眩しさに目を細めた先にだって、見えるものがあるだろうと言う
03
わかって言ってる、と俺はすぐにわかった。お気に入り、という言葉の影響を十分わかって使ってる。気に入らなかった。
「あんた誰?」
人に聞くときは名乗るが礼儀。そんなことはわかっているが、ここで名乗っても間抜けなだけだろう。ここにいるみんな、俺が誰かなんて知ってる。
「報道部長の宮古隆司です。どうぞお見知りおきを」
ああ、ご希望どおり、ブラックリストに載せてやろう。そう思いながら、ゆっくりと笑って見せると、周りで息を呑むのがわかった。知ってる。俺のこの笑顔は、冷たくって怖いのだと。
「俺が、八潮のたかが従兄弟の一人だってことぐらい調べられなかったんですか?」
怒るな、と自分に言い聞かせる。怒ってもいいが、自分を失ったら最後だ。このタイプは口で応戦するしかない。
従兄弟、と聞いて、野次馬は納得したように頷いている。目の前の男は何か言いかけて、くっと笑った。
「激情家かと思えばそうでもない……なかなか興味深い」
「大体、隠し撮りなんてプライバシーの侵害だ。金輪際やめて貰いたい」
「申し訳ないが、それは出来ない。伝統的な裏校則でね、撮られたら取り返せ、がここの方針だ。そのかわり、そちらがフィルムを手に入れて、それをどうしようとこっちも文句は言わない。それに、これはちょっとした娯楽提供なんだ。こんな山奥、何もないだろ?これだけで大勢の生徒が楽しい学校生活を送れるんだ。少しくらい目を瞑って貰えない?」
裏校則ってなんだよ……この学校、まんまお遊びなんだろうか、と俺は昨日会ったばかりの校長を思い浮かべた。確かにこんな話、楽しくて良いでしょう?とか言いそうだ。
「わかりました。撮られたら取り返せ、は肝に銘じておきましょう。でも、俺は別にこんな娯楽はいりません。娯楽が必要なら、必要な方々で自家生産してください」
そう、俺を使うな俺を。本当に言いたいのは、それだけなんだ。宮古は一瞬あっけに取られて、それから絶え切れないかのように噴出した。
「自家生産って……」
そう言ったきり、腹を抱えて笑ってる。ああ、……俺が娯楽提供してどうするんだ。
「と言うわけで、これ、はずしてください」
俺がいつまでも笑ってる宮古に呆れてそう言うと、言われた本人は笑いながらも首を振った。
「いいじゃないか。こんなに綺麗に撮れてるのに」
俺はその言葉に、ぐっと奥歯をかみ締めた。やばい、と思う。写真は何とか耐えたのに、これ以上会話を続けないほうがいい。早く切り上げるべきだ。そう思っても、俺はかみ締めた奥歯をなかなか開放できなかった。耐えるために。湧き上がる不快感に、なんとか耐えるために。
「さっきから、本当に怖い顔だ。君のように綺麗な人」
最後まで、言わせなかった。俺は思わず、宮古の頬を平手打ちした。ぱんっという音が、静まった人の中で響いた。
「悪い。でも、正当防衛だと思って」
めちゃくちゃなことを言っているのはわかっていたけど、俺はどきどきと早鐘のように打つ心臓を宥めるのに手一杯だった。
違うだろ、おまえの聞いた言葉はこれじゃない。
おまえに言ったのは、この声じゃない。
何度も、そう自分に言い聞かせる。冷や汗が出て、俺は自分が震えていることを知った。それに、俺は打ちのめされる。自分の、弱さに。
「いや、こっちこそ悪かった」
宮古はそれだけ言うと、野次馬を蹴散らしに掛かった。俺はその隙に、トイレに駆け込んでいた。
人は誰でも、闇を持っている。
元から持っている闇と、作られた闇と。それは同じようでとても違う。俺がそれを知ったのは、つい二ヶ月前のことだ。
八月の半ばに日本に帰国することが決まって、俺は別れの挨拶もかねて、友達と遊びまわっていた。学校はまだ夏休み中で、夏の長い日に、時間の感覚も狂っていたのかもしれない。その日はかなり遅くまで遊んでいて、俺は日付が変わったことに気づかなかった。
親父が容赦ないことは言ったと思うが、親の脛を齧っている分際で、午前様など言語道断。しかも、12時を一分でも過ぎればもう「午前様」だ。……確かに、そうなんだけど。
それで俺は、かなり慌てていた。遊んでいたのは同じ年頃の連中で、もうかなり出来上がっていたから、帰ろうといっても聞かないことはわかっていた。だから俺は、さっさと一人で帰ることにしたんだ。
夜の道の怖さは知っているつもりだった。いつもなら、危ないところは避けて通る。いや、そのときだって、避けて通っていたんだ。でも、俺のうちは住宅街。人気がないところだからと言って、その道を通らないわけには行かなかった。
酔っ払っていた。年不相応に、俺は酒をあびるように飲んでいた。これだって、親父にばれたら事だった。でも、その日親父は仕事で家を空けていたんだ。それを知っていた友達が、俺を誘った。一杯ぐらい良いだろう、と思ったのは自分。親父も嗜みとしての酒を、少しだけ教えてくれていたから、ビール一杯でどうこうなることはないとわかっていた。でも、寂しくなると泣かれて、雰囲気に飲まれていったのは、自分だ。
人の気配にも気づかず、一瞬にして闇に包まれた。それから後は、むちゃくちゃだ。無理に思い出すなと医者が言うから、思い出していない。でも、身体のあちこちが色々なことを覚えていた。
俺は、翌日の朝に、死体と間違われて発見された。俺も自分は、死んだと思った。
そのときつけられたナイフの傷ややけどの跡が、今全身にある。新しい皮膚たちは、醜いががんばって、俺を元に戻そうとしてくれている。
でも、そうやっては治ってくれないものもある。
たとえば、暗闇。
たとえば、大きな男。
たとえば、「綺麗」という言葉。
男は俺を嬲りものにする間、ずっとそう言っていた。もちろんそれは英語だったけど、「綺麗だから傷つけたい」とか、そんなことをほざいていた。
全く違う音なのに、同じ意味を持っているから、駄目なんだ。
俺はその、自分の弱さに吐き気がした。あんな朝の光の中で、俺は、ただその言葉だけに恐怖を覚えた。じゃあ、闇があったら?大男に言われたら?
冗談じゃない。
俺はきっと壊れるだろう。
元から持っている闇は、入るも出るも自分次第だ。甘い誘いに乗るにしろ、自分自身が踏ん切りをつける。でも、作られた闇は違う。引きずり込まれるように、あるいは元から自分がそこにいたかとも思えるほどの自然さで、そこにある。気づいたら、闇の中だ。他人に突き飛ばされるように、落とされることだってある。
俺は、闇になんて呑まれるかと思っていた。突き落とされたって踏ん張ってやる、そう思っていた。でも、そう思って周りを見渡したら、そこには光なんてなかったんだ。
俺は、自分の顔を見ることが出来ない。鏡でも、写真でも、駄目なんだ。唯一、傷をつけられなかったのに。
怖いんだ。
そのままなのが、かえって怖い。
俺は断じて、自分の顔の造作が特別だとは思っていない。確かに小さい頃、よく女の子に間違われたりしたけど、成長してからは一度もない。負けず嫌いで辛辣な分、ちょっと怖いかも、と思っていた。でも、それも今はわからない。
俺はそうして、自分の顔がどんな顔なのか、忘れてしまった。
無事に学校生活が始まったことを告げて、俺は両親への電話を切った。今日のことは、言わない。お袋には心配させないために。親父は、ライバルだから。
正直言えば、一人の部屋は怖い。電気をつけたまま眠るしかなくて、それでも、目を閉じるのが怖いんだ。閉じたら、闇だから。それで、目を開ける。でも、目を開けていたら眠れない。
そんな、なんだか馬鹿みたいなことを繰り返して、明け方にうつらうつらと、夢と現実の境目がつかなくなるようになってから、ようやく少しばかり眠った。
そんなことが数日続いて、正直身体は辛かった。まだ体育が出来ないぶん良かったけど、眠気は襲うし、疲れも取れない。もちろん、集中力だって散漫だ。
クラスメートはいい奴ばかりで、俺の体育を休む理由も、ちょっと事故ってね、という言葉だけでそれ以上聞こうとしてこなかった。そのへんは、壮真が上手く捌いてくれるんだけど。
あ、壮真って、長柄のこと。長柄 壮真。相変わらず俺の後ろの席で、眠りそうになる俺を小突いてくれたりする。
あれから、報道部にセンセーショナルに書き立てられることはなくなった。小さい記事が出てるらしいけど、写真は撮られていない。たぶん、八潮が何か言ったのだろう。
結局、助けられてる。
ただし、何でも口で報道部長を負かしたとか、大笑いさせたとかで、変に有名になった。
問題は、眠ることだけだった。でもそれも、怪我の治療も兼ねて医者に行ったときに話したら、薬をくれてとりあえず、解決した。でも、とりあえずなのはわかっている。わかっているのに、薬なしに眠ることが、出来なくなってきていた。
これだけは、ばれるわけにいかなかった。一ヶ月近くもいれば、八潮がかなりの力を持っていることはわかる。だから、誰にも知られるわけにいかなかった。八潮にばれれば、両親にばれる。お袋なんかにばれたら、連れ戻しかねない。
わかってる。でも、そう思えば思うほど、俺は眠れなくなっていった。
一人部屋でよかったと、本当に思う。
何よりも、自分で自分のことがどうにも出来ないと言うのが、俺には悔しくて、情けなくて、仕方なかった。
home モドル 01 02 * 04