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君を愛する理由(わけ)などいらない。 第二話
02
「最近、また派手になってきたんじゃない?」
 人を寄せ付けない雰囲気を思い切りだしていた真崎を無視して声を掛けてきたのは、智耶子だった。カフェテラスの窓際で本を読んでいた真崎は、ちらりと智耶子を見ると、また視線を落とす。そろそろ暖かくなってきた陽気に、眠気が誘われるような午後だった。
「少しも進展してないの?」
 智耶子はそんな真崎を気にすることもなく、向かい側の椅子に坐った。真崎は本から顔を上げないが、集中などしていないことは誰の目にも明らかだった。
 智耶子の声には、非難の色はなかったが、どちらかというと呆れたと言うか、心配と言うか、そんな感情が見えていた。それをわかっている真崎は、完全に無視をすることもできない。
「進展どころか、始まりもしない」
 ぼそりと呟くと、智耶子が苦笑したのがわかった。智耶子は内心で、煮詰まっているなあ、と思っていた。少し、可哀想なくらいだ。
「それどころか……智耶子サン、知ってる?」
「何を?」
「藤川を狙ってる女の話」
 真崎がようやく顔を上げる。少しやつれたように見えるのは、気のせいだろうか、と智耶子は眉根を寄せた。
「ちょっと噂を聞いたけど……本当なの?」
 智耶子はつい最近、昔からの友達に聞いた話を思い出していた。藤川がよく顔を出している、サッカー同好会の後輩が、藤川をどうやら気に入っているらしい、という話だった。若くて可愛いわよ、とその友人はにやりと人の悪い笑みを浮かべてくれた。
「会ったことないからわからないけど。毎日電話は来てるみたいだし、最近はその同好会に行ってばっかり」
「藤川は?」
「さあ。まんざらでもないんじゃないの?電話にも出てるし、同好会にも行ってるわけだし」
 それで真崎は真崎で、派手に男女問わずに遊んでいるというのか、と智耶子はため息を吐いた。一抜けた、と笑うはずだったのに、これではなんだか気になってしまう。
「で、俺は色々な人に慰めてもらってるんだよ。遊んでるって言うよりさ」
 真崎は自嘲気味に笑った。どうしようもないのだ。藤川が自分のことを好きになってくれないのは、仕方がない。
「私にも慰めてもらいたい?」
 智耶子が、そう笑う。真崎は苦笑しつつ、須賀さんに恨みを買いたくない、と言った。
「大丈夫よ。頭を撫でてあげるだけだもの。ね?」
 ぽんぽんっと頭を叩かれて、真崎は参ったな、と顔を伏せた。誰も、智耶子でも、今の真崎を癒すことは出来ないのだ。それを智耶子は知っている。そんな風に誰かを探しても、ただ空しいだけなのだと。
 でも、それでも、真崎は温もりを探しつづけないと、どうにかなりそうだったのだ。それは、真崎にしかわからない気持ちだとしても。


 朝のコーヒーと甘いパン、風呂の順番など、実用的な「決まりごと」はそのまま習慣のように残ったが、週一回の我侭を聞く、というのはいつの間にかなくなっていた。年末からそれどころではなく、ようやく落ち着いた頃にはテストや課題に明け暮れる日々がやってきたのだ。藤川は智耶子のことを少しずつ話題に出すようになったし、時には智耶子が遊びに来たりもしていた。
 藤川を気に入っている後輩、とやらの話を、真崎は藤川から聞いたことはない。気にはなっても、普段どおりの藤川にどう聞きだしていいのかわからないし、部屋には連れて来ていなかったから、真崎も何も気にしない振りをしようと思っていた。
「なあ、真崎って飯野教授の講義取ってたよな?」
 真崎がレポート製作に必死になっていると、藤川が風呂上りのさっぱりとした顔で部屋をノックした。
「ん?ああ、取ってるよ。何?ノート?」
「うん。ちょっとわかんないとこあって。貸してくれる?」
 真崎はその辺にあるよ、と本棚の下を振り返りもせずに指すと、またパソコンに向かった。しばらくごぞごそと音がしていたが、なかなか見つからないのか、藤川が出て行く気配がなく、真崎は気になって顔を上げた。
「ああ、そっちじゃないよ」
 真崎は凝り固まった肩を解すように頭を横に振りながら、藤川の横からその手元を覗いた。そして、ふいに固まった。
「え?じゃあどれだよ。真崎?」
 近寄ってきたかと思うと何も言わない真崎に焦れたように振り向いた藤川は、目の前の怒ったような、真剣な真崎の眼差しにぶつかった。
「真崎?」
「それ、なんだよ」
 声は十分抑えられていたが、怒っているのははっきりとわかった。藤川は、それって?と眉根を寄せた。
「首筋の、そのキスマークだよ」
 春も近く、藤川は風呂上りにTシャツを羽織っていた。その襟元からのぞいた、赤い斑点。それが何かわからないほど、真崎は初心でも純真でもない。
 藤川はふいっと考えるように視線を落としたが、すぐに思い当たったのか、赤くなって、ばっとその場所を手で抑えた。それが的確な場所を抑えているのも、真崎には我慢ならなかった。
「誰?あの女?」
 そんな嫉妬をする立場になどない、と真崎はわかっている。わかっているが、抑えきれなかった。いっそ、関係ないだろうと振られるならそれでもいいと思った。
「杏ちゃんのこと知ってるのか……?」
 きょうちゃんなんて知らない、と真崎ははき捨てるように言いながら、何か絶望的なものを感じていた。所詮、真崎は藤川の相手にはなれないのだ。智耶子が戦線離脱をしても、真崎はそこに加わることができない。それを、はっきりと突きつけられたと思った。
「付き合ってるのか」
「違う……と思う」
 いつも真っ直ぐに自分を見る目が、伏せられて見えない。表情さえ見えなくて、真崎は思わずぐいっとその肩を掴んで顔を上げさせた。
 見たことのない表情だった。困惑しきった藤川の目は揺れていて、視線も定まらなかった。
 もういい、と真崎は小さく呟いた。
「え?」
「もういいよ。智耶子サンじゃないけど、俺ももう待てないみたいだ」
 恋愛至上主義の藤川は、真崎の気持ちを否定もしなければ拒絶もしない。でも、もうそれも終わりにしよう、と真崎は思った。好きだと言ってくれなかったら、否定や拒絶をされてもされなくても、同じことだ、と思った。
「もういいって、何一人でわけわかんないこと言ってるんだよ?大体、おまえだってしょっちゅう女も男も連れこんでるだろ。俺がちょっと誰かとホテルに行ったからってなんで怒られるんだよ」
 藤川は困惑したままの顔で、そう言った。その通りだ、と真崎は思う。そんなことは良く知っている。
「ホテルね……」
「部屋でするよりいいだろ」
「部屋でされるのが嫌なら嫌だって言えよ」
「別にそんなこと言ってない」
「言ってるだろ」
 全く、子供みたいな言い合いだ。真崎は隠さず、ため息を吐いた。
「それに、さっき付き合ってないって言ったよな。それなのにホテルに行ったのか?おまえ、そういうの駄目だって言ってただろ?」
 藤川にセックスフレンドと言う概念はない。だから、真崎がいくら誘っても駄目だったのだ。それは男だから、という前に、友達だから、という理由だったはずだ。
 藤川は何も答えず、軽く唇を噛んだだけだった。
「それとも溜まってて、我慢できなかった?」
 真崎、と低い声がしたが、真崎は止めなかった。
「男だからさ、しかたないよ。だったらさ、俺ともしようよ。試してみて、男が駄目ならそれでいいから」
「真崎」
「藤川は何もしなくてもいいよ。目瞑ってれば、結構わからないかもしれないし。俺、初めての奴に抱かれたこともあるしさ」
 決して口を閉じようとしない真崎に、藤川は手を伸ばしてその口を覆うと、少し黙れ、と不機嫌に言った。それから、ゆっくりと藤川の手が離れていって、真崎のきつく噛み締めた唇が見えた。
「杏ちゃんとは、確かに付き合ってないけど、でもそんな性欲処理のためだけに抱いたわけじゃない」
「そうだよな。藤川は俺とは違う」
 だから黙れよ、と真崎の言葉を遮って、藤川が低く抑えた声ではき捨てた。
「おまえのその自分を大事にしないところが嫌いだよ。聞いてて不愉快だ」
 床に坐ったままで、藤川が真崎を睨んでいた。真崎はふっと口を閉ざして、また唇を噛み締めた。それから、やっと言った、と吐き出した。
「嫌いだって、やっと言ったな。これで諦められるよ」
「真崎?さっきからわけわかんねーぞ」
「だから、もういいんだって」
「何が?」
「もうすぐここの契約も切れるし、ちょうどいいかもな」
 真崎はそれだけ言うと、眉根を寄せた藤川にノートを渡して、自分はまた机に向かった。そして、藤川が話し掛けようとしても、頑として、振り返らなかった。




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