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椿古道具屋 第二話

少年の神さま 03


「うちの主人はほんと、馬鹿だね」
「情けないね」
「お人好しって言うんじゃないの?」
「いや、物知らずだよ。古道具屋の看板掲げてるっていうのにさ」
 手嶋が帰るとすぐに、客間は神様たちで一杯になった。ちゃぶ台前に史朗が坐っているにも関わらず、言いたい放題である。
「でも、史朗さまは御霊が見えないのですし……」
 茶箪笥様がそう庇ってくれたが、他の神様たちは首を横に振っている。
「見えなくとも、あの猫の置物を見ればわかるじゃろう。新しい上に、人の手が入っている感じが全くしない」
 ああ情けない、と織部様が嘆息する。
「そうですよ。第一、招き猫があの形になったのは、ごくごく最近のこと。つい七十年ほど前ですよ? ○〆(まるしめ)猫ならともかく、この置物に御霊が宿っているなど、あるわけがありません」
 博学の書棚様がそう怒る。追い打ちをかけたのは市松で、「史朗は見る目がねえからなあ」と呟かれた。おかげで史朗は、彼らに訊きたかったことは知ることができた。つまり、この招き猫が手嶋の妻に憑いたわけではないのだ。
「でも、こんこんと眠るだけっていうのは、荒魂の仕業じゃないの?」
 史朗は招き猫の頭を撫でながらそう訊いた。自分と同じでひどい言われように、なんだか同情したのだった。
「さあねえ。一番多いのは、この間のお嬢さんのように身体がどんどん弱っていく、とか、最初の話に出てきた若奥さんのように気が触れたようになるとかだろうけどねえ。荒魂がしようと思えば、眠らせるだけなんて言うのもできるだろうよ。でも、見てみないとわからないね。確か一人息子がいるとか言ってたねえ。何にしろ、心配なこと」
 糸巻き様がお茶を啜りながらそう言った。手嶋がお茶を褒めたことには満足していて、少々彼に同情的である。
「そうですね。その入院している奥様をみれば、わかると思いますが」
 菖蒲そば猪口様がそう頷いた。だが、史朗ではわからないかもしれない。荒魂が完全に隠れていると、史朗はその存在を感じられないからだ。
「一番確実なのは、斎庭の息子と行くことじゃな」
 織部様が、史朗が最も避けたいことをあっさりと言う。他の神様たちも同意して「そうですね、凪様なら」と頷いている。
「ま、何にしろ、史郎が自分で引き受けたことだ。責任取らねえとな」
「そうだねえ。あの方もずいぶん気に病んでいたし」
「頭、下げてましたね」
 口々にそう言われて、史朗は結局、「凪にだけは頼みたくない」とは言えなかった。だがそんなことは神様たちは百も承知。困る史朗が、楽しいのである。


 史朗は散々迷った挙句、夜になってから神鳥家へと向かった。神社へ繋がる階段は、月明かりにだけ照らされていて、少々恐ろしい。でも、小学生のときにも、何度かこうして懐中電灯の明かりだけを頼りにこの階段を上ったことがあった。
 ――あのときは、怖いとか暗いとかより、凪に会うことだけを考えていたからなあ。
 史朗は今考えれば、かなり面映ゆい過去を思い出した。両親に怒られたとき、世界中が自分の敵に回ったように感じられても、凪だけは味方だ、と幼いころは思っていた。凪は絶対自分を拒まない。泣きそうな顔で「泊めて」と言えば、いつも「いいよ」と手招きしてくれた。後で親に怒られることになろうとも、凪は決して駄目だとは言わなかった。
 だから夜に訪問しに来たわけじゃないけど。
 階段を上り切ったところで、社の裏に回る。時計はまだ九時を回ったところだが、辺りは静まり返っている。神鳥家しかないのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
 家に辿りついて見上げると、二階の凪の部屋に明かりが点いていた。いきなりの訪問だったから、とにかくいることがわかってほっとする。それから、そっと家の東側に移動した。凪の部屋は二階の東側である。そちらにも小さな窓がついていることはわかっている。小学生時分も、こっそり凪を呼ぶ時は、その窓に小さな石を投げていた。
 足元を見渡すと、松ぼっくりがあったので、史朗はそれを投げることにした。これなら思いきり投げても窓が割れることはない。だが、果たして凪が気付くかどうかは怪しい。
 ひとつ目を投げたあと、少しだけ様子を見た。春が近いといえども、夜になればまだまだ気温は低い。階段を上がっているときは温まっていた身体も、すぐに冷え始めた。史朗はもうひとつ、松ぼっくりを窓に向かって放り投げた。
 ――凪、気付けよ。
 心の中でそう呟いた途端、窓に人影が写った。それがからりと開く。
「何やってんだよ」
 「史朗、おいで」なんて昔通りの言葉を期待していたわけではない。だが、どうしたんだ、くらいは言って欲しかった、と勝手なことを思う。
「ちょっと話があって」
「なら、上がってこいよ」
 ぴしゃり、とばかりに窓が閉まる。そっけないものだ。史朗はしばし呆然とした後、松ぼっくりを蹴りながら玄関に向かった。なんだか小学生気分になっていた自分が恥ずかしい。
 凪は下まで降りてきてくれたようだ。玄関が開いて、早く入れよ、と言われる。
「えーと、おじさんは?」
「風呂。上がったらそのまま寝ちまうから、気にすんな」
 頷きながら、凪の後について階段を昇る。五段目で、ぴしっ、と小さな音がした。思わず「あ」と声を漏らす。
 何? とでも言うような視線が上から注がれたので、史朗は「いや、なんか変わらないと思って」と目を逸らした。
「五段目、いつも軋んで音がしてた。階段で、ここだけなんだよな、音がするの」
「……よく覚えてるな」
 それだけ、何度も凪の家には来ていたのだ。今は疎遠になっているのが、信じられないくらいに。
 凪の部屋は、さすがに変わっていた。畳だったはずが、フローリングになっている。照明も、以前は大きな笠の白熱灯だったはずだが、今は金属の小さなシェードが三つ並んでいた。ああ、これなら凪もぶつからないか、と史朗は勝手に納得した。昔ながらの造りの家なので、天井が低いのだ。その代わりと言うわけではないのだろうが、十畳くらいの広い部屋だ。昔からベッドは入れていないので、その分やはり史朗の部屋よりずっと広く感じる。実際、史朗の部屋は六畳間なので、ここよりずっと狭いのだが。
「で? 話って?」
 凪は史朗が松ぼっくりを投げた東側の窓に寄りかかっていた。坐ることを勧められないので、史朗も立ったままだ。なんとなく、歓迎されていない空気を感じる。
 数年ぶりとはいえ、何度もこの部屋には来ている。史朗は以前から置いてある、丸いちゃぶ台の近くの座布団に坐った。史朗の定位置だったところだ。
 凪は腕を組んで、その史朗を見下ろしていた。そう言う、尊大な態度が似合うところが忌々しい。それに、先日のことなどすっかり忘れたような態度なのも、史朗には悔しくてたまらなかった。だが逆に、普通に接してくれて良かった、とも思う。あのことは、史朗も話題に出したくない。
「話って言うのは、椿屋のことなんだけどさ。この間、馬鹿でかい招き猫を持った客が来たんだよ」
 それから史朗は、手嶋の話をした。彼が話した、若い奥さんを貰った夫婦の話もした。思い出しながらした話は、神様たちが聞いたら「相変わらず史朗の話は要領を得ない上に下手糞だ」といいそうなほどあちこちに飛んだりしたが、凪は辛抱強く聞いてくれた。
「で、神様たちはその招き猫に魂が宿るはずがないって言うわけ。古くもないし、人の手が入ってる感じがしないから。書棚様は、なんとか猫でもないし、って言ってた。なんだっけな。まる……」
 眉根を寄せていると、凪が「まるしめ猫」と呟いた。
「そう、それ。まるしめ猫だ。って、どういう猫?」
「江戸時代に売られてた焼き物の猫のことだろ。その猫を売っていたところが、のれんに『まるに〆る』の印をつけていたから、まるしめ猫、って呼ばれるようになった。形は今の招き猫に近いけど、横坐り。ちなみにまるに〆るは、金を節約して貯めるって意味」
 史朗はまじまじと幼馴染の顔を見た。
「おまえ、良くそんなこと知ってるな。さすが神社の息子なのか……?」
「招き猫は、神社より、寺の方が関係が深いことが多いけどな」
 史朗は、へえ、と感心して頷いた。それから、そう言えば、と母親が見せてくれた写真を思い出した。
「神社の息子って言えばさ、おまえさあ、この間、おじさんの仕事手伝ったんだって? うちの母親が写メとか撮って来てたんだけど」
 その言葉に、凪の顔が嫌そうに歪んだ。やはり、嫌々手伝ったのだ。
「おじさんに、頼み事したからって聞いたけど。それってさ、もしかして……」
「史朗には関係ねえよ」
 すぱっと言われた。突き放すような言い方に、もう何も言えなくなってしまう。もしもこの間の千織のことが関係しているなら、お礼を言おうと思っていたのに、それすらできなかった。
「で、その話を俺にして、どうしろって言うんだよ」
 凪がなんだか冷たい。史朗は上目づかいに腕組みをしている凪を見た。怒っている――というのとは少し違う気がする。だが、顔は厳しく、唇はぐっと真一文字に閉じられていた。
「その手嶋さんの奥さんが、何かに憑かれているかどうか、本人に会うのが一番てっとり早くわかるって神様たちが言うからさ。その、俺じゃ会ってもわからないし……」
「おまえは別に、憑きものを祓うって言ったわけじゃないんだろ? 招き猫が原因かどうかなら、わかったじゃないか。違いました、って言えばいい」
 でもさあ、と史朗は唇を噛みしめた。
「すごい困ってそうだったんだぞ。小さい男の子もいるって言うし、母親がずっとそれじゃ、かわいそうじゃん」
 盛大な溜息が聞こえてきた。わかっている。それなら自分でどうにかしろ、と凪は言いたいのだろう。だが、残念ながら史朗一人では、はっきり言って何もできない。
「憑いてるか、いないか、だけでもいいからさ。会って確認してくれよ」
「本当にそれだけで終わるか? おまえが?」
 う、と史朗は言葉に詰まった。自然に項垂れてしまう。
「そりゃあ、もし憑いてたら、神馴らしをして欲しいけど……。でも、まずは」
「神馴らし、本当にして欲しいと思ってんのか」
 ふいに近くで声が聞こえて、びっくりして顔を上げた。いつの間にか凪は目の前まで来ていて、史朗を見下ろしていた。それからゆっくりと、手を伸ばして来る。史朗はずりっと後ろに下がったが、そこはもう壁だった。いつも寄りかかれるように、壁際を好んで坐っていたのは自分だ。
 凪は、史朗の顔のすぐ左側に手をついた。思わず右に避けようとすると、そっちにも左手が伸びてきた。ごくりと、唾を飲み込む。
「神馴らしをしたら、この間みたいなことになるかもしれないんだぞ。それでもいいのか。それとも、そんなことはすっかり忘れちまったか」
 凪の顔が近い。これだけ至近距離で見ても、男前は男前だ。史朗の顔に血が上った。
「わ、忘れてなんかない! ないけど……」
「じゃあ、いいのか? この間みたいに俺がおまえを……」
 わー、と史朗は声を上げて、無理やり立ち上がった。さすがに凪はすっと身を引いて、ぶつかるようなことにはならない。
「そ、そんなの、やってみないとわかんないじゃん。酒とご飯で満足するかもしれないし! あ、あれは初めてだったから、神様ももしかして無茶言ったっていうか、そう言うことかもしれないじゃん!」
 史朗は自分でも何を言っているのかわからないまま、叫んだ。顔が熱い。この間、間近で吐息を交わした情景が、頭の中を駆け巡った。
 忘れてなどいない。忘れたい、忘れよう、と思っているのに、凪の囁きや、熱い吐息や優しい手の感触がふいに思い出されたりする。その度に身体の芯が痺れたように熱くなり、史朗は泣きたいような途方にくれたような気分になるのだ。
 史朗は急に、今、凪の部屋に二人だけなのだ、と自覚した。敷かれた布団が目に入る。そうなったら、もう逃げるしかなかった。凪からというよりは、その恥ずかしさからだ。
「とにかく、神馴らしするかどうかわかんないし。手嶋さんの奥さんに会いに行かないとわかんないって話だから!」
 そう叫んで、部屋を出る。神鳥のおじさんがいることなどすっかり忘れて、ばたばたと騒がしく逃げ帰ったのだった。


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