眩しさに目を細めた先にだって、見えるものがあるだろうと言う
02
俺は、最初に思った。
静かで落ち着いた雰囲気の、いい学校だなって。
でも、そんなのは大きな間違いだった。一ヶ月、いや一週間……この際一日だっていい。俺にその、静かで落ち着いた学校生活を送らせて欲しい。
一日目は、入寮祝いだとか言って、何やら先輩たちに付き合わされた。はっきり言えば、飲み会。どうしてこの山奥で酒を調達できるのかわからないが、まあみんな舐める程度だったから可愛いもの。俺としては、帰国してすぐだったから、結構疲れてたんだけど、お祝いしてもらえるとは思わなかったから、その歓迎ぶりは正直嬉しかった。
でもその日はそれだけじゃない。放課後に、例の生徒会長殿に会いに行ったんだ。挨拶ぐらいしておかないと、後で何を言われるかわかったもんじゃない。なんと言っても、こいつは俺が親父と張り合っているのをよーく知ってる。そう、幼馴染で従兄弟なんだよな。困ったことに。
昔は本当によく懐いて遊んでた。八潮にい、って引っ付いて歩いてた。俺と一つしか変わらないのに、物知りで大人っぽくて。(こいつはガキの時からませてたんだ)血は繋がってなくても、俺の自慢の兄貴だった。
でもね、親父と似てるんだ。育つにつれて、俺のライバル心というかプライドと言うかコンプレックスと言うか、そう言うものをくすぐってくれた。何しろ一つしか離れてないから余計始末が悪い。昨日の長柄じゃないが、容姿端麗、頭脳明晰、性格は敢えて言及しないが、まあ、負けたくないって思わせる。
離れて、俺も少し大人になって、わかったこともある。
八潮がいかに上手いタイミングで俺の手を離したのか。
小さい頃は、親父の仕事の関係で転々としていた俺に、友達なんていなかった。親父は親父で容赦はないし、頼れる兄的存在で、そして友達だった八潮は、本当に俺の救いだった。それでも成長するにつれてライバル心を持ち出した俺に合わせて、中学生になった頃、すっぱり兄と言う立場と友達と言う立場を捨てて、親父と一緒になって俺を苛めてくれるようになった。
やな奴だと思う。かっこ良すぎて、嫌味なくらいだ。
俺はまだ、奴にちっとも勝てない。それがやっぱり、悔しいんだ。その上性質の悪いことに、この競争ごっこみたいなゲームが楽しい。だから、仕方ない、と思うと同時に、八潮に会うのは楽しみでもあった。
学校の形はとても面白くて、真四角の四つの角に円がくっついている、という感じ。その円を輪にした真ん中が廊下、周りの部分にぐるりと教室があって、休み時間に一斉にドアが開いてぞろぞろと生徒が出てくるところを上から見たら面白そうだ、と俺は思った。
その四つの円のうち、北東にあるのがA〜F組、北西がG〜L組、南東の円に食堂、南西の円が事務棟になっている。そうそう、四角の中はくり抜かれて中庭になっている。
一見、学校には見えない、と俺は思わず見上げたものだった。
生徒会室は事務棟最上階、つまり四階の南側にあった。きっと素晴らしい眺めだろう。校舎の南側には広大なグラウンドが広がっている。
俺はすっと息を吸って、そこのドアを叩いて返答を待ってから、がらりとドアを開けた。総ガラス張りだから、まるでオフィスみたいな生徒会室は思った通り広い。その窓際にお目当ての人間をみつけた俺は、近くにいた生徒が何か話し掛けようとしたのを遮って、そこに歩み寄った。
「久しぶり」
声をかけると、何やら結構立派な机に、座り心地のよさそうな椅子に座って、八潮が顔を上げた。俺の精一杯の笑顔に、八潮は相変わらずの甘い顔をした。目を細めるようにして、やんちゃ坊主を見るような視線。それで俺は、戦闘体制に入れる。
「よお、久しぶりだな。おじさん元気?」
どうして俺のことの前に親父のこと聞くかね。
「憎たらしいほどね」
俺がそうにっこりとすると、八潮は声をあげて笑った。
「相変わらず、変わんないね光己は」
「そっちこそ」
俺はそう笑いながら、少しだけ泣きそうになった。変わってないわけがないんだ。一ヶ月近く入院して、自分でもわかるほど体重が落ちた。それは未だにもとに戻っていない。ある程度筋肉もあったのに、運動ができないんだからそれも取り戻せない。こいつと前に会ったのは一年前だが、そのときに比べたって俺は頼りなく細くなってる。それでもこいつは、変わらないと笑ってくれるんだ。事情は全部、お袋に聞いてるんだろう。
座りなよ、とソファーを指されて、俺は仕事中だろ?と断った。今日はまだ、陣中見舞いだから。
「光己、何かあったらいつでも頼れよ?」
そう言ったら、俺は絶対頼らないことを知ってて言うんだ、こいつ。でも、今の俺には保険にもなる。最後の最後の、砦としての八潮だ。こいつは一度言ったことは覆さない。俺はそれを知っている。
「頼りにしてるよ、生徒会長さん」
俺はもう一度、にっこりと笑うと、失礼しました、と言って生徒会室を出た。八潮の隣の奴が、何やら面白そうに俺のことを見ていた。
それが、二日目の騒動の原因だ。
でも、俺はそんなこと知っちゃいなかった。俺はただ、八潮に挨拶に行っただけだ。一年ぶりの従兄弟に、挨拶して何が悪い。
「ごちゃごちゃうるせーよっ」
俺が叫んだのは、仕方ないだろ。だって朝飯だ。一日の始まりなんだ。静かに食わせろ。
生徒会長との関係について、うるさく俺に聞いてきた奴らは、俺の叫びに多少ひるんだのか、遠巻きに何か言っているだけになった。それだって、十分うるさい。どうせ同じ囀りなら、小鳥にしてくれと思う。
「顔に似合わず威勢が良いねー栖坂は。でもこれぐらいで怒ってたら後が続かないよ」
そう言ってきたのは、大庭先輩。顔に似合わずって何?
「俺、昨日ちょっと挨拶してきただけですよ。何でこんな騒ぎになってるんですか」
大体、何で大勢の人間がそんなことを知ってるんだ。
「そりゃあ、あれだけでかでかと張り出されちゃあね。ただでさえ話題の転校生だったのに、余計目立ってる」
「何ですかそれ」
「まあ、うちら西寮にしてみれば、願ったり叶ったり。A組だろうがなんだろうが、もう栖坂は西寮のもん」
西寮のもんって、俺はものじゃない。大体、話がよくわからん。俺なんて、どっちにいたって大して変わらないと思う。
そう言うと、大庭先輩は怒ったようにそれは違う、と言った。なんだか周りの奴らも首を横に振ってる。人数が負けてる、とか言うちゃちい理由じゃないだろうな。
「おまえがいるといないじゃえらい違いだよ。いいか、間違ってもどっちでもいいなんて言うなよ。栖坂は西寮生だ。もう決まりだからな」
はい、わかりました。なんだかわからないけど、もういいよ。俺はどっちでも良いんだ。一人なら。
「ところで、でかでかと張り出すって、何をです?」
「号外だよ。栖坂が生徒会室からにっこり笑って出てくる写真入の。おまえ、あの顔はちょっとやばい……おいっ栖坂っ」
だから、俺はゆっくり静かに、豊かな朝飯が食べたいんだ。なのに、どうしてそんなささやかな願いが叶えられないんだろう。
俺はまだ半分は残っていた朝飯を放り出して、その号外とやらを剥がしに走ったのだった。
実は、学校資料なんてものは俺は開いてもいない。行くならここ、と決めていたし、やっぱり親父を信用していた。部活動なんてしないで、遊びまくろうと思っていたから、そのへんに興味もなかった。だから知らなかったんだ。巷の週刊誌顔負けの、報道部があるなんて。なんたって、制服だって初日に初めて見たようなものだ。臙脂のブレザーと紺と緑の細かいチェックのズボンに赤紺のストライプのネクタイ、白いニットのベストなんて、イギリスかどっかのお坊ちゃま学校みたいでちょっと笑った。自分も着てるんだけどさ。もちろん衣替え直前の今は、ベストなんて着ていない。さらに!きっと創業者が憧れたんだろうなあ。遠い国に。ジャージ(と言っても上着はパーカー)はいいんだけどさ、中がTシャツじゃないんだよ。ポロシャツなんだ。白の、三つボタン。着る人が着るとかっこいいけど、中学上がりのまだ幼さを残す一年なんか、ほんとお坊ちゃまって感じで可愛い。半ズボンなんかはいてくれたら俺は手を叩いて大受けするね。
その制服のネクタイを、俺はまだ上手く結べない。アメリカにいたときに、したことがないわけじゃない。でもね、お袋がやりたがるんだ。それで仕方なく、ネクタイはいつもお袋に手を出させてた。おかげで今じゃ大苦戦だ。
で、ネクタイなんか結んでられるかって勢いで、結構だらしなく緩んだままのタイを靡かせて俺は走った。寮から校舎まで、結構あるのに。傷が引き攣ってちょっと走りづらい中、朝食を残してだよ。でもな、もう時すでに遅し、だ。
校舎に行き着く前から、なんだか視線を感じた。寮から学校に行くまでには、グラウンドの横を通らなければならないから、みんなが練習を止めて俺を見ていたみたいだった。ちょっと嫉妬じみた痛ーい視線もあった気がするが、とにかく無視。
さてどこだ、と思う間もなく、俺はそれをすぐに見つけた。生徒用玄関は中庭に入って東西に分かれてあって、中庭には南側から入ることが出来る。で、その中庭に入る前にどうやら掲示板があるらしい。でも、実際には、俺に掲示板は見えなかった。上のほうがお情けに見えただけだ。あとは、人、人、人。
なんだって朝っぱらからこんなにいるんだ?って位いて、俺はため息を隠さなかった。自分の志気が落ちるから、本当はため息って嫌いなのに。
こういうのって薮蛇?いや飛んで火にいるなんとやら?ああ、俺そう言うの弱いんだ。日本語って難しい。こんなんだったら、朝飯を放り出すんじゃなかった、と思う。外野なんて無視して、好きなだけ食べてくればよかった。
その中の一人が、あっと俺に気づいて、瞬く間に俺は好奇の視線に晒された。ざわざわと、俺のことなのに、本人いるのに、噂話みたいな声が聞こえる。
ああ、うるさい。
俺はつかつかと、自分でもかなり怖い顔をしていると思ったが崩す気なんて一切なく、その掲示板に近寄ると、でかでかと貼ってある紙を眺めた。ちょっとぶれているが、確かに俺らしい人がにっこり笑って生徒会室から出てくるところが写ってる。その横に、『謎の転校生、生徒会長と謎の関係?!』という実に馬鹿らしい文字が躍っていた。
誰が謎だって?で、誰と誰が謎の関係だって?
従兄弟なんて言うのは、調べりゃすぐわかることだろう?
俺は、こんなもののために朝飯を無駄にしたのか?
ため息は吐かない。さっき吐いただろう、俺。その代わり、息を吸う。
「おいっ、これ書いた奴はどこだ」
低い声で言うと、周りが怯えたのがわかった。悪いが構ってられない。
じろりと周りを見渡すと、くすくすと笑い声が聞こえた。
「怖いなあ。さすが八潮会長お気に入り」
そう言って笑っていたのは、ずいぶんと男前な、そしてひどく軽薄そうな、男だった。
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