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椿古道具屋 第三話

枕の神さま 03


 ここにあるものは売り物ではなく、すぐに結論は出せない、と言うと、草加はがっくりと肩を落とした。じいさんが大切にしていたもので、どうしても手に入 れたいのだと言う。「形見って言う奴? 俺、じいさんっ子でさー、死ぬ前によくこの香枕の話をしていたんだよね。だから、見つけるってじいさんに約束した んだよ」
 草加の話は涙を誘うような話ではあるが、史朗はいつもと違って、すぐに同情したりはしなかった。どこか、腑に落ちない気持ちがある。
 だが、さすがに見るだけでも見たい、という言葉を拒否できなかった。色々な骨董屋を見て回っていて、ここにも来たことがあるらしい。祖父の時代ではな く、史朗になってからで、店の中に入ったのは今回が初めてだと言うのだ。香枕については、だから遠くからしか見ていない。確かめるだけでも確かめたい、と 言うのだ。
 香枕を持ってくると、途端に草加の顔が真剣になった。扱う手つきも慎重になっている。
「月も薄もあるし……あ、あった」
 そういいながら示したのは、箱枕の底だった。そこに「喜」という字が見えた。
「じいさん、富山喜三郎(とみやま きざぶろう)って言うんだよね。喜ぶって字が最初で、喜三郎。富山家では、代々長男は名前に「喜」って字を入れるらし くてさ。この香枕も代々引き継ぐものだったって言ってた」
 それがなぜ、今ここにあるのか。史朗の好奇心がうずいた。しかし、草加はそれについては知らないらしい。
 草加の話を聞く限りでは、この香枕様は草加の祖父、喜三郎のものと言っていいのかもしれない。「喜」の字があることは、史朗も気づいていなかった。だか らと言って、はいどうぞ、というわけには行かない。
「やっぱりこれ、じいさんのものだと思う。なあ、譲ってくれない?」
 ただとは言わない、と草加は言う。親に言えば、いくらかは融通してくれるから、ということらしい。「うちの母親も、実の父親の形見だから、できるだけの ことしてくれるって」
「でも、とにかくすぐには結論がだせない。悪いけど」
 草加は唇をぐっと噛んだ。それは、史朗に噛み付こうとしたのを我慢しているかのようにも見えて、ひやりとした。草加はどうも信用ならない。それは、あの 男がどこかきな臭い匂いがするのと同じ匂いがしている。
「わかった。俺も親に話して、どれくらい用意できるのかとか、聞いてくるから。だから、椿も考えてくれよ」
 ぽんぽん、と肩を叩かれる。史朗は頷くこともできずに、息を吐くしかなかった。


 再び、凪様のご登場だ。史朗が寝ることもなく、香枕様が現れ、告げたのだ。「お話は、凪様にいたします」と。交渉する余地も与えられなかった史朗は、凪 に泣きつくしかなかった。
「草加?」
 凪はその名前を聞いても、すぐに顔を思い出せないようだった。手ぬぐいで汗を拭いながら、首を傾げている。
 凪の後ろでは、ダンッと弓が的に刺さった音がした。とはいえ、道場の裏にいるため、音だけが聞こえてその様子は見えない。凪の道着の合わせから見える肌 には、この寒い中汗が流れ落ちていて、かなりきつい練習をしていたのがわかる。史朗は少しだけ、そんなときに呼び出して悪かったな、と内心で謝った。
 しかし、それはそれ。あれだけ後ろにくっついていた相手を忘れる凪はいかがなものかと思う。
「おまえって、結構冷たいよなー」
 言えば、肩を竦められた。
「いちいち覚えてられない」
 最もだ。凪に気に入られたい奴は大勢いる。
「人気者って言うのも大変なんだな」
 自分には一生わからないことだろう。そんな気分で言うと、凪は「人ごとだと思って」とおでこを叩いてきた。
「そりゃあ、人ごとだからねー」
 凪の腕が伸びてくると、なぜかどきどきする。史朗は不可解な気持ちになって、なんとなくおでこを撫でた。
 史朗が草加の姿形を話すと、なんとなく思い出したようだった。だが、そんなことはどうでもいいらしい。凪は史朗の言葉を遮って、「とにかく」とため息を 吐いた。
「とにかく、今晩またあの枕で寝ればいいんだな?」
「そう。お願いします」
 いいながら、史朗はありがたや、とでも言うように拝んでみせた。
「その草加は、また来るってことだよな? いつだ?」
「たぶん、すぐだと思うけど。でも椿屋は一応休業中だから、連絡を取り合うことになってる」
「連絡を取り合う? まさかケータイのアドレス教えたんじゃないだろうな」
 凪がフェンスの網を掴んだ音がした。史朗は怒られる意味がわからず、思わず「なんだよ」と不満の声を上げた。
「元同級生だし。アドレス交換しようって言われたら、するだろ、普通」
「俺はしない」
 凪を基準にして欲しくない。そりゃあ、多くの人に言われるだろうから、断る方が多いだろう。それを周りも「やっぱりな」という言葉で片付けるのだ。
「俺とはメアドの交換した」
 ついでに、番号も知っている。
「史朗の中で、俺とあいつは同レベルなわけ?」
 次元が違うことは史朗だってわかっている。言ってみただけだ。
「なわけないじゃん」
 呟いた声は、ひどく不貞腐れたように響いた。凪の手が、フェンスから離された。それから、下を向いて、くしゃりと自分の髪を掴んだ。史朗には、表情が読 めない。顔を再び上げたときには、いつもの顔だ。
「自分が信用していない相手にアドレスなんか教えるなってことだよ。次に草加に会うときは、俺にも連絡しろ」
 信用していない、なんて一言も言っていない気がするが、事実ではあったから、史朗は素直に頷くしかなかった。
 その夜、凪はまた一人で椿屋に泊まった。凪様お一人で、というのはもちろん、香枕様の要望だ。そして朝、ごく簡単なメールが来た。いわく、「会いたいよ うな、会いたくないような。もう少し詳細を知りたい」とのことだ。心ここに在らず、といった様子で、はっきりしなかった、というのが凪の印象だ。詳しくは 今日の帰り、ということで、椿屋で待ち合わせとなった。


 史朗は情に弱い。自分ではクールを気取って……というよりクールな態度に憧れているのだが、結局は情に流される。神様たちはそんな史朗を愛でているのだ が、そういうことは、本人はなかなか気づけないものだ。
 椿屋で学校から帰ってくる凪を待っていると、そこに現れたのは草加だった。まだ寒いね、と言いながら、マフラーに顔を埋めながらやってきた。耳が赤く、 かなり寒そうだ。まだ凪に詳細を聞いていない史朗は困ったが、結論はまだいいのだと言う。
「ここ、椿もじいさんから受け継いだんだろう? なんかいいなあと思って」
 草加はそう言いながら、店の中を見渡した。先日より、優しい視線だった。
 史朗はおじいさん子だったかと言われれば疑問だが、ここを継いでから、残されていた様々なメモや覚え書き、そして神様たちの話を聞いているうちに、生き ていたときより近しいような気がしてきていた。死んでから近しいなんておかしいが、そういうこともある、と史朗は知っている。いや、草加は前から祖父のこ とを大事に思っていたのかもしれない。そう思うと、史朗は少し罪悪感を感じてしまう。もっと、祖父と話をすればよかったな、なんてらしくもない後悔を感じ たりしてしまうのだ。
「草加は、おじいさんと仲が良かったんだな」
「んー、まあね。実は父親とあんま仲良くないんだよね、俺。だから、母親の方のじいさんといると甘えられてよかったんだよな」
 そうかー、と史朗は近くのいすに座った。草加はなんとなく、その辺にある古道具を触っている。とくに乱暴ではないが、店全体からなんとなく不満げな空気 を感じて、内心史朗はひやひやだった。これはきっと後で文句を言われるに違いない。
「あのさ、やっぱりもう一回、あの枕を見せてくれない?」
 なんとなくではなく、探していたのか、と史朗は納得した。結局は、そういうことなのだと思いつつ、断る理由もなく、史朗は香枕様を探しにいった。昨晩は 凪が使ったはずで、神様たちが片付けている。今は、店先に出すのは気が進まず、奥の押し入れにしまっているはずだ。
「ちょっと上がらせてもらってもいい? 古い家だから興味あるんだよな」
 後ろから声がして、史朗は「どうぞ」と叫んだ。家の中は神様のお陰でいつもきちんと片付いている。
「へえ、実際に使ってるんだ? でも、ここに住んでる訳じゃないよな?」
「ああ、うん。ときどき泊まるけど……」
 ふーん、と言いながら、草加は香枕を手に取ると、その引き出しの取っ手に手をかけた。
「この中も気になってたんだ」
 言いながら、ぐっと取っ手を引っ張った。しかし、以前に史朗たちがやったときと同じで、そこはぴくりとも動かなかった。
「あれ? 開かないな」
「それ、俺もやってみたけどだめだった。あ、ちょっと、あんまり力ずくでやるなよ。壊れるだろ」
 草加ががたがたと引っ張るものだから、史朗は慌ててその手から香枕様を取り上げた。今にも取っ手がとれそうなほど、乱暴な手つきだった。
 がたがたと、障子が鳴った。先ほどまで風などなかったから、神様たちが怒っているのだろう。史朗も同じ気持ちだった。古いものが多いだけに、やはり扱い には気をつけたい。
「悪い。いや、ちょっと気になっててさ」
 ごめんごめん、と肩を叩かれる。
「何をしてる」
 ふいに咎めるような声がして、史朗も首を竦めた。しかし、声の主はわかっている。
「神鳥!」
 草加が驚いたような、でも喜びを滲ませた声を上げた。今にも駆け寄りそうだ。しかし、凪はマフラーをほどきながら、草加を無視して史朗のもとによって来 た。手に持っている、香枕様をそっと持ち上げ、押し入れに置き直す。
「神鳥さあ、俺のこと覚えてる?」
 草加が馴れ馴れしく、史朗の肩に腕を乗せてきた。思わず史朗は眉根を寄せる。凪もまた、目を眇めた。
「覚えていない。史朗から手を離せ」
「冷たいよなー、神鳥は。椿だって少しは覚えていてくれたのに」
 草加の口調は軽かった。だが、手が少しだけ震えていた。
 ーーーどうせ神鳥は、椿しか目に入ってないからな。
 小さな、小さな呟きだった。馬鹿にしたような、諦めが混じったような声だった。史朗が思わず草加を見たときには、ふいっと顔を背けて、外に向かっていく ところだった。
「椿、また来るから。枕のこと、考えておいてくれよ」
 振り返った草加は、拝むようにそう言って、帰っていった。


 
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