home モドル 01 02 03 * 05
コレガ僕ラノ進ム道
04
さて、どうやって藤吾を捕まえておこう。
揺れの少ない快適な運転の車の中で、映はそればかり考えていた。この不安定でちょっと傷ついた藤吾を、このまま帰したくない。まして、他の男に委ねるなど冗談じゃない。
それでも、どう考えても自分のほうが付き合いが浅い分、藤吾にとっても彼らに着いていく方がいいのかもしれない、と映は思った。
そうこう考えているうちに、車は早くも映の住むアパートに着いてしまった。ここで、どう藤吾を誘ったら不自然ではないのか、映には思いつかなかった。藤吾だけなら、どうとでもなる。でも、橋野は誤魔化しきれない、と映の勘は言っていた。
「それじゃあ、お手数かけました。……藤吾、無理するなよ」
仕方なくそれだけ言って映が車を降りると、思いも寄らぬところから映の願いが叶った。
「藤吾、佐谷さんの怪我の手当てしてやれ。派手にやってたから、背中辺りも傷があるだろ」
そう言ったのは、橋野だった。映は驚いて、いえ、と言いかけたが、願望は素直に現れて、その声は小さく多治見に聞こえただけだった。
「本来ならウチの掛かり付けの医者に見てもらいたいくらいなんですよ」
「そんな、そこまで……」
「佐谷さんはそう言うと思ったんです。ですから、藤吾を置いていきます。こいつ、怪我の手当てとかは得意なんです」
橋野の言葉に、藤吾も迷っていたようだが、邪魔していいか、と映に聞いてきた。映には、異存はない。
「藤吾、しっかりご奉仕しろよ」
藤吾が降りて頭を下げると、橋野がにやりと笑った。裏を読まない藤吾は「はい」と神妙に頷いたが、映はため息を隠した。
ばれている。少なくとも、映の藤吾への傾き加減は、ばれている。
「狸オヤジだな」
車が去って呟くと、藤吾が首を傾げた。
「ん?いい先輩だな、と思って」
「うん。あの人が俺の教育係なんだ。ときどき怖いけど、橋野さんについてれば大丈夫って思う」
藤吾がほんわりと笑う。映も釣られたように笑うと、藤吾を促してアパートに入っていった。
とりあえずは風呂だな、と映がシャワーを浴びているうちに、藤吾も自分の傷の具合を確かめた。少し痣になっているが、大したことはない。ただちょっとまだずきずきするし、ところどころ擦り剥いているから、傷薬だけ貰おうと藤吾は思った。
「藤吾、おまえも入れよ」
映ががしがしと頭を拭きながらやってくる。上半身裸のその格好に、藤吾は思わず目を逸らした。
「お、俺はいいよ。それより佐谷さんの傷の手当て……」
「だーめ。おまえだって地面に転がってただろ。入って来い」
冷蔵庫から水を出して、映はボトルの口から直接それを飲んだ。その様子を見てられず、藤吾は慌てて立ち上がって風呂場に向かった。入るつもりがあったわけではないのだが、あのままではまずい。
何しろ、ヒーローよろしく颯爽と現れた映に、さっきから藤吾はどきどきしているのだ。たぶん今だって、顔が赤くなっているだろう。
藤吾は仕方なくシャワーをざっと浴びた。出てみると、真新しいタオルが置いてある。
「服探してみたんだけど、やっぱ大きさ合うのないわ。毛布でいいか?」
え?と思って見ると、目の前で洗濯機が回っていた。スーツの上下はさすがに洗わなかったようだが、中のシャツはない。ついでに、下着までない。
映が近づいてくる気配に、藤吾は慌ててドアの陰に隠れた。
「下着は今コンビニで買ってくるから」
「で、でも」
「それともノーパンでいる?」
いしし、と意地悪く映が笑う。藤吾はぼんっと火が吹くように真っ赤になった。
あらら、と映は心の中で呟いた。なんて、なんて可愛い反応だ。
「はい毛布。コーヒー入れたから、テレビでも見ながらちょっと待ってて」
先刻の意地悪な笑みを綺麗に消し去って、映が微笑んだ。藤吾はかくかくととにかく頷く。色々やばいし恥ずかしいので、早く目の前からいなくなって欲しいのだ。
映がコンビニから帰ってくると、藤吾はぼんやりとテレビを見ていた。コーヒーに手をつけた後はない。染みるだろうか、と考えて、すぐに映は自分の失態に気付いた。
「悪い。砂糖と牛乳いる?」
聞くと、藤吾が驚いてから、小さく控え目に、頷いた。
ああどうして、先ほど気付かなかったのか。どうして、その二つが必要だと、わからなかったのか。
藤吾は砂糖を小さじ三杯入れて、くるくるとかき回している。毛布に包まれて、そこから大きな手が出ている。
可愛いなあ、と映は頬が緩みそうになるのを必死に耐えていた。情けなさと恐怖に、しゅんと項垂れているのもまた可愛い。大きな身を縮こまらせているのを見ていると、頭を撫でてあげたくなる。
映が思い出してコンビニの袋を渡すと、藤吾はほっとして、それから慌てて洗面所に向かった。と言っても、毛布を引き摺ってである。
ようやく落ち着いたのか、藤吾は少し顔色を良くしてリビングに戻ってきた。ちょっと苛めすぎたかと映は思う。
「腹、平気?」
自分はブラックのままのコーヒーをずずっと啜って、映は思い出したように聞いた。藤吾は大丈夫だと、こくりと頷く。
「あの、ありがとう」
こいつは仕草もいちいち可愛い、と映は思った。大柄な動物特有の、少し鈍い動き。その不器用さみたいなものが、堪らない。
「ん?ああ、別に。俺、結構喧嘩慣れしてるし」
「うん、強そうだったな」
あの蹴りを平然と受け止めていたのだ。藤吾はその細い腕をちらりと見た。そして思い出したのか、慌てて手当てをしないと、と騒ぎ始めた。映はこれくらい放っておけばいいと思ったが、必死な藤吾が可愛くて、そのまま一生懸命手当てをしてくれるんだろうなあ、と思ったら素直に従ってしまった。
救急箱を手に、藤吾は映を検分した。薬を塗る手が、僅かに震える。映はそれに、少しだけ期待した。
もしかしたら。
藤吾も、同じ気持ちかもしれないと。
それでも問題はある。セックスをしない清い交際など、出来るはずがないと映は思っているからだ。
藤吾はなんとか気持ちを落ち着かせながら、手当て手当て、と呪文のように心の中で唱えつつ、映に薬をつけていった。綺麗な肌だ。そこに小さくもいくつもの傷がついていて、途端、ものすごく申し訳ない気持ちになる。なにしろ、映は助けてくれたのだ。藤吾が、何もできない中で。
「佐谷さん、何か武道やってた?」
細いながら、しっかりと筋肉がついた腕を見ながら藤吾は聞いた。
「ああ。俺もこんな形だから。護衛って言うの?ガキの頃から色々やった。どれ一つとして極めなかったけどな」
映はにっこりと笑う。華奢で可愛い映には映なりの苦労がやはりあるんだな、と藤吾は思った。
「いいな。俺はこんなだけど、喧嘩、駄目なんだ」
藤吾がますます縮こまる。映はその頭を撫でるために手を伸ばしたくて仕方がなかった。
「だと思ったよ。ま、藤吾らしいよな」
「そ、そうかな」
「そうだよ。藤吾、優しいから」
映が少し目を細めて笑った。その優しくて柔らかい笑顔に、藤吾は赤面しそうになる。
ちっちゃくて可愛くて、でも喧嘩も強くて包容力みたいなものも見せる。そんな映はまさしく藤吾の理想で、参ったな、と思った。きっともう、誤魔化せないほど自分は映を好きだろう。さっき、余裕で蹴りだされた足を止めて、大丈夫かと顔を覗き込まれたとき。あのとき、完全に参ってしまったのだ。
苦しいだけの恋を、藤吾は幾度かした。いつでも、遠くから見ているだけのような、そんな恋を。そしてまた、懲りずにそんな恋をしようとしている。
「……優しくなんかないよ。臆病なんだ」
「臆病?」
こくり、と藤吾が頷く。俯いた顔はあまり見えないが、映には藤吾が今にも泣きそうな顔をしているような気がした。
「俺、いつも怖くて。本当に、自分でも馬鹿だと思うぐらい、ちょっとしたことも怖いんだ。睨まれるだけでもびくびくするし、怒鳴られるのも駄目で。……情けない、臆病者なんだ」
それに、藤吾はこの体格だ。例えば先刻の場面だって、映より藤吾が殴られでも蹴られでもした方が、きっと怪我は少なくてすむ。映など、藤吾よりずっと容易く吹き飛ばされてしまう。幸いにして、映は喧嘩が強かったけれど。
ふと、頭を撫でられて、藤吾は顔を上げた。映が目の前で微笑んでいる。
「怖いのは、痛みを想像できるからだろう?殴られれば痛い。怒鳴られれば傷つく。そう言うことを、藤吾はわかっているから怖いんだ。だから藤吾は相手にそう言うこともしない」
違う?と言われても藤吾はぼんやりと映の顔を見ていた。
「その上藤吾は体格がいいからさ。人の倍も傷つけやすい。それを藤吾はわかってるんだ」
だから優しいのだと言われて、藤吾は泣きそうになった。その頭を、映にそっと抱きしめられる。
温かさを感じたら、駄目だった。抑えていたものがふわっと溢れてきて、藤吾は泣いた。
苦しかったのだ。
この身体と、心と。まるで噛み合わない自分を、どうしたらいいのかわからなかった。小さい頃から、体格だけは良かった藤吾は、女の子たちには良く怯えられた。
誰も、傷つけたくなどなかった。優しく穏やかな雰囲気が一番好きだった。でも、そう言う友人達を作るのに、ひどく苦労した。
子供の喧嘩でも、藤吾は余分に傷ついてきた。怒鳴りあいなど、出来ないのだ。叫ばれて、怒鳴られて、時には殴られて、藤吾はもちろん、傷ついた。でも、藤吾だってかっとなるときがある。そんなときに、たった一言怒鳴っただけで、相手は簡単に大泣きした。端から見ていたら、相手がどれだけ酷く藤吾を攻撃していても、そのたった一瞬で、藤吾が悪者になることなど良くあった。
それに何より、そうやって自分が誰かを酷く怯えさせるという事実が、藤吾には重かった。
よしよしとでも言うように、映は藤吾の頭を撫でていた。大きな身体が、小さく震えている。きっとずっと、我慢してきたのだろうと思うと可哀想でならなかった。同時に、きゅっと自分の背中のシャツを握る藤吾が、可愛くて仕方がなかった。
慰めてやるとずるく言って、抱いてしまおうかと映は思う。
今までの様子からも、今の感じからも、藤吾は少なくともリバが出来るか、ネコだろうと映は考えていた。問題は、その相手が自分みたいな「ちっちゃくて、可愛い」と言われてしまう人間でいいのか、ということだった。例えば藍川なら、藤吾を抱いてもさほど違和感がない。
少し落ち込んでいる風な藤吾に、これ以上追い討ちをかけたくはない。
どうしようかと悩んでいるうちに、映は藤吾からすすり泣きが聞こえなくなったことに気付いた。そっと腕を緩めて顔を覗き込むと、そこにはすうすうと眠る藤吾がいた。
「それはないんじゃないの……?」
安心して、泣いて、疲れてしまったのだろう。全く子供のようだ。
起きているときは十中八苦怖がられる藤吾の寝顔は、目元が赤く染まっていて、その上泣き跡が残っていて、少しばかりあどけない印象を与える。
あーあ、どうしてこんなに可愛いんだか。
映はそっと座布団を枕変わりに置いてやり、包まった毛布の上にもう一枚掛け布団を掛けてあげながら、深々とため息をついた。
home モドル 01 02 03 * 05