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その瞳に映る空
「3.白雨」

この思いを、全て見透かされている気がして、落着かなかった。

昼頃までは、確かに明るかった。これは危ない、そう思っているうちに空はあっという間に雲に覆われて暗くなっていた。今帰るべきか、迷ってしまう。
真剣に弾きすぎた。
この所すっきりしない気分が続いていて、それを追い払うかのように今日は学校に来てピアノを弾いていた。日曜の静かな学校が、直也の集中力をいたずらに高めていた。
からりと音がして、音楽室のドアが開く。そこに現れた人物を見て、直也は目を見開いた。どうして……
「もう弾かないのか?」
いつもはきっちりと着ている詰襟の学生服を、今日は少しラフに着ている。手に鞄を持っているから、勉強でもしていたんだろうか。一登は今年、受験生だ。
「先生?」
呼ばれて、はっと我に帰る。一瞬、凝視していたのだ。そのことに気がついてやっと、直也はすっきりしない気分の原因を知る。
「降りそうだからな。帰ろうかと思ったんだが」
窓際に寄って空を見る。まだそれほど日が短くなっていないはずなのに、もう空は真っ黒だった。
「待っていたほうが良い。きっと夕立だ」
季節外れだな。と囁くのが聞こえた。後から覗き込むように一登に立たれて、直也は堪らなくなる。すぐ後ろに息使いを感じる。その胸に抱かれたときのことを思い出してしまって、顔を上げられない。それに一登が気付く前に、空に光が走って大きな音がした。そのすぐ後に、雨が降り始める。
「降ってきたな」
雨に救われた様に直也はやっとそう言って、するりとそこから抜け出した。その時に光った雷鳴で、一瞬、一登の横顔が照らし出される。直也は思わずその顔に見とれてしまった。気付いた一登と、目が合ってしまう。室はもう真っ暗で、雷が光る度に二人の顔が照らし出される。
直也はその目を、逸らすことができなかった。
もう一度雷に照らされたその顔を見て、直也の欲望は我慢の限界を超えた。
その顔に、手を伸ばす。ゆっくりと目を、鼻を撫でる。さっきまでピアノを弾きつづけていた白い指が、唇にも触れる。その指が微かに、震えているような気がする。そのまま顔を近づけて、その唇を貪る。一登は動かない。窓の桟に置かれた手も、ぴくりともしない。
直也はそっと、名残惜しそうに唇を離した。
「……抱いて」
そう、囁くために。あの大きな手も、筋肉質な腕も、その強さも、恋しかった。たった一週間。会っていないのは、それだけなのに。
一登がにっこりと満足そうに笑う。運悪く雷鳴が聞こえて、その光が暗闇にその顔を浮かび上がらせてしまった。直也は羞恥に一気に体が熱くなる。思わず、身を引こうとする。
「会いたかった……」
腕を引かれて抱きしめられて、そう、囁かれる。抵抗が、出来るはずがない。一登にも、逃す気などなかった。雷の光に、うっすらと赤い首筋を見てしまった、その時から。
ふわりと揺れる薄茶色の髪に口付ける。そのまま唇を下にずらして、耳朶を噛む。
「んっ……」
直也が思わず首を竦める。その閉じた瞼の上に啄むようにキスを降らせる。少しづつシャツのボタンを外しながら、時折鳴る神鳴に照らし出されたその白い肌に、一登は狂いそうになる。身を離すと、細い白い指が自分を求めて空を切る。それを捕まえて、その手に指を絡ませながら、一登はそっと顔を寄せて囁いた。
「だめだよ、先生。歯止めが利かなくなる」
囁かれて、直也は目を開ける。その潤んだ瞳で、一登をじっと見る。それからおもむろに、一登の首に腕を巻きつけて、引き寄せてその唇を重ねた。
「いい……そんなの、利かせなくていいから……」
唇を、そのまま一登の首筋に移して強く吸い上げる。一登がうめくのが聞こえて、そのまま下へと移して行く。シャツのボタンを外すのも煩わしくて、捲りあげる。
雷鳴が、遠く感じた。
何度、その名を呼んだだろう。
お互いの気持ちを窺いながら、体を重ねてきた。二人の気持ちは同じ筈なのに、一方通行は解消されない。抱きしめる力は、本当なのに。
タブーを犯していることは、分かっている。
先生と、生徒。男と、男……
それでも、抗いきれない気持ちがあった。求めてしまう自分を、止めることができなかった。その気持ちに、素直になるなら、それでいいのに。
ぐるぐると、決して距離を縮めることなく二人は歩いている。その眼は、確かにお互いを見つめているのに、遠すぎて、それを知ることができない。
今ではもう、自分の気持ちさえも見失っていた。
雨の音が、二人を外の世界と切り離す。
闇の中で、同じ願いを抱く。
雷の光が闇を切り裂くその瞬間に、この、気持ちが届かぬものかと。自らでさえ分からない、この想いを、照らし出してくれないかと……




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