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05
 酔いを醒ますとは言ったが、俺は戻る気はなかった。だいたい、そんなに酔うほど飲んでいない。でも、あそこでイズルが誰かと話をするたびに、凶暴な思いを抱えていたら身が持たない。
 せめて、嫉妬できる立場ならまだいいのに。
 はあ、と白い息を吐きながら俺はタクシーを捕まえた。クリスマス当日の夜の街は、お祭りのすぐ後のようで、淋しいのは誰も一緒だ、などと思っていた。
「待って」
 ふいに足音と声が聞こえて、俺は乗りかけていたタクシーから半身だけ出して思わず振り返った。バーテンの格好をしたまま、コートだけ羽織ったイズルがいた。
「すいません、俺も乗ります」
 イズルはそう言って、俺を押し込めると、俺には何も言わずに行き先を告げた。もちろん、俺のマンションだ。
「イズル?」
「鷲見さんが教えてくれて。どっちみち、仕事はいつも夜中まではやらないし」
 イズルはそれだけ言うと、黙ってしまった。ふうっと長い息を吐いて、疲れたのかぼんやりと外を眺めているようだった。
 俺は聞きたいことが山ほどあったのに、一向にこっちを向こうとしないイズルにため息をついて諦めた。方向は似ているから、ついでにタクシーに乗っただけかもしれない。
 でも、俺のマンションにつくと、イズルも一緒に降りた。半分出すから、と言うのをとりあえずいい、と言いながらも混乱していた俺は無理やり千円札を押し付けられて、思わずそれを見つめた。
「イズル、何考えてる?」
 俺に先立ってさっさと歩き始めたイズルの背中に、俺は立ち止まったまま声をかけた。イズルは首だけこちらに向けると、にっこりと笑った。
 素の、イズルだ。
 俺の中の凶暴な野獣が、ざわりと毛を逆立てた。
「東のこと」
「え?」
「ずっと、東のこと考えてた」
 笑ったまま、イズルは俺を見ている。その笑顔があまりに綺麗で、俺は目を閉じて俺の中の野獣を落ち着け、と心中で撫でた。
「今、二人だけで部屋に行くっていうのがどんなことか、おまえわかってないだろ」
 俺がそうため息をつくと、わかってるよ、とイズルは言う。
「わかってない。頼むから、帰ってくれ」
「わかってるよ。ちゃんと、わかってる。だから、追いかけてきたんだから」
 イズルは言いながら、くるりと前を向くとまた歩き出した。慣れた手つきで、マンションの玄関の暗証番号を押している。
「何してるんだよ」
 イズルがそう笑ったのが、俺には限界だった。
 俺はすたすたと歩いていくと、その勢いのままイズルの腕を引っ張って、エレベーターに向かった。突然豹変した俺に、イズルは一瞬驚いた顔をして、それからゆっくり微笑んだ。
「馬鹿やろう。そんな顔するな」
「なんで?」
 エレベーターに乗っても、俺はイズルの腕を離すのを忘れていた。それでも、イズルは何も言わない。
「おまえな」
「わかってるって言っただろ?俺が今、どれだけ東が欲しいか、わかってないのは」
 最後まで、言わせなかった。ぶわっとそれこそ獣が身体中の毛を逆立てるように、俺の全身の血が騒いだ。
 だからそのまま、噛み付くように口付けていた。どんっとイズルが壁に背中を打ちつけたのがわかったが、知ったことではなかった。
 技巧も何もない、本当に獣じみた口付けだった。
 それでもエレベーターが指定階につくと、俺たちは無言でドアに向かった。鍵を開けるのももどかしく、やっと開いたと思ったら互いに突き飛ばすように中に入って、玄関でそのまままた口付けた。フローリングの床を、靴のまま歩きながら、唸るように二人で何かを言っていたが、俺もイズルも何を言っているのかわからなかった。
 ベッドまで、いけなかった。リビングのソファーで、引きちぎるように服を脱ぐと、そのまま俺は同じように服を脱いだイズルにかぶりついた。
 貪り合う、と最初に言った人はえらい。
 それはセックスなどと言う生易しいものではなく、互いが互いを食べ尽くした、という感じだった。俺はイズルの身体の隅々まで噛み付くように口付け、イズルは俺を飲み込んだ。
 それでも、決して俺はイズルの一部にもなれなければ、イズルも俺の一部にはなれない。それを納得させるように、何度も何度も抱き合って、ぴったりと合わさってみて、俺たちがようやく眠ったのは、きっともう夜など明けていた頃のことだろう。


「諦めるな。傷つくことを恐れるな。手に入れたかったら、がむしゃらに突き進め」
「え?」
「親父に言われたんだ」
 ふわふわと、まだ夢の中のようだったが、起きてしばらく確かめ合うように顔の触り合いをしていた俺たちは、ようやく気が済むと、互いに苦笑を漏らした。それから、イズルがそんなことを言い出した。
「俺、自分で何かが欲しいとか、手に入れたいとか、小さい頃から思わなくてさ。というより、思う前に諦めてた。傷つく前に手を引く、って感じに」
 それはわかるよ、と言いながら、俺は起き上がると冷蔵庫に向かった。あまり記憶にないが、二人ともきちんとベッドに眠っていて、なんだか可笑しかった。
「俺は、手を離すなって言われたからな」
 ミネラルウオーターをボトルごと渡すと、イズルものそりと起きて礼を言いながらそれを飲んだ。声が掠れてひどいことになっていた。
「親父に?」
「そう、名瀬さんに」
 俺はキャップを閉めると、またベッドに潜り込む。腕の置き所に困って、座っているイズルの腰に手を回すと、その背中に額を押し付けた。
「……離そうとしたくせに」
 え?と顔を離して上を見ると、イズルが俺の頭をどかして、自分もごろりと横になった。気だるそうなのは、仕方がないだろう。俺もかなり身体がだるい。シーツをずるりとあげながら、二人でその中に包まる。
「三ヶ月もロンドンに行くって言うし、女の子には誘われてるし」
「誘われてないだろあれは」
 好きだって言われただろ、と言ったイズルの顔は、俺の首辺りに埋められていて見えなかった。どんな顔をして言っているのか見たいのに、イズルはそこから顔を上げようとしない。
「びっくりした。取るなって、俺のだから取るなって思った自分に、すごくびっくりした」
 やっぱり顔が見たい、と俺が身を引こうとすると、首に腕を回される。
「イズル、顔みたい」
「やだ」
 言ってから、くすりと笑うのが聞こえた。
「俺たちって何?順番逆だよなあ。ちゃんと話してっからすればいいのにさ」
 確かに、と俺も笑った。あんな獣じみた衝動があるとは、知らなかった。
 うとうととしかけて、イズルがようやく顔を上げた。何?と見ると、「仕事は?」ときた。回されていた腕も外されて、一人で眠る体勢に入ろうとしている。
「この場面でそう言うこと言う?」
「ドラマじゃないんだよ、現実は厳しい」
「イズルは?」
「休み。パーティー、明け方までの予定だったから。学校は冬休みに突入」
 イズルはそう言いながら、さっさと一人でシーツに包まった。時計を見れば夕方近く、俺は慌てて立ち上がった。今日は夜に収録が入っている。シャワー浴びて、着替えて、と考えながらふとイズルを見ると、すやすやと眠っていた。
 俺はそれを非常に羨ましく思いながらも、慌てて支度をして出掛けたのだった。


 それからも、俺たちはとくに変わったことなく、あの部屋の中ではのびのびと二人で過ごしている。風知草はすっかり元気になって、暖かい部屋の中で冬など忘れて緑鮮やかに垂れているし、冷蔵庫の中身は前に増して充実した。
 イズルは相変わらず懐かない猫のようだったが、外にいてもときどき素の顔を晒してくれて、そういうことに幸せを感じている自分に、俺は少し驚いている。
 ロンドン行きはキャンセルするわけにも行かず、それに仕事としてもやはり興味深い仕事で、俺はきちんとその日程をこなした。もちろん、日本に帰ってきたときには、無理やりにでも時間を作って、イズルに会いもした。
 そんなことをしているうちに、イズルは高校最後の年に入り、新しい生活をはじめた。
 もう少ししたら、花見をしよう、と言っている。父親が教えてくれた、とっておきの場所があるのだと。
 俺は桜前線を、毎日気にしている。
 もうすぐ、あと数日もしないうちに、桜は咲くだろう。
 暖かい日々に、それは、抗うことなど考えもせずに。


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