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たった一つ欠けたパズルの破片を持っているのは君だろう?


03
 ―――ちーちゃあん。怖いよお。あの犬、大きいよお。
 ―――大丈夫だよ。鎖につながれてるし、知らんぷりして通れば大丈夫。
 そう言いながら、内心俺もびくびくしていた。すごく怖くて、きっと一人だったらすぐ逃げ帰っていた。小学生になる前で、まだまだちびだった俺達に、その犬は怪獣のように見えた。
 でも逃げなかったのは、広がいたから。守らなくちゃ、と思って、平気な振りをした。ちょっとだけ、見栄も張って。
 ちびでも、俺は男だったんだ。大切なものは、守るもの。そして、そういうものを手に入れた男は強いと、俺はよく知っている。
 だから、おままごとのようでも、姫と呼ばれる存在をオフィシャルに作った九重の先輩はなかなかえらいと思う。そう思っても、春姫と言われることを放っておくことさえできないのは、俺に守ることを教えてくれた、俺を強くしてくれた、広の所為だった。
 広と同じ高校と聞いて、俺は単純に嬉しかった。
 中学も一緒だと思っていたのに、俺に何の相談もなく私立の中学に行った広とは、以来音信不通に近い状態だった。聞くのは、いつも母親からの噂ばっかりで。最初は、俺は拗ねていた。俺に断りもなく勝手に決めて、と怒っていた。でも母親からの噂や、同じ小学校だった奴らからの噂を聞くうちに、広も大人になったんだ、と思い始めた。どんどん大きくなって、バスケ部のエースになったとか、生徒会にまで入ったとか。成績も良くて、もてるんだとか。それで負けず嫌いの俺は、俺も大人になろう、と思った。思って、広が勝手に私立の中学に行ったことは許そうと決めた。
 だから、同じ高校と聞いて、単純に喜んだ。
 それなのに、自分の知らない広の時間に嫉妬しだしたのは、いつだったんだろう。
 それと同時に、広の視線の先を知ったのは。
 トラウマ的に覚えている。すごく前のことのようで、実はつい半年ほど前のことだ。俺が、次期春姫候補と呼ばれはじめた、あの頃。それも俺の「春姫」嫌いに拍車をかけているのかもしれないが、本当の理由は違う。
 広の視線の先にいたのが、「春姫」だったから。
 その当時春姫と呼ばれていた、摂先輩だったから。
 そのとき、視線が交わらないって言うのは、とても哀しいことだと俺は知った。一方通行な視線は、決して返されることがなくて。
 だから俺は、春姫と呼ばれるのが嫌だった。
 代わりになんかなりたくない、と思った。
 違う。
 自分が代わりにしてしまうんだ。広が見つめていた、春姫の。
 こだわっているのは、俺。
 それが悔しくて、情けなくて、哀しかった。


「やっと見つけた」
 L棟四階の北側、山に面したその教室は空教室で、俺はよくそこから山を眺めていた。校舎は山を背にして立っていて、山側に向けて窓が空いている。一階から三階まではG組からL組の教室があるこのL棟の四階は、文化部の部室になっているのだが、部室としてはA棟の方が人気があるらしい。
 一つしかない、壁の真ん中に作られた両開きのドアを開けて入ってきたのが広だというのは、声ですぐにわかった。それで俺はそのまま、山を眺めていた。春の山は若々しく、昼間との温度差のせいか、少しだけ霞みがかっていた。
「窓開けっ放しで……日が傾いてきたから冷えるぞ」
 広はそう言いながら俺の隣に立った。口では冷えると言いながらも窓を閉めないのは、俺がこの空気を吸いたいのを知っているからだろう。
 俺が何も言わないでいると、広が小さくため息をついて、着ていたパーカーをふわりと俺にかけた。それでようやく、俺は広の方を向いた。
「走ってきたんだろ。おまえのほうが冷えるよ」
「まだ平気だ。うーん。やっぱり緑が見えるって言うのはいいな」
 広はそう言って、大きく息を吸い込んだ。
「また部活サボって。そんなんでいいのか、部長が」
「自主トレだからな。走り回って、階段の上り下りまでして、いい運動だ」
 広がそう笑う。そうやって、俺を捜していたのだろう。
 昼の後、俺は移動教室があったし、結局広とは話をしていなかった。それを放っておくはずがないとわかっていて、俺は捜してくれるのを待っていたのかもしれない。鬼のバスケ部部長が、部活を放っておいて捜してくれると言う、優越感が欲しくて。
 馬鹿だと思う。広が友達を大切にしていることなど、俺自身がよく知っている。
 このパーカーが温かいのが、何よりの証拠のように。
「昼間、ちょっとイライラしてて……悪かったな」
 広が何も言わないから、俺から話をふった。何か言われる前に、さっさと決着をつけてしまいたかった。突っ込まれても困るから。
「いや、原因、俺だろ」
 ほら、こんな風に。
「違うよ。ほとんど八つ当たり。ごめん。悪かったと思ってるから、この話はこれで」
 最後まで言わないうちに、ぐいっと肩を掴まれて、俯いていた俺は、顔を上げた。
「見くびるな。おまえがあんな風に八つ当たりなんかしないって、俺は知ってる。俺が原因なんだろ?」
 そういわれて、はいそうです、と言えたらどれだけ楽だろう。でも、それは言えない。恋人になれないのはまだしも、友人の座まで失いたくない。
「広、ほんとに。俺どうかしてたんだ。朝から同じようなこと言われててさ」
 こうなったら意地でも言わないと、広もわかっているはずだ。それでもどうしても納得できないらしく、しばらく俺をじっと見ていたが、やがて諦めたのかため息を漏らした。
「おまえ、最近そればっかりだ」
「何?」
「重藤のことは海田に聞け、なんて宮古は言ってたけど。俺にはわからないことが一杯だ」
 広はそう言って、俺の肩から手をはずすと、その手を窓の桟に置いて、山を眺めた。
 俺は何もいえなかった。
 なんで、好きになったんだろう。
 そう、思っていた。
 好きになんてならなかったら、今までどおり、一番仲の良い友達でいられただろう。隠すことも何もなく、広のわからないことなんて、何もなく。
 こんなに気持ちが離れることなんて、ないまま。
「おまえ、どうしても春姫嫌なのか?」
 広が山を見たまま、ぼそりと呟いた。俺はその綺麗に筋肉のついた左腕を眺めて、苦笑した。
「おまえだって姫なんて呼ばれたら嫌だろうが」
「そりゃあ、似合わないからな。虎のほうがよっぽどまし」
 広がそう言って、俺のほうをちょっと振り返って笑った。運動部統括の広の呼び名は、西の白虎。これも長い伝統があるらしいが、しなやかで強い虎のイメージは、確かに広に似合っていた。
「俺にだって、似合わないだろ」
 俺達は、二年連続春姫をした摂先輩しか春姫を知らない。だから、今の三年の中の「春姫」のイメージは、あの綺麗で凛とした、かっこいい摂先輩だ。
「そうか?俺はいいとおもうけどな。わがままで好き嫌いも激しいし、自分のことなんてちっとも省みないけど、おまえは強いからな。それに、こんなところでぼんやりできるのも春姫の特権だろ」
 にやりと笑う広を、俺は睨み返した。けなしてる言葉のほうが多い。
「別に春姫だけの特権じゃないだろ」
 俺がそう言うと、広は大げさにため息をついてみせた。俺は訳がわからず、首を傾げる。
「あのな、放課後こんなとこに一人でいてみろ。危ないに決まってるだろ。今は春姫だから怖くて誰も手出ししてこないけどな。そう言ったって、本当は危ないと思うぞ。少し自覚しろ」
「危ないって、女じゃないし。それに、何の自覚だよ」
「おまえが嫌がっても、みんながおまえを春姫と認めた、そのことだよ。おまえにその自覚がないから、俺はおまえに春姫になっとけって言ったんだ」
 認めたと言っても、他にいなかったからしかたなくだろ、と俺は思っていた。昼間も言っていたように、今年は西の秋姫がどうしても見つからず、東までいないのは困るから、俺に白羽の矢が立っただけのことだ。妥協してる、と俺は思う。
「おまえ、マジで危なっかしいから、せめて春姫と思われることだけは我慢しろよ。そうすれば少しは危険は回避できる」
 広が真剣にそう言うから、俺は仕方なく、考えておく、とだけ言った。
 心配してくれるのは嬉しい。
 でも、友達思いの広の心配は、少しだけ切ない。
 どうして好きになったんだろう。
 さっきから考えている出口のない思いが、いつまでも俺の中で消えずに回っていた。



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