サイレント・ノイズ 第七話
――月ノナイ夜――
04
「連合軍の運営資金がどこから出ているか知ってるか?」
しばらくの沈黙の後、ラルフが不意に言ってカイは首を傾げた。いくつかの会社組織を持っていて、そこから資金が出ているというのが公式な発表だ。もちろん、それを素直に信じている人間はそうはいない。
「それだけで足りるはずがないのはまあ、カイにもわかるだろ。武器倉庫には溢れんばかりの武器があって、幹部はかなり豪華な暮らしをしてる。実行部隊で、それ以外に働かない連中を食わしていくこともしなければならない」
「それなら、どこから?」
「闇組織と変わらないことをしてるのさ。売春、ドラッグ販売、偽造パス製造」
それらを資金源に、今の国の現状を憂いて見せるのだから、立派な詐欺だとラルフは思っていた。
「その中の一つに、国と同じ研究をしているところがある」
「研究、ね。たとえば、国立第八研究所みたいな?」
「知ってるなら話は早いな。あそこの不老研究なんかは、かなりの金になる」
だから、エリカはあちこちから狙われるのだろう。そう思って、ふと、コバルト60の中で会った山吹と言う女のことをカイは思い出した。自分のことも、蘇芳のことも知っていた、あの女。
「ただ、研究には莫大な資金がいる。だから一番いいのは」
ふいにラルフがカイを見た。それが無表情だったのは、哀れんだからだろうか、と後になってカイは思った。
「国の研究を横取りすることだ。そして、その格好の獲物が五年前に現れた」
五年前、やはり、全てはそのときに始まっているのか、とカイはラルフの茶色い瞳を見ながら五年前を思い出していた。その思い出が、確かなものか、今は不安でたまらない。
ラルフは煙草を一吹かしして、カイから視線を外して横目に遠くを眺めた。
「研究所から、二体の研究体とその研究資料がそこの職員によって持ち出された」
「二体……?」
「ああ、プログラムナンバー300の不老研究の被験者だったエリカ。そして、プログラムナンバー700の被験者だった、カイ、おまえだ」
ぐらり、と視界が揺れたが、壁に背をつけていたせいで倒れずに済んだカイは、すんでのところで崩れ落ちそうになるところをなんとか耐えた。それから、深く息を吸い込んだ。
全くの予想外のことだ、とは言えなかった。祖父が研究所職員のウォルターと同一人物なのだろうと、どこかでもう確信していた。では、五年前、祖父が研究所から抜け出したとき、カイ自身がどこにいたのか、そしてその前にはどうしていたのか。それを考えるのが嫌だったのだ。だから、そのことには極力触れないようにしていた。
でも、自分が実験体だった――。
それは少なからず、ショックだった。
「そのナンバー700が何の研究だったのかは、わからない。ただ、その研究はおまえが最後の被験者だ。かなりの機密事項のようで、組織でも内容を知りたくてずっと足掻いてる」
ラルフの声は淡々としていて、おかげでなんとかカイもそれを聞くことが出来た。
実験体。
五年前。
記憶研究。
足元から、地面が崩れていくような感覚とは、こんな風だったのかと思った。
「カイ……」
「大丈夫、だ」
何度か、意識的に呼吸をする。まだ、全てがわかったわけではない。わからないことは、たくさんある。それを知らなければならない。何度も、その言葉を繰り返して、正気を保とうと努めた。
自分の実験は、きっと記憶に関することだろう。そして、自分はウォルターの実験道具だったのだ。
そう考えると、眩暈がした。何もかもが嘘で、今の自分でさえ、存在を確信できなかった。
祖父を、心から尊敬していた。それなのに。
「だから、あいつ――朱理の担当はその第八研究所じゃないかと思ったんだ。二人のことを政府ももちろん探しているが、それは極秘のはずだ。あの研究所自体が存在を隠されているからな」
カイは、山吹のことを思い出していた。彼女が、エリカ担当なのだろう。そして自分を担当しているのは……そこまで考えて、カイは頭を振った。どこかがおかしい。あの男を、カイは今まで一度だって見ていない。自分の周りに警察がうろついたこともない。
大体、どこから狂いだしたのか、わからなかった。
いや、五年前に、歯車は回り始めていたのかもしれない。
はっきりと、思い出せる。
幼い自分の視線で、見上げる祖父の顔を、はっきりと思い出せるのだ。それなのに、その全てが嘘だと言うのだろうか。
幸福の中で、漂うように過ごしたあの日々も、その幸せな気持ちを知っていると思うこの気持ちも。
ふいに気遣う視線を感じて、カイはその視線の主に笑いかけた。
「話してくれてありがとう。ようやく色々すっきりしてきたよ」
カイはそう言って、胸ポケットから預かりものを取り出した。
「通行パス……」
「あんた、結構好かれてるんだよね。驚いた」
どうするかは知らない。それは、ラルフが決めることだ。そして、自分のことも。
図らずもラルフから自分のことを聞き出せたのは、何かの運命だろうか、と柄にも無いことをカイは思った。
「スカイから伝言も預かってる」
ラルフが、見つめていたパスから顔を上げた。
「あんたも、幸せになれって」
それに、ラルフは小さく笑った。
「おまえも人のこと言えないな」
朱理が官舎に戻ると、蘇芳が部屋を訪れた。ひどく疲れていて一人になりたかったが、話さなければいけないこともあって、それなら今話してしまうのが一番だと思った。どちらにしろ、すぐに動き出さなければならない。
朱理は蘇芳の言葉を無視して、ため息を吐いた。
「通信を切るなと言われてただろう?上が怒ってたぞ」
「何かあったのか?」
どさりとソファーに座った朱理は顔色が悪い。それを横目に見ながら、蘇芳は窓際にふらりと立った。官舎横に植えられている木々が豊かな緑を湛えている。でも、万年春のために、改良された木々の寿命はひどく短いものになっていた。
「会ったよ」
「え?」
「717に会った。ウォルターのことを勘付かれたかも知れない」
朱理はそう言って、もう一度大きく息を吐き出した。
「何しに行ったのかと思えば、わざわざそれをあの賞金首に教えに行ったのか」
「さあね。俺にもよくわかってない」
それは正直な気持ちで、朱理は自嘲した。自分がなぜ、ラルフを探して、あんな話をしたのかはわからない。ただ、話しておきたかったのだ。
ずっと、自分を責めつづけ、死に急ぐラルフに。
「それで?どうしてそこで717に会うんだ」
「共通の友人がいたんだ。あの喫茶店の店主だよ。頼まれ物を届けに来たらしい」
赤い髪に緑の瞳。写真で見たよりずっと、何か人を惹き付ける魅力があった。おかしなことだ、と思う。いい所だけを貰ったわけでもないだろうに。
「ああ、あの品のいい男か。それで?おまえは二人とも逃がしてきたのか」
「連合の奴らに見つかって、逃げたんだ。俺は一人は管轄外だろ」
動揺して、思わず名前を口走ったのは失敗だった。ひどく驚いた顔をしていて、真っ直ぐに見つめられた。
その上――。
「通信はなんだったんだ?」
蘇芳が窓際に立って外を見たまま聞いてきた。こんな役目は冗談じゃない、と朱理はそれに内心毒づいた。蘇芳さえ通信を切っていなければ、自分がこんなことを言う必要はなかったのに。
朱理は一度目を閉じて、それからゆっくりと、蘇芳の背中を見つめた。
今のままなら、どうにか誤魔化して、首都から連れ出すこともできた。でも、今度ばかりはそうは行かないだろう。すぐにでも捜索が始まる。
「つい先刻、皇太子が倒れた。まだ原因はわからないが、計画は変更になる可能性が高い」
顔が見えないために、蘇芳の反応は朱理にはわからなかった。ふいにその背がくるりと振り返ったが、顔は無表情だった。それから徐に端末通信を出すと、アクセスを始めた。
「蘇芳です。朱理から聞きました。容態は?」
『とくに大事には至らなかった。今は眠っている。疲れたのかもしれないが、予断ならない。計画は変更する。すぐにでも717を探し出してつれて来い。朱理もそこにいるんだな?』
「はい、了解しました」
ボリュームの上げられた通信から自分の名前が聞こえて、朱理はそう答えた。蘇芳は相変わらず無表情のまま、それでも朱理と同じように答えた。
一体、どうするつもりなのだろう、と朱理はその横顔を眺めながら、らしくもない心配をした。
ラルフがその後、首都から離れたかどうかはカイは知らなかった。ただ、離れたとしても、いつかきっと戻ってくるだろう、とカイは思っていた。
あのとき、真実を聞いたのはカイだけではない。朱理から議事場破壊事件の真相を聞いたラルフは、きっとこの膿んで病んだ街に戻ってくる。
誰もかれもが、その掌の上で踊らされている、この街に。