home モドル 前編 * 


眩しさに目を細めた先にだって見えるものがあるだろうと言う。番外

後編

 翌日、栖坂は定期検診を受けに医者に行った。付いていきたいのは山々でも、栖坂は嫌がるし、平日の昼間で授業もある浅木は、心配しつつも笑って送り出した。
 それから三日。以来、栖坂の様子がおかしいのは、浅木にもわかっていた。でも、何かあったかと聞いても、なんでもないよ、と栖坂は言う。でも、明らかに顔色が悪かった。始末が悪いのは、それを必死で隠そうとすることだった。それが返って痛々しく、浅木は深い追求ができなかった。
 どうやら夢にうなされているらしい、と聞いたのは、大庭からだった。前にも何度かあったが、今は毎晩だという。
「おまえは知ってるんだろうけど、ちょっと堪んねーぞ。可哀相で見てらんねえ」
「部屋に入ったんですか?」
「一度な。おい、怖い顔すんなよ。何もしてねえぞ、誓って。宥めさせてはもらったが」
 つまりは、抱きしめてでもやったのだろう。そう思うと、浅木は奥歯をぎりっとかみ締めた。だから、自分の傍にいろというのに。
 まだ付き合う前、薬を飲んで眠っていた栖坂が、明け方に何度か暴れたことがある。それが、最初は暴れるのだが、そのうち怯えだすのだ。気の強いところばかり見ていた身としては、その様子はあまりに可哀相でならない。
「まあ、こっちに来る前に何があったかは知らないし、おまえらのその二ヶ月っていう期限がどんな意味を持つかも知らないが、それまで放って置かないぞ、俺は」
「……ってないでしょう」
「え?」
「放っておくなんて、誰も言ってないでしょう」
 浅木が低く呟いて、立ち上がる。大庭はその鋭い目に、背筋をぞくりとさせた。
 狼と言う名が、なぜこの男に与えられたのか、その目に改めて知る。そして、瓜生が肩入れしている理由も。
「申し訳ないですけど、何があっても今日は栖坂の部屋に入らないでくださいね」
「何をする気だ?」
「悪夢を……潰してやるんです」
 浅木はそう言うと、静かに歩いていった。大庭はその後姿を、ただじっと見つめていた。


「どうしたんだ?もうすぐ夕飯だろ」
 栖坂の部屋に浅木が行くと、栖坂は読んでいた本から顔を上げた。部屋の青白い蛍光灯に、やつれたような顔が照らされている。
 かちゃり、と後ろ手に鍵を閉めた浅木に、眉を潜めた。
「浅木?」
 いつもより、険しい顔をしている。でもそれは、あの切羽詰った、切ないほどの目とは違う。
「何があった」
「え?」
「この間、医者に行くのに街に言っただろ?そのとき、何があった」
 静かな、あまり抑揚のない声に、栖坂は自分の答えた声が震えたのがわかった。
「何もないって、言っただろ」
「じゃあ、なんで毎晩夢にうなされる?」
 浅木の問いかけに、栖坂が一瞬目を逸らす。それから、大庭先輩か……、と呟いた。
「怒るなよ。みんなおまえが心配なんだ」
「わかってる」
 わかっているが、よりにもよって、浅木に知らせて欲しくはなかった、と栖坂は内心で舌打ちした。
「一体何があった。言えよ……言わないなら、やるぞ」
 言葉に、びくりと身体が震えた。それを、栖坂自身も浅木も、見逃さない。ひどい言葉だとわかっていて、かまをかけるように発せられたのだろう。それでも、反応する弱さが忌々しい。
 今は駄目だ、と栖坂は思う。今は、浅木でも駄目かも知れない。怖くて、逃げてしまう。
 そんな風に、浅木を傷つけたくなかった。
「らしくないな。おまえがそう言うこと言うの」
「光己、何があった」
 浅木は、諦めないらしい。小さな非難も、黙殺されてしまった。
 栖坂は大きく息を吸ってから、情けない話なんだ、と言った。
「小さなことなんだ。医者からの帰り道に、街でたまたま外国人に話し掛けられて……たぶん、誘われてさ。腕掴まれて、俺、パニックになって逃げた」
 自嘲気味に笑うのは、泣かないためなのか。浅木は怒りにぐっと拳を握ると、大きく深呼吸した。小さなことではない。情けない話でもない。
「なんで、話してくれなかったんだ」
 答えは、聞かなくてもわかっている。強い、強い光己―――それなのに、もっと強く在りたいと言う、光己。
 浅木は一瞬目を閉じると、一歩足を踏み出した。
「……んっ……あさ、ぎっ」
 突然腰掛けていたベッドに押し倒されて、口付けられて、栖坂は手足を思い切り振って抵抗した。
 ―――こわい。
「おま……ちょっ、やめろっ」
 体格的にも、腕力でも、浅木のほうが優位だ。だから、我慢している浅木がすごいと思っていた。でも、こんな形でその力を行使されるとは思っていなかった。
 本気で嫌がっても、押さえつけた腕を離そうともしない。
 浅木が、怖かった。
「―――つっ」
 がりっと音がして、口の中に錆びくさい味が広がって、浅木はようやく身体を離した。手の甲で、その口を拭う。
 栖坂は、仰向けに寝転がったまま、泣いていた。自分でも気づかないうちに、ぽろぽろと涙をこぼしていた。
「こんなの、嫌だ」
 おまえを、怖いなんて思いたくない。
「怖くないよ。俺は、怖くない。教えてやる。ちゃんと、教えてやる。我慢していた俺が馬鹿だったんだ。見えている傷なんて、良かったんだ。時が経てば消える傷なんて、気にすることなかったんだ。見えない傷のほうが、よっぽど深いって言うのに」
 浅木も、泣いているんじゃないかと栖坂は思った。でも、とても、静かな瞳だった。激情に流されているのではない、真摯な瞳。
「おまえの悪夢なんて、忘れさせてやる。暗闇も、誰かの手も、綺麗って言葉も、全部俺で塗り替えてやる」
 全てを思い出すたびに、怖い思いをしないように。
 浅木はばさりと制服のジャケットを脱ぎ捨てて、ネクタイをはずしながら電気を消した。栖坂がびくりと震えたのがわかるが、宥めるように抱きしめる。
「何も考えるな」
 耳元で、囁くように言う。栖坂はそれに、ただ頷いた。ジャケットを脱がされ、ネクタイを抜き取られ、シャツのボタンを一つ一つはずされる。その間中、額に、髪に、瞼に、頬に、鼻に、唇に、耳に、口付けられる。そうされているうちに、栖坂は自分の顔を思い出していた。ずっと、忘れていた顔を。
 唇がそっと首筋に落ちてきて、栖坂は思わず吐息を吐いた。
 大丈夫。これは浅木だ。口付けはこんなに優しい。そっと肩を、胸を弄る手は、こんなに温かい。
 シャツの隙間から手を入れて、はだけたその胸を見て、浅木はくっと唇を噛んだ。薄闇の中でもはっきりわかる、幾筋もの傷跡。手を這わすのが、可哀相なくらい、痛々しい跡だった。
 様子を悟って、栖坂が何か言うより早く、浅木は呟いた。
「どうして、もっと早くにおまえに出会えなかったんだろう」
 三ヶ月。たった三ヶ月前のことだ。
 馬鹿なことを言っている、と自分でも思う。でも、浅木はそれが悔しくて仕方がなかった。
 栖坂が、目を閉じたのがわかる。閉じた目から、また涙が零れ落ちた。
 浅木は、その涙を唇ですくってから、そっと傷跡に唇を這わせた。ゆっくり、丹念に、跡を追う。
 ズボンを脱がした、その後も、同じように傷跡を辿った。太ももに、一際ひどい傷があって、浅木の胸を締め付けた。
 どうして、こんなことができたのだろう。
 柔らかく、肌触りの良い、この肌に。
「とうとう見られちゃったな。びっくりした?」
 醜い傷跡を、浅木に晒したくなかった。ただそれだけで、触れたいのも、触れられたいのも、我慢していた。
「……びっくりしたよ。これだけ傷つけられても、光己は綺麗だ」
 浅木が、そう柔らかく笑う。
 もう、大丈夫だ。怖くない。浅木のことだけ感じていよう。浅木の声だけ、聞いていよう。
 栖坂はその笑顔にそう決心して、にっこり笑うと、浅木に口付けた。
 それが、次第に深いものになる。するりと背中を撫でられて、栖坂がびくりと震えた。ゆっくり、首筋に落ちてくる唇に、甘い息を吐く。すでに一度、全身に口付けられた栖坂は、それだけで反応してしまう。
「……おまえも脱げよっ」
 未だシャツもズボンも身に着けたままの浅木に文句を言うと、苦笑された。ぱさり、と音がして、裸になった浅木を見て、栖坂は息をのむ。
 服を着ていたときから想像できたが、バランスよく筋肉がついた、とても美しい肢体だった。羨ましいくらいに。思わず手を伸ばして触れると、再び苦笑された。
「がっつきたくなるから、今日はやめてくれ」
 囁きながら、覆い被さってくる。ベッドが、ぎっと音を立てた。
「ずるいよな、おまえ」
「何で?」
 するすると、手が色々なところを滑る。胸を舐められて、栖坂の背中がはねた。
「あっ……かっこ、よすぎ……」
「そりゃ、どうも」
 吸い付いたまま、くすくすと笑われて、栖坂はぐっと唇を噛んだ。でも、半ば頭をもたげていた中心を手で撫でられて、思わず声を漏らす。少しごつごつした、でも細くて長い指が、絡まっていると思うだけで、栖坂の頭はくらくらした。
「あさ……あさ、ぎっ……」
「色気ねー呼び方」
 耳を齧られる。それだけで、どくんっと血が集まるのがわかった。
「んっ……ずるいっ……て」
「ずるくないぞ。俺も十分煽られてる」
 浅木がそう言いながら、そそり立った分身を栖坂の太ももにこすりつける。生温かいその感触に、栖坂はさあっと全身を染めた。それに、浅木が小さく舌打ちする。
 ―――余裕がなくなるだろうが。
 そんなものがあったのか、と思うが、傷つけたくない浅木としては、栖坂を盛り上げるのを第一の使命としていた。それでも、握った手の動きを早めようとしたら、待ったをかけられた。
「俺だけ先にいかせて見ろ。二度とやらせねーぞ」
 目元を赤く染めながら、そう睨んだ栖坂に、浅木がごくりと喉をならす。
 ―――ずるいのはどっちだ。
「わかったよ」
 ため息を吐きつつ、サイドテーブルの引出しに手を伸ばす。そこからボトルを取り出すと、栖坂が呆れたのがわかった。
「おまえ、人のとこにいつのまに……」
「これは、ありがたーい頂きもんだよ」
「……誰から?」
 聞かなくてもわかる気がする、と栖坂は思いつつ、確かめるように聞いた。
「宮古先輩。賭けの提供者への謝礼だそうだ。これもな」
 そう言って、コンドームも取り出した浅木に、だろうな……と栖坂は脱力した。それを尻目に、浅木はすばやく栖坂の腰に枕をあてがうと、そのジェルをたっぷり手にとって、温めた。
「んっ……」
 とろり、とした感触に、栖坂が身を捩る。痛いか?と問うと、ふるふると首を振られて、浅木は自分を落ち着けるのが大変だった。普段の気の強さを知っているから、恥ずかしさに目を閉じて耐えている様子が、可愛い。
 ゆっくりと、指を出し入れする。途中ジェルを足しながら、根気強く緩めていく。指が二本、三本、と増やされて、栖坂はその異物感にぎゅっと目を閉じた。
「ふあっ……んっ」
 指をばらばらに動かされて、思わず声を上げた。
「やだっ、ん、あ……うんっ……あさ、ぎっ」
 甘ったるい自分の声に、栖坂がぐっと唇を噛むのを見て、浅木はそれをぺろりと舐めた。
「噛むなよ。おまえが辛いぞ」
 囁きながらも、指はずっと動いている。耳朶を甘噛みすると、ひっと喉がなった。
「くそっ……光己、挿れるぞ?」
 聞いているのかいないのか、栖坂はそれどころじゃない。指を抜かれて、それに嬌声を上げた。浅木も嫌だと言われても、止めることなど出来ないとわかっているから、コンドームを被せてジェルを塗ると、それでも慎重に、ゆっくりとそれをあてがった。
「ふ……っあ、あ」
「力抜けよ、光己」
 いくら指で慣らしたといっても、やはり狭い。浅木ははやる自分を叱咤しつつ、ゆっくりと、ゆっくりと身を沈めていった。栖坂が力を抜くように、その中心に手を伸ばして、それを愛撫してやる。
「あさ……ぎ」
「だから、色気ねーっての。……大丈夫か?痛くない?」
「平、気」
「動いていい?」
「っ聞くなよ」
 真っ赤な栖坂に、くっと浅木が笑うと、栖坂が声を上げた。狭いのにさらに締まって、浅木もすっと息を吸った。
「……光、己。締めんな」
「誰のせいだよっ」
 叫び声が掠れて、頼りなさにシーツをぎゅっと掴む。自分の内に浅木がいるのが生々しく感じられて、栖坂はどうしたらいいのかわからなかった。
 ゆっくりと、どうしてそんなに忍耐強いんだ、と文句が言いたくなるほどの緩やかさで動かれて、声が漏れるのを押さえられない。
「浅木っ、あさ、ぎ」
 緩やかなのは、腰の動きだけではなく、栖坂の中心を撫でる手の動きもまた緩やかで、栖坂は焦れる。早く開放して欲しくて、何度も名前を呼んだ。
 塗り替えてやる、と言われたその言葉が、嘘ではないと栖坂は知った。
 浅木のことだけだ。それしか、考えられなかった。
 夢の中で見た、大きな手も、こびりついて離れない、声も。痛みでさえ。
 全部、浅木になる。
 手を伸ばしたら、キスされた。
 動きがだんだん激しくなって、栖坂はただ声を上げた。目を閉じていたが、その暗闇も怖くなかった。そんなことがわからないほど、快楽の激流に流され、呑まれた。
「あさ、ぎ……」
 一段と動きが激しくなって、目の前が真っ白になった。
 しばらくして目を開けたら、浅木が心配そうな顔をしていた。それに栖坂がにっこりと笑って見せると、浅木もふわりと笑った。
「もう大丈夫だよ。俺、もう怖くない」
 するりと前髪を撫で上げられて、また笑う。
「さっき、俺、自分の顔思い出した」
 そう言ったら、浅木が泣きそうな顔をした。
「ありがとな」
 おまえに会えて、良かったよ。
 そう言った栖坂を、浅木はただ抱きしめた。何故だか泣いている気がして、栖坂はその背中を、ぽんぽんと叩いていた。


 気の毒だったのは、西寮生たちだ。夕飯に行こうと言う頃に聞こえてきた、秋姫の嬌声に、食堂に行きかけた生徒達は足を止め、数分の後には、再び部屋に戻ったりトイレに駆け込んだりと、すっかり夕食が遅くなってしまった。被害があったのは、特に三階と二階の寮生。階段真横の栖坂の部屋を通ってしか食堂にいけないのだ。もちろん、それらを不審に思った他の寮生達が上がってきて、同じ道を辿ったのは明白。
 もう、西寮ではやらないようにしてもらおう、と大庭が心に固く誓ったのは言うまでもなく。
「賭けは終了だな。あいつ絶対狙ってたぜ。大穴。誰も賭けてない日にやりやがった」
 と、悔しそうに言ったのは宮古だ。
「え?じゃあ掛け金と賞品は?」
「大穴のときは、本人にやることになってんだよ。まあ、浅木の目的は写真だけだろうが」
 やってらんねえぜ、と言った宮古の言葉は、きっと九重生の声を代表していたに違いなかった。


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