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コレガ僕ラノ進ム道

05
「で?何もしなかった、と」
 藍川が珍しく口元を綻ばせて、映はそれを非常に面白くない顔で見た。
「……できねーだろうが。俺はおまえと違って優しいの」
 藍川はそれには何も答えずに、笑っているだけだ。この無表情の友人がこうして笑っているのは、不気味でもあったが、自分がねたになっているのだと思うと腹が立つ。
「あんな、安心しきった犬ころみたいに寝られてみろ。手なんか出せるか」
 本当は、色々したくて堪らなかった。でも、寝込みを襲うなんて映の趣味じゃなかったし、相手の了解を得ていないのはもっと嫌だった。
 だからって。
「了解してくれるかわかんねーもんなあ」
 はあーっと盛大なため息を吐いて、映はウイスキーを啜った。
 男と言うものは厄介で、どうしたってセックスにおける征服欲みたいなものがある。映はネコは絶対やりたくないと思っているから、その辺りの人たちの気持ちはわからないが、自分がガタイのいい男が好きなのはそう言う醜い感情によるものだと自覚している。
 わかっているから、厄介なのだ。「こんな華奢な奴にやられたくない」と映に言う男を殴り飛ばしたいと思うと同時に、そうだよなあ、と心の奥底では納得してしまう自分もいる。自分の好みがなんとなくの、自然と出来てしまったものならまだしも、映はその原因を嫌々ながらわかっているのだ。
 だから、突っ張ってみても、どこか遠慮してしまうときがある。
「嫌がられるかもしれないから、言わないのか?」
 いつにない憂い顔をしている友人を、藍川は少しばかり複雑な気持ちで眺めた。
 少なくとも、藍川だってあの藤吾を気に入っていたのだ。映のように「好み」と言うわけでは全くなかったが、何度か話をするうちにあの純粋で、臆病で、でも必死なところが可愛いと思っていた。
「……そこでぐるぐるするのは馬鹿だって思うんだけどな。ちょっとまだ、当たって砕けろ!ってな覚悟が出来ない」
 それだけ、真剣なんだろう。まあ、映なら……と藍川は思った。なんだか、娘を持つ父親のような心境に、自分で苦笑する。
「俺は運命とか神様とか信じない性質なんだが」
 突然そんなことをいい始めた藍川を、映が少し途惑ったように見た。
「おまえたちを見てると、そう言うものもあるのかもなあ、って思ったよ」
「俺たち?」
「そう。何か大きな流れがあって、決められた人間が決まった人間に出会うように、出来ているのかもしれない」
 かしゃん、かしゃん、とあまり大きくない音を立てて、藍川は氷を砕いた。
「らしくないな」
「だから、最初に言っただろ?でもな、俺はガタイのいい男を抱きたい華奢な人間と、華奢な人間に抱かれたい、可愛い熊男を知っている」
 そしてそのどちらも、自分のその特殊さに悩んでいる。それゆえに、互いに惹かれあっているのに、何も言えないでいる。
「その上、その二人を知る俺は、案外お節介ときた。俺も知らなかったけどな」
 藍川があの笑っているのかいないのかわからない笑みを零した。
「これが全部ただの偶然って言うぐらいなら、運命だとか言われた方が、俺は自分の役割に納得できる」
「藍川……マジで?」
 映が呆気に取られていた。そういう間抜けな顔も可愛いのだから、顔がいいって言うのは得だと藍川は思う。
「俺がちょっと趣向を凝らした言い方をしたっていうのに、おまえの返事はそれかよ」
「本当に?それって藤吾のことだよな?」
 藍川のため息など、映は聞いていない。
「可愛い熊男って……あーっ。おまえ、やっぱり藤吾狙ってやがったな」
「可愛いものは可愛いだろ?おまえもそうやってパニクってると可愛いのにな」
 藍川はしれっとそう言う。ただでさえ目立つ映は、今や店中に注目されているが本人は珍しく気付いていないようだった。といっても、いつもは気付いても気付かない振りをするのだが。
「それ、からかってんじゃねーよな」
「からかうなら、おまえを喜ばせるようなからかい方はしない」
 言ってすぐ、店の扉が開いた音がした。その音は微かなのだが、長年ここで働いている藍川には無意識でも聞こえてくる音だった。特に、この客はとても丁寧に、そっと扉を開けるというのに。
「ほら、噂をすれば……一杯ぐらい、飲ませてやれよ」
 藍川は出来上がったばかりのカクテルを手に、フロアにまわった。それから、店に入ってきた藤吾に、いらっしゃい、と笑顔で挨拶をした。
 それはもう、周りが唖然とした、笑顔だった。
 滅多に、と言うより、初めて見た藍川の笑みとわかる笑顔に、藤吾は思わず立ち竦んでしまった。いつも無表情で無口なバーテンは、実はとても柔らかい笑みをする。あんな顔で微笑まれたら、ころっといってしまいそうだ。
「藤吾っ」
 知らず赤面していた藤吾の手を引っ張ったのは、映だった。心なしか、目が怒っている気がする。いや、むっとしてる……。
「あ、こんばんは」
 藤吾は礼儀正しい。小さく頭を下げて、大人しく映に引っ張られて隣に坐った。
「あの、この間はありがとう」
「いいって。俺だって上手い朝食が食べられた」
 にっこりと笑う映に、後ろでは不穏な空気が生まれた。映目当ての客達の目が、鋭く藤吾を見た。
 朝食。それはつまり。
「ああ、映の奴、どじったんだって?この我侭男の看病なんて、ご苦労様」
「い、いえ。あれは俺が悪くて」
 ふっと藤吾が目を伏せる。映はその藤吾を、どこかに隠してしまいたかった。これだ。この図体のでかさで、しゅんと項垂れるのだから、可愛いのだ。ヘタな庇護欲のようなものが、刺激される。
「藤吾……」
 唸るように言うと、何事かと呼ばれた方は身を縮めた。その手をがしっと掴んで、映は立ち上がった。
「映、営業妨害してくれるなよ。むしろ礼に儲からせて欲しいくらいだ」
「よく言うな。人を客寄せパンダにしといて」
 立ち上がった映がそう藍川を睨むと、ばれてたか、と藍川はしれっと言った。藤吾はその間で、うろうろと目を泳がせている。
 この手。映は手を掴んだまま、離してくれない。それをどうしたらいいのか、藤吾はわからない。
 細いのに、力強く握られた手。そういう強さに、藤吾は憧れている。
 本当は。引っ張っていって欲しいのだ。強引でも何でも、抱きすくめて欲しい。
「あ、あの……」
 でも、それは空しい願いだと藤吾は知っていた。いつでも、誰でも、藤吾のその願いを叶えてくれる人間はいなかった。なぜなら、藤吾こそその力を持っているように見えたからだ。でも、力は持っているだけでは「強く」はならないと藤吾は思う。
「佐谷さん……?」
 手を、そっと引く。取りすがりそうな自分が、嫌だった。勝手に期待してしまいそうな自分が、藤吾には怖かった。
「藤吾、出よう」
 引かれた手を、映はぐっと戻した。離してはいけないのだ。当たって砕けるなら、きっと今なのだ。もちろん、砕けたいと思っているわけではないのだが。
「え?あ、あの……」
「話がしたい」
「ここじゃなくて?」
 藤吾の困惑した声に、映は黙って頷いただけだった。


 映の後を、藤吾はしおしおと着いていった。映の背中は、どこか怒っているような、気迫に満ちているような、少し怖い気配を纏っていて、藤吾は話し掛けることが出来なかった。
「佐谷さん、ここ……」
 連れて来られてのは映の部屋だった。思わず立ち止まった藤吾に、映はゆっくりと振り返った。
 何も、言わなかった。
 薄暗い街灯に照らされて、ただ真っ直ぐに、藤吾を見ていた。全ては、藤吾に任せるとでも言うように、ただ、真っ直ぐに。
 藤吾は開きかけた口をふと噤んで、その映を見た。それから覚悟を決めたように、歩き出した。
 映はそれを見て、くるりと振り返ると自分の部屋のドアへと向かった。アパート一階の角部屋の前で、やはり無言で鍵を開けてその中に入っていく。夏のむっとした空気に眉根を寄せながら、窓を一つ一つ開けていった。藤吾はどうしたらいいのかわからずに、リビングに突っ立っていた。
「坐ったら」
 そう、ビールを渡されて、ようやく藤吾は慌てて指差されたソファーに坐った。部屋の中は結構片付いている。でも、雑誌やビデオテープが多少積み重ねられていたりするところに、藤吾はどこかほっとしていた。
「あの……話って?」
 ビールをごくりと一口飲んでから、藤吾は黙ったままの映におずおずと聞いてみた。何の話がしたいのか、皆目検討がつかなかった。
 映は真正面から少し横にずれた位置に坐って、そんな藤吾をちらりちらりと何度か見ていた。黙っていたのは緊張しているからで、本当は、藍川の言っていたことを確かめようかどうか、今だ迷っていた。
 なくしたくないのだ。
 今のような細く脆い関係であってさえ、映は藤吾との糸を切りたくなかった。例えば今のままなら、それが辛いこともわかっていたが、でも、思い切れないでいた。
 こんな風に思ったことは、なかった。映は今まで、もっと即物的な恋をしていた。いいと思った相手にとりあえず声を掛けては、嗜好が合わずに早々に砕け散るようなものばかりだった。
 それを恋と呼んだことが間違いであったのかも知れないと思うほど、今の気持ちは辛くて切なく、甘いものだった。
 映は缶ビールを半分ほどごくごくと飲んで、何かを吹っ切るように息をついた。
「俺も藍川と一緒で、運命とか信じない方なんだけど」
 ふいに呟かれて、藤吾ははっと顔を上げた。だが、映は斜め下をじっと見て動かなかった。
「でも、藤吾、おまえと出会えたのは運命であって欲しいと思ってる」
「佐谷さん……」
 映が顔を真っ直ぐに上げた。じっと、藤吾を見つめる目は、酷く切なくて藤吾を動揺させた。
「俺、藤吾が好きだ」
 しん、と部屋の中が突然静まり返った。聞こえていたはずの外の車の音も、開け放たれた窓から入ってきていた風の音も、藤吾には聞こえなかった。
「藤吾を、抱きたい」
 言ってすぐ、映の目が泣きそうに歪んだ。でも、その声色も視線も真剣で、藤吾は唇を震わせては何か言葉を紡ごうとしていたが、あまりに驚いてすぐに声を出すことはできなかった。
「こんな華奢な人間に抱かれたいと思う男はなかなかいないのは、わかってるんだ。だから、嫌ならはっきり言っていもいい」
「佐谷さん」
「ただ、ちょっと限界だったんだ。藤吾が好きだって気持ちを持て余しすぎて、どうしようもなかったんだ」
 映の顔が歪んだ。泣きそうな目をしているが、きっと、涙は見せない。映は、そう言う男だった。
 ただ形が華奢で小さいだけで、多分誰よりも男気溢れる男なのだ。
 藤吾はただ、呆然としていた。聞き間違えなんじゃないか、とか、夢なのかもしれないとか、そんなことばかり考えて、パニックになっていた。あまりに驚いて混乱して、藤吾の方がぽろりと、涙を落としていた。


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