそうだ。年最初の予算から、下界から運ばれてくる食料の優先順位など。大きなことから小さなことまで、東西で遣り合うらしい。
「だから、西寮って聞いてびっくりしたわけ」
 そう説明してくれた長柄は、今でも驚いている、と言う顔をしている。
 実はそれには、俺の我侭というか、理由がある。
 東西の違いなんて知らなかったけど、俺は親父の友人でもある校長に、これだけは、と我侭を言ったのだ。可能な限り、一人部屋にして欲しいって。
 なんと言っても、俺の身体中には生々しい傷が残っている。ゆっくりと、あと数ヶ月もすればほとんどわからないくらいになりますよ、と医者は言ったが、慣れた自分でもちょっとぞっとするこの傷跡を同室者に見せて、怖がらせたくない。
 その辺の事情は校長も知っていたのだろう、快く了承してくれた。ただ、一人部屋がある南寮は今は一杯で、西寮なら二人部屋が丸々空いているから、そこでも良いなら、と言うことだった。もちろん俺に異存はない。我侭言っているのはわかっていたから、それ以上なんて望まなかったんだ。
 それにしたって、同じ学校なんだから、どっちでも良いと俺は思う。東西の寮の設備は変わらないはずだ。
「じゃあ、南寮って何?中立軍団なわけ?」
 他の二つよりちょっと小さくて、どうやら設備の良いらしい南寮は、誰のものだと言うのだろう?
「うーん、ある意味ね。あそこは生徒会とか、委員会委員長の寮。あそこは小さいだろ?100部屋しかないんだけど、全部個室で、基本的に二年からしか入れないんだ。生徒会長と総代の部屋なんて広いらしいぜ」
 忘れていた。なんだかとっても嫌な予感がする。今の今まで、あいつの存在を忘れていたのに。
「生徒会長って―――」
 対策を練るためには、早目に状況を確認することだ。勝負はそれで決まる。
「佐々野 八潮(ささの やしお)会長。容姿端麗、頭脳明晰、運動神経までよくって、天は二物も三物も与えたと言うか……栖坂、どうかした?」
 なんでもない。
 俺は、必死に心を落ち着けて、そう、笑った。


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