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  その瞳に映る空
「2.蒼穹」

見上げれば、青空だった。

白い月が浮かんでいる。夜とは打って変わって控えめなその月に、一登はどことなく直也を思い浮かべる。いや、あれを控えめと言うには語弊があるか。
思い浮かべたのは、きっと、二人の関係の儚さゆえだろう。
秋は空気が澄んでいるから、空が高いという。手を伸ばそうとして、止める。そのままズボンのポケットへその手を突っ込んだ。
「寒いのか?」
急に後ろから声がして振り向くと、直也が立っていた。眩しそうに空を見上げている。
「先生、授業は?」
一登はその直也を、眩しそうに見ている。シャツ一枚の直也の方がよっぽど寒そうだ。
なんとなく、近寄って抱きしめる。
「それはこっちのセリフ。おい、なんだよ」
突然抱きつかれて、直也は抗議の声を上げる。それがあまり意味がないことを知ってはいたが。
「うん。寒い」
ぎゅっと腕に力をいれる。身長が直也より10センチは高い一登は腕も長くて、その筋肉質な腕に安堵感を覚えてしまう。
「授業、どうしたんだ」
流されまいと、その胸を押し返す。その手のひらに感じる温かさにさえ、心臓が高鳴って、直也は自分にあきれた。
「自主休講」
一登はそう言ってにっこりと笑った。この綺麗さに、騙されてはいけない。
「自主って……お前……」
「空が綺麗だったから」
悪びれずに言う。普段は成績優秀、品行方正、と教師の手を焼かせることは無い一登なのだが、こうして時々、突飛な行動に出る。その度に、直也は一登の中に何か自分の知らないことが起きているようで、無性に不安になる。
「新堂……」
抵抗して見せても一向に離す気配の見せない一登の胸を、もう一度強く押してみる。肩が校舎の壁にとんっとついて、二人の間に少しだけ空間が出来る。そのとたん、名残惜しいような気になった自分に苦笑しながら、直也は顔を上げた。空の青さが目に染みる。白い月が見えて、それからゆっくりと一登にピントを合わせる。
目が合う。
そのまま近づいてくる一登の顔を、まじまじと見てしまう。切れ長の目は、強い意思を宿らせて、他人を受け入れようとしない。けれどそこに溢れんばかりの優しさをたたえて見つめられると、直也は逆らえなくなる。
「学校なのに……」
深く口付けられて、息が触れるほど顔が寄り合っている。一登は優しく、直也のシャツを握っている。暖かい。
「良く言うなあ。」
一登がくすくす笑うのが、くすぐったい。初めて抱き合ったのが放課後の音楽室で、その後も何度か学校で抱き合っているのだから、説得力などまるで無い。
「ん……」
首筋に口付けられて、思わず声を漏らす。抵抗しても、やめる気はさらさらないらしい。
「新……堂、音、楽室……、空いてるっ」
背中のシャツを捲り上げられて、素肌に直接その手の温もりと感触を感じて、まともに話せなくなる。一登はその声を聞いてるのか聞いてないのか、弄る手を止めない。
「新堂……頼む……から」
さすがにこんな明るい空の下で抱き合うには、勇気がいる。なのに、酸欠のように息があがっている。これだけで、こんなになっていいのか。そう思った瞬間、顔にかーっと血が上るのが分かる。慌てて離れようとするが、一登がそれを許すはずがない。
「先生、お願い……」
耳元で囁かれる。そのあまりにも切ない響きに、直也は思わず一登の方を見る。
「新堂……?」
逆光であまり表情が良く見えない。でも縋りつくような手を、振りほどけない。
「ここなら誰も来ない。音楽室が無人なら、ここも誰にも見られない。音楽室からしかここは見えないんだから。」
言いながら、直也のベルトに手をかける。逆らいきれない。こんなに、思いつめた様な声を出されたら。
青空は、狂気をよぶ。
一登はそれを知っている。知っているのに、知らない振りをしている。いつもなら眠ってしまえば済んだのに、今日は運悪く直也に出会ってしまった。
声を聞いたら、だめだった。
おかしいのは、分かっている。これで突き飛ばされでもしたら、堪えられたかもしれない。でも……
この自分のおかしさに、直也は気付いてくれた。気付かれて、逆らうことをためらわれて、一登は引き返せなくなった。
欲しい。
温もりでも良かったのかもしれない。でも触れば、それ以上を望んでいる自分がいた。
白い月が、直也の眼の端に映っている。空には、それ以外に何もない。
空に、抱かれているようだ。
直也が呟く。真っ青な、この空に。腰をふと持ち上げられて、月が視界から消える。目の前に広がるのは、ただこの青い空だけ。
何を縋っているのか。
激しく腰を突き上げられて、直也はその首に腕を絡ませる。この男が自分に縋っているのか、それとも自分が縋っているのか、わからなくなる。
自分の肩口に冷たさを感じた瞬間、直也は果てた。ゆっくと息を吐く。一登はその直也を抱きしめたまま離さない。
肩口に感じた冷たさは、一登の涙だった。
ぐっと顔を押しつけて、顔を上げようとしない。直也はそっとその髪を梳く。
縋っているのは、こいつだ。
その理由がわからなくてもいい。縋りつくその手が、体が、自分のものであれば。
直也はそっと、優しく抱き返す。さっきまでの寒さが嘘のように温かい。呼吸を整えて、空を見ながら、呟いた。
「俺を、離すなよ」
直也のその言葉に、一登はまた、抱きしめる腕に力を込める。
離すはずがない。離せる、はずがない……



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