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遠景涙恋 番外――水鏡


02

 カハラム王は代々、領土を分け合う各民族から娘を貰う。正妃となるのは、カラムを中心とした中央、そして東部を支配するカラム族の娘である。以下、南のサラフ、シャイール、ハシア族が第二から第四王妃となる。基本的に王の位を継ぐのは、正妃――つまりカラム族の男御子で、少なくともここ数代の王は、カラムの純血を守っていた。長い歴史上では、他民族の血が混ざることもあったようだが、記録には残っていない。もともとカハラムは、カラム族の単一民族国家だったが、大昔、東のカラシム族を征服、統合したことをはじめに、次第に勢力と領土を広げ、現在の大国になった。今はそのカラシム族の名は、書物に残るのみだ。もともとカラムとカラシムは、同じ民族から派生したと言われているから、統合もそれほど難しいものではなかったらしい。だが、他の民族は同じようにはいかなかったのが当然で、カラムが優位を保ちながら共存している――というのが、現状だった。
 妃となる女たちの役割は、非常に重要なものであった。各民族の忠誠の証であると同時に、中央権力に食い込む足がかりでもあったからだ。首尾よく男児を産めば、次期王となる可能性もあった。どれだけ歴代の王が、男児が産まれるまでカラム族の女性を何人も娶り、つまりは正妃を取り替えてまで純血を守ってきたとしても、各民族が諦めることはなかった。今では忠誠の証としてよりも、足がかりとしての役割の方が大きくなってきている。
 ――それでも、証は必要です。
 古参の大臣たちがそう騒ぐのも、キーファにはわからないでもない。カラム族の優位を示すためにも、この王妃制度は大切なものだ。
 だから、キーファは代替案を考えたうえで廃止するつもりだった。だが、軍や首脳部の再編、タシュラル時代に放ってあった地方への視察など、やらなければいけないことはたくさんあった。良い代替案も浮かばず、自然、後回しになっていた。
 キーファが王位についたのが幼少時だったため、王妃不在期間が長い。大臣たちのしびれが切れるのも、時間の問題だった。
 大臣たちの小言は、サミアが都入りをしてから激しく、執拗になっている。サミアが王妃になることが決まれば、なし崩し的に他の民族の娘も娶らされる。カラム族の重臣も、ここぞとばかりに正妃を連れて来るだろう。
 後継ぎ問題は一応の決着を見たが、強引過ぎたつけが回ってきたのだ。
 キーファは溜息を飲み込んで、部屋へと向かう足を速めた。リーフィウの顔が見たかった。あの首筋に顔を埋め、抱き締めたかった。
 だが、扉の前まで来て、ふと先日のことを思い出した。思わぬことで時間が空いて、キーファは街へ行ったというリーフィウを追っていった。そこで見た、茶屋の娘と親密な雰囲気で話をしていたリーフィウの、見たこともないほど幸せそうな顔――。
 あれから数日、あの顔が頭から離れなかった。
 今晩は寝顔だけでもいい、と珍しいことを思いながら、キーファは部屋に入っていった。
 だが、キーファはその寝顔すら、見ることは叶わなかった。代わりに待っていたのは、今現在の頭痛の種になっている人物だった。
「おかえりなさいませ」
 膝を折って優雅に挨拶した姿はさすが姫君と言えるが、侍女たちはそのサミアとキーファの二人を困ったように眺めていた。
「あなたを呼んだ覚えはないが」
 キーファは挨拶もせず、ぱさりと上着を侍女に投げ渡した。機嫌が悪い証拠だ。そのまま、どさりと腰をおろす。
「ええ。なかなかお呼びしてくださらないので、こうしてやって参りましたの」
 サミアは王の居室にいるというのに、堂々としたものだ。王の隣に立って、微笑んでいる。
「話があるなら、明日にしていただけないか」
「お話があるわけではありません」
 サミアが隣にすっと坐って、身を預けてきたので、キーファは立ち上がらなければならなかった。
 サミアの言いたいことはわかっていた。サラフ族族長に背負わされたものもあるだろう。姫君だと言うのに、娼婦と変わらぬことをさせられると考えると、哀れにも思えた。
 ――だから、こんな悪習はさっさと止めるべきだったんだ。
 キーファは、苦々しい思いでサミアを見た。
「私は后を娶るつもりはないと、あなたのお父上にも申し上げたはずだが」
「存じております。ですが、それならば我々はどうすればいいのですか? 王の后となるために生まれ、生きてきた私たちは」
 サミアとキーファの目が合った。逸らしたのは、キーファだった。
「対応が遅れたことはお詫びする。早晩、この問題を解決することを誓おう。だから――」
「そんなことを誓って頂きたいわけではありません」
 静かな声だったが、王の言葉を遮るほどには怒っている。キーファは大きく息を吐いた。
 サミアの気性の激しさは聞いていた。彼女には男兄弟がおらず、自分が男だったら、と悔しがっている話は有名だ。そうしたら、族長は自分が継ぎ、父親を安心させられるのに、と。その父親、サラフ族族長が、中央政権入り、果ては政権略奪を目論んでいるのではないか、と囁かれていることも知っている。
「何度も言うが、王妃を娶るつもりはない。とにかく、今宵はお引き取りいただこう」
 命令に近い物言いだったにも関わらず、サミアは動こうとはしなかった。
「キーファ王。私は王妃にしていただきたいと申し上げているわけではありません。今宵一晩、共にお過ごしくださいとお願い申しているだけです」
「あなたと一晩を過ごすつもりはない」
「ルク王子とは、過ごすおつもりでも?」
 キーファはぎっとサミアを睨んだ。リーフィウは彼女にここを追い出されたに違いない。しかし、サミアは意外なことを言った。
「今宵は、そのルク王子にお許しを頂いて参ったのです。彼は、来ませんわ」
 二人はしばらく、睨み合っていた。
 リーフィウが許した――。それは一体、どう言う意味だろう。キーファは唇をかみ締めた。一体何を許したのか。考えたくなかった 。
 リーフィウのことだ。サミアのことも、彼女の役割も、知っているだろう。歴史書によっては、「人質」に言及しているものもあるだろう。そして、それを知っているならば、身を引いたとしてもおかしくない。
 キーファは、もう一度、出て行くように言った。だが、サミアが向かったのは、寝室だった。侍女たちが困っている。侍女頭とも言うべきセフィリアが進み出でその名を呼んで制止したが、サミアは聞こえなかったかのように綺麗に無視して、扉を開けると、キーファをひたと見た。
「キーファ様の女好きは以前から良く知られたこと。そろそろ恋しくなっていらっしゃる頃でしょう」
 わたくしはこちらでお待ちいたしております。サミアはそう言って、部屋に入っていった。
 キーファは、顔を見合わせている侍女たちに、酒を持ってくるように言った。すぐに出て来た酒の瓶を掴むと、直接その口から煽る。
 強いハカ酒が、喉から身体の奥に落ちて行く。
 深い溝だ。狭いかもしれないが、深く、くっきりとした溝がある。
 自分とリーフィウの間にあるその溝を、キーファは気にしないよう努めてきた。リーフィウがルク王子である限り、そして自分が王である限り、決して埋まらない溝だとわかっていたからだ。いや、たとえその地位を捨てたとしても、無駄だろう。二人は、国を背負うものとして、生まれてしまった。一方では、期待され、愛される王子として。もう一方では、虐げられ、傀儡としての役割だけを求められる王子として。二人が国を思うとき、そこには隔たりが出来てしまう。
 過去は変えられない。だから溝も、埋まらないのだ。
「キーファ様。どちらへ? サミア様は……」
 酒瓶を手に扉へ向かったキーファをセフィリアが呼び止めた。キーファは放っておけ、と手を振っただけで、自室であるはずの部屋を出て行った。
 
 
 部屋を出たとき、キーファはどこに行こうか考えていたわけではない。だが、足は自然にリーフィウの部屋へと向かった。その顔を見ないと、眠れないのだ。いつか、目の前からいなくなってしまう――何の根拠もない、馬鹿げた心配だと思いながら、その思いが消えてなくなることはなかった。毎晩、そして毎朝、リーフィウが自分の隣にいると確認しなくてはいられない。
 扉の前には、衛兵が一人いた。警護と言うより、監視である。今夜は殊更、その兵の存在がキーファを苛立たせた。と同時に、ひどい罪悪感に似た感情も湧きあがる。キーファはイーザで十分だと主張したが、大臣たちには聞き入れられなかったのだ。そもそもリーフィウを王宮に置くこと自体を反対している者も多く、何としてもリーフィウを近くに置いておきたかったキーファは、強く反対できなかった。監視され、自由のないここでの生活を、リーフィウはどんな思いで過ごしているのだろう。
 キーファはそっと扉を開けた。夜ももうだいぶ更けている。リーフィウが眠っているのなら、その寝顔だけ見ようと思ったのだ。
 だがリーフィウは起きていた。イーザも下がらせ、夜着に着替えていたが、眠れなかったのか、窓辺でじっと外を眺めている。
 眼下には、街が広がっているはずだった。昼間ならば、シアナ河に浮かぶ色とりどりの帆を張る小舟も、活気ある屋台や人々も見える。しかし、闇も濃い夜更けでは、誰かが消し忘れた明かりが見えるだけだろう。それでもリーフィウは、外を見つめている。
 リーフィウがふと気付いて、振り返った。それと同時に、キーファは扉を閉めた。それから足早にその部屋から遠ざかる。
 ――籠の中の小鳥を愛でるのは構いませんが、所詮は籠の中の鳥。そろそろ堂々と王の隣に立てる方を迎えるべきではありませんか。
 大臣の誰かが言った言葉が蘇る。あれに自分は何と答えたのだったか。
 籠の中の鳥――。
 そんなことは、十分わかっていた。


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