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ゲーム


2nd.stage

02

「あっ、サキッ」
 ふいにクリスが叫んで、ヨシュアははっと我に返った。いつのまに抜け出たのか、クリスの腕を解いて、サキが駆け出していた。
「ヨシュアッ。追いかけろ」
 クリスの叫びが聞こえるが、ヨシュアは呆然と立ったままだった。周りのスタッフたちが何事かと見つめていたが、そんなことはどうでも良かった。変わらないサキがいたことだけで、ヨシュアはそれだけで、いいと思った。
「何してるんだよっ。惚けてないで追いかけろって」
 いつの間に傍に来たのか、クリスに耳を引っ張られて、ヨシュアは痛みに顔を歪めた。
「俺を見て逃げたんだ。追いかけてどうするんだよ」
 自分で言いながら、ヨシュアは泣きそうなほど自分が傷ついているのがわかった。あれだけのことをして、こんなことで自分が傷つくなど、虫が良いにも程がある。
「俺はそんなこと知らないよ」
 クリスはそう言いながら、ヨシュアを急き立てる。
「サキは俺にこう言ったんだ。哀しかったのは、おまえが優しかったからだって。それが何故かわからなくて、苦しかったって」
 サキは何も知らないし、おまえは何も伝えていないじゃないか。クリスが泣きそうな声でそう言うのを聞きながら、ヨシュアはそれでもただ、首を振っていた。
 追いかけられるはずがなかった。もう二度と、傷つけたくないのだから。


「ごめんな」
 部屋のドアが叩かれたときには、相手が誰かなどわかっていた。それでもサキは、そのまま放っておけば心配されるだけだろうと、一つ深呼吸をしてからドアを開けた。
「入りなよ。仕事帰りなんだろう?」
 お茶でも淹れるから、とサキが言って、クリスはそのあまり取り乱した様子のないことに、小さくほっとため息をついた。キースは大丈夫だ、と言っていたが、撮影中は気が気じゃなかったのだ。余計なことをした、と自分を責めるばかりで。
「別に、気にしなくて良いよ」
 ふわりと甘い花の香りのする紅茶を淹れたカップを渡しながら、サキはそう言った。実際、ただ驚いた、というのが本音で、クリスが謝る必要などないと思っていた。
「でも、騙されるのは嫌い」
 笑いながらそう言ったサキに、クリスはもう一度ごめん、と謝った。
「だから、謝らないでって。クリスが殊勝だと、こっちが心配になるから」
「なんだよそれ」
 ふてくされては見たが、微笑んでいるサキに、クリスは俯いてしまった。自分が気を使われてどうするんだ、と心中で呟く。
「もし、もしも俺が話していたら、サキは来た?」
 クリスの質問には答えずに、サキはカップをするりと差し出して、飲まないと冷めるよ、と言った。
「さあ、わからないな」
 サキはそんなことを考えたことがなかったのだ。ただ、もう二度と会わないかも知れないとは思っていた。正直に心中を探っていけば、会うのは怖い、という思いもあったに違いなかった。でも実際見たとき、サキはただただほっとした。驚いたように見開かれる瞳は青いまま、ヨシュアが生きていることに。
 サキはそれを、クリスに正直に話した。この友人が、どれほど自分を心配しているのかはわかっている。
「じゃあ、なんで逃げたんだ?」
「驚いたから、かな。それに―――」
「それに?」
 クリスの追求に、サキはふいっと視線を窓に向けた。まだ日が沈むには早いのか、青空が残っている。雲が途切れて、窓から見えるのはただ青い、空だった。
「クリス、俺はあれが本物だってわかっていたんだ。わかっていて、銃口を向けた。その銃口を向けた相手の前で平然としていられるほど、俺は無神経じゃない」
 サキのはっきりとした口調に、クリスは息を呑んだ。そして、今までずっと、勘違いをしていたことに気付いた。サキが恐れているのは、ヨシュアではない。自分にひどい仕打ちをしたヨシュアではなく、そのヨシュアを一瞬でも殺そうとした、自分なのだ。
 こっちに戻るのが怖い、と言ったサキ。
 ヨシュアが生きていて良かったと、言ったサキ。
 どうして気付かなかったのだろう、とクリスは自分の鈍さをほとほと恨んだ。
「サキ、もう一回聞いていいか?」
 クリスは、キースが「お節介だ」とまた言うのを承知で、サキに問い掛けた。自己満足かもしれない。そんなことはわかっている。でも、クリスはサキのおかげで大事なものを手に入れたのだ。もう、手離すしかないと思っていたときに、サキが背中を押してくれたから、自分は失わずにすんだものがある。
「なに?」
「ヨシュアのこと、好きか?」
 以前とは微妙に異なるその問いに、今度はサキは、ただ哀しそうな目をしただけで、何も答えなかった。


 お節介カップルめ、と呟かれて、キースは心外だとでも言うように片眉を上げた。ヨシュアは機材の片づけをしていて、そのキースのほうを見てはいない。
「ったく。おまえは昔からだけど、クリスまで……」
「あれは、サキ限定だよ。だいたい、俺は今回クリスの仕事場にサキを連れてきただけだ。前からの約束だったらしいぜ?自分の一番カッコイイ姿をサキに見せたいって」
 その割には、結局クリスが仕事をしているところを見ないでサキは帰ってしまったのだが。
 もくもくと手を動かすヨシュアを手伝おうともせず、キースはのんびりと近くの椅子に腰をおろした。
「おまえのあんな顔、久しぶりに見たな」
 キースの声に、ヨシュアが「見物料とろうか」と混ぜ返す。
 学校を変えてからも、この二人とはなんとなく連絡をとり続けていた。それとはなしに、サキの様子を教えてくれていたのだ。しばらくの間、表情を無くしたサキに、ヨシュアはずっと心を痛めていた。それが、少しずつ反応を返すようになった、笑うようになった、と聞くたびに、ヨシュアはただただ、安堵のため息を吐いていた。
 もう、二度と会うべきではないのだろう、と思っていた。何より好きだった、あの柔らかい笑顔を、自分が壊したと思うと。
「安心した」
 あらかた片付けが終わって、車に機材を運ぶのをキースに手伝わせたヨシュアは、煙草を取り出して、キースに分けながら、そう呟いた。火をつけてやると、キースが小さく笑った。
「あんな風に笑えるってわかって、安心したよ」
 ヨシュアも自分で煙草を咥えると、火をつけて、大きく煙を吸い込んだ。それから目を閉じて、ゆっくりと長く、その煙を吐き出した。青い空に、吸い込まれていく。
「あれが、サキだったんだよな」
 高校のときは、もっと人を寄せ付けない、冷たい印象が強かったサキの温かさを、唯一知っていたヨシュア。サキが笑うようになって、ヨシュアが言っていたことの意味を、キースは始めて知ったのだ。
 ―――幸福って意味を教えてくれる。ああ大丈夫だって、そう思わせてくれる。あの笑顔を見ていると。
 陽だまりの温かさのような、単純な幸福感。それを与えてくれるのだと、ヨシュアが言ったことがあったのだ。
「ああ、あれがサキだよ」
 あの幸福感ごと、抱きしめたいと思っていた。そんな、夢を見ていた。
「なあヨシュア」
 キースは、大概自分もお節介だ、と心中で苦笑しながら、隣の古い友人の名を呼んだ。
「俺が知る限り、あの当時、サキのあの笑顔を知ってたのは、おまえだけだぜ?」



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