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花の咲く頃

01
「だからっ。大丈夫だって言ってるだろ?おまえ、俺が負けるとでも……」
「勝っても負けても、絶対目をつけられる!そうしたら食われるだろっ」
「誰がそんなヘマするかって言うんだっ。だいたい、どうして俺がまだ話してないその話をおまえが知ってるんだよ!」
「近所で噂になってるんだよっ」
「ああそう。また奥様方に色目使って色々情報収集してるってわけか」
「誰が使うか、そんなもん。だいたい、こういう話を奥様方が知ってるわけないだろっ」
「じゃあ何か?可愛い男の子でも誑しこんだ?」
「噂だって言っただろ。だいたい、子供に好かれるのはおまえの方だろうが。この間だって抱きつかれて……」
「おんぶとかだっこの域だろそれはっ。何でもやらしー目で見るなよ」
「最初に言い出したのはおまえだろ」
 万年春のカバーフィールドの中は、今日も天気で平和だ。お隣さんのいつもの喧嘩を聞きながら、俺は小さくひょっこりと出たオレンジの木の芽に、ちょろちょろと水をかけていた。この間初めて食べたのだ。もうびっくりするほど美味しくて、中に入っていた種が少しばかり緑色の芽を出していたから、狂喜して庭に植えてみた。本当はあんまり期待していなかったのだが、ついこの間、可愛らしい芽が土から顔を出した。それがあまりにも嬉しくて、隣のカイ兄ちゃんに抱きついてしまった。それをきっと、ホン兄ちゃんが見ていたのだろう。おんぶにだっこの域……たしかにそうだな。別に色事を期待したわけじゃないし。
「キイ、肉じゃが作ったんだけど、ちょっとお隣さんに持っていってくれない?」
 ミリアム母さんが、窓を開けて顔を出した。隣の喧嘩が聞こえているのだろうに、俺にそんなことを頼む。まああれは、日常茶飯事だからなあ。母さんなんて、微笑みながら「相変わらず仲が良いわねえ」なんて言ってる。
 俺は「はあい」と返事をして、ついでにと周りの花にも如雨露の水をばら撒いた。花と言っても、母さんがこっそり道端なんかに咲いているものを移し変えたものだ。俺には雑草なんだか花なんだかさっぱり。
 手を洗ってキッチンに行くと、鍋ごと肉じゃがを渡された。こっそり中を覗くと、僅かだが肉が入っている。俺は思わずごくりと喉をならした。肉だよ肉。どれぐらい食べていないんだろう。
「こら。あんたの分はちゃんとあるんだから、つまみ食いしないでね」
 母さんがこつりと頭を叩いた。わかってるさ、それぐらい。大体、この肉自体お隣さんからの貰い物だ。それを肉じゃがに料理して、お返しって訳だ。何しろあの二人、あんまり料理できない見たいだし。
 俺がそれを持って隣の家の玄関を叩いた頃には、口喧嘩は終わっていた。かえってしんと静まり返っていて、俺は嫌な予感がする。それでもこれを置いてかえらないうちは自分の肉にもありつけない。仕方なく、なーんにも知らない振りをして、思い切りどんどんとドアを叩いた。ついでに、「カイ兄ちゃーん。肉じゃがのお裾分けー」と叫ぶ。
 ばたばたと何やら音がして、少し顔を火照らせたカイ兄ちゃんが出てきた。まあ、朝だからね、ちょっとぐらいシャツの襟元が乱れててもね、何も言わないよ。朝って言っても、もうお昼近いけどね、それでもね。
「肉じゃが?!肉じゃがってあの肉じゃが?」
 あのって、それ以外に何かあるんだろうか、と俺は首を傾げた。カイ兄ちゃんはまるで子供みたいに喜んで、きらきらと目を輝かせている。
「うん。母さんがいつも貰い物してすみませんって」
「そんなの全然構わないのに。ああでも、まともな料理だよ!ちょっとほら、ホン、肉じゃがだって!」
 あまりの喜びように、一体二人はいつも何を食べているのだろうか、と思うのだけど。まあ、カプセル食ですませちゃってそうだよなあ。
 ホン兄ちゃんが少し不機嫌な顔を出す。それから「いつも悪いな、キイ」とそれでも大人らしくお礼を言ってくる。ああやっぱり、お楽しみのところをお邪魔してしまったのだ。そう言えば、昨晩肉が届いたってことは、きっと昨日まで仕事をして忙しかったんだろう。
 俺はこの二人が何をしているのか、実は知らない。カイ兄ちゃんはたぶん在宅の仕事をしている。その仕事部屋には、一度も入ったことはない。立ち入り禁止なんだ。寝室もだけど。
「ご飯あったっけ?」
「いらねーんじゃないの?酒飲めば」
「そんな。せっかく作ってくれたのに、つまみなんて駄目だろ!肉じゃがだからさ、やっぱりご飯!」
「肉じゃがだから酒、だろ。最高のつまみじゃないか」
 ホン兄ちゃんがそう言って、ひょいっとカイ兄ちゃんの手から鍋を取り上げる。
「あ、お鍋は後でいいよ。また取り来る」
「ん?そうか。なら持ってく。ありがとな」
 ひらひらと手を振られた。帰れってことだね。まだ諦めてないんだね、ホン兄ちゃんは。
 カイ兄ちゃんがその後を嬉しそうに追いかける。肉じゃがを食べられると思っているんだろうけど、甘いね。きっとその前に自分が食べられちゃうんだ。
 俺は赤く綺麗なその髪が揺れるのを見ながら、こっそり笑った。
 
 
 二人がこの街に来たのは、半年ぐらい前になる。薄汚れた、悪臭漂うようなこの街には似合わない、綺麗な二人だった。
 そう、俺は初めて二人を見たとき、人間じゃないと思った。同じ人種には思えなかったんだ。
 黒い長い髪を無造作に束ねるホン兄ちゃんは背も高くて、すごく整った顔をしていた。そして、赤い髪のカイ兄ちゃんは、色白で印象的な灰色の瞳をした、繊細な顔をしていた。その二人が並んで立っていたら、絶対目立つくらいにカッコイイ二人だった。それなのに、二人はひっそり目立たぬように、暮らし始めた。最初の頃は、ほとんど外に出てこなかったし、出ても夜に数度どこかにこっそり行っていただけだ。買い物もほとんどしていなかったから、その頃は本当にカプセル食ばかりだったんだろう。
 最初は、みんな怖がっていた。ホン兄ちゃんは顔が整いすぎていて、無表情だと今だってものすごく怖い。カイ兄ちゃんは優しいんだけど、その頃は本当に滅多に外に出てこなかった。まあ、この街の中には怪しい人間なんてごまんといるから、そのうち気にしなくなったけど。自分たちに被害がなければ別にいいんだ、俺たちは。
 しばらくして、カイ兄ちゃんが外を出歩くようになった。あの繊細で綺麗な顔でにっこり笑われると、俺たちはなんだか「天にも昇る気持ち」になっちゃって、すぐに子供たちのアイドルになった。ホン兄ちゃんも少しずつ警戒を解くように笑うようになって、こちらはお母さんやお姉さんたちのアイドルになった。
 だいたい、二人は見た目を裏切る性格をしてる。ホン兄ちゃんはまあ、ちょっと冷酷かなってときなんかは顔に似合ってるんだけど。カイ兄ちゃんは、繊細なんて顔だけ。ぽんぽん物は言うし、子供と一緒になってふざけてくれたりするし、実は結構腕っ節も強いみたいだし。そのカイ兄ちゃんのことになると、冷静沈着、大人なホン兄ちゃんが、一変する。
 あからさまに嫉妬したり、むくれて見たり、拗ねてみたり。実はちょっと可愛い。
 というわけで、二人の関係は誰も何も言わないうちに、暗黙の了解、知れ渡っていた。それでもホン兄ちゃんの怖さを知らない輩が、ときどきカイ兄ちゃんにちょっかい出すみたいだけど。それだってカイ兄ちゃんは一人でなんとか出来ても、わざとホン兄ちゃんを怒らせたりする。そういうのは、お子様な俺にはちょっとわからない。
 でも、お子様な俺でも、二人の秘密を知っている。
 カイ兄ちゃんは、知らないと思っているだろう。ホン兄ちゃんは、わからない。あのとき、目があった気がするから。
 どうみてもアジア系の見た目をしているホン兄ちゃんは、名前の響きもあって中国系だとみんなには思われている。切れ長な目も、それを少し助けているんだろう。
 でも、俺は知っている。ホンというのは、本当の名前じゃない。
 母さんが仕事で帰らなかった夜。俺はお隣さんに夕食を持っていったついでに一緒に食べて、いつの間にか眠ってしまった。あまりに美味しそうにホン兄ちゃんがビールを飲んでいるのを見て、手を出したのだ。その辺については、カイ兄ちゃんよりホン兄ちゃんの方が寛容だ。苦くて不味くて、その上、たったそれだけで気持ちよくなって眠ってしまったのだった。あれは、一生の不覚だ。でも、そんな風にいつもよりずっと早い時間に眠ってしまった俺は、夜中にふと起きた。起きてしまったら、すっかり目が覚めてしまった俺は、とりあえずトイレに行こうと布団を抜け出した。いつのまにそんなところに寝かされていたのか、リビングにぽつんと布団があった。もうそれを淋しいと思うような年でもないけど。
 それで、そろそろとトイレに向かったときに、聞こえてしまったのだ。カイ兄ちゃんの艶やかな声が。聞いたんじゃなくてね。聞こえちゃったんだ。この辺はちゃんと主張しておかないとホン兄ちゃんに怒られるからね。
 何をしているか、なんて見なくたって分った。こんな街に住んでいて、いくらまだ十になったばかりでも純情でなんていられないからね。
 それでも、好奇心でちょっと立ち止まってしまった。それから、ドアから明かりが漏れているのに気付いて、思わず覗いてしまったんだ。
 綺麗だった。
 長い髪を解いたホン兄ちゃんも、全身ほんのりと赤く染まっているカイ兄ちゃんも。
 セックスってもっと生々しくてグロテスクだと思ってたけど、綺麗な二人がすると綺麗なものなんだ、なんて考えた。
 そのときに、カイ兄ちゃんが何度も呼んでいたんだ。
「すおう」って。
 どこか異国の言葉かと思ったけれど、それがすぐホン兄ちゃんのことを言っているのだと俺はわかった。なんとなく、その方がホン兄ちゃんに確かに似合ってる気がしたんだ。
 俺はついつい熱心に見てしまったのだけれど。
 ふいっとホン兄ちゃんがこっちに視線を向けて、固まってしまった。艶やかなのに、鋭くて。なんだかものすごく綺麗な悪魔に魅入られた気がして。
 行け、と口を動かされて、だから俺は、頷くことも出来ずに、その場を後にしたんだ。
 後でこっそり、物知りの知り合いのおじいちゃんに聞いたら。
 蘇芳というのは色の名前だ、と教えてくれた。少し黒紫がかった、赤い色。そして、日本人は、好んで色の名前をつけるのだと。
「キイ、ちょっと買い物頼まれてくれないかしら?」
 お隣さんから帰ってきて、久しぶりの肉を堪能していた俺に、母さんが声をかけた。俺は頷くと、急いで残りのご飯を掻きこんだ。ちゃりっと二枚、硬貨が置かれる。100円玉が二つ。二時間か。
 俺はそれを掴むと、じゃあ行ってくる、と家を出た。
 久しぶりだな、と思った。


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