椿古道具屋 第三話
枕の神さま 01
「10万……いや50万出すよ」
男は店に入ってきたときから胡散臭かった。ぴしっとした背広を着ているし、靴も磨かれた革靴だし、髪の毛も綺麗に撫で付けられている。無精髭が生えてい
るわけでもない。腕時計も高級そうだ。そうした見た目だけのことで言えば胡散臭いというには失礼かもしれないが、爽やかさはなかった。言ってしまえば、虫
が好かない、というのが最もぴったりだと史朗は思う。その言動は、高校生である史朗のことを馬鹿にしているのがありありと見えていた。
「ここにあるものは売りものじゃないんで…… 」
「でも、店はしていたよね? 今は閉まっているのかも知れないけど、君は店番なのかな? お父さんかお母さん、いないのかな」
話にならない、という表情だ。
でも、ここは史朗が祖父から譲り受けた店だ。店のものを動かす権利は両親にはない。そもそも史朗にもそんな権利があるのか不明だが。
「いません。とにかく、ここのものは売りもんじゃないんで」
史朗の口調も自然とぶっきらぼうになる。
最初から、男は強引だった。休業中、の張り紙を全く無視して、ためらいなく戸を開けたのだった。神様たちがうるさいので、史朗は時々、晴れた日に店の
シャターをあげる。少しだけ、空気の入れ替えをするのだ。骨董品なんて、薄暗い蔵の中に仕舞われているものだと思っていたが、どうやら神様たちにはそれが
窮屈らしい。「たまには新鮮な空気が吸いたい」と文句を言われるのだ。
それを見計らっていたかのように、男は店に入ってきた。
男が入ってきたとき、なんだか一段とひんやりとした空気が店に入ってきたような気がした。新鮮な空気と言うより、なんとなく背筋が気持ち悪くなるような
感じだった。
男は店に入ってきたかと思ったら、机の上に飾ってあった、塗りの箱枕を手に取って、言ったのだ。「これを売って欲しいんだが」と。
最初は5万円だった。もちろん、史朗に価値がわかるはずがなく、ともかくも「売り物ではない」と繰り返した。すると男は、値を上げてきたのだった。
漆塗りの箱枕には、金色で月と薄の絵が描かれている。地の色は赤といえども派手さはなく、所々漆も金もはがれているから、それほど高価なものとは思えなかった。
「困ったな、いつ来たら会えるかな?」
いつ来ても会えない。そう言っても、男は納得しないだろう。
「ここは閉店してるし、ものは売らない。お引き取りください」
ふいに聞こえてきたのは、凪の声だった。男の後ろ、戸に寄りかかって男を睨むように見ている。
「なんだ君は」
「そこの店主の友人です。店主が売らないと言っているのであれば、売らない」
「店主? この子は高校生じゃないか」
「その高校生相手に10万だ50万だと言っているわけだ。怪しい人がいると、警察にでも相談しましょうか?」
凪は携帯を片手で弄びながら、男に近づいた。いつもながら、凪は堂々としているし、怯まない。男が初めてたじろいだ。その手から箱枕を取り上げ、凪は男
を出口へと促した。
男は不満そうな顔をしながらも、促されるまま出口へと向かった。「ガキじゃ話にならん」と捨て台詞を吐いていったが。
史朗はほっと肩を落とした。
「凪、ありがと」
史朗がお礼を言うと、凪は肩を竦めて、箱枕を史朗に渡すと、部屋にあがった。後を追いかけると、部屋にはコーヒーと羊羹があった。神様たちだ。
「豪華だなあ」
史朗一人のときには、こんなおやつは出てこない。いや、もしかしたら先ほどの顛末のご褒美だろうか。
「凪さまさま、だな」
「なんだよ」
「さっき、男追い返してくれたからさ。俺、ちょっと迷ったっていうか……。俺が決めていいことじゃないっていうか、箱枕様はどうしたいか、わからなかった
からさー」
売り物ではない、というのは半分は嘘だ。「しかるべき人」にならば、売っても良いのだろう。母親に聞いたところ、祖父もときどき商売をしていた痕跡があ
る。古道具屋は道楽だとは言っていたが、ここの維持費ぐらいは稼いでいたようだし、ときどきは、大金も入っていたらしい。
凪は笑って、コーヒーを飲んだ。「お前が胡散臭いと思ったなら、間違っちゃいないだろ」
そうかなー、と史朗は羊羹をぱくりと食べた。ねっとりとした凪好みの羊羹だ。それに濃いコーヒーを合わせるのが好きなのも凪だ。神様ってなんでも知って
るんだなー、と思う。
凪は美味しそうに羊羹を食べていた。この間、部屋から出てこなかったことなどまるで忘れたような顔をしている。いや、忘れているような顔をして、その話
をすることを拒絶しているのだ。
「ところでさ、凪はなんで今日ここに来たわけ?」
「本を読みに」
「はあ?」
「静かだからいいんだよ」
そう言って、鞄から本を取り出した凪は、本当に本を読み出した。いつの間にか障子も開けられ、冷たい風が通り過ぎる。ひんやりとした風には首を竦めたくなるが、ここも少し空気の入れ替えは必要だ。
確かに、漫画とか読んでも気
持ちがいいかも、と史朗は思った。勉強をしろとうるさい両親もいない。
「あのさ、どう思う?」
本を読み始めたことはわかっていながら、史朗は凪に疑問を投げかけた。凪は本から顔を上げずに、答える。
「何が?」
「さっきの話。50万だって」
「だから?」
「胡散臭いよなー」
ごろりと寝転がると、障子の影に便利水の神様たちが見えた。みんなでこちらを覗き見ている。何? と首を傾げてみせると、便利水様たちも首を傾げる。遊
び相手を探しているだけのようだ。
「俺も胡散臭いと思うけど。聞いてみれば?」
「誰に?」
「誰って、神様たちに、さ」
「ま、私も胡散臭い男だと思ったよ。でもね、枕様に聞いたらいいよ。知り合いかもしれないし」
そう言ったのは、糸巻き様だ。凪と史朗に、お茶を入れてくれている。出てきたときから急須を持っていて、羊羹にコーヒーというのがわからない、とぼやい
ていた。
言われて、史朗は塗りの枕を店から持ってきた。きちんと見ると、小さな取っ手がついていて、どうやらそこが引き出しになっているらしい。
「あれ?これ……」
「これは香枕です。ここに好きな香を入れて、眠りにつく」
説明をしてくれたのは、菖蒲蕎猪口様だ。凪がいると、市松蕎猪口様はあまり現れない。娘神様たちに受けがいい凪をライバル視しているのだ。
「香って、線香みたいなやつ?」
菖蒲蕎猪口様の方眉がひゅっとあがった。史朗は先生に怒られたときのような気持ちになった。
「まあ、間違ってはおりませんが……」
なんだか情緒がないですね、と言われる。情緒なんてものを史朗に求めるほうが間違っている。
「香……これ、香枕ってことか」
神様との会話が聞こえていない凪が、史朗の言葉を拾って呟いた。さすがですね、と菖蒲蕎猪口様が言う。
「凪はさ、なんでそんなもん知ってんだよ」
「曲がりなりにも骨董屋の店主をしてるなら知ってていいと思うけど?」
質問に答えてない。史朗はむくれた顔で、取っ手を引っ張った。
「あれ? 開かない」
引き出しは、ぴくりとも動かなかった。まるで接着剤で完全に止められてしまったようだった。
「無理に引っ張るんじゃないよ。香枕は気まぐれな上に気難しい」
糸巻き様は香枕様を知っている口ぶりだ。菖蒲蕎猪口様も「確かに」と苦笑するだけで否定しない。
「気まぐれ……」
「そう。だから話題になってる今も出てきやしない」
困ったもんだねえ、と糸巻き様がため息をつく。ため息をつきたいのは史朗だった。出てきてくれないと、香枕様の意見が聞けない。
「ま、今晩寝てみるんだね。枕って言うのは、寝るためにあるんだからさ」
その昔、人々は「夢告げ」なるものを頼りにしていたらしい。それはそれは霊験あらたかで、人々は夢告げをする枕を拝んでいたらしい。と言うようなこと
を、史朗はその夜、香枕様に延々と講釈を受けた。おかげで眠った気がしない。話半分に聞いた方がいいんだろうな、というのが史朗の率直な気持ちだった。なにしろ、神様たち
は、神様のくせにやたら自慢話ばかりする。そうしないと、敬ってもらえないとでも思っているかのように。
香枕様は、娘神様だった。品の良い、派手ではないが質の良さそうな薄紫色の着物を着ていて、まるで時代劇に出てくるどこかの藩のお姫様のようだった。髪
の毛も綺麗に結い上げ、ときどきわざとらしく揺らす簪は銀色で、薄いピンク色の玉や藤の花を模した飾りがついていた。その姿で、史朗の枕元に行儀よく
座っていた。
「史朗様、私を50万や100万で売ろうなんて、思わぬよう」
人々に夢告げをするだけあって、香枕様の口調はどこか高慢だ。本当の、お姫様のように。
「えーと、じゃあ、いくらならいいんでしょうか?」
聞くと、大きなため息で返された。馬鹿にしているため息だ。どうやら、聞くことを間違えたらしい。
「史朗様では、やはり不安ですわねえ。決めました。やはり、斎庭のご子息にいたします」
「はい?」
「私がどのようにしたいか、凪様にお話しいたします」
簪が、しゃらりと揺れた。