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君を愛する理由(わけ)などいらない。 第二話
03
 翌日、真崎から昨晩のことを聞いて、智耶子は呆れかえっていた。そして実際、声に出して「呆れた」と言ったのだった。
「なんか死んだような顔してるからどうしたのかと思ったら、何?惚気を聞いて欲しかったの?」
 この話のどこが惚気なんだ、と真崎が大きくため息を吐くと、智耶子は大げさに頭を横に振った。
「あーあ。やってらんない。それのどこが惚気じゃないっていうのよ。よーく考えなさい」
 目の前の真崎が憔悴しきったような顔をしていなかったら、笑うところだ、と智耶子は思っていた。藤川はまだしも、真崎もわかっていないなんて、どうしようもない。
 藤川の言ったせりふは、かつては智耶子に言われていたものだ。智耶子の悪口を言うのは、智耶子でも許さない。そう言う藤川に肩を竦めていたのは、他ならぬ自分だったのだから。
「もう考えるのなんて嫌なんだよ。俺も智耶子サンみたいに、一抜けたって逃げようかと思ってさ」
「逃げたなんて失礼ね。まあ、それもいいかもね。さっさと出ちゃいなさい」
 智耶子はにっこりと笑いながらそう言った。そして、呆れるほど鈍感でのんびりで、臆病な二人には荒療治も必要なのかもしれない、と心中ため息を吐いた。
「どうせ真崎のことだから、泊まるところなんて一杯あるんでしょう?契約切れなんて待ってないで、すぐに出ることね」
 笑いながら言う智耶子に、真崎はため息をついた。簡単に言ってくれる、とぶつぶつと言うと、「これはアドバイスなのよ」と智耶子が人差し指を立てて言った。
「藤川スペシャリストの私からの、上手く行くための、ね。ああ、だから一応、操は立てたほうがいいかもね」
 他人事だからって、どうしてそんなにポジティブなのか、真崎には到底理解できずに、それでもその忠告にはありがたく従うことにしよう、と真崎は決めた。
 智耶子はふらりと歩いていく真崎を見ながら、仕方がないか、と呟いた。二人のことはもう知らない、と外から見学だけをしているつもりだったのに、結局はお節介を焼くのだ。でも、それは仕方がない。智耶子は誰よりも藤川に、幸せになって欲しいのだ。それが自己満足で自分勝手な思いだとしても。
 智耶子は時計を見て時間を確認すると、藤川を捕まえに、講堂へ向かっていった。


「押し切られたって言うか、さ」
 学校からは少し離れたバーで、藤川と智耶子は隣同士で坐っていた。かつてはここで、藤川を話の種に真崎と飲んだことを智耶子は思い出して、なんだか感慨深い思いを抱いていた。
「逃げたって言うか」
 何故、杏子とホテルに行く羽目になったのかを藤川から聞き出していた智耶子が、独り言のようにそう言うと、藤川が目を伏せた。悩んでるなあ、とそれに苦笑する。
「逃げたわけじゃないと思うんだけど」
「そう?」
「なんか、わかんないんだ」
 そう、それが最も的確に藤川の気持ちを表した言葉だろう、と智耶子は小さくため息を吐いた。わからないから、流されてしまった。それで何かわかるかもしれないと、期待したのかもしれない。
「最初はさ、杏ちゃんも別に俺が好きだったわけじゃないし」
「なあに、それ。どういうこと?」
「うーん、ほら、真崎と仲良いからさ」
 馬鹿にしてる、と智耶子がむっとしたら、藤川は全く気にしていないのか、笑っていた。
「最初からそう言ってたから別にいいんだよ。そうじゃないほうが、対処に困る」
「で?今は杏子ちゃんは藤川が好きだって言うの?」
「わかんないみたい。それで、やってみようって話になっちゃってさ……お互い、酔ってもいたんだけど」
 智耶子が呆れたように大げさなため息を吐くと、藤川は小さくなった。それを見て、智耶子は少しだけ藤川に同情する。そんな資格はないとわかりながら、やはり藤川も淋しいのだろうな、などと思う。
「でも、俺、やっぱりチャコが好きだよ」
 まるで子犬が飼い主に懐くような目をした藤川に、智耶子は「知ってるわよ」と頷いた。
「そうそう簡単にその気持ちを忘れられて堪るもんですか。でもね、忘れなくても次の恋愛はできるわよ」
「チャコ……俺、それわかんない」
「わからなくてもいいの。今は。そのうちわかるだろうから」
 藤川は、ずっと、冷めることの知らない恋をしてきたのだ。だからそれを引きずってもおかしくはない。でも、新しい恋が、それをだんだんと遠く押しやることを、藤川はこれから学ぶべきなのだ。
 今の藤川はきっと、そうして思いが薄れていくことを怖がっているだけだろう、と智耶子は思っていた。それは確かに淋しいことだが、決して悪いことではない。
「それで?杏子ちゃんのことは?」
 好きなの?と意地悪く問う智耶子に、藤川は「だからさあ」とテーブルにべたりと顔を伏せながら呟いた。
「わからないんだって」
「わからないって……抱いても?」
「うー……なんか思い出すと自己嫌悪なんだよ。だから真崎にもいらないこと言っちゃったし」
 自己嫌悪が何を表すのか、藤川はわかっていない。
「何を言ったの?」
「おまえだって男も女も連れこんでるだろって」
 それは事実で、今まで藤川が文句を言わないことの方が不思議なくらいだ、と智耶子は思ったが言わなかった。その代わり、ふーんとさり気なく呟いて見せた。
「それで真崎、出て行くなんて言ったのね」
 がばっと、藤川が顔を上げた。驚いて開かれた眼に、智耶子は笑わないように苦労した。
「え?なに?真崎出て行くなんて言ってないよ」
「言ってたわよ、さっき。聞いてないの?」
 聞いてない、と呟かれた声は呆然としていて、智耶子は苦笑しそうになった口元をきゅっと引き締めた。
「真崎のことだから、行く当てなんていっぱいあるでしょ。大丈夫よ、心配しなくても」
「行く当てって……」
「大体、あの部屋に住む前は色々な人の部屋を転々としてたくらいだもの。有名だったのよ、宿泊料は身体で払うって」
「そんなの駄目だろっ」
 藤川がそう叫びながら立ち上がったのを見て、智耶子はとうとう耐え切れずに、控え目ながらも笑みを漏らした。そして、微笑みながらも、藤川が自分のことを前のように切実なほど思ってくれないのは正直淋しい、と思った。
 だから、どうして駄目なのか、と言う問いは、言わないで置いた。それくらいの意地悪は許されるだろう、と思いながら。



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