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 駅までの暗い道を歩いていると、前方に見知った車が見えた。さっきまで、俺と実が乗っていた車だ。暗く、庶民的な界隈の中で、その滑らかな流線型を誇る車はどこか浮いている。
 俺が知らない振りをして通り過ぎようとしたら、おい、と呼び止められた。
「どうしたんですか?まさか、帰り道がわからないとか言わないですよね?」
 あり得ない話でもないな、と思いながら言うと「違うよ、まったくまた」と大げさにため息を吐かれた。
「おまえ、一人暮らしでもしてるんだろ?送る」
 乗れ、と視線で言われて、俺もため息をつき返した。
「お気持ちはありがたいですけど、結構です。大丈夫ですよ。電車もまだ通っているし」
 それに、冬でもないから寒いこともない。
「今度のはマジで送りたくて言ってるんだよ。じゃなかったら、俺だっていちいち待つようなことはしない」
 早く乗れよ、と言われて、俺は面倒になってそれに従った。ひんやりとした車内の空気が、気持ちいい。
「藤原東だったら、待つかもしれないですよ」
 嫌味半分そう言うと、ふっと笑われた。
「なんだ、知ってるんじゃないか」
 何を?と思ったが、すぐにああ、と思い至る。
「テレビや雑誌を見てれば、嫌でも目に入る」
 言ってから、すごく失礼なことだと気付いて、すみません、と呟いた。
 少しだけ、俺の嘘の武装が剥がれかけてきている。俺は慌ててそれを、繕わなければならない。
 本当は、藤原の気持ちは、よくわかるのだ。自分を見せ付けられているようで、イライラするくらいに。嘘の武装は、取ったりつけたりそう簡単に出来るものではない。一度剥がれると、直すのが大変だからだ。だから、いつでもどこでも、武装したままのほうが楽なのだ。
 唯一、一人でいるときだけ、武装が解ける。
「なあ、ちょっと飲まない?」
「はい?」
「飲みに行かないかって、聞いてるの」
「え?でも」
 藤原は車で、俺は高校二年生。俺の事情など知ったことではないのだろうが、それにしても飲んで運転は藤原東らしくない。
「ああ、車は置いて帰ってもいいだろうし……。でもそうだな、家で飲もう」
「ちょっと」
 強引に、もう決定事項のようにそう言った藤原に、俺は抗議の声を上げたが、ハンドルを握っているのは俺ではない。するりと車は曲がって、俺の知らない道に進んでいく。
「……さっきのは、本当にすみませんでした。失礼なことを言いいました。謝ります」
 だからもうおろしてくれ、と言おうとしたのを、なんだ?と藤原に遮られる。
 いくら知った顔でも、知っているのは顔だけで、こんな風に突然知らないところに連れて行かれるのは正直怖かった。それがさっきの仕返しなら、いくらでも謝ってやる。
「怖がってる……?俺、信用ないなあ」
 くすくすと楽しそうに藤原が笑う。でも、俺は笑えない。
「テレビに出ている藤原東は信用できても、俺は信用できない?」
「だから、それは申し訳なかったって」
 俺が叫ぶような口調で言うと「でも、本音だろ?」と静かな声が返ってきた。思わず藤原を見ると、真剣な目で前方を見つめている。その目に、俺は少しだけほっとした。
 ほっとして、それからため息を吐いた。藤原は、何も悪くない。
「あなたが、悪いんじゃない。俺の八つ当たりです」
 朝からの電話、実のこと、送った先での母との対面。そういう全てのことに、うんざりしていた。そこで、いい子ぶって本音を隠しつづける自分にも。
 藤原は何も言わずに、運転を続けた。もう十分疲れきっていた俺は、さらに抵抗することは諦めた。半分自棄になっている。
 ついた先のマンションは、とても豪華でもなければ大きくもなく、小奇麗でシンプルなところだった。それでもやはり最上階なのは、セキュリティの問題もあるから、と藤原が言った。
 部屋はシンプルだが温かい感じがした。窓辺に並ぶ、大きな鉢植えの草や、生成りのカーテンなどがシンプルでも冷たい印象を与えないのだろう。
 少しだけ、意外だった。テレビの中の藤原東なら、シンプルで機能的、大人の男を思わせる、モノトーンで統一した部屋、というのがぴったりだったからだ。もちろん、それが演技上のことなら、プライベートな自室ぐらい、好きにしたいだろう。
 そこまで思って、俺は首を傾げた。そんなところに、素性もわからない俺を連れてきていいのだろうか。
「何?座りなよ。ビール、ワイン、日本酒、ウォッカ、ウイスキー……あと何があったかな」
 そう言いながら、藤原は冷蔵庫を開けている。玄関を入って短い廊下の先に続く部屋にキッチンと続きのリビングがあり、キッチンにはバーカウンターがついていた。わりと綺麗にしている、というより、あまり使われていないようだった。
 手にチーズやナッツ類を持って現れた藤原は、何飲む?と聞いてきた。俺はまだ高校二年生だが、一人暮らしの特権とばかりに酒の味は知っている。自分ではあまり買わない日本酒にも心は惹かれたが、知らない人の家で頼むとしたら、ビールが適当だろう。
 はい、と手渡されたボトル缶のビールに、あれ、とようやく気付く。思わず顔を上げると、藤原も同じようにボトル缶のビールを持っていた。
「……おまえって、ほんと勘がいいのな」
 そう、くすくすと苦笑する。そこには、俺の見知った違和感がなくて。
 藤原が、武装を解いていることがわかった。自室だからだろうかと考えたが、よくよく思い出してみれば、実を送り届けた後、もう一度車に乗ったときには、素の藤原に近かったのだろう。
 素の藤原、と言っても、俺は別にこいつのことを知っているわけではないが。
「そう言えば名前、何ていうの?」
 藤原は自分の缶を開けて、ぐいっと飲む。俺もそれに習って、蓋をぐるりと回した。作られたイメージからいけば、ここで彼はコップに注いでビールを出してくれたはず。見知らぬガキだとしても、こっちを放っておいて先に飲んだりなんかしない。
 そもそもガキに、アルコールを勧めない。
「名瀬」
「フルネーム」
「名瀬いずる」
 なんだかふてぶてしい藤原は、これが本当の姿なんだろうか。
「イズルって漢字は?」
「ない」
「は?」
「ひらがななんだ」
 なんだか、丁寧に敬語を使うのがバカバカしくなってきた。どうやら、藤原は作ることをやめたようだし、俺も少しだけ、そうしていることが疲れてきていた。もうこれで会うことはないだろうから、それもいいかな、と俺は珍しくもそんなことを思っていた。
 藤原は、珍しいな、と言いながらチーズをぱくりと食べる。
 それから、藤原と俺は実をスカウトした倉野というスカウトマン(というより、本当は別のタレントのマネージャーなのだそうだ)の話や、社長の槙の話から、その槙が趣味だと言う旅行の話、藤原自身の旅行話、酒の話、と話題が変わるのと同じように、ビールからワイン、俺がちらりと飲みたいと言ったのを笑いながらも出してくれた日本酒、と酒も変わり、その頃にはもう、俺も武装どころではなかった。藤原の話は面白く、ついでに聞き上手でもある。トーク番組で見る様子では、どちらかと言うと寡黙だが、あのワンクッション置いた思慮深そうな話し方は、実際頭の中で計算しているのだろう。藤原東仕様の、答えになっているのか。
 さすがに一人でこんなに酒は飲まない。ついでに言えば、酔うほど飲まない。酔っ払うのは、ふわふわと、気持ちいいものなんだ、と俺は思っていた。
「イズルは、疲れないのか?」
 東も――藤原、と俺が呼ぶのが気に入らないと無理やりそう呼ぶように言われた――かなり酔っていたのに、ふいにそう言った顔は真剣で、俺は酔った頭の片隅で、やっぱりかっこいい顔をしているなあ、と普段は思わないことを呟いた。頭の中の大半はぼんやりとしていて、それがかえって気持ちがいい。
「何が?」
「自分が言ったんだろ。周りのイメージどおりにしていて、疲れないかって。俺とは違うだろうけど、おまえも作ってるんだろ?疲れないのか?」
 疲れるに決まってる。でも、あまりに長くそんなことをしていて、俺はもうわからなくなっていた。ぴったり、吸い込まれるように、作り物の俺は俺に馴染んでいる。だから、今更どうにもならないのだ。それがなければ、俺はきっと生きていけないのだから。
 東の質問にきちんと俺は答えたのか知らない。
 いつのまにか、とても久しぶりに、人前で眠ってしまっていた。


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