椿古道具屋 第三話
枕の神さま 02
香枕様の話を聞いて、ほかの神様たちは漏れなく呆れたようなため息を吐いた。
「出たわね、香枕ちゃん。いつもの手よー」
「ほんと、面食いだからね」
「ミーハーだしー」
こちらの娘神様たちははっきり言って女子高校生だ。
「つまりはー、凪様と寝たいってことでしょー」
きゃーと嬌声があがる。史朗も思わず赤くなってしまった。寝るって……かなり直接的だ。しかし、確かに香枕様はそう言った。「枕ですもの。寝ていただけ
なければお話しできませんわ」と。
にこりと笑った顔は清楚だったが、少しばかり背筋がぞっとしたことも本当だ。基本的に、神様は自分のことしか考えないし、その欲望には忠実だ。
とはいえ、ここは凪に頼るしかない。実はあの男は、あの後も何度か店に来たらしい。面倒で史朗はシャッターを下ろしたままにしているが、神様たちの噂
話によると、一日に一度は来ているようだ。そうまでされると、やはり気になる。
「それで、寝ろって?」
凪は肩を竦めて、神様と同じような呆れた目で史朗を見た。学校帰り、史朗が凪に電話をしたところ携帯には通じず、バスの中とメールが来たので、バス停で
落ち合った。二人とも、なんとなく神社の方向に歩いている。
「だってさー、俺じゃだめだって言うから」
ようは香枕様の選り好みだ。仕方ない、と史朗は思う。
「それにしてもあの親父、あれから一週間ずっと来てるってことか……」
「らしいよ。俺もこの間言ったとき鉢合わせしそうになった。30分くらいうろうろしてて、まるっきり不審者だよ」
それは立派な不審者だろう、と凪が言う。軽い口調ではあったが、目つきは鋭かった。
「あの香枕、出所はわかったのか?」
「うーん、じいさんが一応は記録残してるけど、うちにきたのは10年くらい前で、別の古道具屋から買ったらしい。それもふらっと入ったところで、そこでい
つも何か買ってる訳じゃないみたいだし、ネットで調べても今はそんなお店があるのか分からなかったんだよな」
「店で買った? じゃあ、もとの持ち主は分からないってことか」
「そうなんだよなー。ときどきそう言うのがあるみたいで。分かってれば、名前まで書いてあったりするけど、何もなし」
金額も書かれていたが、1万円を切るほどで、高いものではなかった。史朗たちにとっては高い買い物だが、もしも骨董品で価値があるものならば、もっとす
るだろう。
「あ、そう言えば、煤けていたため安価で購入、とか書いてあった」
「煤けていたからか……気づかなかったな」
「俺も。まあ綺麗にしたのかもしれないけど」
香枕様のお姫様然としたすました顔を思い出すと、もし煤けていたのなら、少々可哀想になる。
その夜、椿屋で改めて香枕を見てみると、確かに少し焦げたような後があった。夢の中で見た娘の着物の裾も、焦げていたと凪は言う。凪が話す香枕様は確か
に史朗が見た香枕様だが、裾が焦げていたかどうかは思い出せない。きらびやかな印象しかないのだ。
「それで、どうだった? 何か言ってた?」
神様たちに言われて、椿屋には凪だけが泊まった。香枕様の気まぐれに振り回されないよう、つまりは凪を捧げものにしたのだった。とはいえ、香枕様は凪が
枕を使って眠れば満足だったようで、しゃなりと夢に出てきたのだと言う。
史朗と凪は、椿屋の近く、大通りにあるファミリーレストランで夕飯をとっていた。凪の父親が留守とかで、夕食に誘われたのだ。それなら奢る、と史朗が言
うと、凪は別にいいけど、と笑った。電話口だからわかった、密やかな笑いだ。椿屋の管理費として、史朗のお小遣いは増えている。でも、神様たちがあれこれ
と世話をしてくれるので、実はあまり使わない。何かあれば泣きついている史朗としては、これくらいしたい。史朗のその気持ちを凪も汲んでくれたのだろう。
「大したことは言わなかった。結論を言えば、あの男のもとに行くつもりはないってことだ。渡しでもしたら、悪事が起こる、史朗が恨まれる、ってさ」
悪事の中身は話さなかったらしい。ついでになんで史朗が恨まれるのかもわからない。そして、あの男のことも知らない、と言っていたそうだ。
「どうしてあの男が香枕様を狙っているか、心当たりは?」
史朗の問いかけに、凪は首を振った。
「自分が霊験あらたかな夢告げをするからとか、骨董品として一級品だからだろうとか、色々言っていたが確信があって言っているわけじゃなさそうだった」
男の態度も、骨董品を扱う態度ではなかったように思う。だからこそ、史朗は気持ちが悪いのだ。何か良からぬことが起きているような気がしてならない。
しかし、とにかく男には売らない方がいい、ということだけは分かったのだ。それだけでも、収穫だ。
史朗はとりあえずほっとして、ハンバーグをぱくりと食べた。凪は既に、頼んだチキンステーキを食べ終えて、アイスコーヒーを飲んでいた。ほっとしたとこ
ろで周りが目に入る。近くの席の大学生と思われる女の子たちが、ちらちらとこちらを見ていた。いつものことだが、史朗としては居心地が悪くなる。もちろ
ん、凪は全く気にしていない。
「史朗? どうした?」
自分が見られているのに、そちらより史朗の様子が気になるらしい。なんだかおかしくなって、史朗は笑って、なんでもない、と首を振った。
「またあいつが来たら、きっぱり追い返せばいい。何かあったら、電話しろ」
もしかして、凪は自分に甘いのではないのだろうか? 史朗はふとそんなことを思って、再びなんだか居心地が悪いような、背中がそわそわするような気に
なった。そんなことを考えたのも、ほっとしたからかもしれない。
しかし、香枕様のこのおかしな事件は、まだまだ始まったばかりだった。
翌日、学校帰りに椿屋に行きシャッターを開けると、まるで見ていたかのように、男がやってきた。やはり、気味が悪い。でも、とにかく香枕様が嫌だと言う
のだから、史朗は「売らない」と繰り返した。
「君じゃ話にならないと言っている。親御さんとお話しできないかな」
「祖父の遺言で、俺がここを継いだんです。だから親は関係ない。その俺が売らないと言っているんだから、売りません」
「祖父の遺言?」
「はい」
男は非常にイライラした様子で、コツコツと革靴をならした。その音が、史朗にもイライラを伝染させる。ついでに、神様たちもこの男を歓迎していない様子
が伝わってくる。ときどき耳元で「早く帰しちまいな」と囁きすら聞こえるのだ。こう言ったら怒られるが、まるでハエのようにうるさい。
「君が継いだのかもしれないが、店を開けられないんじゃ仕方ないんじゃないのかね。税金もかかるだろう? そういうこと、わかってやってるのか?」
その点は、両親たちが適当にやってくれている。祖父も、その辺りを考えて遺産を残してくれたらしい。だいたい、この男にそんなことを言われるゆえんはな
い。
「あんたには関係ないだろう」
「だから、50万、いや100万出したっていいって言ってるんだ」
「あんたもしつこいな。警察呼ぶよ?」
いざという時は、警察を呼べばいい、というのは凪の入れ知恵だ。どんな関係なのか、知り合いだという警察官の電話番号も渡してくれた。史朗が携帯を取り
出したのを見て、男は貧乏揺すりをやめた。じっとりとした目で、店の中を見回す。もちろん、香枕様はここにはない。奥の部屋へ移したのだ。男の目は、目的
のものがあれば奪い取ってでも持っていこう、という獰猛さがあった。史朗は後ずさりをしたいのをじっと堪えた。もちろん、何かしようとしても、神様たちが
自分たちの領域で、そう簡単に男の好きにさせるはずはなかった。
男は大きく舌打ちし、史朗を睨んだ。それから「ぼうず、大人をなめんじゃねえぞ。大人の言うことを聞かねえと、痛い目にあうぞ」とまるでテレビドラマの
ような台詞を残して、帰っていった。
災難とは、次々と起こるものである。男が帰ったあと、史朗が一息入れようと座敷に向かうと、ちゃぶ台には、ショートケーキとカフェオレが置いてあった。
神様たちは、ケーキなども用意ができるのだ、と変なところに感心をしてしまう。これはがんばったことへのご褒美だと、史朗はお礼を言って有り難くケーキを
食べようと大口を開けたところだった。「すみませーん」と表から声が聞こえた。
シャッターを下ろすのを忘れていたのだ。まったくもって、自分は詰めが甘い。一瞬、居留守を使おうかと思ったが、声は若い男の声で、先ほどの男ではな
かったし、お客さんだよ、と神様にも言われてしまったので、仕方なく立ち上がった。
「すみません、お店はお休み中で……」
「あ、椿? 椿史朗だよね?」
思いもかけず名前を呼ばれて、史朗はお客をまじまじと見た。見覚えはある。中学の同級生で、名前はたしか……。
「草加(くさか)……?」
「そう。草加章介(くさかしょうすけ)。へえ、覚えててくれたんだ」
草加は隣町の公立高校の制服を着ていた。どの高校に行ったかも覚えていないくらいの仲である。中学時代に話した覚えもあまりない。それでも覚えているの
は、凪の後を付いて回っていたからだ。中学では、凪を見かけると必ずと言っていいほど、草加がいた。ただ、凪と仲が良かったというより、草加が勝手に付い
て回っていた、というのが中学時代の同級生たちの評だった。そこには、少しばかりの羨望と嘲笑、やっかみがあった。史朗としては、人気者も大変だな、とい
う感想だったが。
覚えていたんだ、というのは史朗の台詞でもある。草加が史朗のことを覚えていた方が不思議だ。
「えっと……なんで? 何か用?」
再会を喜ぶような仲でもない。率直な疑問をぶつけたら、草加は少し傷ついたような顔をした。
「なんか冷たいなあ。久しぶりの再会じゃん」
草加は店の中に入ってきて、不躾にじろじろと店内を眺めた。なんだか、先ほどの男と同じような不快感がある。草加が、ふいに蕎猪口を手にした。あれは市
松模様だ。底を持って、くるくると回している。その手つきからは、割れ物に触れているような感じもなく、市松蕎猪口様の抗議の声が聞こえてきそうだ。
「悪いけど、勝手に触らないでくれる?」
思わず言うと、草加が意外なことを聞いたかのように、驚いた顔をした。「これ、高いの?」と聞いてくる。普通にしゃべっているつもりのようだが、馬鹿に
しているような口調だ。
「値段って言うより、じいさんの遺品みたいなもんだから」
言うと、それだよそれ、と草加が肩を叩いてきた。こんなに馴れ馴れしい奴だっただろうか? と中学時代を思い出そうとしたが、凪の後ろをついて歩いてい
た姿しか思い出せない。
「それって、何が?」
「俺もさ、じいさんの遺品を探してるんだよ」
「草加のおじいさんの?」
「そう、ここにさ、四角い黒っぽい箱、あったよな? お香を入れて寝る枕なんだけど。枕っていうより、箱なんだけどさー」
また、香枕様だ。