サイレント・ノイズ 第四話
――螺旋階段――
02
結局、散々抱き合って、二人は疲れきって眠ってしまった。遊びの延長のように口移しでカプセル食を互いに食べさせながら、交わす言葉が少なくなって、そのまま寝てしまったのだ。
葵が目を覚ますと、朝が明けようとしていた。空が紫に染まり、やがて、明るくなる。葵はそっとベッドから抜け出すと、窓際によって椅子に腰掛けてその空を眺めていた。
この空の研究員もいいな、と葵は思った。本物の空と同じように、明けたり暮れたりする空をいかにコンピュータ制御をしていくか、研究するのだ。
紫色に染まった空は、いつも切ない。
こんな風に、人を切なくさせる空を作るのも。
「何を考えてる」
いつのまに起きたのか、ベッドの中から、紫苑がじっとこちらを見ていた。葵は柔らかく笑いながら、空を見ていた、と呟いた。
紫苑は何故か泣きたくなるのを堪えて、葵をじっと見つめつづけた。最近、こうやって抱き合うたびに、葵がどこか遠くへ行っている気がしている。ほんの少し前まで、繋がっていたはずなのに、もう手の届かないところへいるような。
目を覚ましたときに、腕の中にいたはずの葵がいないことに、いつも不安になる。置いていかれた子供のように、その温もりを求めて泣きたくなる。
ゆっくりと明けていく朝の光の中で、葵はあまりに儚い。自分とほとんど変わらない体型をしているのに、消えてしまいそうな細い印象。それが何処から来るのか、紫苑にはわからない。分からないから、不安になる。
「葵」
呼びかけると、優しい顔で、ん?と答える。
「どこにも、行くなよ」
紫苑のその言葉に、葵は泣きそうな顔で、頷いた。
幹部生養成学校は、全寮制のエリート学校だ。地上に筒のように建つガラス張りの建物に、全てが収まっている。幹部候補生は、そこで三年間を過ごす。その後、自分の行きたい分野の幹部育成学校に進んでいく。葵は科学系の、紫苑は政治系の分野を選んでいる。
「葵っ」
講義が終わると、桔梗が少し怒ったような口調で、葵を呼び止めた。
「あぁ桔梗、さっきの第三宇宙速度の計算式なんだけど……」
と、終わったばかりの講義のことを話し始めた葵の腕を桔梗は引っ張って、廊下の端に連れて行く。
「なに?どうしたの」
不思議そうな葵の顔は、全く心当たりがないというような顔で、桔梗の更なる怒りを誘った。それでも、長い付き合いで、葵には全く悪意がないことを桔梗はわかっていた。
「進路、どうした?」
「え?」
「なんだよ、あれ」
怒りたいのを、かなり押さえ気味に桔梗が言う。そこまでしてやっと、葵は気付いたように、あぁ、と言った。
「何って……あのまんまだけど」
葵はなんでもないことのように――でも、視線をそらして――呟いた。どうして、桔梗が知っているのだ。
そんなことを内心毒づいたところで、桔梗を責めきれない。教授の端末に忍び込むことは簡単だと、その方法を桔梗に教えたのは、葵自身なのだ。
「あのまんまって……」
桔梗の呆れ顔に、葵は今度は桔梗から顔ごと逸らして、さっきまで自分たちがいた教室を見ていた。大きなスクリーンに映っていた、教授の言葉を思い出す。
――第三宇宙速度に達した衛星は、太陽の引力も振り切って、永遠に宇宙空間へと飛び出していく――
「どうして今更、カバーフィールド研究員希望なんだ。教授が訝しがってたぞ。あれほど宇宙科学の成績がいいのにって」
カバーフィールド――にせものの空――の研究員は、幹部候補生のする仕事ではない。娯楽追求の、サービス業に少しだけ似ているから。
いいじゃないか、と葵は思う。娯楽を追及するなんて、楽しい仕事だ。
「別に。それもいいなぁと思って」
「別にって……」
桔梗の絶句に、葵は薄く笑う。
――大丈夫だよ。僕らはきちんとレールの上を走っている。
「まだあと一年あるだろう?そのうちまた気が変わるかもしれないさ」
葵はそう言って、呆れたようにため息をつく桔梗を残して、次の講義へと向かった。
あと、一年。
敷かれたレールは、一瞬交わっただけで、それは二度と、平行にさえ走ることはない。
分かりきっていたのに。
自分と、紫苑の進む道が違うことなど。
「葵、進路変更したって?」
いつものように、抱き合った後にまどろんでいると、ふいに頭上から紫苑の途惑った声が聞こえた。気にしない振りをしているのに、それは少しだけ、遠慮している。
最近、将来のことを話し合う機会が減った。以前は夢と希望溢れた少年たちのように、嬉々としてその話をしていたのに、いつからか葵がその話をすることを嫌がるようになったのだ。いや、正確には、避けるようになったと言うべきだろう。それが何故かを、紫苑は聞いていない。それすら出来ないように、葵は会話をコントロールしてしまう。
「桔梗?まさか、教授じゃないよね」
「違うよ。桔梗がさっきメールしてきた」
学年首席の紫苑と、美しく整った顔立ちをした葵のカップルは、校内でどことなく遠巻きに見られているところがある。そのなかで、二人のことに口出しをしてくるのは、桔梗だけだ。
また、余計なことを。
葵はそう思うが、口には出さない。桔梗のそれが、自分を心配してのことでもあると、わかっているからだ。
少しづつ、レールから落ちようとしている、自分への警告。
選択肢は二つだけだ。他人によって敷かれたレールに乗って走るか、そこから落ちて、希望などと言う言葉とはほど遠い場所に留まるか。ただ、ここの生徒たちは、それが敷かれたレールだと言うことを知らないだけで。それでも、そこから落ちないようにと、本能のように思っている。桔梗が、紫苑が、心配するように。
「気まぐれだから。別に本気じゃないよ」
葵がそう言うと、紫苑はほっとしたように、微笑んだ。葵は、その胸元に額をぎゅっと押し付ける。
――同じだ。エリートの宇宙科学の研究員になるとしても、趣味のようなカバーフィールドの研究員になることも。
レールが交わるのは、一瞬なのだから。
その先は遠く、気付いたときには、一人になっているのだろうから。