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夢から醒めても
04
今日は仕事が手につかなくて、八時には職場を出たのに、映が家に着いたときは十時を過ぎていた。朝が早い藤吾は、そろそろ寝る時間だ。だが、見上げた部屋には明かりが灯っていて、映は急いでマンションの中に入って、階段を駆け上がった。藤吾に付き合っているうちに、重い荷物を持っていないときは階段を使うのが癖になってしまった。
がちゃがちゃと鍵を開けて部屋に入ったとき、中からテレビの音が聞こえ、ダイニングのソファーの上からは、藤吾の頭が見えた。
藤吾?ただいま、と映は声を掛けてみたが、藤吾から返事はなかった。とうとう愛想をつかされたかと、恐る恐る近寄ってみると、藤吾はソファーに身を預けて、眠っていた。
目の前のテーブルにはビールの空き缶があって、それを飲んで眠ってしまったのだろう
と映は小さく息を吐いた。
そろそろ秋らしい季節になってきて、夜は冷えるときもある。このままでは風邪をひくと思いながらも、映はしばらくその寝顔を見ていた。
どちらにしろ、悔しいながら、起こさなければ自分で藤吾を運ぶことはできない。
ごそりと藤吾が寝苦しそうに動いて、映はその顔を撫でた。これでは、昨晩だって寝辛かっただろうに、とため息をつく。その手の感触を感じたのか、藤吾が瞬きをして、目を開いた。
「映……?」
言った途端、目が潤んだ。寝起きだからただでさえ潤んでいるのに、そこに見る間に涙が溜まった。
「藤吾?どうした?」
びっくりした映がそう手を伸ばすと、ぎゅっとそれを握られた。
「も、もう、帰ってこないかと」
ばっかだなあ、と映が笑う。それから、ほら起きろ、と藤吾の身体を起こさせた。
「だ、だって……」
「怖かった?この間」
隣に坐って抱き締めると―――といっても構図では抱きつくと言った方がいいのだが―――藤吾はこくりと頷いた。大きな身体が小さくなって、映はごめんな、と心から思った。
「で、でも、俺も悪いって。ごめんね、あんなこと言って」
同じこと言われたらどうだ?と橋野に言われて、藤吾は改めて自分の言葉を考えた。もし映に同じことを言われたら―――悲しい。頼りないんだろうと、落ち込むだろう、それこそ深く深く。
「……橋野さんか」
映が藤吾の頭を抱えるようにして、静かに聞いた。う、と言葉に詰まってから、藤吾は小さく頷いた。それから、ちらちらと上目遣いに映の表情を伺った。
橋野に甘えている、と言われても、藤吾には反論出来ない。橋野は父親のような兄のような、そう言う存在だからだ。自分が、憧れてやまなかった。
藤吾の不安そうなその視線に、映はふっと笑った。馬鹿な嫉妬をしたと思う。
「別に、橋野さんに相談したり、悩み聞いてもらったりするのが駄目だとは言わないよ」
藍川はちょっと微妙だけどなあ、と映は明るい声で言った。
「俺のね、心が狭いだけだ」
静かな映の声は、藤吾を自己嫌悪に誘うに十分だった。泣きそうになりながら顔を上げると、ちゅっと映にキスされた。やさしい顔が、微笑んでいる。
「ごめんね……あれは、えーと、映に甘えたくないって言うんじゃなくて、あの、追いつきたいんだ」
うん、と映が相槌を打った。それと同時に、無理かもしれないけど、と藤吾が呟く。
「無理って……大体、俺だってそんなに凄い人間じゃない。藤吾が追いかけるようなさ」
ぷるぷる、と藤吾が頭を振った。
「だって、映かっこ良かった」
随分嬉しいことを、随分悲しそうな顔で言ってくれるものだ。映が頭を撫でると、藤吾はゆっくりとまた、頭を預けてきた。
「ちゃんと、副社長なんだなあって……」
「ちゃんとって言ってもなあ。社長があの瀬戸口だぞ?ウチは上役じゃなくて、下の社員達で持ってる会社なんだよ」
でも、そう言う社員を集める力はあるのだ。それはやはり、上役達の器量だと藤吾は思う。例えば、梶原も同じだ。あんなにわけがわからないのに、みんなが慕っている。藤吾だって、怖いとは思うけれど、尊敬もしているのだ。
「それに、地位はあんまり関係ないだろ?あくまでも、会社の中の地位ってだけの話だ」
映はどこか、そう言った周りの目と言ったものから遠いところにいる。藤吾など周りのことばかり考えてしまうのに、映は自分の容姿やその地位が、どれだけ魅力として人の目に映るか、全く気にしていない。
それを、少し羨ましいと思う。それが強さなのかなあ、と。
ふうっとため息をついたところで、映に囁かれた。
―――ベッドに行かない?
と。かあっと耳の先が熱くなって、でも藤吾は頷いた。こうやって触れ合うのさえ久しぶりで、どこか奥で燻るものはあったのだ。
藤吾は立ち上がろうとしたが、映は抱きついたまま退く気がないらしい。立ち上がりかけの姿勢で固まった藤吾に、凄い筋力だな、と映は感心した。何しろ、大の男を一人、抱えているのだ。
「え、あ、あの、映?」
「うーん。悔しいな。でもまあ、俺は藤吾を運べないけど、藤吾は俺を運べるってわけだ。運んで?」
な?と首を傾げられて、藤吾は再びかあっと赤くなる。
運んで、って?自分から?ベッドに?
いつもは、藤吾が寝ているところに映が入ってきて、とかずるずる引き摺られてことが始まることが多い。始まってしまえばわりと大胆になる藤吾は、それまでを恥かしがるのだ。
「え、あ、うん……どこに?」
「ベッド」
首にしっかり抱きつかれ、耳元で囁かれる。
「……どっちの?」
「お好きな方に」
そう言われてしまったら、藤吾は動けなくなってしまう。いつもは、藤吾の部屋ですることが多い。それは、ベッドが大きいからなのだが。
今の体勢で、そこに自ら行くのは、とてもじゃないが恥かしい。なんだかもう、誘っているみたいだ。
固まったままの藤吾を小さく笑って、映は仕方なく「藤吾の部屋がいい」と告げた。藤吾ほどの体格ならば、ダブルベッドを買っても怪しまれなく、是非にと薦めて映が買わせたものだった。
藤吾はぎくしゃくと頷いて、でも映のことはしっかりと抱いて歩き始めた。でも、映は目の前の真っ赤になった耳が美味しそうで、それを思わず口に含んだ。うーん、熱い、と思った途端、ずるりと身体が落ちそうになる。
「あ、映っ……落としちゃうよ」
再び固まって、慌てて映を抱えなおした藤吾に、ごめんごめんと謝って、映は大人しく運ばれた。
藤吾は自分で服を脱ぐのも脱がされるのも恥かしがるので、映は自分が楽しいからと脱がすことにしている。今日は黒いパーカーを着ていたので、釦を外す楽しみはなかったが、下から捲り上げていく楽しみもあったし、ぽすりと倒れた途端に偶然パーカーの帽子の部分を被ってしまった藤吾は、なんだか可愛かった。ただ髪が触れなくなってしまうから、キスをしながら外してしまったが。
藤吾の厚い胸板は、張りがあってうっとりとする。それがぴくぴく動くのは、映には堪らなくて、いつもそれを楽しむように何度も手を滑らせる。
映の愛撫は、いつも優しい。細くて綺麗な手が、全てを暴いていく様は藤吾には快楽しか生まない。その赤く柔らかい唇も、熱を与えるばかりだ。
たぶん、他の人間にこれほど安心して身を任せたことはなかった。映には、甘えきっていいのだと藤吾はいつもその身を全部任せる。
だから、甘えないなんて、嘘なのだ。藤吾はいつだって、こんなに映に甘えている。
「ん……っ」
落ちていった唇が、ふいに藤吾を包み込んで、熱い息がでる。このときだけは、絶対下を見られない、と藤吾は思う。あの唇が自分を包み込んでいるなんて、どうしたって見られない。映はわざとらしく流れるものはそのままにしていて、それが伝わって落ちていくことにまた、藤吾は声を上げた。ひくひくと、腹筋が動く。それに映は、思わず笑った。なんて、可愛いんだろう。
先に一人でいかせると藤吾が泣きそうな顔をするので、映はほどほどのところでその身体をひっくり返した。重たいと自覚のある藤吾は、そう言うときは協力してくれて、映の顔が綻ぶ。
ローションを垂らして後ろをゆっくり解しながら、もう片方の手を藤吾の口元に持っていく。そうすると、その手を見ている藤吾は、後ろを想像してしまうらしく、いつも恥かしそうに身を捩るのだ。それに笑って背中に口付ければ、微かに肌が粟立つ。
藤吾を抱くと言うのは、楽しくて仕方がない。
一度瀬戸口にも、あれは抱いたら可愛いだろう、と言われ、頭を叩いたことがある。自分がやりたいと思ったことはとことんやる男で、仕事のときなどはときどき尊敬するが、こればかりは冗談じゃなかった。
はあはあと荒い息を零して、藤吾は何度か映の指を甘噛みした。それはもういいよ、という合図で、映はにっこりと笑う。そっと指を口から出して、濡れたまま唇を何度かなぞると、藤吾の中が何度か収縮した。
「藤吾……どうせなら、指じゃなくてこっちがいいな」
まだ指を抜かないまま、その入り口に何度か勃ち上がったものを擦り付けると、んんっ、と藤吾が何かを耐えるように身体を震わせた。
藤吾は素直だ。感情も豊かで、だからすぐに赤くなったり涙ぐんだりする。それはベッドの上でも一緒で、映は嬉しくて仕方がない。
ゆっくりと身を沈めるときも、藤吾はとても協力的だ。力を抜いて、誘うように。
でも、それは今まで何度も抱かれてきたことから来る経験で、本当は映はときどき嫉妬する。
―――優しくされたことあんまりなくて、痛くないように、自分でなんとかしようと思って。
藤吾はそう言った。だから、嫉妬はしても、それについては責めきれない。その分、わけがわからなくなるほど優しくしてあげよう、とは思うけれど。
その優しさは、藤吾にとっては意地悪さと紙一重のものだった。気持ちよくて気持ちよくて、毎回おかしくなりそうになる。その上、映は何度も何度も愛してくれて。
でも、残るのは幸せな気持ちだ。
一緒にいこう、と囁かれて。
思わず微笑んでしまう、そんな気持ちだ。
藤吾は身体だけでもガードマンらしくしたい、とスポーツクラブに通っている。梶原傘下にあるそのスポーツクラブは、梶原警備の社員なら、格安で登録、利用できるのだ。その鍛えられた身体に、映はうっとりしながらも、付き合い始めてもう一つ、利点を発見した。
結構無茶をしても、藤吾はあまりへたばらないのだ。
基礎体力もあるし、足腰も鍛えているので、絶対藤吾に負担がかかるセックスも、わりと遠慮なく出来る。それがあって、映は藤吾のスポーツクラブ通いを止められなかった。
だからと言って、全く響かないわけでもなく。
今日はお日さまは黄色いし、ちょっと腰がだるい。
藤吾は吐けないため息を何度か心の中で吐き出して、必死に立っていた。朝の警備は三十分ほど、扉の横に立っていなければならない。気分はそれほど悪くなかったが寝不足は否めなくて、半野には出勤するなり無理やり野菜ジュースを飲まされた。
まあ、ちょっと久しぶりだったし、すれ違いの末だったので、昨晩のことは仕方がないと藤吾も思う。自分も、ちょっと我慢できなかったし。
そんなことを思ったら昨晩のあれやこれやが思い浮かんできて、藤吾は慌てて頭を振った。薄っすらと、耳の先が赤くなる。
「藤吾?大丈夫か?」
ふいに声がして、藤吾は小さく「ひっ」と声を上げた。そして、ほんのりで留まっていた赤味は、今度は全身に広がった。
「あ、あき……」
「おはよう」
「……おはよう」
にっこりと映に挨拶されて、藤吾は既に涙目になっていた。心配そうな顔で覗き込まれて……どうしたらいいのかわからなくなる。
「ちょっと昨日は暴走したよな……大丈夫か?」
そういうことを、こう言う場所で言わないで欲しい。藤吾はそう思ったが、言葉にはならずに訴えるように目を潤ませたままだった。
「藤吾……そんな目をして。心配だなあ」
「あ、あの」
「瀬戸口が来ても、相手しちゃ駄目だよ?」
大きなガラスの扉に吸い込まれていくサラリーマン達もOLも、ちらちらとそんな映と藤吾を見ていた。映は良くも悪くも目立つわけで、それが甘い顔をして警備員に話し掛けているのだから、気にもなるのだろう。
「今日はお昼、一緒に食べような。それから頑張って、六時には上がれるようにするから、一緒に帰ろう」
にっこりとそう言われて、藤吾はこくこくと頷いた。映はようやく満足したのか、再びにっこりと笑って、扉の中に入っていった。
仕事は全然違うけれど、同じ職場なのは嬉しいと、昨晩ちらりと話をした。
でも、と藤吾はとうとう深いため息を吐いた。
こんなのが毎朝あったら、沸騰して倒れちゃいそうだ、と。
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