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君を愛する理由(わけ)などいらない。
10
クリスマスイブには結局、三人で真崎と藤川の家に集まった。和洋折衷の出来合いのものばかりと飲み物をを男二人で抱えきれないほど買ってきて、次々とテーブルに並べる。この安っぽさと栄養が偏っていそうなのが、一年に一度のパーティに相応しい、と藤川は言う。二人きりなら腕を振るう気もあった真崎は、その藤川に賛成した。フライドチキンも、ピザも鮨も、まるで子供のクリスマスだ。ただケーキだけは、智耶子の担当で、美味しいものを買ってくるということだった。
「これも決まりごと?」
買い物帰り、重い袋を両手一杯に下げて、真崎と藤川は部屋に向かっていた。かちゃかちゃと、ワインの瓶が時おり音を立てていた。
いくつもあるこの家の決まりごとは、今ではすっかり真崎にも馴染んでいた。そうなればそうなるほど、三人の関係が奇妙になっていくにも関わらず。
「というより、食べたい人が買ったほうが美味しいもの買ってくるからさ」
だから、いつもそうしていたのだろう。去年も、一昨年も、真崎の知らない二人の時間の中で。そして、今年も。藤川は、こうして三人でイブを過ごすことに何の疑問もないのだろうか、と真崎は思った。それどころかそうして、来年も、再来年も続くことに、何の疑問もないのかもしれない、と。
知らず、真崎は空を見上げて溜息を吐いた。垂れこめた曇り空に、多くの人が雪を期待しているような空だった。
どうしたって、横から割り込んだような形だ、と真崎は思う。そんなことを言ったら、二人は「馬鹿だなあ」と笑うだろう。智耶子など、また自分の気持ちを蔑ろにして、と怒るかもしれない。でも、それでも、真崎はそう思う。
「何してんだよ」
立ち止まった真崎に、藤川は重そうに荷物を持ち直した。でも、顔は笑っている。
「実はケーキ買いたかったのか?」
そんな検討はずれなことを言う藤川に、首を振る。
「だよなあ。おまえは酒だろ、酒」
あの安いワイン、ちょっと楽しみだよなあ、と無邪気に言う藤川に、真崎は苦笑するしかなかった。
そうやって、藤川はさり気なく、自分もここにいていいのだと言う。
でも、そんな優しさは、少し残酷だと真崎は思った。
藤川はそれほど酒に強くない。というより、わりと無茶な飲み方をする。まるでジュースのように飲んで、ぱたりと寝てしまうのだ。そんなときの藤川は、とても幸せそうだ。こんな飲み方をするのは、ごく親しい友人達といるときだけだからだ。
あらかた食事も終わり、ケーキをつまみにシャンパンを飲んでいたところで、藤川はぱたりと後ろに倒れて眠ってしまった。真崎も智耶子も、あーあ、と笑った。
「フォーク持ったままだよ。ガキかこいつは」
真崎はそう言いながら、笑ってそのフォークを取り上げる。それから、藤川の部屋から毛布を取ってきてばさりとかけた。その甲斐甲斐しさに、智耶子はぐいっとグラスを煽る。せめて、自分が藤川の世話をできれば、こんなに妬くこともないのに、などと思う。または、真崎が他の人間にも、同じような態度で接するならば。
「甘いもの食べると、なんだか満足しちゃうみたいね。いっつも全部食べきらないで寝ちゃうんだから」
智耶子はそう言いながら、残ったケーキを自分に引き寄せた。あまったケーキを食べるのは智耶子の毎年の役目だったのだ。
「ほんと、ガキだな、それじゃあ」
ねえ、と智耶子は笑ってケーキを食べている。
智耶子の買ってきたケーキは、確かに美味しかった。クリスマスらしい苺のショートケーキなのに、スポンジもクリームも、極上だった。だから、正しい、と真崎は思う。ケーキは智耶子に、酒は自分に。それで良いじゃないかと思うが、溜息を止めることは出来なかった。
「どうしたの?藤川が眠った途端に溜息?」
「いや、ケーキが美味しくて溜息」
間違ってはいないだろう、と真崎は心中で言い訳をする。智耶子はそんな真崎の真意を探ろうとじっと見つめたが、隣で藤川が寝返りを打って、毛布が落ちたためにそれを引き上げてやった。
仕方がない、というようなその目が悪い、と真崎は思う。慈悲深く、慈愛に満ちたような、その目。それを見るたびに、藤川の聖域は決して侵されないと真崎など思ってしまうのだ。
そんなことを酔った頭で考えたのが間違いだった。だから、真崎は思わず、呟いてしまった。
「もういい加減、藤川を解放しろよ」
静かな室内に、その言葉は思ったより響いた。言っておいて、真崎は自分自身でその白々しさを感じていた。案の定、智耶子は少し驚いたように真崎を見て、本気でそう思うの?と呟いた。
かちゃり、とフォークが皿にぶつかる音がした。智耶子は食べることを止めて、真崎をじっと見つめていた。
本当に囚われているのは智耶子の方だ、ということを真崎はもう随分前から知っていた。たぶん、最初に会ったときから。それを見えていない振りをしたのは、その方が自分にとって好都合だったからだ。解放を切実に願っているのは、智耶子の方であって藤川ではない。そしてそのことを、藤川自身もまた、見えていて見えない振りをしているのだ。
智耶子は自分の目が潤むのを不思議に感じていた。真崎の藤川に対する気持ちなんて、はっきり何度も聞いている。それなのに、どうして今日は泣きたくなるのだろう。
理不尽だ、と思った。
藤川を捕らえることなど、智耶子にできるはずがない。それは空気と同じことで、それに包まれることはできるが、智耶子は捕らえることは出来ない。
沈黙が、部屋の中を覆っていた。シャンパンの泡がはじける音が、聞こえるくらいに。でも、智耶子も真崎も、その居心地の悪い空気から逃げ出すことに必死で、藤川の目がいつの間にか開いて、どこか一点を見つめていることに、気付かなかった。
クリスマスが過ぎるとすぐに年末になって、藤川はまた、三人で年越しをしよう、と提案した。でも今度は、智耶子がゆっくりと首を振った。
「私はパス。今年は実家に帰るわ」
智耶子が儚げに笑うのを、真崎は初めて見た気がした。藤川は虚を衝かれたように黙った後、実家?と呟いた。
「うん。ちょっと、本格的に家を継ぐ算段をしないとね。幸いなことに、跡取は見つかりそうだし」
さらりとそう言った智耶子に、今度ばかりは真崎まで驚いた。
「跡取って……」
「問屋さんの次男でね。商売の才覚もあるくせに優しい、大人の良い人よ」
にっこりとそう笑う智耶子に、二人は唖然とした。その表情に、智耶子は満足してくすくすと笑った。
「やあねえ。私だって一応もてるのよ」
そんなことは知ってる、と藤川は頷いた。
「でも、でも、真崎は?」
混乱しきった藤川の問いに、智耶子は少しばかり哀しげに微笑んだ。そして、私ね、わかったの、と小さいがはっきりとした声で言った。
「愛されていることを信じつづけることはできても、愛されることを待つことはできそうにないわ」
そうして微笑んだまま、「聡」とベッドの中でしか呼ばなかった藤川の名を呼ぶ。そういうところが女はずるいんだわ、と思いながらも、ふいに口を出てしまったのだから仕方がない。
「ありがとう」
愛してくれて。全身全霊の、温かく安心できる、でも怖いくらいの愛を教えてくれて。
智耶子はまるで、最後の睦言のようにそう言って、くるりと踵を返した。冬なのに、まるで春の風のように、どこからか吹いてきた風がそのスカートの裾をふわりと揺らした。
「愛してるだけじゃ、駄目なのかな」
どこか軽やかに去った智耶子を呆然と見送ったまま立っていた藤川が、ぽつりと呟いた。本当は、三人で待ち合わせをして、正月用の買い物をするはずだったのに、今日はもう、それどころではない。真崎も突然のことに驚いて、二人は駅前にしばらく立ったままだった。冬の乾いた風が時おり吹いて、枯れた葉やどこからか飛んできた紙切れがかさかさと音を立てる。先刻までは、その度に寒さに身を震わせていたのに、そんなことも忘れてしまっていた。
藤川は愛情を分けられない、と言った智耶子の言葉を真崎は思い出していた。確かに、藤川の何も求めない愛し方は、親の愛であり、恋人の愛であり、全ての愛であるように思った。それ以上の至上のものなどない気がするのに、智耶子はそれでは駄目だと言う。
「駄目なんだ」
一人呟く藤川に、真崎は「いいだろ」とぶっきらぼうに言った。
「じゃあ、なんで智耶子はあんなことを言ったんだ?なんで、あんなこと言って、どこかに行っちゃうんだよ?!」
「藤川、落ち着け」
真崎に飛び掛るように、そのコートを掴んで、藤川は真崎を揺すった。今にも泣きそうに、目が充血していた。
「信じて、信じてくれるって言ったのに、どうして……ありがとうって、何だよっ」
真崎は自分のコートを掴んで離さない藤川を引きずるようにして、部屋に戻った。理不尽にも、藤川をこれほど悲しませる智耶子に、怒りを感じながら。
「藤川、ほら、離せって」
ようやく家に辿り着いて、真崎がそう言うと、藤川は素直に言うことを聞いた。それでも、靴を脱いで、コートを脱いで、ここに坐って、といちいち指示をされなければ、なかなか動こうとしなかった。
考えているのだろう、ずっと。智耶子が言った、その言葉の意味を。
温かいカフェオレを淹れて、ことりと置いたときには、藤川もやっと顔を上げて礼を言った。真崎はその様子に、小さく溜息を吐いた。
「飲めよ。寒かっただろ」
真崎がそう言うと、うんと頷いて、藤川はこくりとその温かいカフェオレを飲んだ。
「俺じゃ、駄目なんだね」
しばらく黙ったままカフェオレを飲んでいた藤川が、ぽつりとそう呟いた。
「俺が愛してるだけじゃ、駄目なんだね」
藤川は、それを真崎に向かって言うのが酷だと、わかっていない。そもそも、どうして今になってあんなに動揺するのだ。智耶子は散々、真崎が好きだと言っていたのに。真崎が智耶子の愛情を疑っていたのと同様、藤川も智耶子の言うことを信じていなかったのだろうか、と真崎は思ったが、そう聞いてみると、藤川はふるふると首を横に振った。
「違うと思う。ただ、真崎ならいいかなって」
真崎はその答えに大げさなほど大きな溜息を吐いた。
「それ、俺に言うのひどいって思わない?」
真崎だって、散々藤川に迫ってきたのだ。真崎は似たようなことを自分も智耶子に言ったことも忘れて、藤川を責めた。
「ごめん」
藤川はそう言って、俯いた。いつでも真っ直ぐな目が、今は見られない。そのガタイのいい身体も、母親を失った子供のように頼りなく、小さくなっていた。
仕方がない、と真崎はもう何度も繰り返してきた諦めの溜息を吐いた。その盲目的なまでの愛に惚れこんだのもまた、自分なのだ。
「よし、酒でも飲もう。こういうときは、飲んで、食べて、眠るのが一番」
抱き合って、と言えないところが辛いよな、と真崎は苦笑した。慰めるようにしたら、もしかしたら答えてくれるかもしれない。でも、それはきっと一度きりのことで、そんな風に失うのは、あんまりだ。
「何作ってくれる?」
藤川がぼそりと言う。それに、ストックしてある食料を思い浮かべながら、真崎が鍋かなあやっぱり、と答える。
「あ、キムチが残ってたよな」
「キムチ鍋?」
「豚肉は?」
「冷凍してある」
「もやしが欲しいよなあ」
「買ってこようか」
「酒も足りないだろ、どうせ」
よーし、飲むぞ、と藤川が立ち上がって宣言した。
これはお祝いだ、と真崎は思った。藤川が、四ヶ月近くかかって、やっと失恋したことの。
きっと、多分、藤川の初失恋だろう。立ち直るまではまだまだ時間がかかりそうだが、それはきっと自分がどうにかする。他の誰でもなく、自分が、立ち直らせてやる、と真崎は心中密かに宣言した。
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