01 web electro index 03
□naru 02:http://recipe.electro.xx
夕暮れ時に一人の部屋は寂しい。それが病気のときならなおさらだ、と鳴はベッドの中から天井を見上げて思っていた。
ようやく試験期間が終わって、夏休みが始まったところ。試験の間から体調がおかしいことには気付いていて、しかし試験期間だからと気を張っていたせいで反動が来たのだろうということはわかっている。
薬を飲んで朝から横になってはいたのだけれど、しばらく眠っていたせいで目が醒めてしまって身体が辛いのに眠ることができないでいた。
(…なんか、食べたほうがいいかも……)
しかし、起き出して食べるものを探すということが億劫だった。そもそも、今すぐに食べられるようなものが冷蔵庫の中に入っているかどうかが怪しい。料理をする気力はなかった。
「ん…。料理…?」
ふと思い立って、鳴はもぞもぞとパソコンの前に移動する。パソコンを立ち上げ、お気に入りの中からweb
electroを開いた。
前に一度見た、あの独特の色が目に映る。検索窓にリョウの名前を打ち込む。
少しの間があって、隣に一度見た姿が現れた。
「ご指名ありがとう。料理サービス担当、リョウです」
「……うん」
鳴はちゃんと返事をすることができずにぼぉっとリョウのほうを見る。
「鳴?」
「ほんとに来た…」
「鳴。どうかしたの」
「うん…。たぶん、風邪、ひいてる」
リョウは手を伸ばして鳴の額に触れる。それからそっと、眉をしかめた。
「熱高いよ」
「…ん」
「寝てないとだめだろう?」
よく見れば鳴が着ているものがパジャマなのだということに気付いたリョウは、子供に接するような調子で鳴の髪をなでたまま言う。
「さっきまで、寝てたけど。なんか、朝から何も、食べてないから、食べなくちゃいけない気がして…」
「だから俺を呼んだの?」
「ん…」
リョウは鳴の手をとってそこから立たせると、そのまま鳴をベッドへと連れてゆく。鳴は文句も言わずにそのまま従う。
「それで、何が食べたくて呼んでくれたのかな」
「今の状態でも、食べられる、もの…」
「お粥みたいなものでいい?」
「うん。冷蔵庫の、中にあるもの、適当に使って。ほかの、物も探して使ってくれて、いいし」
毛布に半分顔をうずめてもごもごと言う鳴の髪を、いつかのようにくしゃりとなでて、リョウはそこから離れてキッチンへと向かった。
「洋風と和風と、どっちのほうがいい?」
忘れてた、と戻ってきてリョウが尋ねる。
「…和風にして」
「わかった」
優しい笑みを含んだ声で返事をして、リョウは再びキッチンへと戻る。
ほどなく、鳴の耳に冷蔵庫を開ける音や道具をそろえる音が届く。人のいる気配に安心して、鳴はキッチンの方向に顔を向けたまま目を閉じた。さっきまでもう眠れないと思っていたはずなのに、眠りがやってくるのを働かない頭で不思議に思う。
リョウは探し出してきた食材を並べて、一度鳴がいるほうに視線をやってから支度をはじめる。
小口ねぎ、キャベツと卵、それから使いかけの桜えび。なんとなく、鳴がお好み焼きでも作っているのだろうということが想像できて、リョウは知らずに微笑む。
米を軽く研いで、たっぷりの水と共に鍋に入れる。キャベツは食べやすい大きさに切って、桜えびと共におなじ鍋に入れた。弱火にかけて一息つく。後は時々混ぜてやればいい。
リョウはひとまずざっと片付けて、ミネラルウォーターや濡らしたタオルを用意すると鳴の元に戻った。鳴は熱があるときの人間が大概そうであるように、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。
「鳴」
呼びかけても、応えはない。リョウはパソコンの前にいたときから汗で張り付いてしまっている鳴の前髪を払って、冷たいタオルで拭いた。気持ちよかったのか、苦しげな表情が少しだけ和らいだ。そのことに安心する。けれどそれは一瞬のことで、浅い呼吸は変わらないまま。
「こんなときに呼んでくれるなんてね」
ふと、口について出た自分の言葉にリョウは苦笑する。病人を前に、この状況をうれしいと思うのはどう考えても不謹慎だ。けれどもう一度会いたいと思っていたのだから仕方がない。
この仕事は人との出会いが多いし楽しいけれど、とリョウは思う。けれど、もう一度会いたいと思っても、こちらから会いに行けないことがたった一つの難点かもしれない。
だからこそうれしかったのだ。おまけに、身体の弱っているこのときに呼んでくれたのだから、リョウとしてはうれしくて仕方がない。
頼ってもらえたのだと感じている。守りたいと思う気持ちが強くなる。
リョウは、火にかけたお粥の様子も気にかけながら、ベッドのそばでぼんやりと鳴が起きるのを待っていた。
別にお粥さえ用意すれば帰ることもできるのだが、もともとそう忙しくもない料理担当という立場に甘えて、リョウは時間の許す限りは鳴のそばにいようと決めてしまっている。
仕事が完全に終わるか、鳴のほうで「仕事の終了」を口にしない限りは、ここにいることができるから。
ああ、これはもう確定的だ、とリョウは思った。自分自身の感情を、もう、偽ることは出来ないだろう。鳴を守りたいと、いとおしいと思うことは、すなわち恋だということだ。そんなふうに、生真面目な同僚ならば相応のまじめくさった顔で断定してくれることだろう。
「……」
眠りに落ちている鳴が何かをつぶやく。それが数度繰り返されて、リョウは鳴が死んでしまった彼の恋人の名を呼んでいるのだと知った。
「…まだ、時間がかかるね」
鳴自身の気持ちの整理は、まだつかないままなのだろう。そのことに、心の奥がつきりと痛むのを感じる。鳴に再び会えたことがうれしかったさっきまでにくらべて、自分が貪欲になってしまっていることがリョウには不思議でもある。
その場でじっとしているのにも飽きて、リョウはキッチンに戻った。小鍋の中身をくるりとかき混ぜれば、それはいつでも食べられる状態になっている。最後に味の調整をして、火を落とした。
いつもそばにいられるわけではない自分に、出来ることはこのくらいしかないのだ。呼んでもらうことしか、鳴に会う方法がない自分には。
どんなにいとおしくても、慰めたいと思っても、できないのだ。
前にオムレツを作ってからの間、鳴はどうやってその感情と向き合っていたのだろう。今でもまだ、泣いてしまうことがあるのだろうか。
何気なく冷蔵庫の側面に目をやると、何かが書かれている紙が裏返してマグネットでとめてあった。興味を引かれてはずしてみれば、それは、前に渡したオムレツのレシピ。
それを元に戻しながら、リョウはその意図を考えていた。相変わらず忘れられずに、それでも昇華しようと必死なのだろうか。
キッチンを後にしながら、リョウはそのレシピを探すのに協力してくれた思い出担当のサヤの言葉を思い出していた。
『この思い出はね、たぶん苦しいと思うの。取り扱い注意。どうしてかは、お客様個人の問題で守秘義務に引っかかるから教えられないけれどね』
その言葉の理由は知っている。鳴の口から直接聞いたから。だからこそ、鳴のことが気になって仕方がない。大事に、したい。
思いながらベッドを見ると、眠っていたはずの鳴が半身を起こしてリョウを見ていた。
「……リョウ?」
「よく眠れなかった? それとも、起こしてしまったのかな」
静かに問いかけると、思いがけない返事が告げられた。
「わからない。でも、びっくりした」
「え?」
「いないんじゃないかと思ったから。夢だったんじゃないかとも思ったし…」
それは違うのだと答える代わりに、リョウは鳴の髪に触れる。
「お粥、出来てるよ」
「うん。やっぱりお腹すいてるみたい」
具合が悪いせいか、前に見たときよりも印象が幼い、とリョウは思う。
「じゃあ食べられそうかな。今持ってくるから、待ってて」
「うん……」
袖を引かれたような気もしたが、とりあえずとリョウはキッチンでゆるめに暖めたお粥を二人分取り分けた。運ぼうと身を返せば、鳴がじっと見ているのにぶつかる。
「どうしたの」
「いつ、消えちゃうのかと、思って」
目を伏せて、最後は消えてしまうほどの声で。けれど、それははっきりとリョウの耳に届いた。
「仕事が終わらない限りは帰らないよ。サービスは12時間までって決まりだから、それ以上は無理だけど、それまではね」
「仕事の終わりって、どこで終わり……?」
「今回の場合は、鳴がお粥を食べ終わったら帰らないといけないかな。風邪をひいて熱があっても食べられるものを探してたでしょう」
言いながらリョウが運び、差し出した茶碗を、鳴はじっと見たまま受け取らない。
「鳴?」
「食べたら、帰るんでしょう」
まだ居て欲しいのだということは、言わずとも知れた。
「そこは柔軟に対応できるから大丈夫。鍋の中にまだ、おかわりもあるし」
「……?」
「ごちそうさまを言わなければね、食事は終わらないことにしよう。茶碗が空っぽでもおかわりしてまだ食べるかもしれないから、終わりにはならないよね」
ようやく納得した鳴は、リョウから茶碗を受け取った。見慣れた食材が、リョウに調理されるためにあったのだとでも言いたげに、収まっている。さらに差し出された木製のスプーンを受け取りながら、不思議そうに鳴はリョウを見た。家にあるはずのないものだった。
「それはお見舞い。お粥に箸だと病気のときは特に食べにくいし、金属のスプーンだと口に入れたときに熱いでしょう。だから、ね」
「ありがとう」
ふ、と鳴の表情が緩んだことにリョウは安堵した。鳴のちょっとしたしぐさや表情の変化を、ずっと見ていたいと思う。
「あ。おいし……」
一口含んで味わった後の、思わず漏れたという言葉。偽りのないその言葉を聞くことが、料理担当のリョウにとっては一番の仕事のやりがい。今日は、それ以上の想いが胸の中に沸き起こったけれど。
「そう言ってもらえると、嬉しいよ。本当に」
他の誰かに言うのと同じように、けれどいつもよりも一層心をこめて、鳴に言葉を返した。
二人は、オムレツのときにもそうだったように、言葉も交わさずにお粥をそれぞれのお腹の中に収める。言われたとおり、鳴はごちそうさまの言葉は言わずにおく。
「鳴」
いつまでも茶碗の中に視線を落としたままの鳴に、リョウは静かに尋ねる。
「一人になるのは嫌?」
「具合悪いと心細いし。でも……誰でもいいってわけじゃないんだ」
「そう」
「……たぶん、リョウの顔が見たかったんだ」
「うん」
抱きしめたいと、思った。リョウがそれを思いとどまったのは、鳴がまだその手の中に茶碗を持っていたことも、二人の間に少しばかり距離があったことも理由ではあったけれど、なによりも「オムレツの彼」の存在を意識したから。いたずらに混乱させるだけだろうと、そんな風に思ったのだ。
「さて。横になって休んで、早く元気になってくれないと。そのためのお粥だしね」
かわりにリョウは、鳴の手から茶碗を取り上げて、とん、と鳴の身体をベッドに押し戻す。
「帰るの」
「時間ぎりぎりまではそばにいるから。でも、もしも目が醒めた時にいなかったらごめん」
「……」
「また、呼んでくれれば来るから」
「…………うん」
不安そうに見られると困ると、リョウはひっそりと嘆息する。鳴の前髪をくしゃりとなでた。
「おやすみ」
それからリョウは、鳴が眠るまでその傍らに座っていた。
次に鳴が目を覚ました時、すでにリョウの姿はなかった。身体が軽くなっているのを感じてベッドを降りると、鳴はキッチンの方にまっすぐに向かった。
コンロの上には、お粥の残り。箸立てには木製のスプーンが二本、当たり前の顔をして入っている。
「……リョウ?」
夢ではないのだと、そのことは理解する。
けれど何かがおかしいと、鳴は首をかしげた。リョウの姿は確かに見た。スプーンにもお粥にも覚えがある。それなのに、まったく現実味がないのだ。リョウが来たということは自分が呼んだということのはずなのに、その記憶は鳴の中にはなかった。
キッチンを後にすると、鳴はパソコンを立ち上げてweb
electroにアクセスする。そこには前回の利用時間が記され、今はまだ使えない旨が記されていた。ご利用は一日一度。自分は確かにリョウを呼んだのだと、その画面が物語っている。
「どう、して」
どうして、他の誰でもなく自分はリョウを呼んだのだろう。胸の中にどこか落ち着かなさがあるのは何故なのだろう。わからないまま鳴は、ため息と共にパソコンの電源を落としたのだった。
01 web electro index 03
藤枝 秋さまHP「月の魚と宵の海」