0809  web electro index  1213


□Kouhei 10:http://old_books.electro.xx
「ミツイ、そんなに元気ないの?」
 晃平はユエに聞く前にコーヒーを淹れて差し出した。ミツイの様子が気になった。
「仕事は普通にしてるけどね。ときどきどこか遠く見てるし、人の話聞いてないときあるし。夜は飲みに行ってばっかりみたいだし、遊びは復活した見たいだし」
「遊び……?」
 心配そうにしながらもユエは憤慨したように小さく頬を膨らませた。それに晃平が首を傾げる。
「あ、ううん。とにかくね、ちょっと自棄っぽいって言うか……」
 自棄になりたいのは自分のほうだ、と晃平は思った。いいように振り回された、馬鹿みたいな自分。
「あーもう。晃平がそんな心配そうな顔しないでも!でもね、元気付けたいなら呼んであげて。きっとミツイの馬鹿が何かしたんでしょ?許してあげて?」
 許すも許さないもないだろう。ただ、顔を合わせたくない。もう、これ以上好きにさせないで欲しい。
 これ以上―――?
 思ってみて、馬鹿みたいな自分の考えに晃平は思わず笑った。
 なんだ、俺はミツイが好きだったんだ。
 これ以上とか、育てないようにとか、馬鹿みたいだ。
 ようは、好きだったんだから。
「ちょ、ちょっと晃平?ねえ、大丈夫?」
 突然笑ったかと思えば今度は泣き出した晃平に、ユエはあたふたとした。気が強くて、はっきりしないことが嫌いなユエは、ぐずぐずと泣かれると可愛らしい顔に似合わない喝を入れてしまう。でも、こんな風に切なそうに泣かれるのには、弱いのだ。
「ごめん、うん、大丈夫」
 いいながらも、ぽろりぽろりと涙が落ちている。本人は気付いていないのか、それを拭うこともしない。
「あーもう!大丈夫なんかじゃないじゃなーい。どうしたのよ。ねえ、お願いだから泣かないで?」
「……泣いてる?」
 うんうん、とふわふわの髪を揺らしてユエが頷いた。それでようやく晃平は自分の頬に手を当てて、あれ?と言った。
「うわ、うわー。ごめん。カッコ悪……」
 泣いていたことに気付いていなかった晃平は、慌てて目を擦った。瞬く間に、そこは赤くなる。ユエは自分が泣きそうな顔をして、その晃平を見ていた。
 泣くのなんて、いつ以来だろう、と晃平は思った。社会人になって、どれだけ悔しいことがあっても、辛いことがあっても、泣くことはしなかったのに。
 ただ、哀しかった。
 気付いたときには、失っていた、この恋が。
「ねえ、晃平、もしかして……」
 ユエの心配そうな顔に、晃平はにっこりと笑った。気付いてしまえば簡単なことだった。
「馬鹿みてー。俺」
 呟いて、晃平は泣き笑いのような顔をする。
「晃平……」
「ごめんね、ユエさん。こんなかっこ悪いとこ見せちゃって。でも、もう大丈夫だから」
 どこが?とユエは思ったが、口には出さずに頷いた。こう言う、居たたまれない感じはとっても苦手なのだ。だからと言って、晃平を放っておこうとはもちろん思わない。ただ、きっと自分ではどうしようもないということもまた、ユエはわかっていた。
「あのね、ミツイ、本当に、本当に晃平のこと好きだと思うのよ?」
 どう慰めるべきかわからずにそうユエが言うと、晃平はまた泣きそうな顔で頷いた。
「うん、そうだね」
 ありがとう、と笑った晃平に、ユエはもう何も言えなくなってしまった。いっそうのこと、ミツイを呼んでしまおうかと思った。
 でも、それはしてはいけないのだろう。私情を多分に挟んでいるため業務違反にもなるが、それより何より、二人のことは二人で解決しなければならないからだ。
 晃平が、ミツイを呼んでくれたらいい。
 ユエは、そう願わずにいられなかった。
「ごめんね、仕事に来てもらったのに。……今日は駄目だな。落ち着いたら、またお願いする」
 晃平がそう言って、ごめんとありがとうをまた繰り返した。
 ユエは心配でたまらなくなりながらも、こうなったら帰るしかない。ああ、引き戻される、と思いながら、それでもと声を張り上げた。
「また、絶対また呼んでよ。ミツイのことも!」
 それに、晃平がふっと微笑んだのが見えた。


 またお願いする、なんて言ってみたし、また呼んでね、と言われたりしたが、晃平はこれで終わりにしようと思っていた。いや、後一回。ミツイを呼び出して、きちんと礼と別れを言うべきだろう。
 楽しい時間をくれた、そのお礼。そして、もう会わないと、自分の中で決着をつけるために。
 ミツイを責めるつもりはなかった。遊びだとわかっていたのに、本気で好きになった自分が悪いのだ。
 いつの間にか、男同士だとか関係なくなっているな、と晃平は単純な自分を笑った。相手があのミツイだから、仕方がない。そう思えてしまう、自分が可笑しかった。
 ときどき見せる、あの甘い眼差しも。
 嘘とは思えない、真剣な声も。
 ああ、仕事をしているときは真剣でいて楽しそうだった。
 ミツイの色々な顔が思い出されて、晃平はそっと目を閉じた。それから、深く息を吐く。
 明日になったら、ミツイを呼ぼう。
 あの、波の雑誌を買って。
 そして、ありがとう、と今までの全てのことを含めて、言おう。
 それから、web electroをお気に入りから消去しよう。そうすれば、きっとそのうち忘れられる。
 後悔しないうちに。
 明日には、必ず。


□Kouhei 11:http://old_books.electro.xx
 その日は火曜日で、晃平は先輩達と飲みに行った。いわゆるモデルハウスの営業をしている晃平は、休日は店が休みになる水曜日だ。
 ミツイのこともあって、晃平はいつもより少し飲みすぎていた。
 だいたい、と晃平は酔いに少しだけ頭をぼんやりさせながら、思った。
 だいたい、ミツイは何なのだ。
 振り回すだけ振り回して、こんなに惚れさせて、揚句の果てに落ち込んで、仕事を辞めようかとまで言っているとは。それを、どうして自分が心配しなければならないのだ。
 晃平は、足元の石をこんっと蹴飛ばした。ぐるぐるに捲いたマフラーに顔を埋めて、その石を睨みつける。
 先輩たちと飲むのは、ときどきなら楽しい。でも、酒の肴はやっぱり愚痴や客への文句だったりして、晃平は結局、どこか空しい気持ちを持って家路につくのが常だった。
 思い通りになんて、いかねえよなあ。
 そう自嘲気味に言った、先輩の声が蘇った。それは客の我侭への言葉だったが、それを叶えたくてもできない、自分への自嘲だった。
 客一人だって満足させることは、こんなにも難しい。
 ミツイが仕事を辞めるなんて、考えたくなかった。確かに自分のやりたいこととは違っていたかもしれないが、少なくとも、今の仕事に誇りを持っていることも確かだった。仕事をしているときのミツイは、真剣で、カッコイイ。そして少なくとも、ミツイは自分を満足させた。それなのに、その仕事を辞めるだなんて。
 考えているうちに、晃平はだんだん腹が立ってきて、一言言わずにはいられなくなった。部屋に辿り着いたときには、それが最高潮になっていて、コートもマフラーもそのままに、パソコンの電源をつけた。それから、ゆっくりと立ち上がるパソコンに苛々しながら、動きもせずに画面を睨みつづけた。
 舐めてんじゃねえ、と言ってやりたいと思った。
 簡単に、辞めるなんて口にするんじゃない。
 ブラウザを立ち上げて、web electroにアクセスする。検索窓にミツイと入れると、エンターキイをばんっと叩いた。
 一体、いつもどうやってその場所がわかるのか、サービス担当たちは必ず、自分たちが立てる空間に現われる。晃平の部屋では、ベッドとテーブルの間というのが普通だった。
 晃平は立ったまま、両腕を組んで、そこを睨んでいた。そして、ミツイが現われた途端に、怒鳴りつけた。
「舐めたこと言ってんじゃねえぞ、おまえっ」
 怒鳴られた方は、何もわからないまま、立ち尽くした。挨拶は原則しなければいけないのだが、口も開けなかった。
「晃平……?」
「辞めるだと?寝ぼけたこと言ってんじゃねえよっ。おまえは仕事をしてるときが一番かっこいいんじゃねえか。それで仕事辞めたら、どうするんだよ!」
 冷えた外の空気も、晃平の酔いを冷まさなかったらしい。晃平が暖房をつけ忘れている所為で、部屋はひんやりとしていたが、コートにマフラーをつけた晃平には暖かい。
「晃平?もしかして、酔ってる?」
 暖かい所為だけではなく、晃平の顔は赤かった。かなり飲んだのだろう。ミツイは眉根を寄せて、その晃平を見た。
 晃平からの呼び出しに、ミツイは一瞬、行くべきかどうか迷った。嬉しくないはずがない。だが、もう、いつまでも届かない想いを抱くのにも疲れてきていた。
 最初は、単純に好みだと思った。ライオネルとのことがあったのも、事実だ。
 だが、そのうち、本気になっている自分に、愕然とした。
 客に本気になるほど、馬鹿なことはないと思っていたのだ。何しろ、自分からはアクションを起こせないサービス担当だ。待つしかない恋愛など、自分には絶対に向かないとわかっていた。
 それなのに。
 向く向かないなど関係なく、ミツイはいつしか晃平の呼び出しを待つようになった。他愛のない会話も、ときどき見せる笑顔も、どれもミツイの疲れを癒してくれた。
 自覚したときには、もう遅かったのだ。
「酔ってない」
 きっぱりとした返事が返ってきたが、その目もゆらりと揺れた身体も、十分あやしかった。大体、なんでマフラーとコートを着ているのだ。
「これから……出かけるところなのか?」
 帰ってきた、と考える方が自然だが、いつもは着替えている晃平だ。背広ならまだしも、コートもマフラーもつけたままとなると、ミツイは考えてしまったのだ。
「なんだよ?飲みにでも行くか?」
「それは……」
「わかってるよ。俺となんか行っても仕方ないし。違うよ。帰ってきたとこだよ」
 その割に着替えてもいないことを、一体自覚しているんだろうか、とミツイが思ったところで、「なんだよ、暑いな」と晃平が呟いた。
 思わず、ミツイの顔が綻んだ。晃平は酔っている。それは間違いないだろう。そして、何故かとても怒っている。どうやら自分が仕事を辞めると思っているらしい、そのことについて。
 いや、実際、辞めてしまおうかと思ったときもあった。
 ずっと、待ってしまいそうだったのだ。
 呼び出されないそのことに、かなり参っていた。自分からは、どうやっても晃平のもとに行けないのだ。この、サービス担当をしている限り。
 だからと言って、辞めてからも晃平に会える保証があるわけではなかった。だいたい、web electroを辞めたら、その時点で客のことは記憶から消されてしまう。
 ―――もちろん、忘れてしまえば楽かもしれないとも、思った。
 それでも、こうして呼び出されれば、単純に喜ぶ自分もいる。
 ミツイはくすくすと笑いながら、晃平のマフラーに手をかけた。
「なんだよっ。触るなよっ」
 きっと、晃平が睨む。ミツイははっとして、その手を宙で止めた。
 晃平は、ミツイを睨みながらも鼻がつんとしてくるのがわかった。
 期待した。
 伸びてくる手に、思わず、触れられると喜びを感じたのだ。そんな自分がなんだかとても哀れに思えて、目が潤む。
 そもそも、こんな風に怒鳴るつもりはなかったはずだ。昨日までは、お礼を言おうと思っていた。心を込めて、感謝を言って、静かに別れるつもりだった。
「晃平……落ち着けよ。まずは、それ、とって。コートも脱いでさ」
 ミツイはそっと手を戻して、自嘲の笑みを浮かべながらそう言った。晃平はそれでようやく、自分がマフラーもコートも着たままだったのだと気付いた。
 恥ずかしさと共に、急に酔いがさめる。晃平は無言のまま、マフラーを取って、コートも脱いでハンガーにかけた。それから―――これはいつもの習慣で―――コーヒーを淹れようとキッチンに向かった。
「ごめん」
 背を向けたところで、晃平は呟いた。触るな、と怒鳴ったことに、自分で傷ついていたのだ。
「……何が?謝るのは、俺なんじゃないの?」
 ミツイの声に、晃平がちらりと振り向いた。その目はひどく哀しそうで、ミツイは思わず、先刻言われたことも忘れて、その腕を取った。
「晃平?なんでそんな目……」
 晃平は、今にも泣きそうな顔をしていた。謝るのは自分だと言われて、やっぱり遊ばれていたんだな、と思ったのだ。
「手……離して」
「晃平。ちゃんと誤解を解きたい」
「何の?俺、ちゃんとわかってたよ。ミツイが遊びだったこと、ちゃんとわかってるっ」
 ばっと腕を払われて、でも、ミツイはそれより強い力で晃平を壁に押し付けた。どんっと音がして、晃平が痛みに顔を歪めた。強く掴まれた両腕も、痛かった。衝撃で閉じた目を開けると、真剣な目をしたミツイが間近から見下ろしていた。
「遊びって?晃平、本気でそう思ってた?」
「痛い……ミツイ、」
「俺があれほど本気だって言ったのに?晃平は全然信じてなかった?」
「ミツイ、手」
「晃平に呼ばれるたびに、一喜一憂してたのに?!」
「痛いって!」
 叫んでようやく、ミツイの手が緩んだ。それでも腕から手は離れず、ずるずると手首まで辿った手は、そのまま後ろにまわって、今度は緩やかに抱きつかれた。ミツイは晃平の肩口に頭を乗せて、何度か浅い息を繰り返した。
 どうしたら、晃平は自分の本気を信じてくれるのだろう。
 遊んでいたつけが、こんなところで回って来るなんて思いもしなかった。
「どうしたら、信じてくれるんだ……?これだけ、好きだって言ってるのに」
「言ってない」
 ふいに憮然とした声が聞こえて、ミツイは顔をあげた。晃平が抵抗しないのをいいことに、腕にはまだその身体を抱いたままだ。
「え?」
「言ってないだろ。俺は聞いたことはない」
 嘘だろ、とミツイが言うと、晃平は嘘なもんか、と呟いた。よくよく思い返してみれば、好きだの惚れただのとは言っていない気がする。
 でも。
 それと同等のことは言ってきたのではないかと思うのだが。
「口説くとかは言ってたけどな。コミュニティの遊びの一環だと思ってたんだ」
 ミツイはがっくりとまた、頭を晃平の肩に乗せた。
「重てーよ。いい加減離れろこら」
「わかった。今度はちゃんと言う」
「ああ?何を」
「晃平に惚れてるって。好きだって」
 耳元で囁くように言われて、晃平は一瞬息を呑んだ。
 信じて、いいのだろうか。
 ミツイを、信じて、いいのだろうか。
 今こうして、緩やかに触れてくる腕も額も、全てが温かくて愛しくて、切なくなると言うのに、それを求めていいのだろうか。
 晃平はそっとミツイから身を離した。
 ミツイは、真っ直ぐに晃平を見ていた。
 その腕の中に、ころりと落ちてしまって、いいのだろうか―――。


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