ゲーム
2nd.stage
03
お節介にも程があるだろう、と口の中で悪態をつきながら、それでもしっかり渡された地図を頼りに目的地に向かっている自分が可笑しくて、ヨシュアは苦笑した。初夏の緑が眩しいくらいの晴れた日に、こうして坂道を登っている、自分。
そう言えば、この目を晴れた空を映したような、と言ってくれたのはサキだったな、と思い出す。
気にはなっていても、ヨシュアはサキのことを極力考えないようにしてきた。悔いの思いだけを残して、早く忘れてしまおう、と思っていたのだ。そうしなければ、いつまでもサキを思いつづけてしまうとわかっていたから。
それなのに、あのお節介たちの所為で、ここ数日、仕事が手につかないほどサキのことで頭が一杯だった。瞬間しか見ていない、あの笑顔。一度思い出したら止まらずに、遠い昔となったはずの思い出まで、しっかりと引っ張ってくる自分の頭に、自分自身で呆れたほどだった。
初めて名前を呼んだときの、困惑しながらも目元を赤らめたあの顔。しなやかで美しい手。照れると決まって怒ったように自分の名を呼んだ声。
忘れてなどいない、しっかり仕舞いこまれていたそれらの思い出に、ヨシュアは埋もれるようにあの日からの日々を過ごしていた。あれだけ好きで、必死になって手に入れたカメラマンと言うあの地位も、どうでも良くなりそうになったくらい。それでも、サキを撮れたらいい、などと思って、自分の強欲さに嫌になった。
何不自由なく育ったヨシュアは、あのとき、自分は何でも手に入れられると思っていたのだろうと思う。人の、心さえ。それが物やお金や、そんなものだったら、若気の至りで済まされたかもしれない。でも、自分はそれでは許されないことをしたと、ヨシュアはわかっていた。手に入らないとわかったら、無理やりのように手に入れようとした、あの傲慢さ。相手のことなど考えずに、ひとり苛立って、傷つけた。それが全ての間違いの始まりだった。
悔いても悔いても、悔やみきれなかった。自分のことが嫌で堪らなかった。
そうして、ヨシュアは家を出た。
家が悪かったとは、思っていない。でも、あのぬるま湯のような世界からぬけなくては行けないと思った。そして何より、自分を変えたかった。
クリスに連れられて、何度か行ったスタジオで知り合ったカメラマンに、頼み込んで住み込みのバイトをさせてもらった。モデルの話も来たが、少しでもサキの目に自分の姿が触れるようなことはしたくなかった。
それなのに、今、自分はサキが通う大学に向かっている。
地図を渡したキースは、何も言わなかった。会ってこいとか、話をしてこいとか、そういうことは一切言わずに、ただ地図だけを渡してくれた。仕事も手につかない自分に、呆れたのかもしれない、とヨシュアは苦笑した。
キースも、クリスも通っているのだと言う大学は総合大学で、とても広かった。この中からサキを見つけるのは至難の技だ、と思って、キースの迷いがそこに見えた気がした。
通ったことのない大学と言うものを見学するのもいいかもしれない。ヨシュアはそう思い直して、大学へと足を踏みいれた。
テスト間近の大学は、人がやたらと多く、その中でもヨシュアは人目を惹いた。女の子達が、こんな人がいたかどうか、と確認するようにちらちら見ているのがわかる。ヨシュアはいささか居心地の悪さを感じて、サングラスをかけた。こうなったら、クリスかキースでも捕まえたい、と普段なら思わないことまで思う。
ふと目の端に引っかかるものを感じて、ヨシュアはふいに立ち止まった。それから思わず、近くの柱の陰に隠れた。
サキがいた。
穏やかな笑顔で、隣の男の話を聞いている。ああ、良かった、と再び思う。あの笑顔がなくならなかったことに、信じてもいない神に感謝すらしたくなった。それと同時に、隣で笑う男に、嫉妬を感じる自分もしっかりヨシュアは自覚していた。
こんな風に陰からしか見られない自分とは違う。そのことに、ヨシュアは深く深く嫉妬した。
それから何度か、ヨシュアは大学を訪れていた。サキが見つからないときはこっそり講義に潜り込んだりもして、すっかりここの生徒のようになっていた。もともと、年齢的には少しもおかしくないヨシュアはでも、なにぶん目立つ。ある日クリスとキースにばったり会って、噂になっていることを知った。
「そう言うことは早く言えよ」
クリスとは仕事の関係で会うこともあるし、二人ともヨシュアの連絡先は知っているのだ。教える気になれば、いくらでも出来たはずだった。
「だっておもしろいじゃん」
相変わらずのクリスの答えに、ヨシュアはため息を吐くしかない。
「もうすぐ大学も夏休みだし」
クリスはそう付け足した。そう言えば、掲示板にやたらとテストの日程が張り出されていたことをヨシュアは思い出す。
夏休みに入ったら、サキの姿を見られなくなるのか。
そう思って、ヨシュアは知らずため息をついた。目の前のお節介な二人組みは、これ以上のお節介をする気はないらしい。
「なあ、どんな噂なんだよ?」
ヨシュアとしては、あまりサキの耳に入って欲しくなかったのだ。馬鹿みたいだが、こうして見ているだけで、ひどく幸せだった。
「最近になって来ている、モデルばりのかっこいい男の子がいる。サングラスをかけてることが多いけど、その中は青い目なんだって」
目の前に本人がいるにもかかわらず、クリスは面白そうにそんな風に言った。
「出ている講義からは、専攻がいまいち良くわからない。どこの学部なんだろうって躍起になって探してる女どももいる」
キースまで、そう言ってにやりと笑った。ちなみにサキは気付いてないよ、と付け足すことも忘れない。
それならいい、とヨシュアはほっとため息をついた。それにしても、後わずかなのだから、放っておいてくれないかと思う。やはりあまり噂になったら、部外者がいるのは良くないだろう。そう言ったら、
「だったら、大学入っちゃえば?」
と、いとも軽くそう言ったクリスに、ヨシュアは言葉がなかった。
「ヨシュアなら、芸術系の、それも写真専攻にすれば、学士とか修士から入れるかもしれないし」
「そんな簡単なもんじゃないだろ?」
「大学入学資格は持ってるんだろ?」
「そこまでは取ったよ。一応ね」
「だったら、簡単かもな」
「ヨシュアってば、自分の先生が何をしてるか知らないの?」
クリスの呆れた声に、ヨシュアは怪訝そうな顔をした。クリスが言う先生とは、ヨシュアにカメラを教えてくれた、ブライアンのことだろう。
「ブライアン教授って言ったら、ここの写真専攻の中じゃ人気の教授だよ?」
そう笑うクリスに、そう言えばどこかの大学で教えていると言っていたな、とヨシュアはあの少し意地悪そうな、いたずらな瞳を思い出す。まるで子供のようなことを時々言って、ヨシュアを困らせるのが趣味のような人だ。
「教授に言えば、口利きしてくれるだろうし。何だかんだいって、ヨシュアってばお気に入りだから」
くすくすとそう笑うクリスを睨みながらも、ヨシュアの心はだいぶ傾いていた。自分を変えたい、という思いで一杯一杯だった頃には、とにかく社会に出て働きたいと思っていた。自分で、自分が生きていく道を作って、そこにかかる全ての費用も、自分で稼ぎたかった。それもまた子供の考えだと言われればそれまでだが、ヨシュアには大事なことだった。努力して、手に入れること。
だから、その間は大学のことなど考えてもいなかったが、今なら、自分で仕事をしながら学ぶ事だって出来るはずだ。ときどき覗く講義も、つまらないものもあれば興味深いものもあった。サキのことだけではなく、大学と言うものも良いかもしれないと思っていた。
でも、そうしたら。
サキを隠れてこっそり見る、なんてことは出来なくなってしまう。あのとき、柔らかく笑っていた顔が驚愕に凍りついたのを、ヨシュアは見逃してなどいなかった。再び目の前に現れることなど、出来ないと思った。
「まあ、これから長い夏休みもあることだし、よく考えたら?修士クラスなら、入学の受付はまだまだだからさ」
クリスが、のんきにそんなことを言う。誰よりもサキ第一のクリスがそんなことを言って、キースも何も言わないことに、ヨシュアはわけがわからなかった。