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ゲーム


2nd.stage

01

「やったー。任務完了!俺が一番だ」
 突然茂みから飛び出してきた少年に、サキは一瞬驚いて、それからゆっくりと微笑んだ。その綺麗で優しい笑顔を、少年がぼうっと見つめる。
「こんにちは。外はこんなに暑いのに元気だね。キースはいる?」
 サキの柔らかい声にはっとしたように頷き、少年はさっきまで夢中になっていた遊びなど忘れたかのように、屋敷に向かって走り出した。
「キース。サキちゃんが来たー」
 その声につられるように、ぞろぞろと茂みや屋敷の裏から少年少女がでてきて、サキは苦笑した。
「やあ、サキ。暑いのにわざわざ悪いね」
 屋敷から出てきたのは、呼ばれた次期当主ではなく、クリスだった。こちらは汗で気持ちが悪いくらいなのに、相変わらず優美な身のこなしをしている、とサキは感心した。高校生時代はアルバイトのようにやっていたモデルも、今では名を知らぬものがいないほどになっていた。
 それなのに欲張って大学に行くクリスのノートの面倒を見ているのが、たまたま同じ専攻をとったサキだった。
「キースは?」
「研究室から電話が来て、そっちにいちゃったよ」
「なんだ。置いてかれたのか」
 サキがそう笑うと、クリスは眩しそうに目を細めた。とても柔らかいこの笑顔で、大学の仲間達だけではなく、ここで良く遊んでいる子供達まで魅了しているサキのことを、心底嬉しそうに見つめる。高校二年の半ばから、笑わなくなったサキを知っているクリスには、本当に喜ばしいことだった。それが卒業間近まで続き、それから徐々に回復していったサキは、以前のような冷たい印象をなくして、温かな柔らかい印象を与えていた。たぶん、それが本当のサキだったのだろう。それをヨシュアだけが見抜いていたのだ。
「懐かしいなあ」
 暑いから中に入ろう、と促すクリスの手に従いながら、サキはふいっと庭に視線を流した。そこには、子供達が真剣な目でくじ引きをしているのが見える。
「変わらないね。ダートガンがなんだかカラフルだけど」
 アサシンだろう?と微笑むサキに、クリスは何も言えなかった。そう言えば、キースの甥っ子達がこのところ夢中になっていると聞いていたのに、浅はかだったと思わず唇を噛む。
「何て顔してるの。俺は大丈夫だよ。楽しかったじゃないか」
 そう笑うサキは、全てを忘れたのだろうかと思うが、そんなことはないとクリスはそれを否定する。サキは、あのときのことを忘れてなどいない。忘れていないから、今でもどこか遠い場所を探すような目をするのだ。それでも、大丈夫と言い切ったサキの強さに、クリスはずっと聞いてみたかったことを思い出した。
「なあサキ」
「ん?」
「サキは、ヨシュアのこと好きだったのか?」
 ふっと、笑顔に動揺が走ったのが見えた。まだ、ヨシュアの話題は早すぎたのかと、クリスは慌ててなんでもない、ごめん、と謝った。
「本当、暑いね。中に入らせてもらおうか」
 サキはそれだけ言って、今度は自分がクリスを促して、中に入っていった。真っ直ぐ伸びた、凛とした背中が、おろかな自分を拒絶しているようで、クリスは小さくため息をついた。
 そんな風だったから、風の良く通る庭が見える部屋で二人で冷たい紅茶を飲んでいるときに、ふいにサキが呟いたのを聞いて、クリスは一瞬身体を硬直させた。
「たぶん、好きだったよ」
 先ほどの、暑いね、と言った口調と変わらない、穏やかな声だった。それでも、その目はどこか遠く、クリスが決して知ることの出来ない場所を見つめている。
「だから、哀しかったし、拒絶もしきれなかった」
 サキはそう言ってから、不意に微笑んだ。それはクリスが今まで見たこともないほど美しく、哀しかった。
「哀しかったのはね、優しかったからなんだ。どうして、これほど優しいのか、わからなくて、それが苦しくて哀しかった」
 サキは、あの夜のヨシュアの告白を覚えていない。聞いていなかった、と言ったほうが正しいのかもしれない。放心状態だったサキは、クリスとキースが飛び込んできてから後のことを覚えていないのだ。
「サキ……」
 それを、話すべきかと思ってすぐ、クリスはその自分に首を振った。それでは、駄目だ。今更かもしれないが、何も知らないサキと、何も伝えられないヨシュアを、哀しいと思った。
 サキが落ち着いて少しした頃、一度だけ、サキがヨシュアの名を口にしたことがある。
 ―――ヨシュア、生きてるよね。
 ひどく思いつめたような顔で、救いを求めるようだった。その顔に、クリスは胸を突かれて、一瞬返答が出来ないほどだった。
 ―――生きてるよ。大丈夫、生きてるよ。
 繰り返し、そう言うことしか出来なくて、自分が情けなかったことを、クリスは昨日のことのように思い出せる。サキはクリスの答えにほっとして―――それは、本当に憑き物がとれたように穏やかな顔をして―――良かった、と言った。
「サキ、今度俺の仕事場に遊びに来てよ」
 突然話の矛先を変えたクリスに、サキは不思議そうな顔をした。
「何度言っても見に来てくれないんだもんな。俺の一番かっこいいところ、一回見てくれって」
 クリスはそう言うと、な、と念を押すようにサキを見つめる。なぜか真剣なその様子に、サキは思わず頷いていた。


 クリスのモデルの仕事を見に行く、という約束は何度も交わされては叶わないものだった。もともと人ごみが苦手なサキは、その度になんとか上手く誤魔化して、行かないで済ませていたのだ。とくに、知らない人ばかりの場所に行くのは拷問に近い。
 そんなことはクリスも良く知っていて、今回はキースを迎えによこした。キースなら、サキの申し訳なさそうに行けないと謝る顔も無視して、上手く引きずって来られるからだ。少しずるいとクリスも思ったが、キースも協力してくれると言うのだから、いいことにしよう、と自分を納得させた。
 撮影スタジオなど入ったことのないサキとは対照に、キースはすいすいと歩を進める。キース自身も体格の良い整った顔立ちをしているために、ここに来るとすぐにモデルをしろと薦められるのが嫌で、本当は来たくなどなかったのだが、サキのためとあっては仕方がない、と承知したのだ。
 重く大きい、開かれた扉の向こうに人のざわめきが聞こえて、サキは知らずため息をついた。とにかく一度見ればクリスも満足するだろう、とそれを支えに、キースの後を追う。
「あ、サッキちゃーん」
 一度目の撮影の直後なのか、やたらとテンションの高いクリスが叫んで、サキに飛びついてきた。キースはその隣で、顔見知りに頭を下げている。
「ああ、その子が噂の。いやあ、本当。綺麗だねえ」
 にこにこと人のよさそうな顔をした男にそう顔を覗き込まれて、サキは思わず抱きついているクリスごと後さずった。男はそれを気にした風もなく、印象的な目に色白の顔に黒い髪、逸材だねえ、などと言っている。
「駄目だよ。サキは俺のなんだから」
 ほお擦りさえしかねないクリスに、サキは呆れたようにため息をついた。そんなことを言って、自分は他人のもののくせに。そう言うと、くすりと隣から笑い声がする。
 クリスの「持ち主」のその笑いに、サキはどうにかしてくれと苦笑しつつ、抗議をするために顔を上げると、ふいにその顔を凍らせた。あまりに真っ直ぐにそこを見つめていたために、クリスとキースが顔を見合わせて視線を交わしたことにも気付かなかった。
 見つめられた相手もまた、信じられないとでも言うようにサキを見つめていた。
 全ての色が褪せて、全ての音が消えたような錯覚をした。変わらない姿。何も変わらない、その姿。全てを壊してしまったと思ったのに、そこには、ヨシュアが好きでたまらなかったままのサキがいた。凛とした雰囲気も、静かな瞳も―――柔らかい笑みさえ。


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