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サイレント・ノイズ 第七話
――月ノナイ夜――

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 オルガが弟分だと言ったスカイは、しばらくカイを値踏みするような視線で見ていた。オルガ経由だから、それを信用していいとも思っているようだが、口を開くまでには随分時間が掛かった。
 カイの中で、少しずつラルフに対する印象が変わってきていた。実行部隊の若手指揮官というから、盲目的なまでの連合派なのかと思えば、そうでもない。テロのことを考えても、冷酷無慈悲な男かと思えば、情が移るという理由で女を抱かない。その上、ラルフを知る人物は、会う人会う人、彼の身を案じている。
「情報屋って言ってたね。それがなんで賞金稼ぎなんかしてるんだ」
 互いに抱き合う気はなかったが、一番安全だろうと言うことで、二人はホテルの一室にいた。「賞金稼ぎじゃない」
 カイはそれだけ言うと、目の前の少年を同じように眺めた。スカイは金髪に栗色の瞳をした、少年から青年になる途中のような、ひどく危う気な雰囲気を漂わせていた。男娼の中でも、稼いでいるのではないかとカイは思った。
「じゃあ、何のため?」
 カイはすぐには答えず、じっとスカイを見つめると、徐にジャケットの内ポケットからアルフォンスに渡されたものを出した。
「これを渡すように頼まれてね。運び屋に近いな」
 スカイの目の前にそれを掲げて見せると、一瞬その目が見開いたのがわかった。
「通行パス……」
「これなしにここから出るのはすごく難しい。でも逃げ回るにも限界がある。未だに捕まっていないのが不思議なくらいだ」
 賞金首になって、もう一ヶ月は経っているはずだ。表裏どちらからも追われていて、そこまで逃げているのはさすがと言うべきか。
「俺のところにはいないよ」
 しばらく考えていたスカイは、ようやくそれだけ言ってため息を吐いた。
「心当たりは?」
「ない。何も教えてくれなかったからね」
 スカイのその言葉に、カイはその瞳をじっと見つめた。
 スカイはその視線を感じながら、一ヶ月前のことを思い出していた。珍しく昼間に会いに来て、別れの挨拶のように自分を抱いていったラルフ。
――どんな形でも言いから、幸せになれよ。
 そう笑ったラルフに、予感はあった。
「直前に会ったんだ。もう会えないかなって気はした。それで、出来ることなら何でもするって言ったんだけどね」
 どこに行くとも、なぜかも、何も教えてくれなかった。客と男娼と言う以上の奇妙な関係だったが、ラルフにも幸せになって欲しいと、スカイは心から思っていた。
 それから、ふいに思い出した。一つだけ頼まれてくれ、と言われたことを。
「俺の右手の薬指を貸してくれって言われてさ。指紋を取っていった」
 色気ないったら、と笑ったスカイに、カイは真剣な目をしていた。
「何?」
「いや、そこから追えるかもしれないな。俺にも貸して」
「何を」
「スカイの指紋」
 途端、スカイが不審そうな眼差しを遣した。
「悪いことには使いません。とにかく早いとこ探し出さないと、捕まってからじゃ遅い。だいたい、スカイだってわかって貸したんだろ?」
 眉根を寄せたまま首を傾げるスカイに、カイはおいおい、と苦笑を漏らした。
「その指紋で新しい口座を作ったんだろう。あいつの口座じゃすぐに居場所がばれる」
 指紋照合と暗証番号の組み合わせが昨今の現金引出し、カード払いの主流だ。ラルフの指紋は全て連合側が押さえているだろうから、スカイに頼んだのだろう。
「俺は現金主義なの。そうか、それで俺の指紋……」
「それ、他の奴には言うなよ?薬指、持ってかれるぞ」
 口調は軽いが、真剣な目をしたカイに、スカイは思わず頷いた。それから、促されて右手を差し出すと、カイはさっきとは別のポケットからフィルムシートを取り出すと、ぺたりとその指にそれを押し付けた。
「都合よく持ってるもんだね」
「そりゃあ情報屋だからね。目をつけた人物の指紋取りは大事な仕事の一つだよ」
 そうなのか、とスカイはすっかりカイの職業に興味を持ったようだった。オルガも誉める、自分と同年代の目の前の少年は、確かにどこか人を惹き付ける魅力がある。
 話している間中、心の奥底を覗き込むようにじっと見つめてくる瞳は、真摯な色をしていた。
「ラルフに会ったら、伝えて欲しいことがある」
 ふいに、カイなら見つけ出して上手く逃がしてくれるかもしれない、とスカイは思った。
「何?」
「あんたも、幸せになれよって」
 その言葉に、カイはゆっくりと微笑んで、わかった、と頷いた。


 数ある銀行の中から、まずは一番大手の銀行を調べてみよう、とカイは思った。膨大なデータがある分、埋もれやすいからだ。
 スカイの指紋情報を解析して、それに当てはまる客を探し出すのは、はっきり言って容易なことではない。でも、今はそれしか方法がなかった。連合も、警察も、並み居る賞金稼ぎたちも見つけ出せていないのだ。
 ふうっと長いため息を吐いて、コーヒーでも飲もうと思って眺めつづけた画面から目を逸らした途端、別のコンピュータから通信の信号が入った。カイは相手が誰なのか確認して回線を開けると、ジェイクのにやりとした顔が映し出された。
『おや、お疲れだな』
「わかってるなら用件は手短にお願いします」
『相変わらず冷たい』
「手短に」
 カイがにっこりとそう笑うと、ジェイクが苦笑した。実際、疲れているし時間もない。
『ちょっと気になる情報拾ってね』
 こいつ、覚えているだろう?と言われて、画面半分に映った顔写真に、カイは一瞬眉根を寄せた。見たことがあるが……誰だっただろう。
『カイ?まさか忘れてないよな?』
 ジェイクの口調から言って、自分は絶対にこの人物を知っているのだ。そう思って、ぞくりとした。この間から、自分の記憶に自信が持てない。それが、こんな形であらわれるとは思ってもいなかった。
「ああ、覚えてるよ」
 必死に思い出しながらそう言うと、画面半分で、ジェイクが目を眇めたのが見えた。それに気付かない振りをして、先を促す。
『……自分の命を狙った奴くらい覚えてろよ。まったく。いらないと思うとおまえはすっぱり切るからな。今回は、確かにもう思い出す必要もないかもしれないが』
 そのセリフに、ようやくその人物が誰なのかカイはわかった。
 わかってまた、ぞくりと背筋を震わせる。どうして、忘れてしまうのだろう。この男のことになると、なぜこうも簡単に記憶が消えるのだろう。
「もう、思い出す必要がないって?」
『顔色悪いな。大丈夫か?』
「疲れてるだけだよ。それより」
『ああ、どうやらこの男の死体が見つかったらしい』
「死んだ?」
『あれからすぐ後だな。どうりでもう襲ってこなかったわけだ』
 ジェイクの言葉を聞きながら、この男と最後に会ったとき、どうしただろう、とカイは思っていた。そんなことも、どこか遠い霧の中のようで、ひどく気持ち悪い。男と交わした会話が合ったはずだ。そして殺されかけて、それから――それから?
『カイ?おまえ本当に顔色悪いぞ?』
「ああ、ちょっと気分が悪い。休むよ。悪いけどこいつのデータ送って」
 そう言って、カイは無理やり回線を閉じた。
 冷や汗が背中を落ちる。頭は割れるように痛かったし、気持ちが悪くて吐きそうだった。そして何より、ひどく不安でならなかった。
 少し落ち着かなくてはいけない、と思って、カイは戸棚からウイスキーを取り出した。それをグラスに注ぐと、ストレートのままぐいっと煽る。ひりっと焼けつくような熱さが喉から胃に落ちていくのを、辿るように目を閉じた。
 先刻見た画面上の男の顔を、何度も思い描く。忘れていない、と確認するために。でも、その男に狙われたときのことの詳細を思い出そうとしても、それは相変わらず霧の中のようにぼんやりとしたものだった。
 カイはグラスからもう一口酒を煽ると、ラルフの口座探しを再開した。時間はないのだ。今やれることを、やるべきことをやらなければいけない。それに、そうしていることで、とりあえず不安から目を逸らすことが出来るのは、カイにとっては幸いだった。


「カイ、変だったね」
 隣で通信を聞いていたウォンがジェイクにお茶を渡しながら呟いた。それにジェイクも、曖昧に頷き返す。
 ジェイクもこの間から変だ、とウォンは心のうちでため息をついた。もともと一人で仕事をしていたジェイクに、全てを自分に話せ、などとウォンは言えない。それも足手まといになる可能性のほうがずっと高いのだ。
 でも、ここのところのジェイクは、仕事をしているのではない、とウォンにはわかっていた。仮にもコンビを組んでいるのだ。仕事のことはウォンにもわかる。ジェイクがこんな風になるのはただ一つ、キースのことだ。
 ジェイクはウォンの淹れてくれたお茶を飲みながら、最近になってわかった多くのことを思い出していた。
 カイの祖父であるウォルターと、国立第八研究所のウォルター教授。
 五年前の、その教授の逃亡。
 リュウとメイの関係を調べているうちに出てきたのが、ウォルターだった。二人を紹介したのが、たぶん逃亡直後のことだ。
 カイの祖父と教授は、同一人物。
 それが、ジェイクの中での結論だった。
 そうなると、カイは一体どこにいたのだろう、という疑問が湧いてきた。第八研究所の職員は、その中で暮らしている。カイもそこにいた、と考えるのが自然で、そうなるとその記憶がないカイは、エリカと同じ境遇だったのではないか、とジェイクは見当をつけていた。
 梅花のデータバンクに、カイとその祖父、ウォルターの情報は極端に少ない。もちろん、それだけ上手く自分のデータを本人達が隠している、ということもあるだろうが、ジェイクはメイにしか見ることの出来ない、裏のデータバンクがあることを知っていた。
 キースのことも、エリカの研究資料も、きっとその中に入っている。
 そして、カイのことも。
「ジェイク……?」
 考え込んでしまったジェイクに、ウォンが心配そうな声をかけた。いつか、どこかにふらりと消えてしまうのではないか、とウォンは奇妙な不安に包まれた。
 知らないのだろうか、とウォンは思う。
 ジェイクがいなくなったら、どうやって生きていったら良いのか、自分はわからない。
 それを、ジェイクは知らないのだろうか。
「どうした?」
 優しい顔で微笑まれて、ウォンは出掛かった言葉を飲み込んだ。
 それでいいと、最初に言ったのは自分だ。
「なんでもない」
 どこにも行かないで、という言葉の変わりに、ウォンはそう言って小さく笑った。


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