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03
一年最後の月になると、お正月は休み宣言をしている監督の映画の撮影は慌しくなり、その他雑誌やCMの仕事も入って、俺はイズルと連絡を取っていなかった。
諦められないのはわかっているのに、今の状況も苦しくて、ため息しか出てこなかった。
仕事のストレスも、それまでどうやって解消していたんだろう、と思うほど、イズルに会うことで癒されていたことがわかった。
手を離すなと言われたが、そうやって掴んでいるだけの空しさは拭えない。第一、掴んでいていいのかもわからない。
そんなことを考えながら、街中で懇意にしているバンドの新アルバムのプロモーションビデオの撮影をしていた俺は、寒さに震えながら休憩時間にコーヒーを啜っていた。面白い映像を撮る作家で、仕事は楽しいがこれも使うかわからない、と言われていた。それなのに真冬にTシャツ姿で撮影なんて少し理不尽だ。ほとんど友情出演で、ギャラも高くない。ただ、面白く作ってくれるならそれでいいか、とは思っている。
雪も降りかねない曇り空を恨めしげに見上げた俺の視線の先、ふいにさっきまで頭に思い浮かべていた顔が見えた気がして、俺はギャラリーに視線を移した。あからさまにその方を向くとうるさいから、何気なく。
制服姿は初めてだった。と言っても、コートを着ているからあまりわからない。随分と大人びた雰囲気で、隣の女の子と話しているイズルは、どこか違う人間のようだった。
隣の女の子は一生懸命で、イズルはそれを苦笑してみている、と言う感じだった。ちらりと視線が合った気がしたが、女の子に話し掛けられたイズルは、その方向に顔を逸らした。
そうなんだろう、と俺は今度こそ空を仰いだ。
どう考えても、それが自然だ。プライバシーなんてない俺みたいな世界の住人じゃなく、同じ世代の、可愛らしい女の子。その隣にいるほうが、ずっと自然だ。
イズルがどうしてはっきりと答えを出せないのか、俺にはわかっていた。
イズルは、あの部屋の空間を失いたくない。自分の意志で作っている俺とは違って、作らざるを得なかったイズルにとって、それは切実な問題だ。
諦めるべきなのは、イズルではなくて俺なのだろう。
「矢野さん、俺、あの話受けようかな」
俺がそう言うと、隣で運転していたマネージャーの矢野がちらりと俺を見たのがわかった。
「どういう心境の変化だ?この間まではこっちがいくら説得しても頷かなかったくせに」
矢野の言いたいことはわかる。事務所の社長も矢野も、この仕事は大きいとさんざん俺に言ったのに、俺はずっと決心がつかなかった。
その仕事は、仕事としては確かに魅力的だった。若手だが評価の高まっている映画監督が今度取る最新作の主演の仕事で、企画も面白いと思った。ただし、三ヶ月の海外ロケがある。もちろん三ヶ月行きっぱなし、ということはないが、それでも時間に制約が出来、日本に帰ってきたときは仕事に埋もれるしかなくなる。
イズルとの事で、俺はそれを躊躇していた。イズルを手に入れたいとも思っていたし、何より自分が今の「藤原東」を保っていくことに自信がなかった。
でも、今はイズルと離れた方がいいのかもしれない。俺はきっとイズルを追い詰めるだけで、全てを壊してしまうかもしれない。あの場所や、空間さえも。
それだけは避けたかった。
「振られでもしたか?」
揶揄するような矢野の口調に、俺は思わずため息を吐きながら、そんなんじゃない、と少しふてくされたように言った。実際は、同じようなものの気がする。
ふいにくくっと笑い声が聞こえて、俺は思わず矢野を見た。デビュー時からの付き合いで、長いこと一緒に仕事をしているが、こんなふうに笑っている矢野を見たことがなかったのだ。せいぜい嫌味っぽいか、苦笑か。
俺の視線に気付いたのか、矢野が笑いを収めようと口に拳を当てた。
「いや、東がそんな風に自分を出すのは珍しいだろ。案外可愛いんだと……」
言われて、俺はすっと頭に血が上ってきたのがわかった。色白だったら、真っ赤になっているのがわかっただろう。俺は知らず、隠すように口元を手で覆った。
「いいことだよ」
信号で止まって、矢野がそうにっこりと笑った。それに、余計恥ずかしくなる。
「社長も俺も、本当は少し心配していたんだ。最初の頃は遠慮も何もなく我侭だったおまえが、仕事をするにつれてなんかこう、膜を張るように変わっていっただろ?最初は落ち着いてきたのかと思ったが、違うんだよな。おまえは東を作っていたんだよな」
ゆっくりと、車が動き出す。俺は気持ちを落ち着けながらも、驚いたように矢野を見ていた。そんなことを、矢野や社長がわかっているとは知らなかったのだ。
「気付いたときは、おまえはもう完全に膜を張っていた。どうしようか迷って、でも、俺たちの前でそれを破らないってことは、おまえにとってもその方が楽だったんだろ?まあ、俺といるときと、そこに他人が混じったときと、他人だけのときと、って変えてたらそれこそ大変だからな」
おまえなりに解決方法を見つけるだろう、と思っていたのだと矢野は言った。でも、どんどん自分を追い込んでいくのが見えて、心配していたのだと。
「でも最近になって、誰か見つけたかなあ、とは思ってたんだ」
「なんだよそれ」
「名瀬イズル。あの写真家の名瀬静己の息子なんだな」
俺は矢野の言葉にようやく自分が落ち着いたのがわかる。ぽすっと座席のシートに身を預けて、小さく息を吐いた。日の名残が、ビルに挟まれた道の先に見えていた。
「調べたのか」
「俺はこれでもおまえのマネージャーだからね。把握しておかないと面倒が起きてっからじゃ大変な事だってある」
「……別に、なんでもないよ。ただの友達」
「わかってるよ」
どこか苦笑を滲ませて、矢野がそう言った。その何もかもわかっている、というような口調に、皮肉だったのだろうか、と俺は思った。
「まあ、男だったら友達で通すことが出来るから、良かった、とも言えるな」
案の定、そんなことを言う。
「友達で通すも何も、友達なんだよ、イズルは」
「諦めたのか」
「似たもの同士の傷の舐めあいに、俺が嵌ったんだろ」
半分自棄になってそう言うと、ふうん、となんとも気に入らない答えを矢野は返した。
「傷、だったのか?」
「え?」
「俺は別に、おまえのやり方が間違ってたとは思わない。ただ、どこかおまえが戻れる場所がないと辛いとは思ってたんだ。一人のときじゃなくてな。おまえ、事務所にいるときも俺しかいないときも、いつもこう殻に入ったと言うか膜を張ったというか……笑うときでもそうだろう?」
「東仕様」
思わず俺が呟いて、矢野が「何?」と聞き返す。
「イズルに言われるんだ。東仕様、東方式の笑い方、答え方、振舞い方……俺たちは外面って言ってもいたな」
「その外面、って言える相手が大事なんだろうが」
そうだね、と俺は言いながら、それだけでは済まなくなったらどうしたらいいのだ、と矢野に言いたかった。
「少し、頭冷やしたいんだ。大事に、したいから」
だから、離れてみよう、と俺は思った。目の前で見てしまったら、どうするのか自分でもわからないのだ。とくに、あの二人きりの空間が怖い。あの空間は俺にもイズルにも必要で、ときどき狂うほどに欲しているのに、それを自ら壊しそうで、自分が怖い。
「じゃあ、あの話は本当に受ける方向でいいんだ」
「どうせ返事は保留にしていたんでしょう?遅くなって申し訳ないって言っといて」
俺がそう言うと、東仕様ねえ、と矢野が可笑しそうに笑った。
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