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la vison 第二話
01
遠く空の上から眺める日本は、緑も多いが平地には隙間なく街があって、ああ帰ってきたのだな、と周は思った。一本ずっと道だけが続いている、という景色をみない。
ぼんやりとそんな景色を眺めているうちに飛行機は難なく着陸し、途端、空を飛んでいた、という感覚は嘘だったのではないかと周には思えた。
迎えはいい、と言ったのは周だった。と言ってもさすがに帰国に際しての荷物は多かったが、そう言っておけば兄の尋由が来るだろう、とも思っていた。帰国便の連絡だけはしておいたのだから。
やはり、というか、スーツケースを見つけて税関をとおり、空港ロビーに出ると、尋由の姿を見つけた。一年ぶりでも、あまり変わらない凛とした立ち姿に苦笑する。変わることも大切だが、変わらずにいることもまた大切だ。それは、ヨーロッパで確認させられたことの一つでもあった。
「やっぱり来てくれたんだ。良かった、荷物が結構あってさ」
周が開口一番そう言うと、尋由はそれだったら始めから言えば良いのに、とくすりと笑った。
言いながら仕方ないな、と言う風に一番軽そうな荷物を持ち上げてさっさと歩き出す尋由以外には誰もいない。それを確認して、周は小さく息をついた。それから、スーツケースをがらがらと転がして後を追いかける。
穂積には来るな、と言ってあった。帰国翌日には会いに行くから、それまで待ってろ、と電話口で言ったときには、一瞬の間の後に笑ってわかったといわれて、穂積が何を考えたのかはわからなかった。ただ周は、どことなく気恥ずかしかっただけだ。どうせ会ってもすぐに穂積は仕事に、周は実家に帰らなくてはならないし、一年我慢していたのだからそれが一日伸びても同じだろうと、互いに思っていた。
同じなんかではない、と気付いたのは夜中近くだった。帰国祝いだと豪勢な咲子の手料理を食べ、久しぶりに尋由も交えて酒も飲み、上機嫌の両親が早くに潰れて、兄と苦笑しながら二人を寝かせ、明日も早いだろうから、と兄も寝室に追いやった後だった。周は自分も久しぶりの自室に戻って、寝ようと思った。
でも、目を閉じても寝られはしなかった。時差ぼけもあるだろうと思ったが、無性に、会いたかった。
―――俺は、お前が帰ってくる場所がここであってくれることを、本気で祈ってるんだ。
雪の日に、穂積がそう言ったのを思い出す。そのときは、なんて馬鹿なことを言っているのだろう、と思った。周には、そこしかなかったのに。
途端に、怖くなる。待っていてくれただろうか、と気弱なことまで考える。
こんなことだったら、迎えにきて欲しいと言うのだった、と周は思った。顔を見れば、きっと安心したはずだ。それだけで、良かったはずだ。
顔を見れば―――
一度そう思ったら、どうしようもなくなった。周はそろりと階下に降りて、電話の前に立つ。番号は、覚えていた。何度かドイツからもかけたから。でも、ここはドイツではない。会いたいと思えばすぐに会える距離にいる。
『はい』
眠っているだろうかと思いながらかけた電話は、はっきりとした声に答えられた。ああ、穂積の声だ、と周は思う。同時に、電話ではもう無理だとも思った。
「穂積さん……?」
『周か?今、家?』
「うん。あの、俺……」
言い終わらないうちに、迎えに行くから、と言う声が聞こえて、電話は切れてしまった。周は、しばらく呆然とそこに立っていたが、何度か穂積の言葉を頭の中で繰り返して、慌てて着替えに部屋に戻った。
馬鹿みたいに、胸がどきどきしていた。
落ち着こう、と思いながら何度か深呼吸をして、音を立てないように家を出た。ばれたら尋由に何を言われるかわかったものじゃない。
電話から考えれば、まだまだ穂積は来ないとわかっていたが、周は扉の前でじっと穂積が来るはずの道を眺めていた。まだ夏には少し早く、風が少し冷たい。
車の灯りが見えたのは、どれ位経ってからだったのか、周にはわからなかった。するり、と周の目の前に止まったその車に、躊躇なく乗りこむと、穂積がいた。
互いに、何も言わないうちに顔を寄せ合い、貪るようにキスをした。何か足りないものが埋め尽くされていくようで、周も穂積も夢中になった。まるで、水の中で空気を見つけたようだった。
「部屋に戻る」
と穂積が簡潔に言って、周も頷いた。あとはただ無言で、二人ははやる気持ちを抑えることに必死になっていた。
二度目の口付けも、穏やかには出来なかった。互いに服を脱がせあうのはもどかしすぎて、自分の服は自分で脱いだ。ベッドまで行ったのを、拍手したいくらいだった。
「もう、いいから。はや……くっ」
久しぶりだと言うのに、周は堪らなくなって、そう懇願していた。それを穂積は聞かない振りをして、丹念に後ろをほぐす。狭さがもどかしく、そして嬉しい。指でさえも貪欲に逃がさないとでも言うように、締め付けては奥へ奥へと誘っているようだった。
「永人っ。やだ、はやく、欲しい」
強請るような声に、穂積はごくりと思わず唾を飲み込んだ。周の中が、誘うようにうねるのがわかる。堪らなくなって、もう一度ローションを足すと、それを自分にも擦り付け、ゆっくりとその中に押し入った。
一瞬で、いくかと思った。周の中は熱くて、艶かしく動いていた。誘う、などという段階ではなく、喰らい尽くされる、と思うほどに。
「な……に?あっ、うそ、なにっ」
周は、無意識に動く自分の内壁に、ひどく困惑していた。そこが、穂積の全てを感じようと必死に動いているのがわかる。根元から、先まで、丹念にうねりをあげて伸縮する。何かそこが自分とは別の生き物のようでいて、味わうような感覚だけはきっちりと伝わってくる。それが、怖かった。
「くっ……周」
穂積が珍しく余裕のない声を上げて、ずるりと腰を動かした。周はそれに悲鳴をあげる。うねるように、絡め取るように、自分の中が穂積を絞り上げるのがわかる。それがあまりに勝手に行われていることに、周はもうわけがわからなくなっていた。
心臓が、そこにあるようだった。どくりどくりと、穂積を包むそこが疼いている。
いつもならゆるゆると抜き差しされるそれは、今夜ばかりは容赦なく周を突き上げる。それに悲鳴をあげながら、周は自分がおかしくなったのだと思った。欲しくて欲しくて、堪らなかったものがようやく与えられて、嬉しさにどこか壊れてしまったのだと。
結局、とてもあっけなく、本当にひどくあっという間に、二人は達した。周に至っては、前を触られることもなく。
「周?」
こんなセックスは何年ぶりだろう、と穂積は苦笑しつつ、シーツを頭から被って自分に背を向けてしまった周に声をかけた。そっとそのシーツを剥がすと、一瞬全身真っ赤になった周が見えたが、すぐにまた白い布に隠されてしまった。
「なんなのあれ」
しばらく頭らしきところを撫でていると、ぽつりと呟いた声が聞こえた。ひどく掠れていて、それがまた誘うようだった。二人とも、いまだ満足していない身体を持て余している。
「怖かった……」
ようやくもぞりと顔を出すが、振り返りはしない。そんな勇気が、周にはなかった。
「俺を待っててくれたってことだろ?」
嬉しかったけど、と穂積が囁いたら、また耳まで真っ赤になった周は、ずるりとシーツに潜り込もうとする。
「こら、もう出て来い」
「だって」
「もう満足?俺はまだ足りない」
「あのなあ」
呆れるように言いながら、やっと周はちらりと穂積を見た。それから、ふっと笑った。
「なんだ?」
「会えるだけでいいと思ったのにな」
そもそも、明日まで待っても同じだと思っていたのだ。それがこのざまで、周は可笑しかった。
「お互い様だな」
「そう?」
「声聞いたら駄目だった」
にやり、と穂積が笑う。周はそれに安心するように、腕を伸ばして穂積の首に捲きつけた。
「俺も足りない。一年なんて短いと思ったのに」
「長いだろ?」
「そうだね。長かった……」
唇を寄せ合う。
それが重なる寸前、周が何かを思い出したように口を開いた。
「忘れてた」
「なんだ?」
「……ただいま」
思わず、穂積の顔が綻んだ。それから、おかえり、と言いながら、唇がしっとりと重なった。
ああ、帰ってきたのだと、周はようやく実感した。
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