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どこかわからない遠い場所でサボテンを抱きしめる夢を見た
03
部室に向かう途中で、深山先輩とばったり会った。手には花の苗がいくつも入った籠を持っている。
「あれ、坂城終わり?」
俺が頷くと、にっこりと笑われた。嫌な予感がする。
「ちょうど良かった。手伝って?」
後これが十個近く残ってんだよねー、と言う。その手元に目を走らせると、土の詰まったポットが縦に五列、横に七列並んでいた。なかなか重そうだ。
「……着替えてからになりますけど」
「うん、ほらこの間の花壇、あそこにあるから」
「どこまで持っていくんですか?」
「植物館まで」
げ、と言った俺に、先輩はにっこりと笑ったままだ。西寮と部室の間にある植物館まで、結構な距離がある。
「駄賃は出してやるよ」
そう言って、先輩は歩いていってしまった。俺は小さくため息を吐きつつも、先輩には逆らえないと諦めていた。それからすぐに着替えて、花壇まで行く。小さな赤い花と白い花がちらほらと咲いている籠を持つと、ずっしりと重みが腕にかかった。ちゃちなビニールで出来ている籠も、少し持ちずらい。
華奢ではないが、どちらかと言うと細い印象のある深山先輩がこんなのを持っているのが不思議だった。
途中で深山先輩に会うと、開いているから、と言われた。入れば同じ花が置いてあるのがわかると思うと付け加えられて、俺は頷いた。
植物館なんて、入ったことはなかった。ガラス張りのその建物は、園芸部と生物の教師が管理していて、珍しい植物もあるとは聞いたことがあったが、普段は鍵がかかっている。
入ってみて、俺はびっくりした。天井までガラス張りのそこは、わりと高いために開放感がある。でも、そこに大きな木もあって、植物園だな、と俺は思った。どこまでも、緑だ。
俺はきょろきょろと辺りを見回して、隅の方に置かれた花の苗を見つけた。そこに手に持っていたものをとりあえず置くと、もう一度周りを見渡した。ジャングル、とまでは言わないが、所狭しと置かれた木々や花が、視界を覆う。これは真昼の明るい中で見たら、さぞ気持ちいいだろう、と思った。
「こら、さぼんなよ」
キイッと音がした扉を振り返ると、深山先輩だった。ボランティアなのにな、と俺が呟くと、「何?」とにっこりと笑われる。結構良い性格をしている。
「俺、ここ初めて入ったんですよ。すごいっすね」
「ああ、今は特に。春だから色々なもんが育っちゃって」
ああそうなのか、と思いながら、俺はほら行くよ、と言った先輩に着いて行く。
「あそこって、昼間空いてないんですよね?」
「扉はね。窓は暑くなり過ぎると困るときは開けてる」
なんで?というような視線に、俺は「昼間見たら気持ち良いだろーなって思って」とさっき思ったことを口にした。
「ああ、晴れた日は確かに……暑過ぎるときもあるけど。なんなら今度入ってみる?」
「いいんですか?」
「明日にでも、晴れたら開けてやるよ」
深山先輩はそう言って微笑んだ。さっきまでのとは違う、柔らかい笑みだ。
「ところで先輩、他に園芸部員はいないんですか?」
今度は薄い青の儚げなひょろひょろした花の苗の籠を持って一緒に歩きながら、俺は疑問を口にした。この間から、俺は花壇で深山先輩しか見ていない。
「一応部だからいるけど、ほとんど幽霊部員なんだよ」
それは、部の体裁を保つために、ほとんど先輩に脅される形でその友人達が名を連ねている、ということはこのときは俺は知らず、思わず「それは大変ですね」と言ってしまっていた。
「じゃあさ、坂城今度暇なとき手伝ってよ」
春はやることが一杯あって大変なんだよねー、と無邪気に言われてしまう。俺はしまった、と思ったが遅かった。この先輩は、見かけに寄らず強引だ。そんなことは身を持って知っていたと言うのに。
それでも、俺は別に良いかな、と思った。あの植物館も、この花の苗たちも、どこか心を和ませるところがある。ぎすぎすした陸上部の雰囲気に疲れていた俺には、それは必要なことのようにも思えた。実際今も、落ち込んでいた気持ちが少しだけ浮上している。
「あんまりお役に立てないだろうし、なかなか手伝うこともできないかもしれないですけど」
それでもいいなら、と言ったら、深山先輩はそれはそれは嬉しそうに笑ってくれた。
「暇なときで良いって。手伝いたいときで、さ」
俺は思わず、その笑顔に見惚れそうになった。
この人も、同じだ。
植物達と一緒で、和ませてくれる。
俺は先刻の高居先輩に言われて落ち込んでいた気持ちも忘れて、つられて微笑んだ。
その俺を、深山先輩は少しだけ驚いた顔をして見ていたようだった。薄暗いなかで、その表情はあまり見えなかったけれども。
翌日、見事に晴れたので植物館を開けてくれると、深山先輩は俺を昼休みに呼びに来た。そのあまりに無頓着な行動に、俺は深く深くため息を吐いた。
「なんで?なんでおまえが東の寮長知ってんの?」
哲平が横で驚いている。哲平だけではない。クラス中みんなびっくりしている。それもそうだ。A棟、つまり東の深山先輩が一人西にやってきたのだから。部活関連ならまだわかるが、何の接点もなさそうな後輩を呼びに来るのは珍しい。そんな教室中の視線を一身に受けても、深山先輩は気にしていないようだった。
「坂城、早くしろよ。まだ食ってないのか?」
俺はそれにふるふると首を振って、仕方なく立ち上がる。隣でうるさい哲平には、後で説明すると行って、とにかくここから早く立ち去らなければ、と思った。
「先輩……いくらなんでも無謀」
なんだか上機嫌気味の先輩の横で、俺はこの後のことを考えてまたため息を吐いた。
「なにが?約束しただろ?」
いや、そうではなくて、と説明しようと思ったがやめた。きっとわかってくれないだろうと思ったのだ。
「暗い顔してるなよ。せっかく晴れたのに」
階段を下りてから、先輩は自分の靴を履き替えるためにぐるりと廊下を回っていった。俺は中庭に出てその先輩を待つ。
「授業出てるのもったいないよな。さぼろうかな」
植物館への道を歩きながらそんなことを言う。真面目だと思っていたから、少し驚いた。
「冬とかはさ、さぼってここで良く昼寝してるんだよね」
植物館の扉を開けながら、そんなことまで暴露してくれた。
中に入って、俺は思わず上を見上げてすうっと息を吸った。一度閉じた目をゆっくりあけると、柔らかい春の光がガラス越しに一層穏やかに降って来る。緑の木々は昨日見たよりも輝いて、ああ生きているんだな、と思った。植物の呼吸が、聞こえるようだった。
「気持ちいい」
俺が思わずそう呟くと、くすりと笑った声がした。俺は慌てて口を押さえた。
「いや、嬉しい。そう言ってもらえると」
深山先輩はそう言って、傍らの大きな葉を撫でた。その顔はひどく愛しいそうで、その上子供のように無邪気だった。
「たまには良いだろう?こういうのも。ここは緑が多いからここに来なくても森林浴はできるけどね」
そう言えばここは山奥で、緑に囲まれているのだった、と俺は当たり前のことを思い出した。色々なことに、周りを見るのを忘れていたらしい。今度ストレスがたまったら、山に登ってみようかと思った。植物がこんなにささくれだった精神を癒してくれるとは、知らなかった。
「ここ、解放してくれたらいいのに」
俺がそう言ったら、先輩は少し困ったように笑った。
「一応ちょっと貴重な植物もあるからね。管理の問題でそれは無理なんだ」
でも、毎週月曜の昼はここにいるから来れば?と先輩は続けた。
俺はそれに頷いて、また目を閉じた。
「生きてる音がする」
俺がそう言うと、先輩はまたあの、柔らかくて温かい、極上の笑みを見せてくれた。
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