web electro index * 02
□yugo 01:http://recipe.electro.xx
web electroの担当控え室は、いつでも快適な温度が保たれている。壁には所狭しと本が並べてあり、常時インターネットに接続してあるパソコンも、充分な台数置いてある。呼び出しがない間、担当達はここで、新しい情報を入れたり自分の得意分野に磨きをかけるのだ。ときには、客から貰って帰ってきた「宿題」をする担当もいた。どうしてもわからない曲や本、昔のドラマや映画など、周り中を巻き込んでの正解探しが始まるときもある。
そんなとき、自分はあまり役に立たないのだと、ユーゴは盛り上がる担当達を横目で見ながらため息をついた。料理担当は今日も暇だ。
勉強をすると言っても、本以外にはあまり情報源もない。料理が出来たらいいのだが、いつ呼ばれるかわからないのにそんなことはしていられないし、道具や場所があるわけでもない。よって、料理担当はいつも時間をもてあまし気味になる。web electroのトップページに、料理の項目はない。だから新規の客が来ることは少なく、既にweb electroを知っている客が、そう言えば料理なんてものも検索できるかも、と思い付いて検索することが多い。または、他の担当からの紹介だ。
それでも他の料理担当は、きっとそれほど暇を持て余すことなどないのだろう。ここには、溢れるほどの人がいる。同じように暇な人間もいる。雑学を仕入れたり、他の分野を学ぶことも推奨されているから、声をかければいいだけの話だ。
それが、どうして出来ないのだろう。
いつも思う自己嫌悪に似た思いを抱えて、ユーゴがぼんやりと目の前の雑誌を見るとはなしに見ていたら、香り高い紅茶の匂いが漂ってきた。この控え室には、色々な紅茶の茶葉が揃っている。なんでもイギリスに長くいたという、紅茶担当の老人が仕切っているのだということだった。
「ユーゴもどう?」
そうカップを差し出したのは、本担当のユエだった。ふわふわの金髪が、きらきらと明かりに光る。
「あ、ありがとうございます」
その手の上の盆には、スコーンものっている。それを掲げながら、ユエはユーゴを広いテーブルに誘った。
「あ、ちょっと。それ、ユーゴの分でしょう?何あなたたちが食べてるのよ」
テーブルにはやはり本担当のミツイと、音楽担当のライオネルがいた。大柄な二人は、少し窮屈そうに椅子に坐っている。
「え、あの……」
自分の分と言われて、ユーゴは戸惑った。
「ああこれね、ミヤコちゃんが作ったのよ。あまり上手くできないって言ってたら、ユーゴがアドバイスしてくれて、ようやく成功したって喜んでたの。だから、味見して欲しいって」
はい、と渡されて、ユーゴはそれをじっと見た。膨らみ方はとても美味しそうで合格だ。ただ、スコーンは食感が難しい。
ジャムもサワークリームも添えてあったが、ユーゴはまず、何もつけずに食べてみた。ミヤコがこれを作るのは、彼女の大切な人のためだとユーゴは知っている。紅茶好きのその人のために、美味しいスコーンが作りたいのだと、はにかむように笑っていた。
「うん。美味しい」
さくりとした感触に、残るしっとり感。好みは人に寄るかも知れないが、ミヤコは目指していた食感を正確に再現していた。その食感は、ユーゴの好みと同じだ。
ふわりと笑ったユーゴに、ユエがまるで自分のことのようにほっとしたのがわかった。それから、くすくすと笑う。
「ユーゴって、本当に食べるの好きよねえ」
言われて、かあっと顔に血が昇る。料理をしているときと食べているときは、どうも周りを忘れてしまう。ライオネルも笑って、食べるのだけじゃないだろ、と言った。
「それと料理。今度の食堂の新メニュー、ユーゴが考えたんだって?」
「え?あ、俺が考えたって言うか、ちょっとこんなのが食べたいって言っただけで……」
「そうなの?あれ、美味しいわよねー。フェタチーズとトマトのパスタ。ちょっとすっぱいのが、また食べたくなるのよ」
うんうんとユエに頷かれて、ユーゴは小さくなった。あれは、何か簡単な新メニューがないかと相談を受けて、最近自分が作ったパスタの話をしただけなのだ。
「でも、アレンジは料理長だから……」
「謙遜だな、ユーゴ。結構にんにく利かせたほうがいいとか、麺は細めが美味しいとかってアドバイスに、料理長は感心してたぞ」
ミツイにまでそう言われて、ユーゴは頬を染めて俯いた。この三人は、担当の中でも常に成績上位者に位置する人間だ。誉められたら、くすぐったい。
「料理かあ。俺も教わりたいんだよな。なあ、ユーゴ。暇なとき教えてくれない?」
その上、ミツイにそんなことまで言われて、ユーゴは目を見開いた。
「うわあ。何突然。ミツイが料理だあ?似合わねー」
ライオネルなど、大げさに驚いている。ユエは隣で、くすくすと笑っていた。
「なかなか健気じゃない、ミツイ。作ってあげたい、って?」
「……いつも弁当なんだよ。別にそれでも構わないけど、人に作ってもらったのは、やっぱり違うだろ」
「へえ。ミツイがそんなことを言うとはねえ。手料理して待ってる奴をうっとうしいなんて言ってた奴が」
ミツイがつい最近、客の一人と思いが通じ合って、付き合っているらしい、とはユーゴも聞いていた。決して一人に定めなかったあのミツイが、とコミュニティで一時話題になったのだ。
ミツイは照れ隠しのようにぶすっとした顔をして―――でも、その目元は優しそうに緩んでいた。
ああ、幸せなのだろう、とユーゴは思った。
一人に決めずに何人もの人間と肌を合わせていたミツイは、きっと淋しかったに違いない。そして、たった一人を探していたに違いない。その淋しさを、忘れさせてくれる人間を。
「それに、いつも弁当とかカップラーメンじゃ、栄養が偏るだろ。ただでさ細いのに……」
ぶつぶつと言うミツイに、ごちそううさま、とユエが笑う。それを無視して、だからさ……とユーゴの方を見たミツイは、「あ」と呟いて意識を逸らした。携帯が鳴ったのだ。
「げ。マニア親父だ。頼むよ……残業はしねーぞ」
言いながら、ミツイはその携帯に答えて、ブースに行く。そこで携帯の画面に出た客番号をスキャンさせると、担当はいつのまにか客の部屋、というわけだ。
「ユーゴ、時間あるときにマジでよろしく」ミツイがそう言いながら手を挙げる。ユーゴもそれに控え目に手を挙げることで答えた。
「あーあ。ミツイ、すっかり骨抜き。つまんねーよなあ」
ライオネルが、そう紅茶を啜る。ユエはそれに、羨ましいんでしょ?と意地悪い笑みを返した。
「別に。俺は欲張りだから一人に決めるなんて無理無理。あ、でも、ユーゴならいいかも」
急に話を振られて、ユーゴはカップを手にしたまま固まった。
「あ、やめなさいよね。ユーゴはライにはもったいないわよ」
「料理が出来て、控え目で、素直で、可愛いときてるからなあ。なんて言うの?理想?」
そこまで言われると、ユーゴは何も言えなくなってしまう。ライオネルは悪い人間ではないが、それは誉めすぎというものだ。ユーゴは曖昧な微笑を浮かべた。
「はいはい、口説かない。ほら、お呼びよー」
軽やかなメロディーが流れて、ライオネルは残念そうに肩を竦ませながらすらりと立ち上がった。それに呆れたようなため息を吐いたユエもまた、寛ぐ間もなく、携帯に呼ばれる。さすがは売れっ子なのだ。
「きゃあ。桜のおばあちゃまだわー。久しぶりねえ。あ、ユーゴ、またね」
ひらひらと手を振りながら駆けていく様は、天使のように愛らしい。ユーゴも微笑んで、手を振った。
一人になって、ふうっと椅子に寄りかかる。テーブルの上に、飲みかけの紅茶と、スコーンが一つのっている。それにジャムを塗って食べながら、ユーゴは自嘲の笑みを浮かべた。
自分も、こうして取り残されたカップと大して変わらないな、と。
お茶を飲み終わってもすることはなく、ユーゴは再び雑誌に目を落とした。雑誌の特集は餃子特集で、変り種の餃子はなかなか面白く、いくつか作ってみたいものがあった。
でも、餃子なんて、一人のために手作りするものじゃないと思う。たくさん作って、みんなで食べるから美味しいのだ。
今日のスコーンのお礼に、ミヤコたちを誘ってみようか。そんなことを考えていたら、携帯が鳴っていることに気付くのが遅れた。慌ててその画面を覗くと、知らない客番号が出ていた。検索窓からの検索。だが番号から見れば、新規の客ではない。
「はい、ユーゴです。出ます」
オペレーターにそれだけ告げて、ブースに入る。画面をスキャンさせた瞬間、ユーゴは広いマンションの一室にいた。
「毎度ご利用ありがとうございます。web electro、料理担当のユーゴです」
すっと下げられた頭から、さらりと黒い髪が落ちた。それから顔をあげると、穏やかな笑みを湛えた顔が正面にあった。
「はじめまして、幸野です」
幸野がそうにっこりと笑って手を差し出してきて、ユーゴは一瞬驚いた顔をしてから、そのことを恥じるように目を伏せて、すっとその手を握った。
色々な客を見てきたが、ユーゴはこんな風に自己紹介されたことはない。検索サイトなど、サービスを売っているようなものだから、客は割と横柄な態度を取ることが多いのだ。特に、少しばかり線が細く頼りない、ユーゴには。
目の前の幸野は、とても落ち着いた雰囲気のある、そしていかにも仕事ができるといった、大人の男だった。だから、余計に驚いたのかもしれない。どうぞ、とソファーまで指されて、ユーゴは戸惑いながらも失礼します、とそこに坐った。ソファーは手触りの良いレザーで、柔らかすぎず硬すぎずの、上質な坐り心地だった。
「それで、今日は何をお探しでしょうか?」
この人の前では何故か緊張する、とユーゴは思った。こうして向かい合っているのは、どこか精神衛生上、良くない。
幸野はそんなユーゴのことを見て取ったのか、微かに苦笑を浮かべた。それにユーゴが思わず目を伏せると、いや、と幸野が微笑んだまま言った。
「実は料理なんて全くしたことがなくてね。探す、と言っても何から聞いたらいいかわからない位なんだ」
苦笑したのはそんな自分にだ、とばかりに幸野が言って、ユーゴは少し落ち着こう、と小さく息を吸った。
「何か、作りたいのでしょうか?」
「ああ、特にこれ、というのではないんだが、とりあえず何か料理が出来るようになりたいんだ」
それはまた漠然としている、とユーゴは思ったが、そんなときのほうがサービス担当は燃えるのだ。ユーゴはようやくいつもの自分らしさを取り戻して、自信たっぷりに微笑んだ。きっと、幸野が満足できるものを提供してみせる。
「それは、専門的に学びたい、ということでしょうか」
「いや、もちろん美味しいにこしたことはないが、あまり手間をかけずに、普通に出来ればいいんだ。料理も、豪華なものじゃなくていい。どちらかと言ったら、家庭的、と言ったらいいのかな」
言ってから、幸野は何か思い当たったのか、ふっと淋しげな顔をした。この幸野と言う人物には、「家庭的」と言う言葉が似合わない。今坐っているソファーから見える範囲の部屋の様子は洗練されていて―――されすぎていて、冷たい雰囲気さえあった。生き物の息吹が感じられない。
料理を教えて欲しいと言う位だから、独身なのだろう。そう思ってから、でもわからないな、とユーゴは最近の客層を考えた。最近は、女の人だからと言って料理が出来るとは限らない。少しばかり前に、結婚したばかりで、でも料理が出来なくて、ユーゴに何度も泣きついてきた客がいたのを思い出す。彼女は一所懸命で、でも完璧主義で、微笑ましくも大変な客だった。前ほど頻繁ではないが、ユーゴは今でもときどき彼女に呼び出される。
先入観はいらない。自分は料理担当で、相手は客。ただ、それだけなのだ。
「では、まず基本のご飯を炊く、というあたりから説明されている本を紹介しましょうか、それとも一人暮らしを始めたばかりの男性向けの料理教室、というものもありますが」
「いや、出来れば本じゃないほうがいい。でも料理教室に行く時間もないんだ」
幸野は既に、基本中の基本の料理の本、とうたった本を購入していた。でも、全く、本当にまったく料理経験のない幸野は、それを読んで、一つ一つの道具から用語から、理解していくのがかなり面倒だったのだ、と苦笑交じりに言った。
そうですか、とユーゴは言って、少しばかり考え込んだ。時間があるなら料理教室が一番手っ取り早い。ないなら、本だ。でもどちらも駄目となると……。
「君は、料理は出来ないのか?」
ふいに聞かれて、ユーゴは見つめていたテーブルから視線を上げた。途端、まともに幸野と視線が合って、思わず目を泳がせてしまう。
「いえ、料理担当ですから、一通りは出来ますが」
例えば、本を見ながら作っていたがよくわからない、というような時に呼び出されたりもするのだから。
「じゃあ、君が教えてくれないか?」
はい?と思わず聞き直しそうになって、ユーゴは口を小さく開けたが、それでもなんとか何も言わずに済んだ。迅速で的確な受け答えは、web electroサービス担当の誇りだ。
「私が、ですか?」
「駄目かな」
幸野はどこか頼りなさそうな目をしていた。思わずユーゴが、可愛いと思ってしまうくらいに。
「君だったら、私の部屋で教えてもらえるし、こういう言い方は申し訳ないが、こちらの都合を優先しやすいだろう?」
どうだろうか、と幸野が言い、ユーゴは思わず「はい」と返事をしてしまった。特に問題があるわけではない。それもサービスの一環だ。でも、言った途端、ユーゴはわずかに後悔した。
幸野には、近づかない方がいい気がしていた。
目の前で、ほっとして小さく微笑んだ、その優しい顔に、これほど胸がざわついてしまうのだ。
踏み込んではいけない、とユーゴは自分に言い聞かせた。客と担当、という関係を、保ちつづけなければいけない、と。
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