home モドル 01 02 * 04

Creepinng-devil cactus

03
「それで?さっきのは誰?」
 この間の喫茶店で、和高と加絵が何度目かの再会を果たしていたとき、「カズじゃないか」とわざとらしい言葉を掛けて来たのは、哲平だった。それでも一応機会を伺っていたらしく、ちょうど加絵と莉奈が帰るために立ち上がったときに現れた。
 二人はいつも、大体この喫茶店で会っている。
 ただ、会っている。それ以上のことは、一切なかった。
 そして、いつも加絵が「そろそろ行かなくちゃ」と言って、この逢瀬は終わる。
 帰り際、もともと人見知りも少なく、最近では頻繁に会うために慣れて来た莉奈が、ばいばい、と小さく手を振った。
「俺的には、姉貴なんだよってオチでも構わないんだけど」
 雰囲気を見ていれば、そんなことはないとわかっただろう。それでも逃げ道を示した哲平に、和高はため息を吐くしかなかった。
「昔の、知り合い」
 そして、結局そんな答えにもなっていない答えを返した。中学時代の先生なのだと言うのさえ、今の和高には苦しかった。
「もう少し捻った答えを返せよ。……騙されてもやれないだろ」
 そう言った、まだ立ったままの哲平に、和高は坐るように促した。それが話す合図だと取られても、構わなかった。
 本当は、話してしまいたかったのかもしれない。
 哲平がここにいるのは、鼎から何かしら聞いているからだろう。そして、樹にも繋がっている可能性は高い。哲平と宮古も情報面では繋がっているからだ。
 こんなずるい方法で、耳に入れたいわけではなかったけれど、このままにするのも和高にはいい加減苦しかった。
 哲平は坐ったきり、何も言わなかった。ウエイトレスが来て、コーヒーを頼んでから、黙ったままだ。
 最初に聞いておいて、あとはまた和高に任せるなど、哲平はずるい。でも、そうして線引きをする哲平に甘えるのは、結局自分なのだ。和高はそう思って、ふっと小さく笑った。
 コーヒーが置かれて、和高は微かに息を吐いた。
「中学のときの、先生なんだ」
 もう、先生じゃないのよ、と言った加絵の声が頭を掠める。
 二人きりのとき、和高はときどき「加絵さん」と呼んでいた。抱き合っているときには、さすがに先生では興ざめする、と加絵に言われたこともある。
 無意識にそれを避けたのは、まだ吹っ切れていなかった証なのだろうか。
「俺たち、付き合ってたんだ。あの子……莉奈ちゃんって言うんだけど、俺の子かもしれないんだ」
 淡々と言われた言葉に、さすがに哲平も驚いたようで、持ち上げていたカップを途中で止めて、和高をまじまじと見ていた。それから、ようやく我に返ったかのようにそれを一口飲むと、あち、と顔を顰めた。
「……付き合ってたって、今は?」
「うん、ときどき会ってる」
 それは答えになっていなかったが、哲平はそれ以上のことを聞けなかった。
「かもしれないって……?」
「何が?」
「おまえの、子供かもしれないって……」
 ああ、と和高はソファーに背を預けて、外を見た。いつも午後になってから街に来ることが多くて、今日はすっかり夕方になっていた。
「俺が中学卒業する前、先生、妊娠してたから」
 結局ばれて別れさせられたんだけどさ。
 自分のことを語っているはずの和高の顔には、表情らしきものがなかった。それはときどき哲平も見たことのあるもので、ああ、とわかる。
 和高のその表情は、このことから来ていたのだと。
「それじゃあ、その時の……?」
「うん、もしかしたら」
「だからさ、そのもしかしたらっているのは何なわけ?」
 はっきりしないその言葉に、哲平は眉根を寄せた。大事なことのはずなのに、曖昧なままというのはどう言うことなのだろう。
「はっきり、そう言われたわけじゃないし、検査したわけでもないし……」
「なんだよそれ……」
 そんなことでいいはずがない。仮にも子供が一人、いるのだ。
「それで、おまえは深山先輩を放っておいてるってわけ?」
 やっぱり全部伝わっているんだな、と和高は苦笑した。哲平も自分の失言に気付いて、きゅっと唇を噛んだ。でも、言ってしまったものは戻らない。哲平はさっさと隠すことは諦めた。
「らしくないよ、カズ。そんな曖昧なの」
「うん。先輩のことは―――近いうちにどうにかする」
 遮られるように目の前で扉を閉められて、和高はそこに甘えた。もう少しだけ、ほんの少しだけでも、繋がっていたくて。
「先輩のことだけじゃなくて。その、子供の方も、はっきりさせろよ」
 哲平はお節介だな、と和高は思った。知っていたが、本当に、損な性分だと思う。そんなに人の心配をするなんて。
 それが哲平の、いいところでもあるんだけれども。
「それは、いいんだ」
「いいっておまえ……」
 哲平が珍しく言葉を失っていた。でも、和高は最初からそう思っていた。
 莉奈が自分の子供でも、そうではなくても。
 加絵は確実に、傷ついたのだと思った。あの、二年前の出来事で。
 結局、自分は一番支えなければならないときに、支えられなかったのだ。加絵が子供を産んだにしろ堕ろしたにしろ。それを、加絵はたった一人で耐えなければならなかったのだ。あのとき、加絵が家族からどんな風に迎えられたのかはわからない。でも、世間の目は冷たかったに違いなく、和高の周りの風潮でさえ、教師と言う立場の加絵を責める向きが多かった。
 だから今、もし加絵が誰かの支えが必要なら、自分がその誰かになれないかと思った。償いとか、そう言う感情ではない。でも、自分はそうするべきなのだと思った。
 それで樹を傷つけるのは、本当に胸の痛むことで、自分の我侭だとわかっている。樹には何の落ち度もなく、悪いのは自分だ。
 別れるのか、という哲平の問いには、答えなかった。それは、自分からきちんと樹に言うのが筋というものだと思った。
「昔の彼女に会って、子供までいて……昔の気持ちを思い出したのか?もう、深山先輩のことは思っていないのか?」
 哲平が呟いた。小さな声のそれは、問いではなかったのかもしれないが。
 和高は、ただゆっくりと、首を振るだけだった。


「そうか」
 哲平の話を聞いた樹の反応は、それだけだった。何か物言いたげな哲平が扉を叩いて、初めて東の寮長の部屋に入ってから、一時間近く経っていた。哲平がなかなか話し出さなくて、樹が辛抱強く待ったからだった。
 哲平にしてみても、樹が和高の中学時代の話を知っていることを知らなかったから、話すべきかどうか、ずっと悩んでいたのだ。でも、思い切って和高の中学時代の話を知っているかと聞いてみると、知ってるよ、と微笑まれたので、ようやく話そうと思ったのだ。
「先輩……」
 どこか自分の方が縋るような気持ちになって、哲平は樹を見た。
 男同士だし、先輩後輩と言う間だし、樹と和高のことを面白半分で囃し立てることも多い哲平たちはでも、本当はこの二人が気に入っていた。少し、羨ましく思うくらいに。相手が男ではなく女の子だとしても、こんな関係が築けたらいいと思わせる二人だった。互いを思いやって、すごく穏やかな空気が漂うくせに、ときには当てられたと思うほどの熱烈振りを見せてくれたりして。
「和高らしいね」
 樹はそう言って、淡く笑った。哲平はその顔に何故か泣きたくなって、顔を顰めた。
「どっちでもいい、か……」
 その子供が本当に和高の子でも、違うとしても。
「わかる気がする」
「先輩……?」
 あのね、と樹がゆっくり顔を上げた。なんだか困ったような、泣きそうな表情だった。
「和高は、そのことで傷ついたままだったんだ。たぶん、自分がまるで逃げたように感じていたのかもしれない。あの、真っ直ぐな和高が。だから、ずっとその傷を抱えて――― 未だに、それは癒えていないんだ」
 それを癒すことは、自分では適わなかった。
 ものすごく穏やかな日々に、隠れてはいたけれど。
 癒えては、いなかったのだ。
「先輩……」
 哲平は何も言えずに、ただそう呟いた。樹はふっと立ち上がって、窓の前に並ぶ木々の中に進んでいった。そして、外を見ながら、「参ったな」とぽつりと呟いた。



home モドル 01 02 * 04