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サイレント・ノイズ 第七話
――月ノナイ夜――

03
 地上か……?
 眠る間も惜しんで探りつづけた結果、スカイの指紋コードを持つ口座の持ち主は、地上で最後にその口座を使った形跡があった。そのATM機の場所を特定して、とりあえずその辺りに行ってみることにする。最終の引き出し日は一昨日で、まだそこにいるのかはわからないが、探してみるだけは探してみよう、とカイは思った。
 よくよく考えると、地上は久しぶりだった。もともと仕事以外に行くところではないし、やはり地下の空気の方が自分にはあっていると思う。
 カイは熱いコーヒーを淹れ、それをゆっくりと飲むと、支度を始めた。もうすぐ日が暮れようとしている。最地下から地上まで、カイの足と抜け道の入った頭なら、三十分ほどで行ける。カイは一応の装備をして、崩れかけた廃屋を出た。


「どうして一人で来た」
 緩慢な動作で立ち上がったラルフは、目の前にすっと立っている人物を見つめた。
 もう、二度と会わないと思っていた、漆黒の髪と深い茶色の瞳を持つ男は、薄暗がりに微かに笑ったようだった。
「俺は連合担当じゃない。たまたま通り掛っただけだ」
 それで見つかるわけがないとわかっていて、朱理はそう嘯いた。自分自身で、わからないのだ。賞金首となり、国からも追われるこの男を探し出して、どうしたいのかなど。
「殺しにでも来てくれたのかと思った」
 ラルフが笑うと、朱理は今度こそはっきりと、声を立てずに笑った。
「殺して欲しいのか」
「あんたにやられるなら、本望、かな」
 いい加減、生きていることに疲れ始めている。いや、生き延びたことに、疲れているのだ。
「なぜそんなに、死に急ぐ」
 朱理は、ラルフがどれだけ連合の中で危険を冒しつづけたのか知っている。あの中で、崇められるままにしていれば、今の半分は危険は減っていただろうに。
「俺は、なぜ俺が生きているのかを聞きたいよ」
「……五年前に、死ぬべきだったと?」
 朱理の言葉に、ラルフはひたと視線を合わせた。薄いカーテン越しに、夕暮れが部屋を染め上げていた。無防備に立つラルフは、何も警戒していない。もう、逃げなくてもいいとほっとしてさえいるようだった。
「馬鹿なことだとわかっているが、あんなことの前に、死ねたら良かったとときどき思うよ」
 罪のない人間を巻き込み、唯一の肉親だった弟を殺した、あの残虐極まりない、テロ行為を犯した自分。出来るなら、その自分を殺しに行きたいくらいだ。
 そのラルフから視線を外して、朱理は薄汚れた床を見つめた。それから、吐き捨てるように言葉を紡いだ。
「同じだろう」
 朱理の言葉の意味を取れず、ラルフは目を眇める。
「おまえがいてもいなくても、同じ事だったはずだ」
「……どう言う意味だ」
「そのままだよ。おまえがいてもいなくても、同じようなテロ行為はあったはずだ。もともとあれは、仕組まれたものだからな」
「はっきり言え。おまえは何を知っている。何を、言いたい」
 聞くべきではない気がしながら、ラルフはその気持ちとは裏腹にそう言っていた。朱理は、無表情に続ける。
「おまえたちが標的にした議員は、国からも疎まれていてね。ちょうどいい厄介払いが出来たんだ。厄介払いは、それだけじゃなかったらしいが。国も連合も、色々な人物の厄介払いを一緒にした。互いに知られないようにね。だからおまえたちの計画を黙認した。でもその代わり――」
 朱理はそこでふいに瞳を揺らした。でもそれも一瞬のことで、薄い闇の中で、ラルフにははっきりとした表情は見えなかった。
「その代わり、連合側の人間を犯人として一人差し出すことになっていた。そうすることで、そのテロへの追求は今後しないことになっていた」
 ラルフはあまりのことに、声が出せなかった。
 全て、出来上がっていたシナリオだと?自分達は、ただその中で踊らされていただけだと?
 そんな残酷なことを言うのか?
 そして、なぜ、どうして――
「俺じゃなかったんだ」
「連合はおまえの方を高く評価していたからだろう。もちろん、おまえの弟も優秀だったようだが」
 ぐらぐらと、視界が揺れている気がラルフはした。
 何が悪かったのだろう、と思う。
 幸福に暮らしていた、自分達家族の何が悪かったのだろう。
 そして、なぜ自分だけがここに取り残されたのだ。


 ぐっと、細かく震える唇を、カイは噛み締めた。
 ATM機の近辺を歩きながら、ふと目に入った建物があった。人気のなさに、どうやら廃屋なのだろうと思って、中に入ってみるとやはり、綺麗にされているが住民がいる気配はなかった。もしかしたら、と慎重に部屋を探っていると、二階から話し声が聞こえてきて、そっとその声が聞こえるドアの傍らに寄り添った。そこから聞こえてきたのは、紛れもなく五年前の会議場爆破事件の話で、カイはラルフがいると確信するとともに、その話に集中した。
 そのもれ聞こえてくる話に、怒りがゆっくりと静かに湧き上がってくるのがわかった。
 やはり、祖父は殺されたのだ。
 祖父があの会議場になぜ用があったのか、どれだけ探してもわからなかった。仕事だとしても、情報屋の祖父が、テロを全く知らなかったのは、不思議だった。
 連合か、国か。どちらにせよ、祖父をわざと「巻き込んだ」人物がいるはずだ。あるいは、もう殺されていたのかもしれない。
 オルガの、バカバカしいお芝居、と言った声が蘇る。
 このラルフもまた、確かに被害者なのだ。この、カバーフィールドと言う舞台の上で、何も知らずに踊らされている、自分達と同じ。
 ふいに階下で人の気配がして、カイは気を取り戻した。動く様子からして多人数のようだ。ラルフの居所が知られたのかもしれない。
 カイは一瞬考えて、中に入ることにした。ラルフと話している人物が誰なのかはわからないが、どうやら一人のようだし、ラルフも裏社会で名を馳せる一人だ。逃げ出すくらいは出来るだろう、とカイは踏んだ。
 そっと扉を開けると、中の人物が動いたのがわかる。追手が来ている、と低く囁くと、誰かと言われた。カイは両手を出して武器を持っていないことを示して、中に入った。二つの銃口が、自分に向けられている。それに、二人は仲間なのだろうか、とカイは眉を潜めた。先刻の会話の様子では、そんな感じはしなかった。
「怖いな。何も持ってないよ」
「誰だ」
 ラルフが低く言った。
「アルフォンスからの頼まれ物を届けに来ただけだ。でも時間がない。追手が階下にいる」
 言いながら、部屋の中のもう一人の男の奇妙な視線に気付いたカイは、そちらにゆっくりと視線を移す。すらりとした体躯に、黒髪が映える色白の肌。眼光だけはやたら鋭く、でも服装と雰囲気から、国の役人ではないかと思って、ますますカイはわからなくなる。
 じっと、自分を見ている視線は、どこか困惑が混じっていて。
「カイ……」
 その口から自分の名が漏れて、カイの方が困惑しだした。
「誰……だ?」
 また、忘れたのだろうか、と思う。こんな印象的な男を?
「カイ……?情報屋の」
 ラルフの呟きは、階下からの足音に途切れた。三人とも、はっとしたようにドアを振り返る。それから、ラルフが素早くカーテンを開けると、下を覗いた。それから軽く舌打ちをすると、二人を見る。
「連合の奴らだ。ここから飛び降りろ」
 そう言って、ラルフは腕に嵌めた時計を操作した。少し離れたところから、爆発音がする。続いて、ばたばたと階段を登ってくる音がして、ラルフはひらりと窓を飛び降りた。それに続いて、朱理もカイも下に飛び降りる。カイはすぐにラルフを追った。スケーターを片足、ラルフに放り投げる。それを装着したのを確認すると、その腕を掴んで、片足で思い切り地面を蹴った。
「バランス崩すなよ」
「噂にたがわず、速いな」
 両足ではない分、これでも遅い。そう言うと、隣で笑ったのがわかった。随分と余裕がある、とカイは思ったが、追手の気配はない。とりあえずレベル5まで降りると、二人は路地裏に入って息を整えた。
「……あんな、抜け道があるとはな」
「教えるなんて出血大サービスだ」
 はあはあと息をしながら、二人は壁に背を預けた。街の喧騒が遠い、住宅街の一角だった。
「ところで、良く俺の居所がわかったな」
「スカイに会った」
「口座か」
 言って、ようやく息を整えたラルフは、ふうっと息をついた。
「それで、アルが何だって?」
 自分の速度に慣れていたカイはとっくに息を整えていて、煙草を取り出した。ちらりと横から道路を確認するが、今のところ人の気配はない。ラルフにも差し出すと、にっこり笑って礼を言われた。
「俺の質問に先に答えて。あいつは誰だ?」
 部屋に一緒にいた男は、飛び降りた後、二人を追ってくる様子もなく、どこかに消えた。でも確かに、自分の名を呼んでいた。
「知らない」
「何であそこにいたんだ」
 それは自分が聞きたい、とラルフは内心一人ごちた。朱理がどんな目的で自分を探し出したのか、わからなかった。
 あの話を、するために?
「役人、か?」
 知らない、と言ったラルフの言葉をカイは信じていない。それをわかって、ラルフは紫煙を長く吐き出すと、頷いた。
「警察だ。連合担当じゃないって言ってたけどな。俺とは偶々知り合った。どうして俺を探したのか、正直俺にもわからない」
 全く、偶然でも知り合うものじゃなかった、とラルフは思う。
 ラルフの口調に嘘はなさそうだった。カイはそれでも、あの奇妙な視線と、呟かれた自分の名前に、言い知れぬ不安が湧く。
「ああ、おまえのこと知ってたな。そっち担当なのかもしれない」
「どういう意味だ?」
 カイの低い声に、ラルフははっとしたように顔を上げた。それから、それを誤魔化すように煙草を吸う。
「俺はただの情報屋だ。ぎりぎりでも、捕まるようなことはしていない。もし目をつけられているとしても、下っ端の警察官がいいところだ。それなのに、あいつは何の担当だって言うんだ?」
 嫌な予感が、カイの中で膨れていた。
 国立第八研究所。二人のウォルター。リュウとエリカ。五年前。
 そう、全ては五年前に始まっている。
「アルからの預かりものを貰おう」
「答えろ。それからだ」
 ラルフは、少し考えるようにカイから視線を逸らした。失言だった、と思う。何も知らないなら、その方がいいだろう。
 そう思っているところに、カイが呟く声が聞こえた。
「五年前、あの議会場爆破事件のときに、俺は祖父を亡くしている」
 どくり、とラルフの心臓がなった。
「巻き込まれた、とは言わないだろうな。さっきの男が言っていた言葉のまま言うなら、厄介払いをされた、ってところか」
「聞いていたのか」
「ずっと、あんたに聞いてみたいと思っていた。なぜ、あんなことをしたのか」
 でも、そんなことは意味がないのだ。この男にとっても、残酷なことに。
「でも、疑ってもいたんだ。もしかしたら、殺されたのかもしれない、ともね」
 カイが、短くなった煙草を足で消した。
「真相を知りたいんだ」
 じっと見つめられて、ラルフはしばらく考え込んでいたが、諦めたようにため息を吐いた。いつか、知らなければいけないことなのかも知れない。
「俺も全てを知っているわけじゃない」
「いいよ、知ってることだけ教えてくれれば」
 後戻りはできないと、カイはわかっている。
 きっともう、全ては始まってしまったのだ。


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