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椿古道具屋 第一話

懐中時計の神さま 04


「命がないって、死んじゃうってこと?」
 叫んだ史朗の狼狽振りとは反対に、かんざし様はゆっくりと頷いた。
「贄、か」
 誰ともなく呟かれた言葉が無気味な響きを持っていて、史朗はびくりと肩を震わせた。
「にえ?」
「神様への供物じゃ。あの娘、選ばれたのか差し出されたのかわからんが、時計様の贄なんじゃろ」
 生贄、という言葉が史朗の頭の中に浮かんだ。
「そんな――」
「でも、選ばれたり差し出されたりしたのなら、時計様が憑いているというのはおかしいわねえ?」
 糸巻き様の言葉に、織部様が頷いた。
「確かにな。憑いているということは、少なくとも時計様も自由ではないからな」
「そうだよ。それに、贄だったら時計のやろうは、依り代から離れることはねえ」
 市松そば猪口様も頷いている。史朗はわけがわからず、神様たちの話をじっと聞いているしかなかった。
「時計が止まってしまったのも、御霊が離れたからじゃろうな。あるいは、それが関係しているか……」
「娘が時計をぞんざいに扱ったとか?」
「それはないじゃろ。時計は綺麗に手入れされておる。ぞんざいに扱ったとしても大した事はなかったじゃろうに、命はとらんわい」
「じゃあ、一体……」
 史朗の呟きに、「わからんなあ」と織部様が唸った。
「娘に訊いてみるのが一番早いじゃろ」
「早いほうがいいね。坊や、すぐあの子の家に行ってみるといいよ」
 住所と電話番号は控えてあった。彼女の家は市内の高級住宅街と呼ばれている場所の一角だった。
「でも、神馴らしができないのでは、史朗さんが行っても解決しないのでは……」
 そば猪口様が難しい顔で言う。それには、神様たちもしん……と黙ってしまった。
「あの、戻っていただけるように説得する、とかでは駄目なんでしょうか」
 史朗が小さく手を挙げて意見を述べてみるが、首を振られた。なんでも、人間の都合などで無理矢理離されたのではければ(そういうことも稀にあると言うことだった)、一度離れた御霊は、自ら戻ることはできないのだと言う。それができるのは、「神遣い」だけらしい。
 ――俺って役立たずってこと?
 史朗はがっくりと落ち込んだ。神様たちがその史朗を気の毒そうに見ているが、仕方がない。こればかりは、神様にもどうにもできないことだった。
「あのう……あの方はどうでしょうか」
 遠慮がちに声を上げたのは、小引出しの神様だった。三十センチ四方の、三つの引出しがついている木製のものだ。今は人形(ひとがた)になっていて、小柄な身体をさらに縮めるように、ちょこりと座っている。地味な着物を着ているので、時代劇に出てくる使いっ走りの小僧のようだ。
「あの方?」
「はい、虎之助様とお別れするときに来ていた、あの方です」
 虎之助の葬式には、史朗が思っていたより、多くの人が来てくれた。道楽と言えども商売をしていたので、顔は広かったようだ。
「ああ、あの兄さん」
「おお、そうじゃった。あやつならもしかしたら……」
 神様たちは、それが誰なのかわかっているようだ。糸巻き様が「兄さん」と言ったからには、男性である。
「便利水たちも、怯えていたでしょう? あまりに怖がるので、仕方がなく私の引出しの中に入れてあげたんです」
 小引出し様の言葉で思い出したのか、便利水様たちもぷるると震えた。
「史朗さんと同じ位の年の方でしたね。あちらはずい分と大柄でしたが」
「でも、男前だったわ。怖かったけれど、それがまたしびれちゃう! って感じで」
 きゃー、と騒いでいるのは若き女神様たちである。まるで女子高校生がアイドルのことで騒いでいるようで、神様も人間も変わらない、と史朗は少々呆れ気味に思った。
「男前……そんな人、いました?」
 虎之助の年齢もあって、参列者もご年配の方々が多かった。史朗と同じ年となると、数人しかいなかったはずだ。
「従兄弟の恭介? いやでも、男前……」
「違いますよう。恭介さんって、夏子ちゃんの子供でしょ?」
 違う違う、と娘神様たちが首を振る。
「もっとすらっと背が高くて」
「きりっとした顔で、鼻筋も通ってて」
「笑わなかったわね。ちょっと不機嫌? って感じだったけど、それもまた良し、の美丈夫」
 もはやうっとりと遠くを見るような目つきをしている。神様たちは基本的にほとんど着物姿なのだが、彼女達も例外ではなく、華やかな柄の振袖を揺らしていた。
「私は一緒にいた渋いお父様が好みだったわー」
「きゃ、糸切りばさみちゃんったら、年上好み?」
「だって、お着物、とっても似合ってたんだものっ」
 着物姿の父親と一緒にいた若い男……その条件になると、史朗の頭には一人の人物しか思い浮かばなかった。
「これこれ、あの方は神は神でも大神(おおかみ)様に仕えていらっしゃる身。滅多なことを言うものではないよ」
 糸巻き様が窘める。娘神様たちはぺろりと舌を出して笑った。
 それで、史朗は神様たちが誰のことを言って騒いでいるのか、確信した。わかった途端、眉根がぐぐっと寄った。
「凪、か……」
「ナギ様? まあ、お名前も素敵!」
 娘神様たちはきゃっきゃと騒いでいる。史朗はそれを横目で見ながら、不機嫌な顔のまま「あいつ? 冗談じゃねー……」と呟いた。
「凪様とおっしゃるのか。この先にある、水穂の社の斎庭(さにわ)の息子じゃろう?」
「斎庭?」
「神主とも言うね」
 織部様の言葉を言い換えてくれたのは、菖蒲そば猪口様だった。そのまま、思案顔で続ける。
「確かに、彼はなかなかに強い気をもっていた。私も、虎之助さんにお別れを言おうと思ったのですが、彼がいるときは遠慮いたしました」
「俺も行かなかったが、兄貴と違って、びびったわけじゃねえ。あいつはなんか虫が好かない」
 けっ、と市松そば猪口様が吐き出す。娘神様たちが盛り上がっているのが気に入らないらしい。
「あのさあ、できれば、あいつの力は借りたくないんだけど」
「どうしてだい? 坊や」
 糸巻き様に「坊や」と言われてしまうと、市松様と同じように「虫の好かない奴なんです!」と子供っぽいことを言うのは憚れた。
 水穂神社の神主の一人息子、神鳥凪(かんどり・なぎ)は、史朗の幼なじみで、――相手がどう思っているのかは知らないが――ライバルである。祖父母の代から家族ぐるみの付き合いがあったらしく、物心ついた頃には既に二人は一緒にいた。生まれも近く、幼い頃から、勉強にスポーツに、競い合ってきたのだ。だが、背比べは小学校五年生のときに、勉強は中学校で負けている。身長は成長期になればと期待していたが叶わず、史朗は自己申告で百七十五センチ(実際は百七十三センチ)で止まってしまい、羨む史朗を尻目に、凪は百八十センチを超えた。中学を卒業すると、凪は県下随一とも言われる私立の萩桜(しゅうおう)学園高等部に進んだの反して、史朗は地元の、レベルはあまり高くない、水穂高校になんとか滑り込んだ。
 その上、娘神様たちが騒いだように、男前である。切れ長の目にすっと通った鼻筋、薄い唇――それらが、なんともバランスよく、すっきりとした輪郭を持つ顔の上に並んでいる。男は顔じゃないだろ! と豪語する史朗にしてみれば「だからなんだ」と言いたくなるのだが、世の女性は正直である。水穂高校の女子学生たちも、「凪さま」とうっとりしているときがある。
 かろうじて張り合えると思われるのは、スポーツだった。だが、身長がある凪はリーチも長く、走ることにおいても跳ぶことにおいても、史朗の方が不利である。父親の教育の賜物か、忍耐強く努力家でもあるので、飽きっぽい史朗より持久力もあった。だから史朗は、実は高校進学以来、少々腐っていたのだ。水穂中学時代は「水中(みずちゅう)の神鳥」と呼ばれていた幼なじみは、高校進学後すぐに「萩桜の神鳥」と名を変え、史朗の耳にさえときどきその噂が届いていた。
 つまりは、史朗にとってはいたく自尊心を揺さぶる相手であり、まさしく「虫の好かない」相手なのだった。
「斎庭の息子なら、好都合じゃないか。きっと上手くやってくれるよ」
「そうじゃ、何が気に入らん、史朗よ」
 何もかもだ。あいつに会いに行くのも、それが助けを求めるためだと言うのも、ついでにいえば、結局は彼が千織を救うことになるというのも――みんな史朗の気に入らない。
「史朗様。色々と思うところのあるのは、お察しいたします。私にはわかります。ですが、ことは人の命に関わる問題。よくお考え下さいまし」
 ぴしりと背を伸ばした茶箪笥様にじっと見つめられて、史朗は嫌だと言えなくなってしまった。確かに、このままでは千織の命が奪われかねないのだ。男の小さなプライドに拘っているわけにはいかない。
 そう、これは人助け。
「わかったよ。凪に会いに行ってくる」
 茶箪笥様が頷いた。そば猪口様には肩を叩かれた。糸巻き様は微笑み、織部様も良く出来た息子を誉めるような目をした。他の神様たちもみな、一様に良かったと頷いている。
 そんな中、かんざし様だけが、煙管の煙を長く長く吐き出して、どこか気遣わしそうな目で呟いた。
「あの時計様、なんだか怒っていると言うより、哀しそうだったねえ……」


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