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コレガ僕ラノ進ム道
02
映(あきら)は隣で小さくため息を吐いた藤吾を盗み見た。さっきからちらちらと見ていたところ、今日はハイピッチで飲んでいる。確かあまり酒に強くない、と藍川は言っていなかったか、と心配になる。映と藍川は高校の同級生で、そのときにはお互いの性癖も知らず、顔見知りという程度だった。それが社会人になってストレスなどから少々自棄気味に訪れた男向けのバーで、藍川がバーテンをしていたのだ。お互い驚いたが、すぐに仲良くなった。
映もまた、藤吾と同じように「珍しい好み」の持ち主だった。外見とは裏腹に、タチ専門で、それも相手はできればガタイのいい男が良かった。でも、寄ってくるのは映が抱けない女か、映を抱きたい人間ばかりで、会社でもそれとなく誘われれていい加減切れたのだ。と言って、こう言ったところでも声を掛けてくるのは専ら同じタチの人間で、ようやく相手を見つけてホテルに行っても、良くてリバ、酷いときは「脱いだのを見て気が変わった」と無理やり抱かれそうになったこともある。もちろん、そんな輩は殴ってホテルに置き去りだ。
この間の奴はマゾだったな……。
映は好みは珍しいかもしれないが、行為そのものは「普通の」セックスが好きだった。痛くてもいいから突っ込んでくれ、なんて言うのは論外だ。
藤吾がまた、グラスを煽る。酔っているのだろう、目元がだいぶ赤く染まっていた。それに全身の血があらぬところに集まりそうになって、映は慌てて目を逸らす。
初めて藤吾を見たのは、ずい分久しぶりにザングに飲みに来たときだった。カウンターで静かに飲む藤吾に、誰かが声をかけていた。ちらりと見えた顔はものすごく困っているようで、映はすぐにでも間に割って入ろうかと思ったが、藍川がさりげなく相手の客を追い払った。
珍しい、と映は思った。藍川は誰にでも優しいようで、実は冷たい。客だからと言えば確かにそうかも知れないが、場所が場所なだけに、そう言った駆け引きにはあまり口を出さないのだ。それなのに、すぐに客を追い払ったかと思えば、ほっとため息を吐いた相手に笑いかけてまでいた。
それからは、フロアでも斜めからカウンターの藤吾が見える位置に坐って観察をしていた。そうして見ていれば、藍川が明らかにその客を贔屓にしているのがわかった。相手も相手で、藍川には気を許しているのか、はにかむような笑顔を見せる。
その笑顔が堪らない。
映はそれとなく藍川に藤吾のことを聞いてみたのだが、藍川は目を眇めて、でもものすごく楽しそうに笑っただけだった。好みさえあえばねえ、と呟いて。
気になっては見ても、映は迷っていた。自分の性癖の特殊さは嫌と言うほど知っている。でも、タチ専門の藍川も狙っているなら、もしかしたらリバOKなのかもしれない。最悪、それでも良いかな、と映は思った。
そうして、ずっとチャンスを伺っていた。あの、隣の席に坐る機会を。
そんなことでやっと話が出来たというのに、藤吾が縋るような目を藍川に向けたとき、映はものすごく、嫉妬した。そんな目で他の男を見るなと、怒鳴りたかったくらいだった。藤吾は可愛い。映にしてみれば、それこそもう「泣かせてみたい」と思う相手だった。体格の好みもさながら、どこか謙虚で酒に弱いなんてところも好みだった。
話してみれば穏やかで優しく、ますます映は藤吾に惹かれた。この際、リバでも我慢しようかと真剣に悩んだ。
本音は、絶対受けたくないのだ。ネコ専門だと騙されて結局リバに持ち込まれたときも、覚悟を決めて受けては見たが、冷や汗が止まらなかった。少しも良くなんてなく、まるで拷問されているような気持ちだった。
藤吾ならもしかしたら、と思ってみても、自分のそれが根深いところで巣食っているのはわかっている。
優しいのなら、きっと藤吾は後悔するだろう。結局はそうやって藤吾を傷つけるのは、嫌だった。
いっそ友達で、なんて言うのは誤魔化しにしか過ぎない。現にここ最近の夜のおかずは、藤吾なのだから。
ウイスキーをぐいっと飲む。こう言うときには、酒に酔えないって言うのは不便だな、と思いながら。
店に入ってくるだけで注目の的になるような映が、どうして自分を気に入ったのか藤吾には少しもわからなかった。あれから、カウンターに坐っている藤吾を見つけるとすぐ、その隣に坐るようになったのだ。気弱で安全だとでも思われているのかもな、と藤吾は考えた。それもあながち嘘ではない。藤吾は映を抱くことは絶対にないからだ。
または、と思って藤吾は表情を暗くした。
藍川から何か聞いたかもしれない。藍川はそんな風に人のこと、それも藤吾が秘密にしているようなことを簡単に他人に喋ったりしないとは思っている。でも、二人がとても近い関係だとしたら―――。
藤吾はそこまで考えてその想像を追い払った。考えても仕方がないことだ。そうであってもなくても、自分が映を手に入れることなどできるはずがないのだから。
映は驚いたことに藤吾と同じ年で、服飾系の会社に勤めているのだと言った。若手有名ブランドのそのビルは藤吾も知っていて、顧客の一つだったな、と思った。
「年で驚かれるなら、藤吾だって一緒だろ。俺より五つは上かと思った」
映はずばずばと物を言う。それがあまりに屈託ないので、あまり怒る気が起きない。それに、さすがに初めての相手にはきちんと接しているところを見ていれば、少しは気を許してくれているのだろうか、と藤吾は思っていた。それに同じ年だとわかった途端に、名前を呼び捨てられた。
ちょっと嬉しい。でも、少し切ない。
「ひどいな……そりゃあ老けてるけど」
「違うって。そう言う意味じゃないって」
慌てたように言う映が可笑しい。藤吾はくすりと笑った。
「あ、やっと笑った」
その言葉に映を見ると、それはそれは愛らしく優しい顔をしていた。
誤解しそうだ。いや、例えそうでも、今度は映が誤解をしていることになる。
藤吾に映は絶対抱けない。途中までは出来ても、挿れるなんて、とんでもない。
「藤吾って人見知りするよな?藍川には笑いかけるくせに、俺には全然っだもんな」
にこにこと機嫌よく映は言うが、藤吾はそうかな、と呟いただけだった。
「そうだよ。……笑ったら、可愛いのに」
え、と藤吾は思わず固まった。
可愛い。
可愛いって、どいうことを言うんだったか、と馬鹿なことまで考える。
それから、ばばばっと全身が赤くなったのがわかった。たぶん、耳の先まで真っ赤だろう。バーの照明は薄暗いからわからないだろうが、それでも藤吾は口元に拳を当てて映を見ていた。
映はその藤吾を、驚いたように見ていた。大きな目が、さらに大きくなっている。緩く開かれた唇が色っぽい、と藤吾は思った。現実逃避だ。驚いた映に、机に突っ伏してしまおうかと思った位、藤吾は恥ずかしくて堪らなかった。笑ってからかうなと言うとか、男に可愛いはないだろう、とちょっと眉根なんか寄せてみるとか、するべきだったのだ。
「いや、あの……か、帰る」
どうにもならなくなったとき、藤吾はいつも逃げる。言い訳や誤魔化しの出来る口を持っているわけでもないから、とにかくその状況から抜け出すにはそれが一番なのだ。
「え、ちょっと、藤吾っ」
背中から、焦ったような映の声が聞こえたが、藤吾はそれどころではなかった。ただただ馬鹿だと自分を罵りながら、外に飛び出した。
火照った頬に、夜気が気持ちがいい。それでも昼の温かさを残していて、もうすぐ夏が来るのだと藤吾はぼんやりと空を見上げた。星なんか、見えない。ただ月だけが、光っていた。
どうかしたら、泣きそうだった。
ぱたりと閉まったドアを映は呆然と見ていた。なぜ藤吾が逃げたのか、イマイチわからない。
それにしても。
あれは反則だろう、と映は深々とため息を吐いた。追いかけなかったと言うより追いかけられなかったのは、それで捕まえたら最後、自分が何をしでかすか非常に不安だったからだ。そのままホテルに連れ込んで無理やりでもやりかねない。
真っ赤だったな、と先刻のことを思い出す。耳の先まで真っ赤になって、目が困ったようにきょろきょろと動いていた。その前の笑顔にもやられたのに、ダブルパンチだ。あれは下半身に非常に悪い。
「いじめるなよ」
まだほとんど飲まれていないカクテルのグラスを片付けながら、藍川がぼそりと言った。
「……いじめてないだろ」
言ってはみたものの、藤吾はこの藍川の前ではかなりリラックスして笑顔を見せる。それを考えると、自分はもしかして迷惑だろうかと映は思ってしまうのだ。
だからって、藍川にみすみすこのまま、藤吾を渡すのも嫌だった。
本当は、どんな手段を使ってでも、手に入れたかった。
「まあ、壮絶だったな。その手の奴らには垂涎ものだった」
藍川が相変わらず低い声でぼそりと言う。思わずぎっと睨もうかと映は思ったが、見上げた顔は思ったより真剣で、文句の言葉も出てこなかった。
「あれでこの辺うろついて、平気だと思うか?」
それもあの性格だ。同じような体格か、藤吾よりもっと体格のいい男なら、力ずくでもやれるだろう。
映はすっと立ち上がった。それから適当に札をカウンターに置くと、何もいわずに店を飛び出した。
店の中では藍川が、やれやれと少し残念そうにため息を吐いたことも知らずに。
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