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君を愛する理由(わけ)などいらない。 第二話
01
 俺は蕎麦好きだ、と言う藤川に年越し蕎麦は任せて、真崎は正月用の餅やおせち料理を調達した。おせちと言っても、男二人なのだから、食べたいものだけを作ることにした。
「作るのか?」
 と本気で驚いていた藤川の顔を思い出して、なますのためのにんじんの千切りをしていた真崎はそっと笑う。毎年、智耶子の家から豪華なおせちが届いていたのだろう。二人は本当に料理をしない。
 真崎とて、おせちなど作るのは二人の正月のためだ。本を見ればだいたい作ることが出来てしまう真崎に、藤川は尊敬の眼差しをする。
「じゃあ、じゃあ、きんぴらは外せないよな。あ、あと黒豆!」
「げ、面倒なのを」
「あれをちびちび食べるのがいいんだよ。酒のつまみにしてさ」
「甘いだろ、あれ」
「だから、日本酒に合うじゃん」
 とわけのわからないことを言って笑う藤川は、智耶子のことをあまり言わない。未だ消化しきれていないのか、名を出すことさえしない。沈んだ様子は見せないが、空元気のようにずっと笑っているのが、かえって痛々しかった。
「大晦日は、ビデオ見ような。スターウオーズとかゴッドファーザーとか。年末のテレビって俺嫌い」
「長いのばっかじゃん。初詣は行かないのか?」
「真崎ってさ、結構信心深い?」
「いや。でも、正月気分を味わうのは好きかな」
「そうだなあ。近くにあるし、ビデオ見て、飽きたら散歩がてら行こうぜ」
 そんな風に、普通に会話をしているときに、ときどき、ほんの微かな寂しさを見せる。そういうときの藤川は、笑っているのに泣いているようだった。
「真崎は実家帰んないの」
 そして、そんな淋しいことを言う。
「帰らないよ、毎年」
 帰りたくない、と言うのが本音だが、藤川はふーん、と言っただけだった。
「藤川は?」
「俺も毎年正月は帰ってないよ。夏だけ」
 そう言えば、こいつの実家はどこだ?と真崎が聞こうとしたところで、藤川がよし、と声を上げた。
「出来たぜー。俺の特製年越し蕎麦!」
 蕎麦こそ打たなかったが、ツユは何やら藤川が作っていた。普段ほとんど料理をしない藤川の蕎麦を、恐る恐る口にする。
「ん、うまい」
 ツユには生姜がきいていて、たっぷりの葱と相まってさっぱりした味だった。
「だろ?だろ?」
 何度も確認する藤川が、可愛らしかった。これからは、藤川が蕎麦担当だな、と言うと、「任せろ」と笑った。真崎の意図した意味を、まるで汲み取っていないような、無邪気な笑顔だった。


 どう考えても、女って言うのは強い、と真崎は思っていた。臆病なのはいつも男で、卑怯にも誰かが動き出すことを待っていたりする。
 例えば、智耶子がしたように。
 目の前で、婚約者だと言う男を紹介する智耶子を見ながら、恋愛におけるエネルギー消費の男女比率について、などというレポートじみた言葉が浮かんできた真崎は苦笑した。智耶子は幸せそうだ。そして、隣に坐る藤川は、どこか浮世離れしていた。
 智耶子が婚約者を紹介するからと、実家の料理屋に招待されたとき、藤川はいかないだろう、と真崎は思っていた。他人から見てもわかる、未だに引きずる失恋の痛みに、耐えられるわけがない、と。
 でも、予想に反して、藤川は行くのだと言った。智耶子はどうやら先に藤川に連絡をしていたらしく、「来るわよ」と何でもないことのように言われたのだった。
 これを修羅場と言うのではないか、と真崎は後になって思ってみたのだが、現場の藤川は大人しい。ときには微笑みさえ浮かべて、二人に話し掛けたりしている。でも、それがあまりにらしくなく、現実離れしているように真崎には見えるのだった。
「行かないかと思った」
 二人の部屋に帰りながら、真崎がそう言うと、藤川は酔いの冷めない顔で怒った。
「俺はそんな逃げるようなことはしない」
 逃げるも何も、と真崎は苦笑する。でも、それが藤川なりの「男気」なのだろう。
 お正月が終わったばかりの冬の夜だった。寒さに息が白く舞い、凍っているような月が出ていた。ふらふらと歩く藤川は、時おり立ち止まっては街灯を見上げたりしている。
「かっこよかったな」
「須賀さん?」
「そう。さすがチャコの婚約者」
 自棄にでもなっているのかと思ったが、数歩前の藤川の横顔は笑っていた。
「俺よりかっこ悪かったら、諦めきれないじゃん」
「諦める気あるんだ」
「んー?さあなあ。わかんないなあ。だって、諦めるとかじゃないだろ」
「言ってることめちゃくちゃだよ、おまえ」
 そう?と藤川は笑っている。
 でも、わかるよ、と真崎は呟いた。諦められるなら、真崎だってきっと、とっくに諦めている。こんなに辛い思いなど、本当はしたくないのだ。
「チャコ、幸せそうだったなあ」
 ちょっと悔しいよなあ、と藤川が本音をちらりと覗かせた。
「だったら、おまえも負けずに幸せになるんだな」
「うーん。無理」
「なんで」
「俺さ、わかったんだけど。幸せにすることはできても、なることはできなさそう。好きにはなれるけどさ、好かれるっていうのは、なんか俺の柄じゃないって言うか……」
 それを自分に向かって言うのか。真崎は思わず立ち止まった。
「おまえ、俺の言ったこと忘れてるだろ」
「なに?」
 真崎は、盛大なため息をついた。まったく、智耶子に聞かせてやりたい。これに本気で同情してくれるのは、きっと智耶子だけだ。
 じゃあさ、と真崎は仕方なく言う。
「じゃあさ、俺を幸せにしてよ」
 ふわりと舞った白い息を、藤川は見ていた。それから、ゆっくり笑うと、真崎には答えずに、帰ろうぜ、とだけ言った。
 所在無さそうに立った真崎に、ほらと手を伸ばして。



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