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 行くのなら、イズルに言うべきだとはわかっていた。でも、いつも俺から誘ってはイズルが来る、ということの繰り返しだったし、渡した合鍵は夏以来使われていなかった。返すとまで言われて、いいから持ってろ、と俺はほとんど怒るように言ったのだ。
 そんな風だったから、わざわざ言うのもまた淋しいような悲しいような気持ちを味わうだけか、と思って、ずるずると連絡せずにいた。そして出演の答えをかなり伸ばしていたらしい俺(というより事務所)は、OKの返事と共に、すぐにでもロケに行くことが決まってしまった。
 それでも今の映画の撮影が終わっていないために、年明けは待つことは相手も了承してくれていた。撮影は順調で、年明けすぐ、残りワン・シーンを撮れば撮影は終わりだ。
 クリスマスは、パーティーに誘われていた。鷲見主催の、彼がオーナーになっているバーのパーティーで、俺はイズルに会えるかもしれない、という期待と、会って自分はどうするのだろう、という不安を持ちながら、バーに行った。
 その日は、間宮から強引にエスコートも言い渡されていて、俺はため息をつきつつも従った。と言っても、双方マネージャーつきで、店の前で待ち合わせだ。今はゴシップはどちらもいらない。
「今日はね、本当はイズルにエスコートして欲しかったんだよねー」
「……役不足で申し訳ないね。断られたんだ?」
「仕事なんだって」
 ぷうっと音がしそうなほど頬を膨らませた間宮は、その可愛らしい少女のような外見に、大人の女の色気を出している、一種犯罪的な格好をしている。今日は中華風、と言って現れた間宮はチャイナドレスで、長いスカートの裾をひらひらさせながら歩いていた。
 バーに入ると人が溢れていた。鷲見がオーナーをしているバーはearshot以外はほとんど行ったことがなく、ここも初めてだった。落ち着いた、親密な雰囲気溢れるearshotとは違う、空間を贅沢に使ったバーで、でもそのシンプルさが目を引いた。
「間宮、今日は一段と男殺しの格好してるな」
 鷲見が入り口で客相手に挨拶しているらしく、俺たちにも声をかけた。俺も間宮も仕事関係と言うより鷲見の交友関係の一つで、いつも気軽に話している。最新流行を常に把握しながらも、安易にそれに飛びついたりせず、自分のスタイルを出す、という鷲見のやり方は俺にはとても格好よく見えたし、鷲見も俺たちのネームバリューを上手く使っている風で、居心地のいい関係だった。
「ああ東、おまえ静己と何話したんだ?」
 内緒話でもするかのようにぐいっと引き寄せられて、囁かれる。俺は一瞬誰のことかと思ったが、イズルの父親だとすぐに気付いて、にやりと笑った。
「何って?鷲見さんの学生時代の輝かしい話とか?」
 皮肉を込めて言ってやると、軽く頭を叩かれた。実際には、鷲見の話は少ししただけだ。あとは、イズルの話ばかりだった。
「なんかおまえのこと誉めててさ。どんな面被ったのかと」
「被ってませんよ。あの人の前では、被れない」
 俺がそう言うと、鷲見は一瞬奇妙な顔をして、ふうんと目を細めた。
 本当は、鷲見には感謝している。名瀬静己と対談したいと言っても、本人はほとんど日本にいないし、フリーで活動している分、連絡のとりようもない。大体、写真以外の仕事をしたがらないのだそうだ。それを、鷲見の仲介で無理に押してもらったのだ。
 会場に入っていくと、見知った顔にいくつもあって、挨拶してくる度に俺はそれにそつなく答えていく。もちろん、俺から挨拶に行くべき人物もチェックを入れて、あまりしたくもない挨拶に行ったりもしているうちに、俺はさすがに疲れてカウンターに座った。小さく息を吐くと、目の前にビールが出てきた。まだ一杯も飲んでいなかった俺は、それをありがたく頂くことにする。ごくごく飲んでいると、生ハムの盛り合わせが出てきて、俺は思わず顔を上げた。何も言わないうちにビールが出てきた時点で、どうして気付かなかったんだろう、と思う。
「イズル……」
「もう一杯、飲みますか?それとも何か他のもの作りましょうか」
 相変わらずの外面で、微笑まれる。それが外面だとわかっていながら、今飲んだばかりのビールが腹の中でふつふつと沸騰するかと思った。やっぱり、見たら駄目だ、と思う。押さえ込んでいるものが発散されない分、爆発してしまいそうだ。
「どうしてここに?」
 惚けたように言った俺に、イズルは相変わらず微笑んだまま、もちろん仕事で、と言った。
「ここ、オーナーが新しく開店したバーなんです。正式オープン前だそうで、今日はearshotは休みにして、岸さんも武内さんも応援に来てるんです」
 そう言ってちらりと横を見たイズルの視線を追うように俺もカウンターの中を見ると、確かに岸さんがいた。
 オープン前に業界人を集めてパーティーとは、鷲見らしい宣伝だと思いながら、これはやはり話せ、ということなのだろうと思って、俺が口を開きかけたときだった。隣に、甘い香りを漂わせて、今、映画で共演中の笹野がしなだれかかってきた。甘い香りと一緒にアルコールの匂いもしていて、だいぶ飲んだのだとわかる。もともとそれほど強くないタイプなのに、大丈夫か、と俺はため息を隠した。
「東ぁ、今の終わったらロンドンだって?いいなあ、私も連れてってよ」
「なんだ、早いな。もう知ってるの?」
「監督が東を口説き落としたって有名だよ?三ヶ月のロンドン生活!いいなあ」
 口説き落とされた覚えはないのだが、社長や矢野がずいぶん粘りながら、俺を待ってくれていたのかと思うと少し申し訳なかった。
 連れて行って、と何度も言う笹野に呆れながら、俺は執拗に抱きついてくる笹野の腕を、怒らせないようにそっと外していく。こういうときは大概マネージャーがいるのだが、どうしたのだろうと思わずフロアに視線を走らせた。それに気付いた笹野が、つられるようにフロアを見て、運良く誰か新しいターゲットを見つけたようで、自分からふらふらと離れていった。
 ほっと一息ついた途端、イズルのことを思い出した俺は、はっと顔を上げた。でも、俺の目に映ったのは琥珀色の液体の入ったグラスで、俺は大きなため息を吐いた。
 笹野との会話を聞いただろうか、と思った自分を笑いたくなる。だからと言って、イズルにはなんでもないのだろう。
 ぐるぐると、いつまで俺はこんな風に考えつづけるつもりなのだろう、と思う。
 結局、欲しい答えは一つで、それが得られないために何度も問い掛けているだけなのだ。
「なにこんなところで一人くらーい顔してるの?珍しいじゃない」
 間宮も一通り挨拶を終えたのか、俺のところに寄って来た。てっきりからかうだけで行ってしまうかと思ったら、隣に座る。
「なんだよ」
 にこにこと顔を見られて、俺はイズルが出してくれていったのであろうグラスを煽る。ふわりとした香りに、コニャックだとわかった。俺がときどき飲んでいたのを覚えていたのだろう。
 残酷だな、と当てのない思いを抱く。こんなのは、ずるい。
「なーんか、この頃の東って面白いんだよね。見てて飽きない」
 煙草吸っていい?と間宮が聞いてきて、俺はどうぞ、とテーブルの上の自分の煙草を押し出した。間宮は滅多なことでは煙草は吸わないのだが、酔うと欲しくなるらしい。
「でもねえ、前より私は東が好きだよ?」
 それはどうも、と言いながら、俺も煙草に手を伸ばした。少しずつ、色々な人間に対して俺は自分をさらけ出し始めている。たぶん、間宮はそのことを言っているのだろう。皮肉なことに、一番さらけ出せる相手に、本音を隠さなければならなくなったが。
「ねえ、前に言ってた相手でしょう。その変化のきっかけ」
「何が?」
「ほら、私を慰める余裕もないなんて言わせた相手。――誰?」
 好奇心を丸出しにして、間宮が肩に手を乗せてきた。少し目がとろりとしていて、挨拶しながら随分飲まされたのだろう、と俺は思った。
「やめてくれ、胸が痛い」
 半分本気で、でもふざけた口調でそう言うと、くすくすと間宮が笑った。
「ちょっと妬けるなあ。東にそんなこと言わせる女」
 女じゃないが、そんなことはどうでもいい。俺はうるさいよ、と口には出さずにしなだれかかるような間宮を押し返した。
 間宮はまだくすくすと笑ったまま、もう一方の手も首に回そうとしてきたが、ふと視線が泳いで、それから満面の笑みを浮かべた。
「イズルじゃないっ。なんだ、仕事ってここだったのね」
 おいでおいで、と言うように手をひらひらとさせて、間宮がイズルを呼んだ。俺は間宮とイズルが楽しそうに話し始めたら、何をしでかすかわからなくて、吸いかけの煙草を灰皿に押し付けると、グラスを持って立ち上がった。間宮は俺のことなど気にせずに、イズルに抱きつこうとしている。
 そんな風に、手を伸ばすことさえできない。
 きっと、イズルの中で俺はきちんと特別に入っているはずだ。
 でも、それだけで俺は満足できない。抱きしめて、キスをして、イズルの中を感じたい。
 発情期の獣じゃあるまいに、どうしてこんなにイズルが欲しいのだろう。
 どこか腹の奥底で、ひんやりと、狂気なようなものが横たわっている。ひどく冷たいそれは、中で低温火傷を起こしているに違いない。だから、冷たいのか熱いのか、わからない。
 あの外面でにこりとされると、その狂気が暴れようとする。
 自分の腕の中で泣かせて、素のままのイズルを引きずり出したくなる。今、この場であっても。
 どうかしている。
「東?どうした?」
 グラスを持ったまま、ふらりと、出口に向かった俺に声をかけて来たのは、鷲見だった。
「悪い。酔ったみたいだ。ちょっと酔い醒ましてくるよ」
 俺は精一杯、最後の一枚なんじゃないかと思える面の皮を張り付かせて、そう笑いながら鷲見にグラスを押し付けた。
 ああもう一層のこと、イズルと出会う前に戻ってしまいたい。
 そんなひどく後ろ向きな思いを抱えて、俺は店を後にした。


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