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サイレント・ノイズ 第四話
――螺旋階段――

  03

 携帯端末に通信信号が入って、回線を開くと、あまり見慣れない認識コードが画面に映った。少し考えて、思い出す。
『久しぶりだな。元気かい?』
 受信を了承すると、いつもの、怖いくらいに整った蘇芳の顔が、画面に映し出される。葵はその目を見つめながら、えぇ、と小さく笑った。
 どうやら、子羊たちは常に監視されているらしい。とくに、一度柵からはみ出した子羊は。
『そんな顔をしないでくれ。ちょっと気になっただけなんだ』
 蘇芳の困った表情に、葵は視線を逸らした。
「どうしたんですか。幹部の方が直接一生徒に交信を求めるなんて」
 蘇芳がその言葉に、さらに困った表情をする。そう言うつもりではないと、葵にも分かっている。自分のあまりに子供っぽい言葉に、葵はすぐに後悔した。
「紫苑にも言いましたが、気まぐれです。……あと、一年ありますから」
 葵がそう言うと、蘇芳はため息をついて、そうだね、と呟いた。葵は画面を見ることが出来ない。見たら、体裁も気にせずに、泣きついてしまいそうだった。
 蘇芳なら、きっとわかってくれるだろう。そして、泣かせてくれるだろう。でも、葵は頑なに、甘えることを自分に許さない。
 今は、紫苑がいるから。
 ――どうか、今のままで。
「僕の行動は、それほど重要ではないでしょう?約束どおり、あのことは誰にも言いません。これ以上、調べることもしません。だから――」
 僕との約束も、守ってください。
 そう言うと、蘇芳はわかったと言って、画面から消えた。
 
 
 半年ほど前だった。
 葵は趣味と遊びを兼ねたように、色々な端末に忍び込んではその情報を覗いていた。と言っても、葵の求めているのはその情報そのものではなく、そこに至るまでの緊張感とプログラマーとの知恵比べだった。
 その日もそうやって、政府の適当な端末に忍び込もうと画面を見つめていた。民間も今では随分と凝ったつくりをしていて面白いのだが、その日の気分的に、アカデミックな政府の端末の作りに触れたかった。
 そこにふと、見つけた文字。
 それはあまりに見慣れていて、始めは見過ごしそうになったほどだ。
『幹部候補生no.8593:紫苑』
 どうやら幹部候補生の情報を収めている端末に忍び込んだらしいことはわかった。おやおやと思って、葵はそこから早々に退散しようとした。人の情報を調べるほど、悪趣味ではないつもりだった。
 ふとその目に入ってきたのが、紫苑の名前だった。奇妙なことに、紫苑の情報だけ、名前のみになっていた。他の生徒は、細かいことまで書かれているのに、だ。
 葵は少し考えてから、とにかくその先がないのか調べてみることにした。
 それを後悔したときには、もう遅かった。
 今までの何もかもが、崩れてしまったと思った。
 自分たちが何であるのか、わからなくなった。
 敷かれたレール、緻密なプログラム。
 自分たちが必至で選んできた道は、最初から決まっていたのだ。
 そして――
 その先もまた、運命や、偶然と言う言葉を纏って、たった一本の道になっていた。
 それから、葵は一人で端末を睨むことが多くなった。交信をするのは、政府の端末ばかりだった。危険なことだとわかっていながらやめられなかったのは、知らなければいけないと、思っていたからだ。
 毎日の、睡眠学習。
 それぞれの端末を使った、自習。
 その意味を知ったら、吐き気がした。
 ――そして、紫苑のこと。
「君は、自分が随分と危険なことをしているとわかっているのかい?」
 紫苑の従兄弟である蘇芳に呼び出されたのは、葵が幹部候補生の情報が入っている端末に忍び込んでから、数日が過ぎた頃だった。最初は、紫苑と自分の関係のことで呼び出されたと思っていた葵は、蘇芳がにっこりと笑っていった言葉に、目を見開いた。
「蘇芳さん……」
「たまたま気付いたのが俺だったから良かったが……もうやめなさい」
 いいね、と子供に含ませるように言う蘇芳に、葵は唇を噛んだ。
 知っているのに。どうしてそんな風にしていられるのだ。
「あなたも、養成学校の卒業生でしたよね?……紫苑と、同じだったのですか」
 その問いに、蘇芳が瞳をきつくして、首を横に振った。同じだったとしても、覚えているはずがない。
「従兄弟があんな目にあうのに、あなたはそれを見ない振りをするんですか?あんなこと……人にすることじゃない」
「葵くん」
 蘇芳が咎めるような口調で、葵の名を呼んだ。でも、葵はやめる気はない。
「本当の従兄弟じゃないから、それでいいんですか?血が繋がっていないから」
 そこまで言った葵を、蘇芳が遮る。
「紫苑は、私の従兄弟だよ。あの子が生まれたときから、私はあの子を見てきたんだ」
「それならっ」
「可愛いよ。だから、生きていて欲しい。――葵くん、君は一体何処まで知っているんだ?」
 葵は、蘇芳の問いには答えずに、黙った。
 ――生きていて欲しい。
 その言葉が、重い。紫苑には、レールの上を走る以外の選択肢は、ないのだ。外れたら最後、待っているのは、死だけなのだと。
 試験管の中で、「優秀になるためだけに」生まれた紫苑。
 振り返ることの、許されない、哀れな子羊。
 なんて罪深いことを、この国はしてきたのだろう。
「葵くん、とにかくもう、このことに触れるのはやめなさい。私が庇い切れなくなったら」
 蘇芳はそこで言葉を選ぶように、口を噤んだ。言われなくても、葵にはその先は分かる。
 消えるしか、ないのだと。
 余計なことを知ったものの口は、塞ぐのに限るのだ。
「そのほうが、いいのかもしれないですね……どうせ、同じこと……」
 紫苑から、自分が消えてしまうのなら――。ふと葵が呟くと、蘇芳が切なげに瞳を揺らした。
 そうか、この人も同じなのだと、葵は今更のように思う。
 紫苑から、消えていく記憶。その、一部なのだと。
 蘇芳は、どうしてそれを受け入れていけるのだろう。たぶん、今までにも、何人かの人間に関わっては、その記憶から消えていったはずだ。自分の記憶からも、その人はいなくなる。蘇芳はそれを知っている。知っていて、関わっていく――
 つらく、ないのだろうか。
 葵がそう聞くと、蘇芳は口元を微かに歪めた。それは、笑っているようにも、泣いているようにも、見える。
「知っているから、いいんだよ。知らないでいたのに知ってしまったほうが――つらい」
 君のようにね。そう、優しく微笑んだ。
 葵は、知るべきではなかったのだ。それならば、知ってしまったことを後悔するかと言われたら、する、と答えるだろうか。
 いや、後悔はしていない。後悔など、していない。
「……わかりました。今後一切、このことには触れません。でも、その代わり……」
 端末に収められている、紫苑の秘密。
 決められた、未来。
 消えていく、過去。
 でも、自分は過去の中で生きていこう。それだけを、大切にして。
 自分だけは、忘れないで――
「お願いです。僕の記憶は、消さないでください」


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