腹黒天使と純真悪魔の奇妙な物語
第一話 03
勝負の約束を交わした翌日、白亜の城は崩れ落ちた。キアはその様子を木のてっぺんに座って眺めていた。すぐ後ろには、自分の自慢の城がある。悪魔らしく黒い濡れたような石を使って建てられた城だが、だからこそ、日に輝く様も、雨に濡れてしっとりとしている様も、見惚れるほどだ。
――人間が作ったあの白亜の城より、よほど美しい。
キアは一人、満足そうに笑った。
キアたちにして見れば、当たり前のことだった。そうでなければ、悪魔も天使も、怖れられることも崇められることもない。そう――悪魔だけではない。天使もきっと、あの白亜の城より美しいものが作れるはずなのだ。
そう思った途端、キアの顔は笑みを消して凶悪な表情になった。キアにも「理想の城」はある。それさえ実現できれば、きっとリシュアにも負けないはずだ。
――負けるはずがない。
声に出してキアは呟いた。だが、いつものリシュアの余裕ある表情がちらちらと頭の中に浮かんでくる。一体天使たちはどこに避難したのか、崩れ落ちる城の周辺にはいない。だが、リシュアはきっと、崩壊していく城の上で、人間にするのと同じ看取りの笑顔を浮かべているに違いない。キアはあの顔が何より嫌いだった。
キアは苛々したときの癖で、右手の親指の爪を噛んだ。口の中で、かちかちと音がする。
――負けるはずがない。
キアはもう一度、呟いた。
キアは自分の配下の悪魔を出来る限り集めて、新しい城の建設につかせた。もちろん、自ら監督役を引き受けて、休む間もなく指示を与え続けた。季節は冬で、まだ気温の低い毎日だった。あともう少しすれば春になるのにと、働く悪魔たちはため息をついた。どうせなら、もう少し後にしてくれれば良かったのに、と。悪魔も上位になれば寒さなど関係ないのだろうが、悪魔になったばかりの下位の小悪魔たちはまだそういった感覚がある。上位の悪魔であっても、気分的に冬に働くなどごめんなのだ。いつだって、働きたくはないのだけれど。
新しい城が建つテフ島からは、リ・キアもリ・リシュアも良く見える。キアは城建設をしながら、リ・リシュアを気にしていた。もちろん、リシュアの城の進行具合が気になるからである。
だが、城はいつまで経っても建つ気配がなく、リシュアはリシュアで、毎日のようにテフ島に来てはキアをからかっていた。
「すごいな。さすがキアだ。もうこんなに出来たのか。すごい城ができそうだ。楽しみだ」
自分は何もしていないというのに、リシュアはそんなことを言う。それも毎日。今日で三日目だった。キアの苛々は高まるばかりだ。
「ばか天使! うるさいよ。だいたい、毎日毎日来るなっ。小悪魔達が嫌がって使えない」
「キアは嫌じゃないんだ?」
「嫌だよ。来て欲しくないね」
キアが吐き捨てるように言うと、くすくすとリシュアが笑う。二人が怖くて、小悪魔達はすっかり周りからいなくなっている。
「それに、おまえの城はどうなってんだよ。瓦礫の山のままじゃないか」
「ふーん。心配してくれてるわけか」
「するかっ。ただ、不戦勝なんて冗談じゃないからな」
まるで拗ねたように言うキアの横顔をリシュアは眺めた。せっかく遊ぼうと言ったのに、相手にされていないと不満を言う子供みたいだ。リシュアにして見れば、可愛くてしかたがない。
「心配するな。勝つさ」
リシュアが耳元で吹き込むように言うと、キアの羽も髪もばさりと逆立った。同じ悪魔でさえ逃げそうな顔で、リシュアを睨む。だが、睨まれた方は相変わらず、余裕の微笑みを浮かべていた。
「怖いなあ、キア。大丈夫だ。今ごろ天使たちがこつこつ働いてる。ちゃんと勝ってやるから」
リシュアの声はいつでも自信に溢れている。そしてそれが、会話の内容以上にキアを苛つかせる。その巻き添えを食うのは下僕の悪魔たちで、リシュアとキアの会話を聞いていたら、きっとやめてくれと大天使に泣きついたところだろう。だがリシュアは、一人楽しんでいた。
キアが怒るのも、その後凄い勢いで下僕たちをこき使うのも、ずっと苛々と親指の爪をかちかち鳴らすのも――いつまでも見ていたいと思う。その間中、自分が言った言葉を気にしているのだと思うと、リシュアは幸福感に微笑まずにはいられなくなる。
本当は、一瞬であっても目を離したくないのだ。出来ればずっと、見つめていたい。
期日の前日になっても、リ・リシュアに新しい城が建つ気配はなかった。キアは苛々とそれを見ながら、でも自分の新しい城には満足していた。
城は、テフ島の中央に建てられていた。そこにあった岩石は切り出され、島の周りに積みげられている。もともと周囲は高い岩に囲まれていたのだが、そこにさらに積み上げていったのだ。これで、町から中を見ることはできない。人嫌いのキアには、重要なことでもあった。
城はそのほとんどが、黒地に白や灰色の模様が入った大理石で作られていた。だが、アクセント的に白や紫色、桃色の大理石も使われている。この冷え冷えとして滑らかな感触が、キアは気に入っていた。
城はかなりの広さとなった。悪魔たちが最も力を入れたのは大広間で、天井からは大きなシャンデリアがぶら下がっていた。そこには細かくカットされたクリスタルが、数え切れないほどついていて、かなりの重さになっている。それと同じクリスタルで蝋燭立てが作られていて、何百と言う蝋燭が立てられていた。それが灯されたとき、どれだけ輝くのかと悪魔たちは楽しみにしていた。大広間が使われるときは、大概が飲めや歌えやの饗宴のときである。青い悪魔はそのあたりは寛容で、どれだけ位の低い悪魔であってもその騒ぎに参加できたのだった。
城の外観のみならず、内装にしても、主に指示をしたのはキアだが、凝るととことんまで凝る悪魔もいて、キアの指示以上に細かい装飾があちこちになされていた。キアの細く白い手が、その装飾たちを愛しげに撫でた。
良くできていると、満足そうに笑う。何が「勝ってやる」だ。結局間に合わなくて、諦めたんじゃないのか――。未だまっさらのリシュアの城跡を思い浮かべて、キアはくすりと笑った。
だが、リシュアは曲がりなりにも大天使である。嘘をつくはずがなく、そして、負ける試合をけしかけることもしないのである。
期日となった日の朝は、清々しく晴れた。一週間、休まず働いた悪魔たちはさすがに疲れ果て、朝と同時にねぐらに逃げるように帰って行った。朝の光が、そんな悪魔たちの体力を余計に奪う。
そんな中、一人の小悪魔が懸命に羽を羽ばたかせてテフ島の新しい城に飛び込んできた。リ・リシュアの様子を見てくるように言われた、ヤンだ。ひどく慌てた様子は、へとへとになってふらふらと飛んでいる悪魔たちさえ興味を持った。
「大変です! リ・リシュアに城が……」
それだけ言ったところで、ヤンはぜえぜえと息をした。休まず働いたのは、ヤンも例外ではなかった。
「城って……昨日までなかったんだぜ、ヤン。いくらなんでも昨日の今日でできるわけねえって」
先輩の悪魔に鼻で笑われても、ヤンはふるふると首を横に振った。
「でも、現われたんですよ、その城が」
ようやく息を継いでそう言ったところで、ヤンの目の前の扉が派手な音を立てて開かれた。驚いて顔をあげたヤンの前には、凶悪な顔をしたキアが立っていた。
「本当なんだな、ヤン」
あまりの怖い顔に、ヤンはやっと頷いただけだった。
キアはものすごい勢いで窓から飛び立った。昨日の今日で建つはずがない。あの下僕の言う通りだ。大天使であろうが大悪魔であろうが、いくらなんでもそれは無理だ。だが、相手はあのリシュアだ。天使であることが既に詐欺であるような――あの、リシュアだ。キアは逸るままに羽を動かした。
まだ城に残っていた悪魔たちも、テフ島周辺にいた者も、キアの後に続いた。ようやくキアから解放されたのだ。その上、天使との勝負は勝てると確信していた悪魔たちは、その後の大宴会を楽しみにしていた。家で一眠りしたら、好きなだけ飲んだり食べたり出来ると、期待していたのだ。
テフ島を飛び立ってすぐ、陽光にきらりと光るものがリ・リシュアの町の中に見えた。キアも悪魔たちも、その正体を見て、呆然とした。
確かに、城が建っている。それも、この世のものとは思えぬほど美しい城が、建っていた。